権力の【デッチアゲ】冤罪事件

 

【菅生事件】http://tamutamu2011.kuronowish.com/sugoujiken.htm

 1952年6月2日、大分県直入郡菅生村(現在の竹田市菅生)で起こった駐在所爆破事件。
 現場近くにいた日本共産党員2名他3名が逮捕・起訴され否認したが、一審、大分地裁で全員有罪判決。現場に被告を誘い出した「市木春秋」を名乗る男が事件直後から行方不明になり、市木が現職警察官の戸高公徳であることが判明「フレームアップ」が確認された。58年6月、福岡高裁は5被告人全員に無罪判決、上告棄却で無実が確定。法務大臣や国家公安委員長が警察官・戸高を「おとり捜査」に使ったと認めた。しかし、彼は刑を免除され復職したばかりでなく昇進し、警視長や警察大学校の重要な幹部にまでなり、ノンキャリアとしては最高の出世をした後に警察関連団体に天下りしている。

【参考】『消えた警察官~ドキュメント菅生事件』(講談社)

 

【高知白バイ事件】http://hanzaikochi.web.fc2.com/

 高知県春野町の国道56号線で1997年年3月、右折のため道路中央付近で止まっていたスクールバス(生徒22人と教師3人同乗、負傷なし)の運転台右付近にに白バイが衝突し警察官が死亡した事件である。問題は停車していたバスが『動いていた』とデッチアゲられた事である。
 同乗の生徒や後ろでマイカーで続いていた校長のバスは「止まっていた」との証言は信用できないと排除され、反対車線を走っていたという同僚白バイの『5~10キロで動いていた』との証言が採用され禁固1年8ヶ月の実刑判決、控訴、上告とも棄却され、否認を通したため「反省がない」と02年2月に満期出所し再審請求中である。
 死亡事故とはいえ20~30人もの異様な警察官が現場を囲み、普通、当事者は現場検証に立ち合うが、何故か運転手は現場から離され、事故後8ヶ月も経ってから初めて約1メートル余りの「スリップ痕」があると写真を見せられる。そのスリップ痕は平行ではなく「ハ」の字形で「タイヤ溝」の痕跡もなく、つまり「デッチアゲ」である。更に、事故直後、運転台に居なかったにも拘わらず「運転台」に運転手が写っている写真も「捏造・デッチアゲ」である。100歩譲っても5~10キロなら1メートルものスリップ痕が遺ることはあり得ない。
 県警の「スリップ痕」デッチアゲの告訴は不起訴とされ、検察審査会の2度の「不起訴不当」判断も無視された。また、白バイ遺族あら1億5千万円の民事訴訟を受けたがその後和解している。再審請求と共に国賠訴訟も提訴している。
 当時、白バイが「凄いスピードで」で追い抜いて行ったと言うう証言や、日頃から白バイがサイレンも赤色灯も灯けず100キロくらいで暴走しているなどの証言もある。

 

【志布志事件】http://www.jicl.jp/now/date/map/46_01.html  

 2003年の統一地方選挙・鹿児島県議選での『買収』デッチアゲ事件、15人が逮捕され13人が起訴され、6人が自白(その後「否認」)し自殺未遂まで起き、その後、自白強制の『踏み字』事件でも話題になった。志布志町四浦のわずか7所帯20人程の「懐」集落で事件は起きた。
 ここで4回の買収会合を開き11人に191万円を渡し投票を依頼した等とされたが、そもそもこんな20人程の集落に190万円も使い選挙を左右するという常識はあり得ないであろう。
 「アリバイ」も無視され自殺未遂者まで出し、凄まじい遭い「自白強要」のため親族の名を記した紙を踏ませる所謂『踏み字事件』まで起こし、結果として07年2月の鹿児島地裁の「全員無罪」判決が確定した。
 この「踏み字事件」は元鹿児島県警警部補・浜田隆広被告が特別公務員暴行陵虐罪に問われ懲役10月、執行猶予3年の1、2審判決が確定し「損害賠償」も認められた。この事件も間違いではなく『デッチアゲ』であった。
【参考】『冤罪を追え~志布志事件との1000日』(朝日新聞出版) 

 

 【厚生省・村木厚子事件】 

 障害者団体向けの郵便料金の割引制度の不正利用に、厚生労働省の村木厚子局長が虚偽公文書を発行させたと逮捕起訴された事件。
 一審では権限のあった村木(当時課長)の指示は認められないとして無罪判決、検察は控訴できず無罪が確定した。これは間違いや冤罪ではなく最初からの「デッチアゲ」であった。この事件では担当・検事と上司の副部長検事と部長検事が起訴されているが、逮捕と同時に解雇され「推定無罪」を無視してなに故それほど処分を急ぐのか、上司やトップへの波及を避けるためだが結果として検事総長が辞任している。

 

【以下、工事続行中】