1984年

 

「三原則確認は放棄したのか」

(84.7.13・朝日新聞「声」)
 阿部外相が6月29日の衆院沖縄・北方問題特別委員会で、川崎寛治氏(社会)の質問に答え「核持ち込みなどの事前協議について日本から発議できない」旨の発言をし、改めて、政府の統一見解だと明らかにしたという。これは政府が自らの非核3原則を積極的に確認する権利を放棄したことになる。
 いままで政府は「事前協議の申し入れがないのだから、核持ち込みはない」と言ってきた。また「事前協議の申し入れがあったらどうする」との質問に「断る」とも答弁してきた。結果が断られると分かってい相談するものがいるだろうか。核搭載の有無について米軍は「軍事機密につきコメントできない」としてきた。
 軍隊は常に即応体勢になくてはならない。いったん有事の際にハワイ、グァムまで核を取りに行くことなど考えられるであろうか。学者、文化人112人が非核3原則に加え「使わせず、すてさせる」を加えた非核5原則提言を行なったが、その時の中曽根首相の答弁も、まるでその気なしである。
 首相よ、よく聞いてほしい。その気のない軍縮発言などやめるべきだ。言うことと、やることが違ていて説得力を欠く。
 今、全地球人口を何回も殺せる量の核兵器があると聞く。
   
「平和への道は軍備より憲法」(84.10.23・朝日新聞「声」)


 私は原爆投下に対し米国を一方的に非難するつもりはありません。クレガ-氏の言う通り日本の開発が進んでいたら、やはり先に使用したでしょう。日本も南京虐殺、バタ-ン死の行進など、悪事を重ねてきました。
 大砲ならよくて原爆は悪いと言うことにはなりません。人を殺すことには変わりなく、氏の言う通り「戦争そのものを禁止」しなくてはならないにです。しかし、氏と私は方法が異なります。
 氏は反核は思慮が足りない、敵に勝利を与える故に武器の用意をと言いますが、私は日本の憲法前文や第9条を額面通り信じたいと思います。この小さな星の上でなぜ敵を無理に想定しなくてはならないのでしょうか。
 最後に、原爆投下で死傷者が低く抑えられたことを「むしろ感謝すべきだ」との氏の発言を私は絶対に許せません。状況から考えてやむを得ずと言うならともかく、すでに戦況から日本の敗戦は時間の問題でした。氏は長崎在住とのことで、被爆の悲劇は知っていると思います。それだけに日本軍の各地での悪事を考慮に入れてもなおかつ、氏の発言は許せません。
 氏が教師ならなおさらのことです。生徒たちに核兵器の恐ろしさ、戦争の悲しさとバカらしさ、そして平和の尊さを真剣に教えてほしいと思います。

 

1985年


「ロン・ヤス会談は憲法精神に反する」
(85.1.18・「社会新報」)


 危うく二階堂内閣の出現という、実力不足の中曽根内閣。目立ちたがりやの本音を発揮し、正月には、たいした目的もないのに、たった一時間の会談にわざわざ米国へ出かけていった。
 そして、その結果はなにも得るところもなく、重い約束を持ち帰ったのである。
そのうえロンの政策を全面的に支持し、西側陣営の結束によってソ連の軍縮を求めていくのだという。
 しかし、それは日本国憲法の趣旨に反したものである。結果として反省を求めるというのは、威嚇や威圧を加えるということである。憲法の前文には「日本国民は・・・・・・崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生命を保持しようと決意した。・・・・・ 」とある。私はかって文部省が発行した「あたらしい憲法のはなし」で、これを額面どおり教わった。
 先日、ノルウェイを通過してフィンランドに落ちたソ連のミサイルのことで、ノルウェイはソ連に抗議した。しかし、その原因は”偶発的事故”と善意の解釈をした。その結果として、ソ連は深く陳謝したという。
 決して平和は、軍隊や威嚇威圧では守れない。憲法前文に言う”信義と信頼”これに勝るものはない。遠回りであっても、私はその道を信じたい。

 

「憲  法  を  守  ろ  う」(85.2.15湘北教育文化研究所・「私のした憲法の話」)

 

 皆さんは憲法を一度読んだことがあるだろうか。日本の憲法は素晴らしい憲法である。その特徴は第9条の「戦争放棄」である。またそこが一番議論になるとこえろでもある。 しかし、政府自民党は「この憲法は戦勝国によって与えられたものである。」との理由付けの下に改正を目指している。与えられたものであろうと、良い物は良く、悪い物は悪い。良い悪いはその内容で決まるはずです。実は改正の目的の一番の理由は、与えられたからではなく、この第9条を改正して大威張りで軍隊を持ちたいからです。
 皆さんは何の予備知識もなく、素直に第9条を読んで下さい。明らかに一切の戦力を否定しているのです。そして、それを補うために前文でも「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深くするのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあるのです。そこには一言も戦力を持って自衛するなどとは書いてないのです。 
 私達は昔、文部省自らが書いた社会科教科書「新しい憲法のはなし」で、「・・・・・・今度の憲法では、日本の国が決して二度と戦争しないように、二つの事を決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするための物は一切持たないということです。これから先、日本には陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦争の放棄と言います。『放棄』とは、『捨ててしまう』と言うことです。しかし皆さんは決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを外の国より先に行なったのです。世の中に、正しい事ぐらい強いものはありません。・・・・・ 」と教わりました。私は非常に良い頃、素晴らしい教育を受けました。30数年経った今でも私はそれを信じています。当時の吉田首相も国会答弁で、一切の軍備や自衛のための交戦権も否定していました。「軍備というものは外国と戦争するためのものであり、日本国内で戦争や戦闘するなど考える必要もない。」とまで言ったのです。(以上第一次吉田内閣国会答弁より)
 それが何時の間にか、自衛のためなら、侵略されたらと、今では領土領海を越えてのシ-レ-ン等と言い出し公海上にまで進み、リムパック等と外国軍と共同訓練までしている現実があります。そして軍事バランス、核バランス等と言って世界の軍備はエスカレ-トする一方であり、今核兵器は全世界の人間を何度も殺すだけの貯蔵量があると言います。 あの太平洋戦争で勝ったべ米英仏国に何の利益があつただろうか。ましてや、敗戦国に良い事がある訳がありません。
 昔は国のために命を捨てる事を立派と教育しました。いったい命を捨てて何が残るだろうか。妻や子に誰が責任をとるのですか、その責任者の東条英樹も今は神として同じ犠牲者として靖国神社に祭られる状態です。
 私は戦争になってから命をかけるよりも、戦争を起こさないために、この憲法を守るために命を掛けたいと思う。さらにまた、皆さんの使っている教科書は政府の検定の名の下に検閲され、本当のことが書かれていないのです。と言うとウソが書いてあるのかと心配するかもしれませんが、別にウソが書いてある訳ではありませんが、政府の考えに反するような考えや表現は、文部省が修正意見や改善意見として、強制的に直されるのです。これは憲法21条に保証された表現の自由と、検閲の禁止に反している外、教科書執筆者の学問の自由などにも反するものです。
 具体的な教科書の修正は、悲劇過ぎると「原爆の図」が削られたり、水俣など公害加害者の会社名の削除や口絵に載せる写真やその大きさ等にも注文を付けているのです。今年1984年の高校現代社会の検定も 6月14日の新聞各社の記事の通りで、それはほんの一部です。教科書検定に付いては、出版労連が毎年出している教科書レポ-トにその詳細が載っています。皆さんの教科書がどのように直され現在に到っているか分かります。
 戦争にしても「原爆の図」が削られた様に都合の悪い事は隠すのです。文部省は子供達に「原爆の図」は刺激が強すぎると言うのです。しかし、私は本当の事を皆さんに伝えるべきだと思うのです。戦争というものが如何に残酷で悲しいものであるか皆さんに知って欲しいと思うのです。そして、だからどんな事があっても戦争はしてはならないと知って欲しいのです。ところが、政府は皆さんにベ-ルをかぶせ、本当の事を知らせないのです。戦争中は子供だけでなく、大人も新聞が検閲され、本当の事が知らされなかったのです。日本が敗けていても勝っていると報道され、戦況も本当の事国民に知らせませんでした。すべて軍事機密の名の下に・・・・・・。現在も政府は有事立法とかスパイ防止法とかを検討しています。しかし皆さんよ-く考えて下さい。国民が本当の事を知ることが、どんなに大切な事か、それを国民の知る権利と言います。原則的に政府は国民に何事も秘密にしてはいけない筈なのです。すべて国民は政府のやっている事を知る権利があります。そして国民に機密にされる事は最低限に押さえなくてはならないのです。
 日本の憲法は本文もさることながら、その前文に素晴らしさがあります。もう一度この前文を一度ゆっくり読んで下さい。そこには我々の理想が書かれています。
 自衛隊があるから、憲法を改正して現実に合わせるのではなく、現実と違うなら理想である憲法に近付けるように不断の努力をしなくてはなりません。これが99条に載っています。
 また第41条には国憲の最高機関はこっかいであるとあります。しかし現実は政府行政機関の力が最大となっています。米国の様に首相は直接選ぶ事無く、国会で選ばれる事により、国会の最大勢力から選ばれる事のより、立法、行政二権を握ったも同然であります。その上最高裁判事は裁判所が作った名簿からとは言え、第79条によって内閣が任命する事になっています。判事は第76条によって憲法、法律にのみ拘束され、良心のみによって行動する事を建前上許されている。しかし見方によっては、行政府は司法権も立法件も手の内にあるとも考えられます。皆さんは日本は三権分立と教わった事でしょうが、現実とのギャップがこのようにあるのです。司法権にもこの様に内閣の意向を反映させる事が出来るのです。現実に青法協事件と言う事件があった頃、最高裁の人事が変わって以降、判決が以前より極端に政府寄りになったと批判された事がありました。
 私は憲法に、もし直すところがあれば、それを否定しません。しかし、その発議は第96条により国会、つまり国民の意志により発議されるべきであり、政府、行政府、内閣にはその権限が無いばかりか、第99条により擁護義務があるのです。
 しかし、いま自民党や政府が考えている憲法改正の目的が、第 9条や天皇制の復活、国民の知る権利などの制限を考える以上、私は反対したいと思います。
 皆さん、憲法は決して遠いものではなく、身近なものです。そこには細かい事は書いてありません。そこには大ざっぱに理想が書いてあるのです。もし現実がその理想と違っていたなら、理想を現実に引き下げるのではなく、憲法の理想に近付く様に努力しなくてはならないと思います。

 

「民主主義を脅かすスパイ法」 ・・・国家機密より知る権利が優先・・・
                                   (85.7.16・「社会新報」)
 自民党によよって提案された「スパイ防止法」が継続審議となった。
 私はこの法案に断固反対する。政府・自民党は、多くの先進国がこのような法律を持っていると言うが、そんなことは「スパイ防止法」の必要性の有無となんら関係なく、説得にもならない。
 いったい、国家機密とは、何であろうか。表向きは「国家、国民の安全守るため」というのが為政者の常識である。
 国家機密であるかどうかは、誰が判断するのであろうか。それは権力側が一方的に判断するのである。事の性質上、機密かどうかを検討するということは有り得ないのである。 その結果として、外国に対してではなく自国の国民に目隠しをすることになる。そして、私達は自らの政府が何をしているのか知ることができなくなるのである。つまり、知る権利を侵されることになる。それは何よりも歴史が証明している。国民が政府の考えていること、やっていること知ることができない。そんなバカなことが許されていいはずはないのである。
 あの第二次大戦でもそうだった。南京大虐殺もバタ-ン死の行進も、 731石井部隊の人体実験も、沖縄の悲惨な戦いも・・・・・・すべて時の政府に都合の悪いことは国家機密、軍事機密の名の下に国民には知らされなかった。マスコミはすべて検閲されたのである。・   日本人ばかりではない。原爆を開発した米国でも、ネバダの実験場に立ち会った米兵にもその放射能の恐ろしさを教えなかった。ネバダで、ビキニで実験に立ち会った米兵は、いまだにガンや後遺症に苦しんでいるという。
 そう、ベトナム戦争でもそうだった。あの戦争で、米国はダイオキシンを含んだ大量の枯葉剤を撒いた。そしていま、ベトナムでは多くの奇形児の出産が問題になっている。しかし、この猛毒はベトナム市民は元より、米兵にも知らされていなかったのである。その結果、ベトナム人だけでなく、地上で戦った米兵も、作戦に携わった航空兵も後遺症に悩むことになってしまったのである。いま、彼らに「エ-ジェント・オレンジ患者カ-ド」が発行され無料で治療が受けられるが、治療方法もなくガンや奇形出産に脅えているという。
 これらの例で、軍事機密とはいかなるものか、軍事機密の名の下にそれは、いかに運用されるかがわかると思う。国家、軍事機密とは時の権力者の都合のよいように利用されるのである。「スパイ防止法」が成立しなくても、すでに国民は目隠しされつつある。
 すでに子供たちの教科書から「原爆の図」が消され、南京大虐殺犠牲者の「十万人以上」という数字も根拠がないと消され「ロッキ-ド事件」「免田事件」「中国残留孤児」など政府に都合の悪いことは修正意見として次々にけされていく。いままで書かれたいたものを否定され、検閲は年々厳しくなっている。
 我々は、これ以上目隠しされてはならない。無期懲役や死刑まで設定した「スパイ防止法」を考えただけでも身震いがする。そんな社会が民主主義だろうか。私は、もし機密を守りたいなら公務員の秘守義務で 十分であると考える。死刑まで設定して”守る”ということは、それによって国民を脅し、国民の知る権利を侵しかねないのである。
 私は断言する。「民主主義とは国家機密より国民の知る権利が優先する社会」であることを。そして、私は民主主義を守るため「スパイ防止法」を廃案に追い込むために精一杯努力したいと思う。

                      

1986年

 

「戦死者は犬死にか」(86.8.14・朝日新聞「声・テ-マ特集」)


 田口氏は「祖国を必死で守ろうとした同胞を犬死に扱いするな」と言われますが、私は結果として「犬死にさせられた」と考えます。氏の「戦争は恐ろしくまた愚か」だとの考えには全く同感であります。私も多くの戦没者が戦争の犠牲になったことを決して忘れず、心から冥福を祈る者です。
 多くの戦争体験者や遺族が、その死は無駄でなかった。と信じたい気持ちもわかります。そう考えなくてはやりきれないでしょう。しかし本当に役に立ったのか。もっと早く戦争が済んでいれば犠牲者はもっと少なく、原爆も落ちなかったかも知れない。否、戦争しなければあんなことにはならなかった。
 世界中から非難を浴びた日本は国際連盟まで脱退し、自ら侵略戦争を始めた。私も愛国心を否定するつもりはないが、たとえ自国のためたはいえ善悪ははっきりけじめをつけておくべきです。戦前戦中の教育は国家権力に従う人間のみ育てあげてきた。批判の芽は育たなかった。戦死が無駄でまかったと思いたい気持ちはわかるが、英霊などと祭り上げるのは非常に危険です。それは国のために投げ出すことを立派だと教えたと同じ道を歩むことになる。戦死者は特別ではない。空襲で亡くなった人と同じと考えます。本土で死んだ人々は人殺しはしていなかった。
 あの時と同じ「気が付いた時は遅かった」ということのないように、国民は政治や社会に関心をもってほしいのです。 

 

1990年

        

「自衛隊認めるべきだ、発言に異義」(90・4・30・毎日新聞「みんなの広場」)


 山岸連合会長が自衛隊について「社会党は違憲だといいながら、連合政権下では存在を認めるというのは矛盾している。自衛隊を認めるべきだ」と発言した。
 自衛隊は自衛隊法により存在しているが、同法はただの一度も憲法判断されたことはなく、最高裁は統治行為論を盾に憲法判断を避けてきた。
 これは明らかに最高裁が「違憲」と考えているからであり、合憲と判断するなら自信をもって「合憲」判断を下すであろう。
 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼し」平和を守とあり、第9条で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する」とあり、第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と明言されている。  矛盾しているのは社会党の解釈ではなく、自衛隊の存在であることは明確である。既成事実の積み上げで現実を認めさせようというのは許せない。
 矛盾している自衛隊を縮小するか、改憲して合憲とさせるかを国民が判断するべきである。

 

「事の重大性告げ光る一面の編集」(90・10・17・毎日新聞「みんなの広場」)


 15日付毎日新聞(東京)14版1面中央に「平和主義うたう憲法前文と9条」と共に、有識者3人の意見が出ていた。私は本紙の編集配慮に感動を覚えると同時に、その部分が輝いてさえ見えた。
 昨今このような記事がが1面に載ったことがあるだろうか。憲法とか9条とか言っても、案外見たり読んだりしていない人が多いのではないか。
 解釈憲法と既成事実の積み重ねの結果、海外派兵や自衛隊の存在が違憲かどうか国民に判断してもらうために、あえて社として載せたのではないかと私は思う。
 私は埼玉の自宅に配達された同日付本紙(13版○)も見た。なんと、その記事が載っていないのだ。すべての版に載せて欲しかったと思ったが、本紙が同日の1面記事をなぜこれほどまで差し替えたのか考えてみた。そこには毎日が社として、事の重大性と緊急性を認識したものと思う。先日の所信表明批判の社説と共に光っていた。
 いま自民党は冷静さを失っている。過ちを繰り返してはならない。

 

1991年

 

「市民の苦労も報道してほしい」(91.2.6・東京新聞「読者と対話の日」)


 戦争が始まってむなしさを感じる。国連の使命は何だったのか。日本からの支援資金が難民救済や食料使われるなら、どんなに貧乏しても税金を払うが、戦争継続のためは払いたくない。マスコミは〝勝った負けた〟より戦争で市民や女、子どもがどんなに苦労しているかを報道してほしい。

 

「戦没者供養も『信教の自由』」(91.04.19・読売新聞「気流」)


 13日付「桜咲く季節に戦死者の供養」に異論を述べる。
 私も戦争で犠牲になられた戦死者を供養することに何ら反対はしない。いまだ東南アジアの各地に埋もれている遺骨が何十万もあるのも事実であり、政府はその捜索をしようとはしない。
 しかし、「野ざらしにされた魂の行き着く先は靖国神社以外にはないのではなかろうか」との考えには同調しかねる。
 というのも、靖国神社は氏名の確認がとれた人しかまつらず、野ざらしにされた無名戦士の遺骨は、千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑に埋葬されるが、国は一宗教法人に参拝しても、この国立墓地では何ら公式行事を行わない。
 靖国は「英霊、靖国の母」などと戦争に利用された事実がある。国が宗教を利用する過ちを繰り返してはならず、故に政府、国家が宗教に関与することを憲法は明確に否定している。
 靖国は明らかに一宗教法人であり、いかに多数が支持しているとしても、信教の自由とは多数決によって国の関与が認められるものではなく、公式参拝は違憲である。
 だからと言って靖国を否定するつもりはなく、それは各自の自由である。

 

1992年

 

「自衛隊海外派兵は重大事項、民意問わぬ国会に牛歩やぬなし」

                            (92.6.26・東京新聞「ミラー」)
 22日付「わかものの声」に、牛歩を批判する2青年の意見が載ったが、私に反論させてほしい。確かに牛歩は好ましくないが、なぜ牛歩をせざるを得なかったを考えてほしい。
 憲法前文には「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し安全と生存を保持する」と記され、9条には「・・・武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と明記され、さらに第2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は認めない」とあり、憲法は軍隊による国際貢献を許してはいないのである。
 戦後、内閣は憲法を額面通り解釈し、自衛のための戦力も否定していた。しかし、朝鮮戦争を機に発足した警察予備隊は保安隊となり、やがて自衛隊という名の世界有数の軍隊となり、領土領海及び国民を守るから、シーレーンの名の下に公海上に出た自衛隊は、更に国連の名の下に外国へ行こうというのである。
 自衛隊の存在について、憲法裁判所である最高裁は裁判になじまないと統治行為論を盾に、国が判断せよ、違憲立法審査権を放棄してしまった結果が現状である。
 しかし、現状の国会は、自衛隊海外派遣が違憲かどかを最高裁に代わりに判断する信託は受けていない。最高裁が職権を放棄してしまった以上、今後の国の行方に重大な影響を与える海外派兵は衆院を解散し、国民に信を問うのが民主主義の常識である。
 チェコスロバキアの分離独立、アイルランドやデンマークの欧州連合条約への加入の是非など、国家の重大事項を決定する時、民主主義国家なら国民投票で直接国民の声を聴くのは常識である。
 つい先日まで政府自身が「自衛隊の海外派遣は違憲の可能性があり、考えていない」と言明していた重大事項の変更を、国民の声を聴くこともなく単に国会の多数決で決めいいとは思わない。国民は国会議員にあらゆることについて白紙委任状を預けたわけではない。

 

1993年

 

「忘れてはならなう侵略戦争の責任
         過去を誠実委見つめ、正確に伝えねば」
(93.1.22・東京新聞「ミラー」)
 16日付〝発言〟「日収戦争では日本も悲劇」(郷津}乾一郎氏)に反論する。
 韓国や中国の人たちが、あなた方も戦争の被害者だと、「許そう、しかし、忘れまい」と言ってれるかららと、それに甘え「日本にも非-劇だったったと言っていいのか。
 確かに日本も多くの人命や財産を失い、沖縄や原爆、そして、東京大窄襲の悲劇も受けた。しかし、その悲劇の加害者(原因)は、侵略戦争を起こした日本自身であり、その政府を選び支持し、国の価値観を統一する教育を受け入れた結果であり、中国・朝鮮・東南アジア諸国のように侵略を受けた側の悲劇と原則的に違う。
 日本人が'受けた悲劇は、アジア諸国が当然の権利として目衝のために戦った結果であり、不正義の歎争であり勝ってはならない戦争であった。
 戦争を始娼めたのは日本であり、もし戦争老しなかったら沖縄の悲劇も原爆の悲劇もなかったのである。侵略戦争を聖戦と教え、大東亜共栄圏、五族協和と価憧観を統一し、他民族に名前さえ変えさせ、日本語を強制した加害責任を忘れてはならない。
ドイツのワイツゼッカー大統領は1985年5月、敗戦(ドイツは終戦とはいわない)40周年の国会演説で「過去を忘れる者は結局のところ現在にも盲目となる」と演説し、世界中から高く評価された。
 被害者は決して過去を忘れることはあるまい。しかし、加害責任こそ忘れてはならないのであり、忘れることはまた同じ過ちを来る返すことになるということである。
 われわれが加害責任を償う唯一の方法は、つらくてもこの侵略戦争であったことや、多くの虐殺や強制連行、強制労働、従軍慰安婦など、その歴史をしっかり子々孫々まで伝えることであり、それが悲劇の発端を起こしたに日本教育義務である。許してくれるから、批判がなくなったから、経済援助するから等、という理由で日本は過去を到底免罪できるものではなく、悲劇の結果は同じでも、侵略をした側とされた側を同一に扱うことはできない。
 「許してくれるから」ではなく、「許してもらう条件そして」、われわれは過去を忘れず次の世代に戦争の悲劇をばからさし、そして平和の尊さをしっかり教える義務がある。

 

「武器流入とめるのが先決」(93.5.12・毎日新聞「みんなの広場」)


「仕方ない」の首相を、官邸は犠牲者が出たことではなく、帰京することを指していると弁明した。
 一歩譲ってそうだとしても国際貢献の名の下に命をかけることまで強いながら、静養から「仕方なく帰京」はない。
 だから「仕方ない」の本音はやはり犠牲を指しているのではないか。このまま継続すれば犠牲者が増すことは容易に想像がつくからだ。
 犠牲者の補償金は1億円らしい。とすれば、戦闘機1機分で100人の約100人の補償ができるのである、「それが国際貢献や自衛隊拝外派兵の実績が定着するなら安いものである」というのが政府の本音ではないかと思う。
 悲劇を繰り返さないためには撤退か、武装強化しかないのである。日本は武器輸出をしていないだけで十分国際貢献している。武器輸出をしながら停戦を言うことこそ矛盾であり、武器の供給源があるから戦闘は続くのだ。まず、武器輸出の流入を止め、民族自決を尊重すべきである。


「忘れようとしている戦争体験の認識」(93.5.22・「組合新聞」)


 カンボジアで犠牲者が出た報に接した宮沢首相は、「仕方ない」と本音をちらし批判された。国際貢献の名の下に命がけを強いている最中に、静養のため軽井沢でゴルフとはあきれる。
 そして官房長官は「悲しみを乗り越えてPKOは継続する」と宣言したが、それなら辞退者で足りないボランティアに、まず自分たちの子や孫老行かせたらどうか。安全が確保されている所にいる人間にそんなことをいう資格はない。
 中田さんが亡くなった時、その行動を誉める発言が目立った。「無駄死に」と思いたくない気持ちは分かるが、地球より重いといわれる命を粗末にしてはならず、生きていてこそ貢献出来るのであり、死んで何ができょうか。戦争犠牲者を讃えるのは「馬鹿らしいと思わせてはならない」との権力者たちの思索であり、その典型が靖国の国家利用であったのだ。
 死ぬことば立派でも名誉でもなく「辛く悲しいこと」であり、国が表彰してもそんな紙切れが何になろうか。あの残された奥さんと子どもさんに、国はどう責任を取るのか。
 しかし、政府は国際貢献の名の下に、派兵の実績確率のために犠牲覚悟で継続するであろう。犠牲覚悟しなくてどして継続を宣言できようか。犠牲者1人1億円で保障しても戦闘機1機分で100人分保障でき、後は「残念です」といっていれば済むのでAのる。
 PKO法を通す時、自民党はじめ公明・民社は「それ行けどんどん」とろくな論議もなく、時間切れで強引に成立させた。そのほんの少し前まで、内閣法制局でさえ「自衛隊の海外派遣は憲法に抵触の恐れがあり、違憲の疑いを拭えない」と国会答弁していたのである。
 政府は「危険な所へは行かせない」と安全を強調したが、視察に行った自治大臣は「何人死んだら帰れるのか」と聞かれ、半年の停戦監視業務から帰国した自衛隊員の口からさえ、政府の国会答弁は「法案を通すための方策」だったと発言した。
 UNはポルポト派の選挙妨害防止のため、1度回収した武器さえ3派に戻すというが、武器流入阻止こそ平和ヘの道であり、日本は武器輸出しないだけでも十分国際貢献しているのであり、武器輸出しながら停戦を呼びかける国こそ矛盾している。
 平和は与えられるものではなく、戦争や内戦の馬鹿らしさの認識が必要であるが、それを日本はもう忘れようとしている。まず民族自決を尊重すべきであり、安易に他国が介入すベきではない。

 

「戦争の悲劇を伝えた2本の実話映画」(93.9.4・「組合新聞」)


 久しぶりにいい映画を観た。
 一つは「月光の夏」である。この話しは音楽志望の2人の特攻隊員が出撃の前日、近くの学校にピアノを弾きに来て戦死してしまったという単にロマンと悲劇の物語ではなかった。
 幸か不幸かその内一人はエンジン不調で帰還したが、特攻隊員を「軍神」と祭り上げるためには静観しては困るため、、エンジン不調は信じてもらえず「非国民」と軟禁さ」れてしまうのである。
 戦後生き残った後ろめたさと、思い出したくない思い出、彼は長い間沈黙を続けるが、ピアノを弾かせてくれた元女教師と40数年ぶりにあの学校で再会し、「よう生きとって下さいました」といわれ、やっと「自分が生きていたことが間違いではなかった」と確認し、再調律された当時のピアノで涙しながら「月光ソナタ」を弾くのである。彼の心境を察することで戦争や命の尊さを考えさせてくれた映画だった。
 もう-つは早乙女勝元の本で有名になった「ベトナムのダーちゃん」である。川越のホールにベトナムから本物のダーちゃんが来て話しをしてくれた。
 既に彼女は脱出の時助けてくれた青年(片足負傷)と結婚。母となり「医療補助員」という資格を持ち貧しい医療の現場で働き、彼女の夢だった教師には再会できなかったが、妹がそれを実現してくれた。
 米軍の虐殺で1部落全滅し、奇跡的に生き残ったダーちゃん姉妹だが、それは他人ごとではなくて日本軍もあの10倍、100倍もの虐殺行為をアジア各地で行ってきたことを忘れてはならない。
 そしてダーちゃんは1人ではなく世界に何万、10万人もの「ダーちゃん」がiるのである。ダーちゃんはいった。「今は爆弾の落ちてくる心配がないだけでも十分幸せです」と、しかし、彼女
の勤める病院の薬棚には数瓶の薬品しかなかった。
 私は改めて「軍事貢献など糞くらえ」と確認し、平和のための軍事貢献や戦争など私は認めない。途上国に何よりも必要なのはまず自立できるための教育であり、そして医療である。
 この二本の映画はいずれも実話であり、自主公演で商業ベースに乗らない映画であるが、特に「月光の夏」は九州地方を中心に、製作不足金1億円を市民や企業のカンパで出来上ったことも素晴らしい。
 映画といえば「息子」や「寅さん」の山田洋次監督が15年も暖めていた、夜間中学のテーマ「学校」が11月に公開されるのを楽しみに待っている処である。

 

「『犬死に』だった、過去の歴史を生かそう」(93.10「教科書裁判ニュース」)


 会費を払い、毎月届く「教書裁判ニュース」を読むくらいの会員です。
 9月号7面の家永先生の『わたしが思うこと』「犬死でなくするには」を読んだ感想を送ります。
 まさに先生のおっしゃる通「犬死に」だったのです。「無駄死にでなかった」と思いたい気持ちは分かりますが、そのために事実に顔を背りて歴史を曲げて解釈してはなりません。そして、その事実に蓋をすることば間違であり過去の歴史を生かせないことなります。
 「過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目とはります。・・・」というワイノゼッカー大統領の言葉を深く心に刻むベきです。
 そもそも侵略戦争に突き進だその大きな影響を与えたのは、価値観を統一強制した「教育」の力であり、家永先生もその反省の上に立ち過ちを繰り返さないために、この教科書裁判を起こしたのです。
 戦争もその終盤で敗戦はもう目に見えていたにもかかわらず、「国体護持」という、そのたった一つの目的のために沖縄は捨て石にされた上特攻隊を編成し、多くの有能な未来に限りない可能性のある若者を死なせたのです。
 それからでも沖縄23万、東京大空襲10万、ヒロシマ10万、長崎七万と7万と、50万人近くの命が犠牲を強いられたのです。
 戦死者たちが侵略戦争の犠牲になっただけで、何の役にたったというのでしょか。日本があの戦争を始めなかったら日本で310万、アジア諸国でその7倍約2000万人もの人が死ななくて済んだのです。その戦争を始めたのは日本であり「日本が追い込まれた状況がある」などという理由は成り立ちません。
 今の日本の平和は戦争犠牲者の上に成り立っていると、犠牲者を何とか無意味ではなかったと思わせようという考えもありますが、それならあの戦争は間違っていなかったということになり、あのような戦争を今後も認めることになるのです。
 悲劇を繰り返してはなりません。

 

「『犠牲者2000万人』は妥当な数字」(93.10.19・毎日新聞「みんなの広場」)


 社会党の山花政治改革担当相は「アジアの戦死者2000万人」という国会発言を、「その出所根拠は何か」と野党から問われ、いとも簡単に取り消したが、そんな自信のないことでどうするのか。
 私の手元に毎日新聞社から1976年に出版された「1億人の昭和史/太平洋戦争・死闘1347日」があり、その233ページに日本本土を除くアジア諸国の地域や島別など、28地域の分類を基に、戦没者の記録が詳しく載っている。その総数は2400万人となっている。
  この資料は「昭和五十年現在昭和史編集部調べ」ということで、自民党は「公的な資料ではなく、信頼に乏しい」というであろうが、権力者は被害を大きく、加害を過小評価するのが常である。
 この28地域にも分類した詳しい資料は信憑性が高く、2000万人前後というアジア犠牲者の数は妥当であり、安易に発言を取り消した山花氏に抗議する。

 

1994年

 

「50年目にして認めた強制連行」(94.7.30・「組合新聞」)


 先の通常国会で、強制連行が国の行為であったことを政府は50年目にやっと認めた。
 国は過去に多くの書類を証拠隠滅のため処分し、その後、探してもないで「公式書類がない」と何10年もそれを認めてこなかったが、これは従軍慰安嬬の時と全く同じである。
 ある大学の教授が、93年7月防衛庁の防衛研究所図書館に保存されていた「陸軍日誌」に慰安婦の詳細がのっていることを僅か半日で発見、その後、統々公式書類が発見され従軍慰安婦が国策であったことを半日で発見、その後、続々と公式書類が発見され従軍安婦が国策であったこと認めざるをえなくなった。
 そしてこ5五月、今度は強制連行についで当時外務省が作成した135事業所、中国人4万人分の「華人労務者就労事情調査」の報告書と名簿が発見され、政府が強制連行に関与していた事実を認めざるを得なくなり、6月22日参議院外務委員会で柿沢前外相は「半強制的だった事実は否定できない。多くの中国人労務者が半強制的な形でわが国に来て厳しい労務につかされた。多くの苦難を与えたことばまことに遺憾だ」と述ベたが、尚も「半」強制的と表現し、さらに、「来た」というのは自分の意思で来ることをいうのであり「半強制的に来た]というのは日本語になっていない。ましてや「遺憾」ではなく「謝罪」でなくてはならず本気で反省謝罪する気がないことを表してい
る。
  一方で同じ敗戦国ドイツでは、ユダヤ虐殺罪の時効を自らの国会で外し、今でも「ナチス犯罪追求委員会」でナチス犯罪を追求しつづけているのであり、戦後A級戦犯が総理大臣になった日本と何と違うことであろうか。
 さらに最近、ユダヤ人虐殺を否定したり故意に過小評価した者は3年以下の禁固、または罰金に処す法律が連邦会議を通過した(6月3日付「読売」)のである。
 これは当然「言論・表現の自由に抵触するのではないか?」という起きたが、連邦裁判所は虐殺否定は「事実に反する主張で、人権も著しく傷つけ、憲法が保障する表現の自由に当たらない」との見解をしめしたが、と素晴らしい正義と民主主義を理解した判断であろうか。日本では南京大虐殺を否定した大臣が罷免もされずに辞職で済む国である。
 そしてドイツでは、過去の反省から「国際教科書研究所」が在り、かっての被害国であるポーランドやフランスなどの教科書の記述を相互比較し教科書に反映させているが、検定の名の下の検閲で臭い物に蓋をさせ、自分に都合のいい教科書を作っている日本が如何に無反省かが解る。
 辛くても過去の事実は事実として受け入れ、後世に伝えなくてはならず、若い人に次のワイツゼッカー独大統領(先月30日で2期10年の任期を終え退任)が85年5月8日ドイツ敗戦40年の国会演説「荒れ野の40年」の-部を読んでほしい。
  『・・・問題は過去を克服することではありません。きようなことができるわけがありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を開きす者は結局のところ現在にも盲目となります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者
は、またそうした危険に陥りやすいのです。・・・」戦争の悲劇を忘れてはならない。

 

「物事の善悪や価値判断で杉原氏のように自己批判を」(94.9.10・東京新聞「発言」)


 元リ卜アニア領事代理だった故杉原干畝(ちうね)さんは、国外脱出を図るユダヤ人に、国の指示に反してビザを発給し六千人以上の命を救った。
 その公式リストが、ボストン大学のレビン教授によって外務省外交資料館にあることが発見されたが、私は国の手でも日本人の手でもない外国人によって、この資料が特定されたことを残念に思う。
 長い間、日本政府はこの事実を隠し通し、この事実もソ連の政変でリトアニアが独立しなかったら、この杉原千畝さんの話が英語の教科書に載るようなこともなかったであろう。せめて奥さまの幸子さんの生きているうちに、政府が謝罪し名誉回復したのは幸いだったが、それもイヤイヤやむを得ず謝罪したのである。
 レービン教授は-杉原さんを日本のシンドラーとは心外だ」と言った。全くその通りであり、救った人数ではなく、動機がシンドラーは人件費節約で利益を得るため、自分の工場で捕虜を安う使い、結果としてユダヤ人を救ったという消極的方法だった。
 杉原さんは真正面から人権は国益より優先することを命懸けで証明し、やり抜いた人であり、地位・名誉や金を追い求める今の役人や会社員には望-むベくもない。
 しかし、だからといってシンドラーを否定するものではなく、彼は彼であの時代その立場で精いっぱいやったことであり、同じ立場にありながらも何もしない人がほとんどであったことを忘れてはならない。
 が言いたいことは、事の善悪や価値判断を他人の言いなりにならず、自己判断できる人間でなくてはならないということである。民主主義は多歌決原理である。しかし、正,裏攻や数判を多数決で決めたり、価値観を多数決で押しつけることは間違っているということである。
 残念ながら今の学校教育は国や教育委員会、そして学校が「教科書検検定」や「指導要領」、そして、「校則¥などで価値観を決め、それを与え強制するのが教育となっている。それは教育ではなく「調教」であり戦前、戦中の教育と同じなのである。

 

「時宜得ていた報道評価」(94.9.14・東京新聞「ひろば」)


 自衛隊のルワンダ派兵が決定されていましたが、13日夕刊社会面で、学者の賛否両論の意見を載せたことを高く評価したい。
 一般に何でも結果出ると「あきらめ」というか、続報がなくなることが多いのに、貴紙の報道姿勢は社の姿勢を表していると思います。今後もこの姿勢を持ち続けてほしいと思います。
 また、当日はクロロキン控訴判決がありました。私はこの裁判が直接国民の健康、しかも薬害という点で非常に思い記事だと思いましたが、期待通り1面4段見出しで扱い、さらに、社会面で5段で補追記事を載せました。

 

「派遣するなら、完全丸腰」(94.9.21・東京新聞「発言スペシャル」)


 自衛隊の目的は、「自国の領土・了解」を守るということであったが、いつの間にか貿易、資源輸入のための海路は生命線であり、「シーレーン」を守ると、とうとう自衛隊は公海上に出ていった。
 そして、国際貢献の名のもとにカンボジアPKOに出たが、今度のワンダではピストルと小銃では足りず、ピストルと機関銃を持っていくという。しかし、たった一丁で何になる。身の安全や自衛のためなら10丁でも100丁兆でも持って行くがい 。
 いや機関銃どころか、大砲だっていいのだ。しかし忘れてはならない、戦争は常に自衛の名の下に始まることを。
 自国の軍隊は他国に行ってはならず、もし行くなら完全丸腰しで貢献できできることに徹しなくてはならず、国連が銃をもつなら国連はいらない。民族自決に徹しよう。

 

1995年

 

「五味川純平死去で、反戦の決意あらたに」(95.4.1・「組合新聞」)


 3月8日、あの「人間の条件」の五味川純平氏が亡くなった。
 独身の頃、古本屋であの新書版6巻(今でも手元にある)を買い映画も観に行った。占領下の満州で、鉱山労働(民間だが軍が統制)に強制連行された中国人たちは、高圧電線に囲まれ奴隷以下の使い捨ての生活を強いられた。彼らの管理に関わる限りは、中国人の人権を守るため、自分自身もなんとか人間として(らしく)生きようと努力する。
 或る日、内地から妻、美千子が面会に来るが、上官は中国人を人間扱いする梶を憎いと思いながらも、二人だけになれる倉庫の使用を認める。彼は美千子に月明かりの漏れる窓際に「裸になって立ってくれ」と頼む。一瞬だけ戦争を忘れ美千子の美しさを目に焼きつ
けるのである。
 敗戦後、シベリアでの捕虜生活でも相変わらず要領や差別が続く。それでも彼は人間らしく生きる努力をするが、とうとう彼は耐えられなくなり脱走して美千子の待つ日本ヘ、シベリアの大地を歩き始める。願いが叶うわけはなく原野の中で彼はとうとう倒れ、その上に雪が積もっていくシーンで映画は終わるのである。
 その後、オールナイトで全6話が再上映された時、当時中学生だった愚息を連れて観にも行ったが、その映画には、強制連行も、政府が何10年も否定し続けてきた従軍慰安婦も描かれていた。
 今、自民党は国会での不戦決議を否定し、中曽根は「不戦決議を認めるなら死んでも死にきれない」とさえ発言、未だ謝罪反省する気さえないが、私は土下座しても許されることではなく、被害者側が「もお、いいよ」と善'うまで、反省の意志を忘れてはならないと思う。
 「水に流す」という言葉は加害者ではなく、被害者側が言って初めて認められるのであり、馬鹿な人間たちが「あれはアジア開放のためだった」などと言うが、アジア開放のためになに故、韓国・朝鮮の人たちに日本語を強制し名前まで変えさせたのか。
 これが民族の侮辱でなくて何であろうか。アジアの民に二千万人もの犠牲を強いた戦争が、なに故開放か。
 しかも、教育の場でこのような歴史の事実をしっかり教えず、教科書は検定の名の下に検閲され、既に学校は教育ではなく「調教」の場にさえなっている。
 私は「二十四の瞳」「ビルマの竪琴」、そして「ひめ百合の塔」と共に、この反戦映画「人間の条件」の名作を忘れない。そして五味川純平氏の死に改めて、如何なる理由の戦争をも否定する決意を新たにした。

 

「ワイツゼッカー氏の来日楽しみ」(95.6.6・東京新聞「発言」)


 連載「戦後50年」に、ワイツゼッカー前ドイツ大統領の特集が載り、彼の5つ言葉が紹介されていた。
 ①『過去に身を閉ざす者は現在にも盲目となると』―彼の1番有名な言葉であるが日本はどうか?「臭いも蓋」であり、過去に学ぼうという姿勢はない。
 ②『アイシュビッツと民族の虐殺行為比較に意味はな』―日本では「日本だけではない」「ソ連でも日本の捕虜が虐待された」という発言が」聞かれる。
 ③『統一は欧州系のためにこそ』―自分たちのためではなく周りを気遣う心が日本にあるだろうか。
 ④『大国だから常任理事国、ではいけない』―全くその通りであり、「出たい人より出したい人」請われて十分であり、カネを出すから、口も出すという考えは間違っている。
 ⑤『自由を守るには、市民の勇気が不可欠』― まさにその通りであり、出身はしたいが憎まれたたくない人や、本音と建前を使い分ける人があまりにも多い。日本国憲法第12条に「この憲法が国民に保する自由及び金利や国民の普段の努力によってこれを保持しなければならない」とある。自分たちが勇気を出して発言行動していかなければ、やがて自由人権侵されていく自覚が必要である。
 ワイツゼッカー前大統領来日を楽しみにしていると同時に、招請した貴紙に感謝したい。
      
「戦後50年決議の政争の具の、利用日本人の一人として恥ずかしい」          
                               (95.6.16・東京新聞「ミラー」)
 9日の衆院本会議で、「戦後五十年決議」は採決されたが、「謝罪、反省]は言葉のみで、その姿勢はまるでなく、連立維持のための与党合意を最優先した妥協の産物以外の何ものでもない。
 それですら与党内から70人余りが本会議を欠席し出席議員はわずか251人のうち反対した共産党が14人で、何と賛成議員は過半数を割っているのであり、こんな決叢ならしない方がましだ。
 政争の具に利用された心のない″反省・謝罪″決議がはアジアの人たちを侮辱する以外の何ものでもなく、形だけの謝罪に駐日韓国大使は早速、「歴代首相の発言より後退」と発言、アジアの国々からの批判も当然であろう。
 欠席した奥野誠吉冗氏らは「何で謝罪しなくてはならないのか?」と反論さえしているが、戦前受けた「マインドコントロール」がいまだに解けないのであり、教育、否、「調教」の恐ろ/しさをあらためて威じる。
 なくなる。しかし、彼はまだ確信犯であるが、与党合意案作りの中心メンバ'ーとして調整合意を行いながら欠席したが議員が複数いるとは、最初から反省・謝罪の気などサラサラなかったことを示すと言ってもよく、連立維持のため決議を逆利用した本音と建前を使い分けてものであり、歴史に汚点を残した。
 起用されたのはそれだけではなく、旧東京協和、旧安全信組に絡む山口敏夫議員と中西啓介前議員の疑惑に対する国会証人喚問先送りの与野党合意のヤミ取引にも利用されたのである。50年決議と、国会証人喚先送りと何の関係があるのか。
 このような国会決議は世界の信頼をも失いかねない。私は日本人の一人としてこの国を情けなく恥ずかしく思うと同時に、あの戦争でアジアの民に多くの犠牲を強いたことを深くおわびし、せめて自分の子だけには歴史の過去と事実を伝えることを誓いたい。
 先日、映画「ひめゆりの塔」と「きけ、わだつみの声」を見た。あれは戦争の悲しさを日本人を対象に描いたが、あの戦争を始めたのはいかなる理由があろうとも日本目身なのであり、アジア各地ではあの日本人犠牲者の十倍もの悲劇を出した戦争であったことを忘れてはならない。


「〝許せない〟責任転嫁の慰安婦募金構想」(95.7.8・「組合新聞」)


 政府は元慰安婦の補償問題で「民間基金構想」を見切り発車発させるというが、この国の責任を一部の善意や、関心のある人や組織に転嫁して済ませる妥協を私は到底容認できない。
 国の責任は、そのまま国民の責任であり、すべての国民でそれを謝罪補償すべきである。この「民間基金構想」は元慰安婦の人たちで批判しているのであり、単に金銭を支給して済ますだった問題ではないことを理解していない。
 自民党などは「は国家間で解決済み」との解釈だが、100歩譲っても国家間合意時点はで、政府は従軍慰安婦の存在関与を公式に否定してきたのであり、「存在し得なかったこと」は合意内容に入り得ないことは当然だろ。
 もともと慰安婦には年金どころか、この間までその存在とさえ否定され、一時金さえ国は支給しないという中で、戦後50年を迎える今も軍人恩給は支給され、しかも責任が重い上官ほど、その額は多い。公金で銭をまくことで今の戦死者は大学自民党の票田として利用され、その一方で空襲や沖縄、原爆で死んだ人の保障はないのである。
 ドイツでは今も個人保障を続け、米国でも日系米国人の強制収容に対し謝罪し、 この個人補償したのである。
 私は理屈に合わない民間募金に協力するつもりはない。
 それは金額の問題ではなく、国の責任を他に転嫁することが許せないからである。
 日赤が受託窓口を拒否し、黒柳徹子、三木睦子が呼び掛け人を辞退したが、残念ながら三木睦子は受け入れた。そして財界も代表送らず募金も断った一方で「国の責任」と言ってきた連合の芦田会長が名を連ねたことに抗議する。
 そして国が中途半端な関与すべきではない。
 「ドイツの良心」と言われたワイツゼッカー前大統領が、この8月に東京新聞の招請で在日するが、彼の戦後40年の国会演説の一部を改めて再読してほしい。
 「罪の有無、がい老若男女いずれも問わず、我々全員が過去をき受けなければなりません。全員が過去からの帰結にかかわっており、過去の責任を負わされているのであります。心にち刻みつけることが何故かくも重要であるか理解するために、老若男女互いに助け合わなければなりません。問題は過去克服することではありません。作用のことができるわけがありません。後になって過去変えたり起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非間的な行為を心に刻もうとしない者は、また、そうした危機に陥りやすいのです」

 

「忘れてはならない戦争の傷跡」(95.9.4・東京新聞「発言」)


 8月29日付本欄、「戦争問題は今回で区切りを」に反対する。
 先の国会で各過半数にも満たない賛成で戦争謝罪決議をしたことを見ても、日本が本気で反省してないことを明らかである。それどころか、なぜ謝罪する必要がるのかと開き直る国会議員されいるのである。
 「水に流す」とは加害者に言う権利はなく、謝罪したか否かは被害者側の判断なのでる。
 50年過ぎたと、「いつまでも戦争の傷跡を引きずるべきではない」というが、私がいつまでも引きずり続けて決して忘れず被害国への謙虚さを忘れてはならないと思う。
 ワイツゼッカー前ドイツ大統領の「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」との言葉を思い出してほしい。そして先月、本紙に招かれて来日した際の「心からの謝罪でなければ、むしろ止めておくべきでしょう。本気で表明するためするのでなければしない方がましです」その発言はまさに日本に対する言葉であろう。

 

「不利益は覚悟の上で」(95.9.6・東京新聞「発言スペシャル」)


 中国の核実験に、日本はわずかな援助の削減を表明したが、フランスには抗議声明だけで、本気で核廃絶する姿勢がない。核の傘を認める日本ならな仕方ないのだろうか。
 しかし、被害被爆国の日本が本気になって反対しないで誰が反対するのか。当事国のフランスでさえ反対運動が起きているのであり、国や国民が多少の不利益は覚悟で、このさい徹底的に反対すべきである。
 実験を認めるなら米、英など追従を認めることになる。幸いにして、米、英も反対しており、このさい日本はリーダーシップをとり核廃絶に向け地球世論盛り上げるべきである。武村蔵相のタヒチ行きを批判される理由は何もない。

 

「納得できぬ政策に賛同はしない」(95.10.6・「週刊金曜日」)


 本誌90号の山本氏の「現実を見ない『アジア女性基金』拒否論に」に反論する。
 氏は「国家補償は当然だが、彼女たちは高齢であり時間がない」との趣旨のようだが、なぜ自らの信念に反して寄付をするのか。国は補償義務がないと言っているのだから、それに協力する必要なかろう。支持しない施策に私が税金以上の協力をするつもりはない。
 しかし、氏と同様放っておいていとは思わず、また金が惜しいわけでもなく、本誌にも載った純民間組織「中国人犠牲者被害者の要求を支える会」に送金したのである。
 アジア女性基金は民間ではなく、民間のふりをした国の手先機関である。そのことは呼び掛け人をだれが選んだか見れば明らかである。阪神淡路大震災と同様、また集めた募金は全税金のように、そのはや采配だけを振るうというのか。
 慰安婦問題に関与と責任を認め謝罪はするが金は出せず、それを善意や関心のある個人や組織に押しつけられるのは卑怯である。それならきちんと「必要ない」と明言すべきで、いいところだけ摘み食いして「いい格好し~」するような中途半端な口出しすべきではない。
 国は被害者の彼女たちが「哀れみの恵みはいらない」と言っている訳が解っていない。これは「恵み」ではなく補償であり義務であり公金を充てることに意義があり、国にその気がないことがその名称「女性のためのアジア平和国民基金」によく現れている。そこには責任や謝罪、そして補償義務を表すものは何もない。

 

「他国軍隊駐留自体が不平等」(95.11.1・東京新聞「発言スペシャル」)


 沖縄で少女が米兵に暴行され、その被疑者の身柄拘束がこの不平等と多くの人は地位協定見直しを主張するが、被疑者は検察・警察の取り調べに応じており何ら問題はない。本来、日本人の取り調べも拘置所に拘置し、取り調べに応じて出頭すればよい。身柄拘束は法律上証拠隠滅や逃亡を防ぐためであり、自白得るため身柄拘束が冤罪を生む原因になり、逮捕・起訴は証拠に基づき行われなくてはならない。
 地位協定見直しでこの種の犯罪がなくなるなら、50年も同じ犯罪が続くはずはない。日本に他国の軍隊が駐留していること自体、不平等であり、その意味で日本は独立国ではないのだ。フィリピンでさえ、米国の撤退を求め実現したのであり、日本も日米安保破を破棄し米国撤退を求め、自分の国は自分で守るべきである。そして、その方法は、「・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」と憲法前文には書いてある。

 

1996年

 

「慰安婦問題で橋本首相らの人権感覚疑う(96.02.15・朝日新聞「声」)


 日本の従軍慰安婦問題で、国連人権委員会の特別報告官から、「人道に対する罪に当たり国際法違反であり、補償と共に謝罪や資料の公開、教育の場で理解を深める、犯罪者の追及と処罰」など六項目の勧告があったが、国際感覚の人権としては当然である。
 これに対し橋本首相は「法的に反論すべきはしていく」、梶山官房長官も「法的に受け入れる余地のないもの」とまったく意に介さない人権感覚を日本人として恥ずかしく思う。
 そもそも関与と責任は認めるが補償は善意や関心のある人に任せる、とは余りにも無責任であり、それなら国に責任はなく謝罪も補償も必要ないと突っぱねるべきである。
 国が呼び掛け人を選び作った組織がどうして「民間基金」か。これは民間のふりをした国の組織利用でありひきょうである。
 十億円の募金目標に現在一億四千万円、しかも全国紙などへの広告費用支出が二億円とは、あきれる。こんな人権を理解しない国が常任理事国入りを口にする資格などなく、世界の国々は到底理解は示すまい。
 彼女たちは人権を踏みにじった代償として国が補償せよと言っているのであり、彼女たちの一部がこの基金の受け取りさえ拒否している理由をこの国は理解していない。

 

「三木睦子さんの勇断を支持する」(96.6.9・「週刊金曜日」)


 三木睦子さんがいわゆる「アジア女性基金」の呼び掛け人を辞任したことを支持する。
 黒柳徹子さんや、宮城まり子さんがその要請を断った(未確認)と言われるなか、三木元首相を尊敬していた私は当時睦子さんが要請を受けたことが意外であった。
 睦子さんは辞任の理由を直接動機は国連人権委員会のす「クマラスワミ報告」。への政府対応の不誠実さのようだが、村上前首相が彼女たちに謝罪の意思を持っていたのに対し、橋本首相にその意思がないどころ官邸で面会した睦子さんに「謝らない」と言ったという。(5月20日付『朝日新聞』)
 彼女たちは金を恵んでくれと言っているのではなく、「補償せよ」とと言っているのであり、金の出所が何処でも良いのではなく、国の責任として公金を充て謝罪することに意義がある。アジア女性基金の受け取りを拒否している人たちがいいる意味を首相は理解していない。
 など「政府は国家間で解決済み」と主張するが、国が公式にその関与を認めたのはわずか4年前であり、当時「無かった事」とされていたことが合意の内容に含まれよう筈はなく、無かったことが何十年も翻って合意内容に含まれるわけはなかろう。
 この問題が金銭で解決するとは思わないが、善意に頼ることは間違いであり、公金を充て国が謝罪し解決すべきものである。
 集まった募金はF15戦闘機100億円の30分の1,しかも、その額は募金を呼びかけた広告費3億3000万円とほぼ同額であり、広告業者を潤したあけのバガだしさである。それは筋が通らない募金であることは市民は知っているからである。

 

「緒方さんの平和賞 本人の誇り」(96.6.19・東京新聞「発言」)


 ご高齢にも負けず、国連難民高等弁務官として世界を駆けめぐり活躍されている緒方貞子さんが、国際平和の維持、探求に優れた貢献をした組織や人間に送られる「ユネスコ平和賞( ウフエボワニ平和賞)」を日本人として初めて受賞したことは日本人の誇りである。
 おそらく彼女は日本人として、首相以上に世界に知られ首相名を知らずとも緒方貞子を知らない人いないだろう。
 一部の情報では彼女を次のの国連事務総長にという声もあるものの、日本では常任理事独自の支障になっては冷静だという。しかし、彼女自分の名誉のためではなく、与えられた職務を果たし世界に平和が訪れることを望んでいるだけであり、受けた賞金をアフリカ難民救済基金に充てるという彼女の意志がそれ日石を示している。

 

「戦争はいつも正当化されない『靖国神社』を払う改めて考える」      
                               (96.8.20・東京新聞「ミラー」)
 15日付本欄「靖国神社なぜ政治に」に一言。
 靖国神社に祀られる人たちを「純粋な気持ちで祖国・民族のために命を投げ出した人々」というが、私はそうは思わず、侵略戦争を聖戦と教え、天皇を現代神と教え、天皇のために死に靖国に祀られることを立派と教え、泣くことも許さず、徴兵は名誉と強制したのであり、ささげたんではなくく国にとられたと思っているの中人たちもいる。そして私は戦没者を戦争と権力の犠牲者と考え、謝罪と同情はするが感謝はしない。
 よく「今の平和と繁栄は戦争犠牲者のおぁげ」という人がいるが、遺族は「何かの役に立った」と思わなくてはやり切れないのであり、冷静に考えれば戦争を正当化することができず、戦争がなければ日本で300万、アジアでアジア各地で2000万人もの犠牲を強いることはあかった。
 また外国でも首相は無名戦士の墓に詣でると言うが、米国のアーリントン墓地は教会のモスクもない無宗教施設であり、無宗教の国立「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」に首相が参拝しても誰もとがめることはなかろう。
 靖国神社の原点は東京招魂社であり、戊辰戦争で徳川方についた戦没者や西南戦争で政府と戦って倒れた西郷隆盛らは祀られず、また氏名の判明しない戦没者も受け入れられない。一方でA戦犯は祀られ、またKリスチャンの妻が、勤務中事故死した自衛隊である夫の合祀を拒否したにもかかわらず一方的に合祀している。
 戦死者を原爆や空襲で死んだ人たちとは違い、英霊だ祭神だと祀ってきた経過を考えても、国は公人が再び関与すること許されず、「平和遺族会」靖国神社を拒否しているのであり、信教の自由は多数決で判断されてはならず、靖国神社だけは特別と言うことは許されず、それは同じ過ちを繰り返すことになる。

 

1997年

 

「元慰安婦の証言に耳を傾けるべきだ」(97.02.06・朝日新聞「論壇」)


 一月二十二日付本欄の櫻井よしこ氏の「慰安婦問題に欠かせぬ情報公開」に異論を述べる。情報公開そのものに反対するつもりはないが、政府が不利な情報を積極的に公開するわけはない。「情報公開法」さえまだ無いこの国では、我々一人ひとりが真実を解明する努力を積み重ねていくことが、何より大切であろう。
 櫻井氏は(1)政府や軍が基本政策として女性たちを強制連行で集めた資料が見当たらないなど、売春強制は軍の統一方針ではない(2)「強制連行肯定論」は事実関係を論じないものが多い(3)自分の頭で考え、自分の言葉で語ってこそ生きている意味があるのではないか、と主張する。
 同氏の(1)の考え方は「公式資料が認められない」として強制連行や従軍慰安婦問題への軍の関与を長い間否定し続けてきたそれまでの政府の考え方とほぼ同じである、と私は思う。「七三一部隊」を持ち出すまでもなく、敗戦時点に侵略、虐殺、捕虜虐待などの多くの証拠となる書類(資料)を軍が廃棄・焼却処分したことも、否定するのであろうか。
 しかし、そんな困難な中でも、中央大学の吉見義明教授が一九九二年一月に国の関与を証明する「陸支密大日記」などを防衛庁の防衛研究所図書館から発見し(同月十一日付=一部地域十二日付=朝日新聞)、また同年八月には関東学院大学の林博史助教授が同図書館から従軍慰安婦の軍関与を裏付けた陣中日誌や治安情報を発見、林助教授はその裏付けを取るため現地調査して事実を確認した(同年八月十四日付=一部地域十五日付=同)。それらには、慰安婦の募集は、「募集」に名を借りた「指示」であり、「統制」されていたことなどが示されている。
 それまで軍の関与を否定していた政府は、これらの事実を突き付けられて関与を認めざるを得なくなり、宮沢喜一内閣が謝罪したのである。
 また、強制連行が軍の統一方針でなかったのは当然である。いくら当時でも、それを公然と、軍や政府が行動方針として明記するわけはない。資料は秘密扱いされたであろうし、当時の資料は廃棄処分にされたと考えるのが常識であろう。それとも櫻井氏は、あの敗戦の混乱の中で軍や政府が「強制連行」の記録をきちんと残し、後生大事に保存しているとでも思っているのであろうか。
 同氏は自分の頭で考えよ、と言うが、私の場合、一介の技術屋であり、金も時間もなく、ジャーナリストのように自分で取材し直接確認することは極めて難しいので、新聞や本、テレビなどの情報をもとに、自分で考え、判断していくしかない。
 もし、櫻井氏が「そうした情報は伝聞であり、真実とは言えない」と言うなら、何ごとも、本人や体験者などが死亡した時点でそれらの事実は無かったことになってしまうであろう。
 いま、老い先そう長くない戦争体験者が、著作を残したり、テレビ出演などで強制連行の事実などを伝えたりしているが、それをも否定するのであろうか。そして、韓国やフィリピンなどの彼女たち自身の告発や証言をも否定するのであろうか。
 同居している私の父は、中国北部からジャワ、フィリピンなどを転戦したが、彼女たちの性病検査に軍が当たり、彼女たちの移動に軍が手を貸したことを認めている。
 ちなみに、私は彼女たちの多くが「強制連行された人たち」とは思っていない。しかし、それは人数の問題ではない。ましてや、日本だけの問題ではなく、当時売春は合法的であり、慰安婦は商行為だった、などという発言さえ国内にあることは到底許されない。国家権力による強制連行があったかどうかが、今まさに問われているのである。
 最後に付け加えておきたい。櫻井氏はあくまで「強制連行」にこだわるが、百歩譲って当時強制がなく合法であったとしたら、政府や軍が公式に慰安婦を募集し、軍に供給管理したことは問題ない、とでも思っているのであろうか。それだけでも、十分国の責任があるはずだ。
 同氏は強制連行問題を否定する発言を「タブーとされる事柄」と言うが、私はそう考えてはいない。事実関係を究明するために議論を深め、その議論の中から真実を見いだすことこそが大切なのである。

 

「電話盗聴の合法化許さず」(季刊「救援情報」12号)


 昨年末、政府が捜査の名を借りた官憲の電話盗聴合法化を法制審議会に諮問したが、通信の秘密は憲法が保障したものでありそんなことが許されていいわけありません。法務大臣は盗聴ではなく「傍受」だと言いますがとこが違うのでしょうか。
 そのことが許されたなら市民常に権力の監視のもとで生活することになり、それはあの暗黒の治安維持法時代に逆戻りすることを意味し、絶対阻止しなくてはなりません。それが危惧ではないことはすでに神奈川県警が日本共産党緒方靖雄宅の盗聴していたことが証明しています。

 

「許してはならない、『盗聴』合法化」(97.7.10・「市民じゃ~なる」)


 6月26日、東京高裁は神奈川県警の警察官による電話盗聴事件で、は警察官個人の責任を除いて、一審を追認し、県及び国の責任と国家賠償(一審の倍)を認めた。
 この事件は発生早々地元の町田市民が共産党や緒方さんだけの問題でなく、市民の問題だと立ち上がり、支援の輪が広がった。
 判決は「盗聴は共産党に関する情報を得ることを目的とし、計画的かつ継続的に実施されたと断定」し、「情報収集活動を末端警察官が職務との関係に行うことはあり得ない」厳しく指摘したのである。
 しかし、同じこの盗聴事件が刑事事件では無罪どころか起訴さえされず、東京地裁やその不振判決請求も棄却したのである。民事事件はこれだけではっきり責任が認められた「同じ事件の、同じ人の、同じ行為」が、起訴さえされない不思議はどこにあるのだろうか?
 そんな中でいま法務省はその「電話盗聴」を捜査の名の下に合法化しようと法制審議会に諮問し、秋の臨時国会にも法案を提出しようとしている始末であり、それは捜査に名を借り想信信条、政党、労組などの情報収集することは明白であり、今回の判決が何よりもそれを証明している。
 法務省は盗聴の事実「何時、何の容疑で盗聴した」と本人に事後通告するというが、相手に分からないように盗聴した事実をが報告することなど守られるわけはなく、もし容疑者と無関係なとんでもない人権侵害になり、憲法21条第2項に「検閲は、これはしてはならない。通信の秘密をこら犯してやるならない」と明記され例外は認めず違憲であり、これは治安維持法時代の社会に戻ることを意味する。
 尚、彼らは「盗む」という言葉を嫌い傍受と、傍受は無線を盗む聞くことであり、有線通信を盗み聞くことは「傍受」ではなく明らかに「盗聴」なのである。

 

「『平和の礎』にいつの日か」(97.8.20・「教科書裁判ニュース」)


 「教科書裁判ニュース」351号の「ヤマトンチュウの一人として」を拝読しました。国体維持の時間稼ぎのために捨て石にされた沖縄、そのための犠牲者は兵士より多く、日本軍にさえ殺された人々がいた
 その日に費用を忘れまいと、沖縄戦で犠牲になった人々を、国籍、軍、民、敵味方の区別なく氏名が分かったすべての人名を刻んだ「平和の礎」を日本一貧しい沖縄県が建立したが、このようなことは赤紙一枚で招集した2国でさえやらなかった。
 この碑は戦争体験者が亡くなった後で、何時までも、否、永遠に沖縄の悲劇を伝えてくれるだろう。私は年を待って、きっと沖縄の悲劇の地を訪れたいと思っています。

 

「『覚醒』日本戦犯改造の記録」(97.11月号季刊「救援情報」)


 1950年8月、旧ソ連から中国に引き渡された969人の日本人人戦犯の記録である。
 戦犯たちは自ら行ってきた。虐殺や蛮行から、内心死刑言い渡しも覚悟してい者もいたが、収容された「撫順戦犯管理所」では何の懲罰も労働もなく、自国民ででさえ食べるのに事書いていた当時に、白米の日本食や正月料理まで出され、医療や薬も十分に与えられ、中国人から反発されていたが「仕返しからは友好は生まれない」と、自らの本心で反省・改心を求めたのである。
 その結果「上官の命令だった」と反発していた彼らは徐々に反省していった管理した側の記録をその元戦犯の組織である「中国側中国帰還者連絡会」自らが翻訳した本である。
 中国が賠償請求権を放棄したのみならず、その民が如何に寛大であったかを教えてくれる。
 なお、この姉妹書とも言える管理された側の「私たちが中国で何をしたか」もも出ている。

 

「政府は大国の地雷廃絶促せ」(97.12.11・読売新聞「気流」)


 カナダのオタワで、日本を含む計百二十一か国・地域が、対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)に署名した。
 条約は、四十か国の批准で発効し、締結国を対象に、対人地雷の使用、開発、生産、取得、貯蔵、移転が全面的に禁止される。さらに貯蔵中の対人地雷は発効後四年以内に、地雷原に埋設中の対人地雷は原則的として十年以内に破壊することが義務付けられるという。
 今回の条約署名が、世界で年間二万五千人もの死傷者を出しているといわれる対人地雷の廃絶に向けた第一歩であることには違いない。しかし一方で、米国、ロシア、中国などが署名しなかったために、どれほどの実効性を見込めるかという問題も残っている。
 米中ロ三国が条約署名を見送った背景には、「地雷がないと長い国境を守れない」という軍事的思惑があるようだが、これら三国がいずれも地雷の輸出国であることにも注目しなければならないように思う。
 条約の実効性を確保するためにも、日本政府は、地雷廃止後の防衛体制について十分な検討を重ねるとともに、今回署名しなかったこれらの国に対しても条約の輪に加わるよう積極的に働き掛けてほしい。

 

1999年

 

「国民をだましてきた非核3原則」(99.05.25・毎日新聞「みんなの広場」)


 1963年、当時の大平正芳外相が核兵器を積んだ米艦船の寄港、通過を認めていたことを示す文書が米公文書館で見つかった。この問題で、17日の参院日米防衛指針特別委員会で「米側の内部文書であり、日本政府としてはコメントするのは適当ではない」と高村正彦外相が逃げた答弁は納得できない。
 これは国民にとって重大な問題であり、高村外相は「事前協議が行われた場合は、政府は常に拒否する考えだ」と、空虚な答弁を繰り返しているが、断る前提の協議を「事前協議」と言うのか。断られるのが分かっていて相談する者はいない。現に米軍は核積載の有無は「軍事機密ゆえ答えられない」と言ってきたのであり、当時から非核3原則など信じられていない。
 ロッキード事件の発覚も米国であるが、日本の政治家の良心はどこへ行ったのか? 国民をだましてきた幻の非核3原則で故佐藤栄作元首相は、「ノーベル平和賞」を受けたのだから笑ってしまう。

 

「国家権力の靖国利用を再び許すな」(99.9.10・「週刊金曜日」)


 8月6日の野中広務官房長官の靖国神社に対する記者会見発言に断固抗議する。
 言うまでもなく、憲法の「政教分離」は宗教が政治に関与することを禁止するのみならず、国家権力や政治が宗教利用したり、介入することも禁止しているのである。、
 宗教は日蓮やキリストを信じようと、鰯シの頭を信じようと自由であり、遺族の了解を得る限り誰を祀ろうそのだった価値観を信じる人たちの自由であり、国家権力がそこに収介入することは許されず、それは憲法違反である。
 そして、A級戦犯も犠牲者と考える人たちもいるだろうし、逆に戦争犠牲者は軍人だけではなく、原爆や空襲で亡くなった人たちのことも含んでいるという考えもある。誰も好き好んで死んだのではなく、軍人だけを特別扱いすることが差別であり、戦死を「バカらしい」と思わせないための特別扱いにほかならない。また、それは国の宗教利用であり、それこそ「何時か来た道で」ある。ましてや、〝A戦犯に責任を負ってもらい、分祀すれば(靖国神社は非宗教法人ができる)〟などと考えて、宗教に介入することは言語道断だ。
 米大統領がアーリントン墓地に参拝することが引き合いに出されるが、アーリントン墓地には教会もモスクも寺院もない。靖国の非宗教法人化はA戦犯を除いて済む問題ではない。
 毎年、政治家の靖国参拝が公人か否Kをを問われるのは、それなりの重みがあることだ。個人的に参拝することは許されても、公人や国家権力が関与することは断じて許されず、信教の自由は多数決で決めていいものではないだろ。私は、事故死した自衛隊を、クリスチャンの妻が拒否したにもかかわらず、国が手を貸し一方的に護国神社に合祀し、は最高裁がそれを認めた判決を思い出す。国家権力の靖国利用を再び許してはならない。

 

2000年

 

「軍人だけまつる理由考えるべきだ」(00.08.19・毎日新聞「みんなの広場})


 17日本欄「総理大臣の靖国参拝、何が悪いのか」に反論する。
 私より人生の先輩である筆者は、靖国の原点が「東京招魂場(社)」であり、別格官幣社として天皇制と直結した国家神道が軍の管理であった歴史的経過を知らぬはずはあるまい。
 端的に言えば明白に宗教施設であり、その存在を権力が利用してきた経緯がある。再び権力の宗教利用を許さないために、公権力や組織の関与を否定するのである。
 原爆や空襲、沖縄戦での犠牲も強制された死である。軍人だけ英霊と特別扱いする理由を考えるべきだ。過日「そうしなければ誰(だれ)が後に続くか」と与党政治家が本音を吐いた。
 同じ戦死でも内乱で賊軍とされた者はまつられず、今も氏名の判明しない遺骨は受け入れない。さらに日本遺族会をも政治利用し、自衛官の業務上死亡をクリスチャンの配偶者の拒否を無視してまで護国神社に合祀(ごうし)したのである。

 

「侵略戦争の現場を訪ねる旅に参加して」(00.11.25・「市民じゃ~なる」)


 開戦5年後、旧ソ連から中国に引き渡された日本人戦犯969名が、撫順戦犯管理所に収容され、当初、なぜ俺たちが戦犯なのか、上官の命令に従っただけ、事実は認めるから死刑でも結構、と多くの虐殺をしてきて戦犯たちは開き直っていた。
 しかし、その後時間経過と共に彼は自らの罪を認罪し、帰国後、「中国帰還者連絡会(中帰連)」を組織し、今も反戦平和と日中友好のため各地で証言活動を続けている。
 この「中帰連」が撫順市民政府から「撫順戦犯管理所50周年」に招待され、9月15日から2週間、賛助会員の私も投稿させて頂いた。
 彼らは中ソ国境まで貨車で運ばれたが、中国からは客車に看護婦さんが乗り込み、体調の悪い人いないか聞き回った。撫順駅から戦犯管理所までの移動には軍隊が両脇をガードしたが、銃は全て外に向け、戦犯の逃亡に防ぐためではなく、戦犯への中国人の暴行虐待を防ぐため銃を構えたのである。
 当時、中国の民はコウリャンやヒエの食事され1日2食の生活の中、戦犯たちには白米のご飯や肉野菜まで与えて待遇したが、これが周恩来首相の「戦犯といえども人間であり、人間がある以上に人道をおかしてはならず、日本人の習慣を尊重せよ」という指示であった。
 多くの中国人民を虐殺してきた日本人を「なぜ我々より良い待遇するのか」と多くの批判が上がり、管理所の職員も辛く悩みながらの戦犯管理であった。
 一方の戦犯たちは、この待遇の良さに「これで殺されるのでは」と思ったが、1069名(、太源の120名を含む宇)の戦犯たちのうち、軍事法廷に起訴されたのはずが45名で。しかも、1人の死刑も無期懲役もなく、服役期間は中国なの勾留はもちろん、ソ連での抑留期間も参入され、帰国の翌57年「中帰連」を結成した。
 しかし、帰国した彼らには公安がの尾行が付き、洗脳された赤だと就職もできなかったのである。
今回の「撫順戦犯管理50周年・日中友好訪問」では、柳条湖の9・18記念館、張作霖の爆殺現場、盧溝橋の抗日記念館、平頂山の遺骨館などを見て回った。
 特に平頂山の「遺骨館」には、当時村のすべて約3000人が1箇カ所に集められ、周りから機関銃で一斉射撃され埋められ、その遺体の一部を掘り起こし、その上建物に取り囲んで保存してある。
 私はその遺骨の多さに驚くと同時に、これが自分の妻や子、孫だったらと思うと涙を止めることができなかった。それでも「許そう、しかし忘れまい」と許してくれ、賠償請求制放棄さえした心広く寛大な措置をしてくれた中国に脱帽である。
 管理所では元戦犯と元管理所職員の座談会も設けられ、当時病気で死の境をさまよっていた元戦犯は、当日、手に入らないペニシリンまで使い3カ月も寝図の看病をしてくれた看護婦と再会涙した。また、自殺しようとしたし元戦犯は止めて助けるてくれた理所職員に「今が在るのは、皆様のお陰」と、また、或る戦犯は中国人を馬鹿にし開き直って言うことを聞かない私たちに随分手を焼いたはずと懺悔した。
 虐殺の加害者と被害者がこの50年も固く信頼と友情の絆で結ばれていることは、まさに奇蹟である。
 今回訪問には99名が参加したもの「中帰連」の人たちの多くは80歳前後で、既に亡くなったり身体的に参加困難であり20名しか参加できなかったものの、その意志を理解し賛同する賛助会員79名が参加した。
 この多くの賛助会員が参加したことを「中帰連」や中国側は、理解者としての後継者ができたと非常に喜んだ。参加した若者たちがHPを立ち上げ、のこの友好訪中を機に「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を立ち上げた。
 「中帰連」は95年、藤岡信勝らの「自由主義史観研究会」の設立や、「うれうべき教科書問題」などの攻撃に、老体に鞭打ち97年6月、『季刊中帰連』を創刊し自らの虐殺体験や侵略戦争の体験を伝え続けている。
 その裏表紙には「前事不忘 後事師之」と載っているが、これは正にワイツゼッカー元大統領の「過去を忘れる者は、現在にも盲目となる」との言葉に一致する。
 我々は過ちを繰り返さないため過去をを忘れてはならないのである。あの日本の起こした侵略戦争で、何の責任もないアジアの民2000万人以上もの犠牲を強いられた人たちに、心からご冥福を祈るとともに反戦平和を誓い謝罪したい。

 

2001年

 

「許すな公権力の宗教関与」(01.7.2・東京新聞「発言」)


 20日の衆院の党首討論の中で、小泉首相は靖国神社について、社民党・土井たか子党首の質問に「戦没者の中心的施設や靖国神社と思っている遺族も多い」と答えた。首相は公権力の宗教関与理解していない。
 戦没者への慰霊の意志は誰も反対しないだろう。しかし、公人や公権力の宗教への関与を多数決で決めていいわけはない。
 米国のアーリントン墓地には教会も寺もモスクもなく、誰が参拝しても批判する人はいない。同様に日本にも無宗教の国立「千鳥ヶ淵宣ぼっつしゃ墓苑」や沖縄には「平和の礎」があり、公人がが参拝も何の批判も起きていない。
 もし、首相が宗教法人の靖国神社に参拝するなら、キリスト教など他宗教の施設や戦死以外の場所にも参拝すべきである。多数の支持するからと特定の宗教施設に公人の参拝や公式参拝は許されない。
 そして、戦争犠牲者は戦死者だけではなく、東京や各地での空襲、広島、長崎の原爆犠牲者、沖縄で軍人より多かった民間人の犠牲者など、これらの方々も兵士と同じ犠牲者であり「強制された死」である。軍人だけが強制されて死んだと特別扱いすること許されない。
 戦没者を戦争の犠牲者として慰霊入することに反対しない。
 しかし、その犠牲になった全ての人たちは同じ犠牲者であり、公権力が軍人だけを特別扱いし、再び権力者が死者を利用すること許しはならない。

 

「映 画 『 ホ タ ル 』 を 観 て」(01.8.5「比企丘陵から」)


 以前テレビの「知ってるつもり」でやっていたので、ご存知だった方も多いと思いますが、鹿児島の知覧町にあると特攻基地の実話の映画化です。
 当時、基地近くの国指定の「富屋食堂」の鳥浜トメ(映画では山本富子)さんは、片道燃料で死に逝く若者たちのお母さんか代わりでもありました。
 侵略戦争を「聖戦」と教え「生きて捕虜の恥ずかしを受けず」と調教された時代、主人公の山岡夫婦(高倉健、田中裕子)の夫はその特攻の生き残りで、生き残った負い目から山岡は「特攻」に口をつぐんできました。しかし、出撃の前夜身内の面会もなく富屋食堂のトメさんに「アリラン」を聞かせ襲撃していた朝鮮人・金山(実名・光山)を忘れられず、山岡夫妻は韓国に彼の遺言と遺品を届けるのです。
 降旗監督が5月25日付『朝日新聞』の広告特集で、「当時国民は皆、本当に死ぬ覚悟でいました。だから生き残った者がその後ろめたさから戦死者を愛国者も祭り上げた。でも、彼らの多くは愛国者やなかったと僕は思う」との言葉に全く同感です。
 小泉首相も今の平和これらの犠牲者と「靖国神社に何か問題があるのかと」発言します。(靖国は天皇に直結し、戊辰戦争で天皇に弓を引いた西郷隆盛が祀られていません)
 しかし、待ってください。本当に役立ったのでしょうか。明らかに侵略戦争であり、民間人を含む日本人犠牲者320万人、何の罪もなくその戦争に巻き込まれたアジアの民の犠牲は何と2000万人、その一人ひとりに貧しくも家庭生活があったのであり、日本が戦争はじめなかったこの膨大な尊い犠牲者を強いあずに済んだのです。
 ましてや、特攻などはっきり「無駄死に」だったのです。監督の言う通り本人たちもそれは充分解っていたはずですが、すでに引き返すことも逃げ出すこともできず、何か理由が欲しく無理矢理自分を納得させて逝ったのです。
 そして、金山少尉は朝鮮の家族などに迷惑をかけまいと、日本人に成り切るため、それを証明するために出撃していたのです。何と罪な事でしょうか。
 日本人だけではなく、このように朝鮮の人たちにも価値観や死を強制したのです。今問題になっている「作る会」の教科書はこれら加害責任が一切載っていないのです。
 他にもこの教科書には「東京大空襲の無差別な爆撃は『国際法違反』」と指摘(5月14日付・朝日新聞「私の視点」)する一方で、自衛隊が中国、責任処理に出かけた毒ガス、化学兵器に限らず、南京や平頂山の市民大虐殺、「中国帰還者連絡会」など多くの元軍人が緒言する奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くしの「三光作戦」、31部隊の生体実験、他にも強制連行・強制労働、そして、強制された慰安婦問題なども、この教科書は言及していませんが、これらは「国際法違反」ではないのでしょうか?
 戦死者を褒め称え特別扱いすることには理由があるのです。一般市民と同じとするならバカバカしくて後に続く者がいなくなるからです。
 しかし、空襲で亡くなった人も、原爆や沖縄で亡くなった民も同じ「強制された死」であり、戦死者だけを美化することは非常に危険であり、そこには目的があることに気付かなくてはなりません。
 降旗監督は更にの誌面で「彼は国籍も、学齢も、社会的地位も関係ないと特攻の代弁者として描きました」とおっしゃっていますが、それは貴重だと思います。沖縄の『平和の礎』はまにその実践で、国籍、敵味方、軍人民、宗教などに一切関係なく、理由を問わず沖縄の地で犠牲になり了解を得られた全ての人の名が刻んであります。
 国には無宗教の『国立・千鳥が淵戦没者墓苑』が在りながら、明確に宗教法人である靖国神社を頼りに何もしない政府に対し、日本一貧しい沖縄県大がこの『平和の礎』建立を成し遂げたことは実に立派で誇れることで、太田前知事の名前は初代知事。屋良朝苗氏の名とともに永久に遺るでしょう。
 映画は韓国訪問で終わっていますが、戦後トメさんは逆に進駐軍の兵士の世話する立場になり、最初とまどっていたものの「同じ若者」と気持ちよく面倒みて米兵からも「ママ」と愛されました。
 劇場内ではアリランを歌う場面や、チオメさんが「親だったら自分を犠牲にしても守りでしょう・・・」のシーンまどで、各所からすすり泣く声が聞こえました。
 使うと時は「日本人だ」と強制され、戦争が終われば日本人ではないと保障もされず、強制連行強制労働、従軍あ慰安婦・・・の問題も曖昧なままにされる始末です。
 事実を包み隠さずしっかり次の世代に伝えなくてはならず、ワイツゼッカー元独大統領の「囲み目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」との言葉は、そのまま日本への戒めでもあるのです。
 人工透析をしている妻・知子山岡の愛情も、特攻体験と無関係の訳はないと思います。子供のいないこの夫婦に、何時までも仲良く力を合わせて生きて欲しいと思いました。
 「生きて虜囚の辱めを受けず」の調教で如何に多くの犠牲者を出したか、生き残った元兵士たちは今も多くの矛盾を心に抱えている人たちが少なくないと思います。
 敗戦後、旧ソ連から中国・撫順戦犯管理所引き渡された約1000人の日本人元戦犯が、帰国後、『中国帰還者連絡会』を組織し、反戦平和と日中友好の運動を続け、自分たちが犯してきた中国人虐殺、強姦、掠奪、放火、生体解剖など、多くの虐殺体験を告白・懺悔の証言活動を続けています。何故なら、過去のことは元に戻らず、その体験を今後に生かすしか方法がないからです。

 

「靖 国 の 役 割」(01.9.30・「市民じゃ~なる」)


 小泉首相が8月15日に、靖国神社に参拝できなかったことに自民党内に批判が出たが、彼自身も無念だったに違いない。
 しかし、言うまでもなく靖国の原点は戊辰戦争の官軍犠牲者だけをまつった東京招魂社が原点であり、天皇に弓を引いた西郷隆盛などは「賊軍」として祀られていない。
 因みに、米軍のアーリントン墓地の原点は南北戦争の犠牲者の埋葬場所に困ったのが始まりで、そこには教会もモスクもなく、そこへの埋葬は希望者のみで個人の宗教を尊重して葬られる。
 一方の靖国は遺族の確認も了解もなく、一方的に合祀し神道以外の参拝方式は認めず、それどころかクリスチャンの妻の拒否や韓国人遺族の合祀取り下にも応じないことは「死者の利用」であり、宗教にさえ値せずその目的が見えている。
 戦前、靖国神社は軍の管理つまり「国教」であり、合祀も政府はが天皇に上奏し裁可され祀られたのであり、正に天皇、国家権、力軍とが一体だったのである。
 千鳥ヶ淵の「国立戦没者墓苑」には無名戦士の遺骨が保管されているが、靖国には名前だけを神として祀り上げているのであり、形を整え単なる名札を神と信じるか否かは宗教心であるが、宗教の影響力は計り知れない力を持っている。
 その危険は今も続くユダヤパレスチナはじめ多くの宗教戦争が証明し、故に憲法に政教分離が明記され、公権力宗教に関与することも、逆に宗教が政治に関与することも禁止しているのである。
 故に、A級戦犯を合祀するか否かも靖国を信じる人たちの自由であり、そこに政治が口出すことも違憲である。
 また、多くの戦死者は補給無しの戦闘を強制され、南方では多くの兵士が戦病死を含め餓死した(「餓死した英霊たち」藤原彰・青木書店)のであり、なに故、餓死が立派な戦死英霊か!爆弾を抱えさせ片道燃料で逝かせた特攻はまさに「犬死に」だったのである。
 しかし、「犬死にや餓死」を認めれば、当然その責任を問われることになり、その責任追及の目を逸らすため権利者は靖国を利用して「戦死は立派」と祀りあげたのである。
 原爆や空襲そして、沖縄などで亡くなった人たちも、決して「納得」して死んだのではなく、彼の言う同じ「無念な死」であり、軍人だけを特別扱いする意味がそこにある
 彼は靖国参拝の理由を「国のために命を捧げた人たちに敬意と感謝」と言ったが、1銭5厘の「赤紙」での徴兵は捧げたとは言わず「捕られた」のであり、必要なのは敬意と感謝ではなく、「謝罪と反省」である。
 彼自身が首相には24時間プライバシーがないと発言したとおり。首相や大臣にに行使に公私の使の分けは困難であり、公私の別を明言せず「内閣総理大臣」と記帳したことは公人を意味し違憲である。
 石原都知事が記者に同じ質問され、「何でなんでそんなバカな質問するんだ!」と答えたが、彼の頭はその程度である。

 

2002年

 

「価値観の異なる人を『おかしな人』とは」(02.4.1・「市民じゃ~なる」)


 小泉首相が昨夏、靖国神社に参拝したことに、韓国に住む日本人軍属の遺族ら約700人が11月1日国と首相、靖国神社を相手に参拝が違憲である事と、今後の靖国参拝を差し止め、大阪、松山城地裁に提訴(1日付「朝日」夕刊)したことを強くし支持する。
 戦没者に慰霊の意志を示すことに異を唱えるつもりはないが、そこに宗教色がある限り、公人や公権力、行政などが関与することは権力の宗教利用であり認められない。
 この提訴に小泉首相が「話にならん、世の中おかしい人たちるもんだ。もう話にならんよ」と発言(1日付「朝日」夕刊)すたことたに原告らが反発しているが、日本人の一人として私も強く抗議する。
 そもそも靖国の起源は天皇の意思により、内戦である戊辰戦争の官軍の犠牲者のみを祀った「東京招魂社」が原点であり、天皇に弓を引いた西郷隆盛Rは「賊軍」として祀られていないのであり、これは、国のためではなく、が権力に加担した者だけを祀ることを意味しているのである。
 その証拠に靖国の管理や敗戦まで軍が行い、そこへの合祀は政府が天皇に上奏し、裁可されて祀られれたのであり、正に天皇、、軍、靖国の三位一体の「国教」だったのである。先の戦争では軍人軍属230万の犠牲(77年、厚生省公表)の多くは戦闘行為でなどの名誉戦士ではなく、餓死や栄養失調、」戦病死(『餓死した英霊たち』藤原彰)だったのであり、栄養失調や餓死がどうして立派なメールの戦死が。それは、その結果の追求を逃れるために戦死は立派と祀り上げ靖国を利用したのである。
 そして、靖国神社は明確に法的にも宗教施設であり、宗教とは価値観を同じとする者がその価値観を信じるものである。しかし、何よりも靖国は戦没者の遺族のが納得も了解も得ず、勝手に死者を祀っていることは宗教にさえ値しない。
 千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑には無名戦士の遺骨が保管されているが、靖国は名前だけを神として単なる名札を神と信じるか否かは宗教心であり、それは各自の自由であるが、権力の宗教利用がいかなる力を発揮するか歴史が証明している。
 そして、靖国は合祀取り下げにも応じず、また、自衛隊の業務上過失死亡に、クリスチャンの配偶者の拒否も無視し、靖国と一体の護国神社に一方的に祀ることが「死者の利用」でなくて何であろうか。
 一方でよく比較される米アーリントン墓地は、南北戦争の犠牲者を埋葬したのが原点であり、その埋葬は希望者だけで、宗教についても本人の意思を尊重して埋葬(7月8日付「朝日」)されるが、靖国の参拝の方法は神道に限り他の参拝方法は認めないのであり、アーリントン墓地にはお寺も教会ものモスクも無く、故に、国費が支出されが誰が参拝しても異議の声は出ず、内外の公人含む多くの人が参拝しているが、小泉氏はこの違い理解していない。
 一国会議員ならともかく、首相自身が首相が「24時間プライバシーがない」と発言している通り、首相や大臣の公私の使い分けは不可能である。首相は卑怯にも公私の別の答えなかったが、たとえ首相は私人と答えも、内外ででは首相の参拝と報道、理解されるのである。
 首相は靖国神社の参拝の理由を「国のために命を捧げた人たちに敬意と感謝」と答えが、だが、1銭5厘で徴兵されたことを「捧げた」とは言わず「捕られて」のであり、必要なのは敬意と感謝でなく「謝罪と反省」である。
 提訴された首相はその感想を「世の中におかしい人がいる」と発言したが、キリスト教信じる人も仏教信じる人も、天皇を特別な人と尊敬する人もおかしい人たちなのか。自分の価値観と違う人たちを「おかしい人」とは言語道断であり、きちんと法律と理論で応えるべきである。
 日本では軍人以外にも原爆や沖縄など民間人80万人の犠牲があり、これの人たちも決して「合意と納得」で亡くなったのではなく、首相の言う同じ「無念の死」であり、首相の考えは軍人と民の差別である。
 首相は特攻基地の犠牲者に「感謝」と述べが、必要なのは感謝でなく「謝罪と反省」であり、いったい特攻が何の役に立ったのか、あれは「無駄死に」だったのである。その教訓が生かすことこそ犠牲者に報いる道である。
 最後に日本の始めた戦争で、中国で1000万人それを含むアジアで2000万人もの犠牲を強いた事を忘れてはならず、アジアの民の心をしも考えるべきである。

 

「国民管理に使われた個人情報」(02.6.8・東京新聞「発言」)


 防衛庁の情報リスト作成で国家権力の国民管理が露呈したが、このようなスパイ行為で国民を管理することは言語道断であり、8月からの住民基本台帳ネットワークシステム実施は延期・廃止すべきである。
 この目的は明らかに国民管理であり、効率が人権やプライバシー保護に優先しないことは言うまでもなく、名前の間違はや気づきやすいが「数字一つ」の間違いほとんど気付かず、とんでもない結果に至ることもあり、入力間違いなく当然ある。
 情報は必ず漏れるもので、現に今も住民基本台帳や選挙人名簿などが役所から漏れていたのであり、防衛庁は違法作成を公認されていたのである。
 これを防ぐためには「(政府が)ができるだけ個人情報は収集しないこと」との日弁連の意見に全く同感で必要最小限に止め、その蓄積も止めるべきであり、これは効率に優先するものである。

 

「復讐や制裁ではなく・・・」(02.8.20・報復戦争に反対する会「会報」)


 私は4月に解散した中国帰還車連絡会議(以下、「中帰連」)の賛助会員や「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」などにも参加していますが、中帰連の皆さんの「撫順戦犯管理所」での体験に感動しています。
 ご存知の方も多いかと思いますが、彼らの多くは焼き尽くし、奪い尽し、殺し尽くしの「三光作戦」どころが、強姦致死や生態解剖など多くの虐殺をしてきた人たちです。
 しかし、彼らは撫順戦犯管理管所へ収容されても制裁や強制労働もなく、中国人がコウリャン飯を1日2食しか食べられない環境のなかで、「日本人は白米を食べるのだ」との要求なども受け入れ、肉や野菜まで食べさせ、余ったご飯を後で食べようとにぎり飯にするとこうバレても「そんな事したらお腹を壊すでしょう・足りなかったら直ぐ炊いてきますから」とさえ言われたのです。
 それでも彼ら余ったご飯と土をこねて、マージャン牌を作って遊んでいたのです。また、性病でで苦労していた戦犯にも当時、非常に高価で手に入りにくいペニシリンを連日打ち全快させてもくれたのです。
 つまり、復讐や制裁ではなく、時間がかかっても自らの良心の琴線に触れ、自ら反省することを待ったのです。故に、彼らは鬼から人間に戻り、帰国後「中帰連」を組織したのです。
 この話は北風と太陽が旅人にマントを脱がす競争で、太陽が勝った事を証明していると思います。
 金大中大統領の「太陽政策」もここから来ていると思いますが。人間は強制では変わらずイスラエル様な強制や暴力では憎しみを増す結果を招き絶対平和は生まれないと思います。
 豊かな方が我慢して一歩譲るべきで、米国の「アラファト外し」など言語道断の内政干渉であり、独立も民族自決も民主主義も理解してないことです。

 

「NHKの変更報道、事法法制に反対の動きをカット」(02.8.3・「比企丘陵から」)


 日本軍が島を守らず、島民が大きな犠牲を強いられた沖縄線。6月23日、牛島中将が責任を取って自決し地獄絵のような戦争状態が終わったが、沖縄では毎年、その日を「慰霊の日」としている。
 小泉首相は昨年に続きこの日の慰霊祭に参加したが、列席の村議から「有事法制反対」と怒鳴られ、また一般参列者からも「有事法制反対」「小泉が帰れ」の罵倒が飛んだことを民放ニュース(5時TBS)で知った。
 NHKはどう放送するか?と六6時のニュースをの視たが報道無し、がメインの7時がのニュースは?と思って視たがここでも報道無しだった。私は息視聴者センターに「なぜ報道しないのかと」抗議の電話を入れた。新聞はどの社も翌日この情報を伝えていたが当然のことである。NHKはこれだけではなく6月16日、「有事法制反対集会」に6万人もの人が集まったという事実さえ報道しなかったのだ。しかも、これらはNHK放送局の隣の代々木公園で行われたのであり、放送局の屋上からだってが取材ができた。これにも私は抗議の電話を入れたが、さすが担当者は「同じようなご意見が届いています」と抗議が集中している事を認めざるを得なかったのだ。私は上司に代わっが七もらい抗議したが、なぜこんな大きな動きを報道しないのか、万単位の集会など滅多にあるものではない。これを報道がせずしていったい何を報道するのか。
 しかし、これがNHKの体質なのだ。政府に反対する者たちのことは一切無視なのだ。これこそまさしく大本営発表ではないのか。
 視聴者は到底「視聴料」など払う必要はない。そもそも金を払ってる視聴者にNHKの会長や理事、最高意思決定機関である経営委員の選任も関与も許されないのだ。予算決算ところが、この人事もすべて金を出していない国会の承認で足りている。これは株主総会のない株式会社当然の組織なのだ。NHKしか視ない人はこの事実を知らずに過ぎてしまう。歴史の示す通り権力報道は鵜呑みにしてはならない。

 

「自衛称した先制攻撃だ」(02.9.4・東京新聞「読者交論」)


 西崎氏は米国のアフガニスタン攻撃もイラクへの核先制使用も、自国や同盟国を守るための正当行為であると主張しているが、戦争はすべて「正当防衛」、つまり自衛の名の下に行われるのである。
 遠い歴史上においても、近い現代の戦争も皆その例に漏れない。米国は今まで米国が他国から攻撃されなくても世界中で戦争してきたが、それもすべて自国を守るための正当防衛であるとされてきたのである。
 昨年9月11日の米国中枢同時テロの犯人をアルカイダ・タリバン、ビンラディンだというが、その証拠は米国すらも示し得ていない。西崎氏の発言は米国の受け売りでありはアフガニスタンへの制裁は国連でも承認していないのである。また、制裁とか復讐は国連でも認められていない。日本でも現在は仇討ちや仕返しはご法度であって違法なものである。
 米国の側に立てば、「売られた喧嘩」だと言うが、なぜ「売られたか」その原因を考えることがあるのだろうか。その原因を深く考えず、軍事的対応にばかり議論を思っていくべきではない。
 ブッシュ大統領は「攻撃こそ最大の防御」と言っているが、米国の本音が正にこの好戦的な姿勢にあると思われる。
 だからこそ米国は、すでに自国に直接影響が出る前に世界中で自衛のため、と称して先制攻撃を仕掛けているのである。

 

「米国の言い分をそのまま報道する危惧」(02.11.8・「週刊金曜日」)


 バリ島のテロについて、ブッシュは何の根拠もなく「アルカイダのようだ」(10.15『朝日新聞』)と発言した。それならその根拠や証拠を示すべきであり、マスコミがそのまま報じていることに危惧を感じる。
 現に、バアシル氏は「米国とユダヤの謀略だ」と述べている。米国がインドネシアに「テロ取り締まりが甘い」と、業を煮やして来たことを考慮すれれば、他国で自国民が犠牲にならずに事件を起こし、インドネシアに圧力を掛けことも考えられないではない。
 かつて、日本でも中国大陸で満鉄を爆破など実作自演した。このことを忘れてはならない。権力者は如何なる手段をも使うのである。

 

2003年

 

「宗教を権力に利用させるな」(03.1.31「週刊金曜日)

 

 新年早々、小泉純一郎首相の靖国参拝で中国、韓国などが「A戦犯を祀る靖国に・・・」と抗議している。では、A戦犯を外せばいいのか。これをA級戦犯の問題にすり替えてはならない。
 靖国神社は、法的にも明らかに宗教法人であり、遺族の了解が得られれば、A戦犯であろうと誰を祀ろうとその宗教を信じる人たちの自由でり、外部の者や、ましてや国家や政治が口出すことは政教分離に反し、違憲である。私が反対する理由はA級戦犯の問題ではなく、公人や国家の関与が政教分離に反するからである。
 よく比較される米・アーリントン墓地と比較してみよう。アーリントン墓地は南北戦争の「両軍の死者」を埋葬したのが原点であるが。一方で靖国は戊辰戦争の「官軍の犠牲者」のみ、つまり権力に加担した側のみを祀ったのでありその原点からして違う。
 そして、アーリントン墓地には教会もモスクも寺など宗教施設は無く、埋葬には本人の宗教を尊重して祀られるるが、靖国は神道を強要され、合祀には遺族の了解も得ないどころか合祀取消にも応じない。一方のアーリントン墓地は希望者だけでを祀っている。権力に加担した者を祀る靖国は、戦前・戦中軍が管理し、その軍は「天皇の軍隊」であり、国家権力、天皇、軍隊は三位一体のものであった。亡くなった兵士を遺族に戻さずに一方的に合祀することは死者の利用である。
 また、戦争の犠牲者は兵士ばかりではなく、原爆や空襲、沖縄などで犠牲になった多くの死者たちも、決して合意や納得の死ではない。兵士と同じ「無念の死」である。戦死者の特別扱いはその責任追求を逃れるためと、戦争参加を「ばからしい」と思うことを止め、徴兵を継続するためである。
 南方で戦死した多くの兵士は名誉の戦死でも立派な戦死でもなく、その多くが補給無しの戦闘で栄養失調を含む餓死だった。「餓死」がなに故「立派な戦死」か。宗教を再び権力に利用させてはならない。

 

「『先制攻撃』許されない」(03.2.12東京新聞「読者交論」)


 4日付西崎氏の「湾岸戦争で責任放置のツケ、今度こそフセイン氏追求を」に反論する。
 まず、現状はクウェイトへの侵攻と状況が違いイラクは何も行動を起こしていない。それを攻撃することは「先制攻撃」であり許されないということである。
 もし、過去を問うというなら、日本も第2次世界大戦中に、当時でも国際法違反の化学兵器を造り、敗戦後は中国に放置してきたのである。
 中米のコスタリカのよう、軍隊をを持たない国以外はすべて兵器や武器を保持しており、米国の核は紛れもなく大量破壊兵器ではないのか。世界一の軍事大国といえども、自国の意にそわないからとイラクを「武装解除」させる権利はない。
 米国は過去に直接侵略を受けたことがないのに、世界中で戦争をしてきた。ベトナムでは枯れ葉剤を散布し多くの悲劇を生んだ。湾岸戦争では劣化ウラン弾で、がんや白血病の発生を今も続けさせている。
 この悲劇と米国の行動と「無関係」というなら、ニューヨークやワシントンに枯れ葉剤をまき、劣化ウラン連弾を置いて証明すべきだ。
 米国は旧ソ連のアフガン侵攻に対してはでアルカイダを支持し、イラン・イラク戦争ではフセイン大統領を支持してきた。米国の身勝手な世界戦略は周知の事実である。
 イラク攻撃は米国の石油戦略であり、米国の発言は現にフセイン打倒後の石油利権に及んでいる。「イラクの大量破壊兵器」が在るというのは、アフガンを攻撃したのと同様に反米政権を倒すための口実である。そのために関係のない多くの民に犠牲を強いることには断固反対する。
 私自身は、イラクにも北朝鮮にも言論や表現の自由があると思えず、両国の現状を肯定はしない。しかし、それを変える権利を持つのはその国の民だけである。それは国民自身の価値観によるべきであり、民主主義の原点である「民族自決」は断固守られなければならない。
 米国は地球の反対側にあるイラクをなに何故にそんなに恐れているのか。相互信頼の欠如によるのではないのか。軍事力での攻撃や威嚇ではテロは防げず平和も生まれない。強者が一歩譲歩し信頼関係を取り戻すべきである。
 イラクが大量破壊兵器を持つことより、もっと悪いのは「戦争自身」である。戦争に、良い戦争と悪い戦争はない。戦争は「絶対悪」であり、制裁や強制、武力でな平和は生まれない。信頼関係を取り戻して平和を守るべきである。

 

「許せない自作自演のイラク攻撃」(03.2.27・「市民じゃ~なる」)


 世界一豊かで強い軍隊を持つ米国が、地球の裏側にあるイラクが大量破壊兵器を持ち脅威だという。しかし、周辺国はそんな脅威を感じず、サウジアラビアは攻撃のための基地提供もせず、この差は「信頼関係」の有無にあり、制裁や復讐で平和は保てない。
 そもそも、現時点でイラクは何もしておらず、世界一強大な米国がイラクを脅威というなら、イラクがその何十何百倍も米国を脅威と感じていることをなぜ理解しないのか。
 そして、イラクが大量破壊兵器の開発や所持をしていると主張するが、それで何が問題なのか。米国の核兵器は「大量破壊兵器」ではないとでもいうのか、「米国の核保有は良いが、お前たちには実験も保有も許さない」などということがアンフェアーであることは子どが聞いても判る不平等である。
 イラクへの攻撃は石油戦略の一環であり、アフガン同様気に入らない政権を親米政権に転換させるための自作自演であり権力者が常に使ってきた手段である。
 米国はイラクに「申告書」を提出させた。これは無実の人間への「自白強要」に等しく、米国は証拠を持っているというなら証拠開示すべきで、「申告書」と米国の持つ「証拠」と食い違えば攻撃可能とはあまりにも一方的であり、何処が食い違っているが第三者に判断できず、証拠すら証拠があるなら「申告書」など必要あるまい。
 米国はイラクの非武装や政権交代を狙っているが、これら独立国へ内政干渉どころか、ファッショである。
 北朝鮮やイラクへの政策は、良くも悪くもその国民が決めることであり、民主主義の原則が「民族自決と地方自治の尊重」であることを自覚すべきだ。
 米国はおそらくイラクを攻撃するであろう。最初に「攻撃的ありき」でその理由づけを考えてきたのであり、先の「申告書」の矛盾を利用することがその典型である。そして、その攻撃は必ずテロの助長に手を貸すことになる。
 経済力のある強い軍隊の先制攻撃が許されるなら、貧しく強い軍を持てない民はテロ攻撃しかあるまい。これはパレスチナが証明し、イスラエルは明らかにパレスには侵略し、米国はそれを黙認してきいるのである。
 日本がこのような身勝手な米国を支援するなら、必ずやテロは日本にも及ぶであろう。日本はアジアの中進国として信頼を得るため、「日本軍」は如何なる理由でも絶対海外に派兵すべきではない。
 アーミテージ国務副長官の来日で、政府はイラク攻撃場合、復興支援を示唆したが言語道断である。攻撃破壊を是認しながらその後の復興支援とは何とも無駄でナンセンスであり、外務省は攻撃破壊する前にそれを止めるのが職務であろう。
 数秒数分で破壊した街を復興するに、どれだけの莫大な費用と時間が必要がアフガンを見るまでもなく、ピンポイントの攻撃の名も如何に多くの民を犠牲にしたことか、それでも破壊の道を止めるず復興支援を約束するというのか、「本末転倒」とはこの事を言う
 この米国の奴隷となった日本政府を変えなくてはならず、それは諦めないで選挙に行くことであり、悲しい戦争を世界中から無くすために、遠回りでも間接的でも参政権を放棄している有権者の半数の人たちに呼びかけなくてはならない。

 

「許せない米国の身勝手」(03.3.1・「比企丘陵から」)


 米国は地球の反対側にあるイラクが脅威だから攻撃するという。それなら、イラクはその何倍もの軍事力を持つ米国が脅威ではないだろうか。イラク周辺国は約脅威だとも、攻撃してくれとも言っているわけではない。ただ米国の経済政策が強いので、基地を提供るに過ぎず、ドイツに至っては「金も軍も出さない」と言っている。
 この「作られた脅威」がアフガン攻撃と同じで、反米政権を親米政権に置き換えるための戦略である。まして、イラクには石油がありそれを反米政権の手に渡したくないのだ。
 米国はかつてソ連がアフガンを攻撃してきたときタリバンを支持しておきながら、9・11以降はタリバンを攻撃、そして、イラン、イラク戦争ではイラクを支持しておきながら、今度は「イラク・フセイン打倒」とは何と身勝手な国だろうか。
 イラクに武装放棄を求めるその米国は、大量破壊兵器を持っていないというのか!「証拠を握っている」というなら、自己申告を迫ったり、国連の査察団が証拠見つかっていないと言っても納得せず、何が何でも攻撃のための口実を作り出そうと躍起になっている。
 自分自身は強力な核も軍隊も持ちながら、取るに足らぬ弱小国にはそれを持つなと言う。9・11に証拠もないのに一方的にビンディラン氏を首謀者と決めつけ、今回も何もしてない相手に攻撃を仕掛けていくのだ。これは先制攻撃以外の何物でもない。そして「攻撃こそ最大の防御」などとうそぶいている。
 「俺はなにをしてもいいが、俺に逆らうもの許さない」、そんな身勝手がいつまでも通用するわけがない。9・111日には原因があること気付くべきだ。米国はベトナム戦争湾、岸戦争そしてアフガン攻撃など世界中で9・11の何百何千倍もの人々を殺しているのだ。米国が何ら攻撃されていないのに出かけていって人殺しをしているのだ。
 フセインを支持するつもりはないが、その国を変えるのはその国の人民であり、「民族自決」という民主主義の原点を守るべきだ。

 

「な ら ず 者 と 、隷 属 関 係」(03.4.25「市民じゃ~なる」)


 「ならず番プッシュ」はとうとう先制攻撃の侵略戦争を始め、小泉が改めて「米国支持」を表明したことに強い憤りを感じる。
 小泉は国連合意無しの「イラク攻撃支持」への批判を恐れ態度表明せず、そのノラリクラリの姿勢に自民党内からさえ「説明不払」と批判された。野党からの「国連決議無しの先制攻撃を認めるのか」との国会質問にもにも、信念も自主性もなく何と「その場の雰囲気で決める」とまったく主体性のない無責任ないい加減な姿勢、答弁であった。
 もともと小泉はパホーマンスで外務副大臣をイラクに派渡したものの軽く足らわれ、最初から戦争を止める何の努力もしないまま「戦後復興には協力する」と、当初から開戦を凝認していたのである。
 命の抹殺や破壊を認め、その後に膨大な費用を注ぎ込むなど、何と無駄でナンセンスなことであろうか。その必要がないように最大努力することこそ核の悲劇をも体験した日本政府の使命である。小泉は米国加担に飽きたらず、何と自分のことを棚上げしフランスに「国連合意の努力をしているか」と批判さえしたのである。
小泉は開戦支持の理由を日米は同盟国であり安保条約が今日の繁栄に貢献したと、また、ブッシュの言い分そのままに「イラクに自由をあたえる」とは呆れたものだが、軍事力で政権打倒し米国の価値観を強制する権利など亡い。何も紛争の起きていない国への先制・侵略攻撃は明らかに「主権侵害」であり、これはイラクにキリストを与えるのと同じ「価値観の強制」であり、民族自決は民主主義に原点である。
 もともと「大量破壊兵器」は口実でブッシュやブレアー自身が「フセイン打倒」が目的と公言しているにも関わらず、小泉は相変わらず「大量破壊兵器」などと口にしている。米国の目的は最初から石油資源を反米政権から奪い親米政権樹立が目的なのである。自主性も信念もなくただ米国に盲従することは同盟ではなく「隷属」というのである。
 小泉は「世論は間違うこともある」と国民の反戦の声を聴く耳を持たず、米国支持の「重大決定」も小泉の独走で、閣僚に違憲を諮る場も亡く「独断」で決めたことに、森山真弓法相が証言(3月21日付『東京新聞』夕刊)しているが、これは正にブッシュ同様独裁政権の裏付けである。民主的内閣なら国の行方を左右する重大決定は閣議の中で自己の判断や考えを述べ、全閣僚の説得なり理解を得るのが常識である。
 気に入らないからと独立国を世界一の軍事大国が「国連が俺の言うことを聴かないなら俺が殺る」と、国連も無視しての攻撃が「ならず者」でなくて何であろう。先制攻撃の侵略戦争を「イラクの自由作戦」とは呆れる。
 経済的困難な途上国の安保理事国でさえ米英提案に「イエス」と言わずみ抗し、トルコ国会は莫大な米国の経済援助での買収を拒否した。逆に日本は莫大な「思いやり予算」を貢ぎ米軍駐留費や日本からの出撃を許している現状と対照的である。
 国連を無視し秩序が失われ軍事力で思うままの攻撃が許されるなら、今度は韓国や日本が反対しても、米軍の北朝鮮攻撃に道を開くかも知れない。地球は米国だけのものではなく、米軍は世界の警察犬ではない!
 国際世論は「反米」ではなく「反戦」であったが、この様な行動は「反米運動」となり、やはて米英や日本が国際社会から孤立する道をたどることを心配する。

 

「ならず者ブッシュこそが戦犯である」(03.5.30「週刊金曜日」)


 米国のニューヨーク連邦地裁が五月七日、「9・11」テロにイラクが関与した(何の証拠もない)との欠席裁判で、フセインやビンラディンらに一億四〇〇万ドル(約一二〇億円)の賠償を命じた(五月八日付『東京新聞』夕刊)。ナンセンスである。
 ブッシュ政権こそ、何の行動も起こしていないイラクを攻撃し、一人の男を追及するために、これだけの被害をイラクの民に与える権利はない。ブッシュこそ「ならず者」の戦犯であり、イラク人民に賠償責任を果たすべきである。軍事力でフセイン政権を打倒したブッシュこそ「戦犯」でなくて何であろう。
 大量破壊兵器は口実であり、当初から石油権益が目的であった。そのためには反米政権を打倒し、親米政権に置き換えることが必要だったのだ。だからこそ、終戦早々に石油管理は米英が握ると宣言したのである。
 米国は、市民による略奪も文化遺産の略奪も黙認した。それどころか、本誌458号(五月九日)に掲載された豊田直巳さんらの「JVJA」(ビジュアルジャーナリスト協会)が五月八日に都内で開いた「イラク取材報告集会」では、米軍はイラクの受刑者をバグダッドで解放し、略奪をそそのかし、あのフセイン像を倒したのもヤラセであったと報告されている。思えば、湾岸戦争のきっかけとなったあの少女の証言も、重油にまみれた水鳥もヤラセだったのである。
 小泉純一郎首相は米国に隷属し、フセインや金正日を批判するが、それを昭和天皇に置き換えてみよ。天皇を神と讃え、「神聖にして侵すへからす」と教え、その写真にさえ最敬礼を強制し、天皇の名を使えば何でもできた。民主主義を唱えれば「非国民」と弾圧され、天皇や天皇制を侮辱・批判すれば「不敬罪」で処罰され、思想信条の自由はなかった……。
 まったくフセインや金正日と同じではないか。しかも、そのケジメがつけられず、その亡霊はいまだに継承されているのである。

 

「戦没者追悼施設の是非」(03.8.20・東京新聞「読者交論」)


 15日付の国立戦没者追悼施設建設の是非論で高市早苗氏は、施設建設の必然性が分からず、目的意識が伝わってこない、外国から言われてというなら全くナンセンスと、反対論を展開している。
 しかし、靖国神社が米国の「アーリントン墓地」や沖縄の「平和の礎」と同じ違って、法的にも明確に宗教施設であることは疑いを入れない事実である。「アーリントン墓地」や「平和の礎」には教会もモスクも神社もなく、牧師も神職ももおらず、宗教施設ではないのである。
 そして、侵略戦争の甚大な虐殺などを受けたアジアの人々が「戦犯を祀らないで」と言うのが内政干渉だろうか。確かに戦勝国が一方的に判断した戦犯だが、それなら氏はあの戦争責任が誰にあると言うのであろうか。今どきまさか「一億総ざんげ」とでも言うのではあるまい。
 また、今まで靖国が戦死者をまつる中心施設であった事は認めるが、そこには権力者が政治利用してきた事実に目をつぶってはならない。
 多くの人が承知しているように、靖国は戊辰戦争の天皇に加担した「官軍側」の犠牲者のみをまつったのが原点であり、しかも、軍が直接管理してきたのである。まさに「権力、天皇、軍」が三位一体であった歴史を忘れてはならない。
 宗教とは価値観を同じとする人々が、その価値を信じて行うものであり、信教の自由や価値観は多数決で決められないことは言うまでもない。靖国は戦死者を犠牲者ではなく「英霊」とまつりあげることにより、権力者などの責任回避にも利用されてきたのである。
 この様に権力が利用し、利用されている宗教施設は、誰が参拝しても批判されない「アーリントン墓地」や「平和の礎」とは違うだということを考えるべきである。

 

「恥知らずの日本政府」(03.10.24・「週刊金曜日」)


旧日本軍が中国に遺棄した毒ガス弾や砲弾で中国の民が死傷した裁判で9月29日、東京地裁は1億9000万円の損害賠償を認め国の責任を認定した。
 判決はその責任が公権力の結果であることを認定し、重大な被害が予測でき、遺棄状況は把握が可能で、中国側に通告していれば悲劇は防げたと断罪している。当然の常識的判断である。しかし、国は類似の裁判で今年5月に国の勝訴判決を理由に控訴で、控訴した。
 国は72年の中国が日本に対する損害賠償を放棄した「日中共同声明」などを理由に賠償請求権を否定しているが、それは政府・国同士の合意であり個人には適用できず、現にドイツでもユダヤ人への個人補償をしている。
 100歩譲ってもそれは法律論であり、当時でも国際法違反である毒ガスを遺棄し、その結果中国の民が死傷したのは事実であり、誠意を持って償うのが「人の道」であろう。
 もし、逆の立場だったら、日本人は納得するであろうか。理屈や損得ではなく、人として何が正しいか考えるべきであり、結果としてそれが相互理解を進め戦争を防ぎ平和を押し進める道にもつながるのである。政府の控訴を日本人として恥ずかしく思う。

 

「許すな劣化ウラン弾」(03.11.20・「中国新聞」)


 広島を旅行中に16日付の投稿「劣化ウラン弾を危惧する」を読んだ。原爆ドームや平和記念公園を訪れた後だっただけに同感した。
 しかし、自衛隊派遣への危惧が指摘されていたが、それは自衛隊派遣と関係なく否定されるべきだ。言うまでもなく、「自衛隊でなければ、」日本人でなければいい」ということではない。
 これは武器を持たない多くの民が無差別で犠牲になり、特に発育段階の子どもたちや、赤ちゃんを生む女性などに大きな影響を与え、しかも、一時的ではなく遺伝子にまで影響を与え、現にイラクでは障害児の出産などが異常に発生している。
 不特定多数に無差別で後世にまで影響を与える劣化ウラン弾が「テロ兵器」でなくて何であろうか。米国には放射能の「ゴミ捨て」と一石二鳥であろうが、人権上も許されない。米政府は関係ないというなら、劣化ウラン弾をワシントンやニューヨークに置いて実証すべきでだ。
 日本政府は唯一の被爆国としてその悲しみを知っているのであり、この劣化ウラン弾の使用中止を米国に強く求めるべきだ。
                        
「善悪も問わぬ対米追従は恥」(03.12.28・東京新聞「ひろば」)


 毎回、渡辺えり子さんの「新聞を読んで」を拝読し溜飲を下げている。21日付でも「同盟国なら真偽も善悪も問わずについていくのはまるでやくざの抗争のようである。いや、やくざの方がましだ」との発言にまったく同感である。
 米国は世界の警察官ではなく、いかなる政権であろうとも、他国に価値観を勝手に押しつけ主権を侵し先制攻撃する権利などない。米国は侵略も受けないのに世界中で戦争をし、9.11の犠牲者の何倍も上回る人たちを殺してきた。石油利権目的の米英イラク侵略・占領こそ「テロ」であり、米国がテロに狙われる原因を考えるべきで、テロは軍事力では防げず信頼関係を築くことが必要である。
 既に復興事業は米国が主導権を握り、利益の一部はワイロや政治献金に回るであろう。米国の奴隷に成り下がっている日本を恥ずかしいと思う。

 

2004年


「死んでも利用された外交官」
(04.1.9・「週刊金曜日」)


 2人の外交官が日米同盟を優先した権力者の犠牲になったことに、心からお悔やみ申し上げます。
 犠牲になったお2人は2階級特進で外務省葬だという。しかし、死んで出世して「立派だ」と褒められれ何になるのだろうか?それどころか、銃弾を受けた身体は更に無意味な司法解剖さえ強制された。亡骸は国のものではなくご遺族のものと私は思う。彼らは「ひるまず俺たちに続け」と言っているであろうか?ご遺族を含め「こんな悲劇はもう私たちだけにして」と叫んでいるのではないだろうか。
 しかし、権力者は犠牲者を特別扱いしなくては「犬死に」と思われ、後に続く者がいなくなっては困るのである。これは原爆や空襲で死んだ市民を無視し、戦死者だけに遺族年金を与え靖国に祀るのと同じ手法である。個を犠牲にして国や公に尽くすことを評価した戦前・戦中の価値観と同じである。
 しかし、今回のような特別扱いは犠牲者が少ないうちだけであり、何百何千人もの犠牲者が出るようになれば、記帳台の設置や自衛隊儀などやらないのである。それはあの大戦中、出征や戦死者の遺骨帰還に村や町ぐるみで送り迎えたが、それは犠牲者の少なかった当初だけだった。2人の犠牲は家族を守るためでも、領土領海を守るためでもなく、米国に認められるため、大儀ななしの「国益」の犠牲になったのだ。
 これは米国の石油戦略で親米政権を樹立させるため、何も行動を起こしていなかったイラクに先制攻撃した米英軍こそ「テロ」であり、この混乱状況を誰が作ったのか、その原点を考えるべきだ。          
 米国はイクク、イラン戦争ではフセインを支持し、旧ソ連のアフガン侵略ではアルカイダを支持してきたことを忘れてはならず、それは今回のイラク攻撃が大量破壊兵器やイラクの「自由」のためでないことを裏付けている。
 現在、イラクに派兵している国は米国の影響力が強く、日本を含め真の独立国とは言い難い国々であり、仏、独などが派兵していないことを受け止めるべきだ。石破防衛庁長官は自衛隊は国を守るのが仕事で、国民を守るのは任務ではないと本音を吐いたが、その「国」とは権力維持ということである。「国破れて山河あり」と言う。国が滅びても死んではならない!国益のための派兵に断固反対する。

 

「靖国問題の政治介入・個人の判断強制するな」(04.2.18・東京「読者交論」)


 10日付発言欄、安藤氏のミラー「靖国神社参拝は国内問題、内政干渉への迎合には疑問」に反論します。
 まず、宗教団体である靖国への政治や公人の関与については国内にも多くの批判があり、まして宗教の自由にかかわる価値判断を、多数決で決めていいものではありません。
 A級戦犯の靖国合祀を過去の厚生委員会で合意とのことですが、それ自体が宗教への政治介入であり、政教分離に反しています。国会にそのような権限があるはずもありません。靖国が誰をどう祀るかは「それを信じる人たち」の自由であり、信じない人や政治が口を出す資格はありません。
 また、靖国は明らかに法的に宗教団体で、そこに祀るか否かは遺族の意志を尊重しなくてはなりません。合祀拒否や合祀取り下げに応じないことは死者の利用であり、それを多数決で強制する権利はありません。
 日本の始めた侵略戦争のため、中国やアジアの民が数千万人もが犠牲になりました。特に中国では731部隊の人体実験をはじめ、南京大虐殺など多くの虐殺、女性暴行、強制連行・労働などのほか、従軍慰安婦問題などもあります。
 こうした被害者や被害国の人たちが、公人の戦争指導者参拝に抗議することも内政干渉なのでしょうか。そのように批判することは、侵略戦争について何の反省もないことを示しているのではないでしょうか。
 靖国は戊辰戦争で官軍の犠牲者のみを祀ったのが原点で、その管理は長い間、天皇の軍隊であった皇軍が行い、軍と天皇と靖国はまさに「三位一体」の歴史があったのです。
 原爆や空襲、沖縄で、あるいはサイパンなどで銃も持たず、戦いもせず犠牲になった多くの民も「納得の死」ではなく、軍人と同じ「無念の死」でした。何故軍人だけ特別扱いするのでしょうか。軍人の死を立派なものと靖国祀ることで、戦争責任の回避に利用してきたからです。
 死者を祀る宗教施設・行事は、個人やそれを信じる人たちだけのものです。そこに公人が関与することは、その宗教に公が加担する結果になります。
 たとえ多くの人の支持があったとしても、思想、信条や宗教の自由を多数決で強制してはならないのは理の当然です。
 沖縄の「平和の礎」や米国の「アーリントン墓地」は、宗教施設ではないから誰が参拝しても批判されないのです。

 

「侵略を国際貢献と言い換える小泉首相」(04.2.18・「市民じゃ~なる」)


 小泉首相はとうとう戦地へ派兵した。彼はそれが「国際貢献」だという。独立国への先制攻撃支援・派兵がどうして国際貢献なのか。そして、人道復興支援にどうして迷彩服と武器が必要なのか。この侵略・先制攻撃を「国益」と認めることは、「満蒙は日本の生命線」と満鉄爆破のデッアゲで始めた、あの「日中戦争」の始まりと同じであり、これが侵略戦争でなくて何であろうか。
 既に米兵の犠牲は500人を超えたが、イラク市民の犠牲はその20倍の1万人に迫ると報じらた(1.21「東京」)が、これは「テロ」ではないのか。そもそも主権を侵害し先制攻撃した米英軍こそテロである。そして、ブッシュ自身さえ国益のための「先制攻撃」を認めているにも関わらず、小泉は米英軍の攻撃を「先制攻撃」と認めず、同様に米国自身が劣化ウラン弾の使用を認めているにもかかわらず、川口外相はそれを認めない国会答弁をした。
 また、イラクでの異常出産や障害児の多発が劣化ウラン弾の影響との指摘に、米国は否定し日本政府もそれを追認しながら、何とイラクに派兵した自衛隊員に「線量計」を持参させる矛盾は何のか。イラクに放置された残骸兵器からは通常の300倍の放射線が測定(1.10「東京」)されている。日本の国際貢献は派兵ではなく、被爆国として劣化ウラン弾の責任追及と救済こそすべきである。
 米英によるイラク攻撃支持の理由を、首相は「テロ国家の温床の恐れ」と主張するが、この言い訳はよく使われる手法である。その「テロであること」は誰が判断するのか?、言うまでもなくそれは攻撃する側の一方的判断である。何より「テロ、スパイ」の名の下の攻撃は「証拠を必要としない」からである。それは今回のイラク攻撃も裏付けている。
 そして、首相は派兵後も危険なら一時撤退もあり得るというが、「出すのは易し、引くは難し」であることを何処まで考えているであろうか。首相は危険だから「自衛隊に行ってもらう」と言ったが、今度は途中で放り出して「危険だから引き返す」なら、派兵しない以上に他国やイラク市民から「無責任」と非難されるであろう。
 首相はイラクでも正当防衛の名の下に武器使用が認められるというが、頼まれもしない他国へ勝手に侵略した軍隊に「正当防衛」などあり得ず、それなら中国への侵略も正当防衛と言うことになる。
 そして、イラク内での自衛隊員の「裁判権」は日本にあるとCPAと文章確認(1.14「読売」)したが、これは正に沖縄での米軍の地位協定と同じである矛盾を政府は感じていない。しかも、CPAはイラク政府を代表していないのである。日米地位協定を批判し米兵の裁判権や身柄を日本に渡せと言う一方で、イラクでは日米地位協定なみの地位を確保するという何とも身勝手なことであろうか。
 先の国会で首相は憲法前文の「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と引用したが、肝心のその前の「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」部分を避けたのである。名誉ある地位は軍隊の派遣ではなく「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼して」と明記されている部分を逃げた卑怯者である。
 もし、「日本の社会制度は間違っている」と他国軍が日本に同じように派兵したら納得するであろうか、「民族自治」の大原則を忘れてはならない。
 そして、自衛でも緊急でもない派兵に、なぜ国会の「事後承認」で足りるのか。「盗聴法」「住基ネット」「イラク特措法」「国民保護法」・・・今やまさに「治安維持法」前夜である。

 

「日本人拘束で隠されている事実、
       占領軍はファルージャの虐殺をやめろ!、自衛隊を撤退させよう」
                                                        (04.4.20・「市民じゃ~なる」)
 イラクで拉致されていた5人が解放された。
 私は彼らが「24時間以内の解放する」と公表した時、私あるMLに「日本政府より彼らを信じる」と書いたが、私が信じた事が間違いではない事が証明された。
 この事件で市民や与党処か、首相、外相までが迷惑、常識、自己責任などと発言し、更に今回の解放が「毅然とした態度が功を奏した」などの発言に心底憤りを覚える。
 今回の解放で政府にいったい何が出来たのか、政府の大使館への収容や帰国手続きなどは当然の義務であり、拉致被害者へのパッシングは「民主主義への挑戦」である。
 情報収集さえも米国頼りであり、600人を超える米兵の戦死状況の中で、5人の民間日本人のために米国が本気で動く訳はなかろう、否、彼らにそんな余裕はない。国の安全は自国で「信頼」に基づいて守るべきである。
 3人の解放は決して日本政府の力ではなく、人民と人民の意志がつながったからである。つまり、彼ら5人が敵ではなくイラクの民のためにイラク入りしており、またマスコミやアルジャジーラを通じて、日本でもイラク派兵反対の集会・デモが行われている事をしり、日本人民イコール日本政府ではない事を理解したからである。我々はイラクの侵略阻止を闘うレジスタンスと手を組み、一刻も早く自衛隊の撤退を実現しこれ以上の犠牲・悲劇を止めなくてはならない。
 イラクへの一方的先制攻撃の1周年の3月20日、私も日比谷の集会・デモに参加してきた。ご承知の通り当日は埼玉では雪になる氷雨の日だった。私の目の前にカッパを着て数台の車椅子に座りじっと集会に耳を傾ける障害者の皆さんが居た。当日はデモのため会場を出るのにも時間を要し、デモ解散時点では既に夕方になった。
 解散後、私が地下鉄のホームで電車を待っていると、会場で見た車椅子の人たちがホームに入ってきた、そこには数人の盲人の人たちも一緒だった。私は何だか胸がいっぱいになり、涙が出そうだった。何とあの寒い雨中のデモに、最後まで参加していたのだ!いったい健常者は何をしているのかと。何時か何処かの集会で戦争で何の保障も得られない戦争犠牲の市民が、「もう戦争で私たちのような障害者を出さないで下さい」と訴えていた事を思い出した。
 その後、3人の拉致があり4月16日「なかのZERO」で、ご家族を励まそうとフリージャーナリストの「JVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)」主催の集会に参加した。激励会の予定は3人の解放で報告会になったが、参加予定ご家族は圧力により急遽中止になったという噂を聞いた。
 当日は550人の会場に「900人が参加、200人は会場外でスピーカーの音に耳を傾けた」と、翌日の『東京新聞』は報じた。私は当日会場整理のボランティアをしていたが、会場が一杯になっても外の行列は続き、中二階の「モニター画面で良ければ」と入れても諦めない列は更に続き、とうとう1階受付のロビーにモニターの「音だけ」を流し、それでも床や階段に座り最後までその音を皆さん真剣に聴いていた。
 フリーの記者たちは「あれが無謀と言うなら、我々にジャーナリストを辞めろというに等しい」「ボディガードを連れて本当の取材が出来るか」等と、また、JVJA代表の広河隆一さんは「私は日本政府に救助を頼まない、何故なら危険だから」と発言し、会場から拍手を浴びました。
 バクダット陥落の時に現地に社員の記者や居らず、大マスコミは全てフリーランスから情報を得たのです。そんな時は批判せず、こんな時だけ批判を許すのか!政府などのパッシングは間違いであり、自衛隊派兵が無ければこの5人処か、2人の外交官も殺されずに済んだのであり、謝罪すべきは「派兵」という原因を作った政府である!
 井上書記官の父親が「息子のような惨事を繰り返すな」との発言が14日付『東京新聞』に載っている。お父さんは息子さんの死を決して「誇り」には思っておらず、立派でなくてもいいから「生きていて欲しかった」と訴えているのである。
 また、自民党の元郵政相の箕輪登氏は、今回の派兵を違憲と提訴する一方で、アルジャジーラに人質の身代わりの意志を伝えていた事を、15日付『東京新聞』が伝えているが、身代わりになるべきは「小泉首相、福田官房長官、川口外相だ」と、やはり11日付同紙で女優の渡辺えり子さんが書いているが、全く同感である。
 我々は自衛隊を撤退させ、イラクの地を彼ら自身の手に戻し「民族自決」を守り平和を取り戻さなくてはならない。
 「なかのZERO」の集会を企画したJVJAは、先月、年間契約の「DASY JAPAN」を発刊し好評であるが、自己保身も貸し借りもない真の報道取材を期待できるフリージャーナリストの経済的安定と、彼らの発表の場として一人でも多くの人たちに購読して欲しいと思う。

 

「イラク人質開放・認識足りないのは小泉自身」(04.5.24「比企丘陵から」)


 イラクで拘束された5人に小泉や福田は「迷惑、自己責任、常識・・」等の言葉を連発し、さらに費用負担まで請求して脅かしているのは言語道断だ。もし3人が本当にPTSD(心的外傷ストレス症候群)だとしたら、それは政府が事実を知られたら困るので、彼らに勝手にしゃべらないよう釘を刺し、圧力を加えたからだ。
 ところがその後フランスの「ル・モンド」紙や、米・パウエルまでが、日本政府の態度を批判、疑問視したため、またもや外圧に屈して引っ込んだ。
 小泉は「自覚がほしい」と発音したが、自覚していないのは、小泉自身である。
 事件の原因は、明らかに、日本の自衛隊派兵だ。自衛隊派兵がなければ5人の事件どころか、2人の外交官の死亡すらおきてはいなかったのだ。
 井上書記官の父親ほ、4月14日付東京新聞で、「息子のような惨事を繰り返すな」と訴えていた。彼は、息子の死を名誉とも立派とも思わず、犠牲と感じている。立派でなくとも3階級特別進級しなくとも「生きていて」というのが親の願いだ。政府は非難や責任から逃れるために、立派と褒めたたえ大袈裟に「外務省葬」をした、がそんなことは犠牲者が少ないからできるのであり、過去の戦争の時も出征や遺骨返還で見送りや出迎えをしたのは最初だけだった。
 イラク人犯人たちは、5人が日本政府を支持するものではないことが判明したこと日本でも派兵反対運動や、デモがあることを知り、人民との連帯を選んで、自衛隊撤退要求が適わないにもかかわらず解放したのであって、政府が何もしなくとも、解放きれたのだ。
 4月16日、なかのZEROホールで行われた緊急集金で、フリージヤーナリストの広河隆一さんは「私は日本政府に救出は頼まない。なぜなら危換だから。私は自分で立場を説明する」と発言し、会場から拍手を洛びた。
 今回政府は何のカにもなれなかった。情報収集も米国頼りだったが、すでに米兵の死者は600人を越え、4月だけで100人を越えている。そんな米軍が5人の日本の民間人のたぬに本気で動く訳はない、否、米箪にそんな余裕はない!
 政府が最大の努力をするというなら、それは「自衛隊撤退」なのだ。自衛隊撤退の可能を問う記者質問に「それはありません」と軽く否定した。小泉は人質を見捨てたのだ。
 国際世論を無視して、アメリカが勝手に始めた戦争を支持し、自衛隊を派兵するなら、イラク人民に敵とみられて当然なのだ。人道援助は口実で米軍の占領支援のなにものでもない。
 民主主義の原点は「民族自決と地方自治の尊重」だと私は思っている。イラクの土地をイラク人民の手に戻し、民族自治を守るべきである。拘束被害者へのバッシングは、明らかに反勢力への見せしめの弾圧である。本当のジャーナリストならこんなことを許してはならないが、大手マスコミは被害者バッシングを報じるものの、政府への批判さえしない。
 解放後の家族の「皆さん本当にお世話になりました。ご迷惑をかけました」などの発言の中に、「政府・国」の言葉が一言も無かったのは、せめてもの家族の政府への抵抗だと私は思う。

 

「1130人が参加、イラク反戦集会」(04.6.4・「週刊金曜日」)


 『正義なきイラク占領を許すな!5.30怒りの大集会』(主催:5.30集会実行委員会・協賛:週刊金曜日)が5月30日東京都内で開かれ1130人が参加した。
 司会は若い男女の大学生。土屋公献弁護士(元日弁連会長)の主催者挨拶で始まり、最初にジーナリスト平田伊都子さんがスライドを利用しながらイラクの現地報告を行った。
 次に問題提起として「イラク戦争の現状とブッシュ政権」と題し、一橋大大学院教授の水口不二雄氏のブッシュ政権と小泉政権、イラク戦争の解説講演の中で、今こそ「鬼畜米英」との発言に爆笑と拍手が湧いた。続いて、航空労組連絡会・副議長の村中哲也さんから「20労組はイラク派兵と有事関連法案に反対する」と題し、陸海空の交通労働者の決意を述べ喝采を浴びた。
 石川島播磨重工で30年にもわたり人権弾圧差別を受け、裁判闘争を勝ち抜いた原告団長の渡辺鋼さんからは、石播の弾圧差別、人権無視の実態と裁判経過が報告された。
 次に都教委から「日の丸・君が代」への弾圧処分の実態現状、さらに地下鉄労働者から、テロ対策の何の下に行われる説明無しのゴミ箱撤去やカメラ監視、警察との癒着などの報告があり、最後に中央大学の学生から自治会がつぶさた現状でを報告、「サークル活動」の中で反戦平和の運動を繰り広げていと報告があった。
 激励のメッセージは149通も届き、会場でのカンパも239,210円が集まり、最後に森井眞・元明治学院大学学長の閉会の言葉で終了した。

 

「イラク傀儡政権と、偽満州国」(04.7.16「週刊金曜日」)


 米政府はイラク主権移譲の6月30日まで占領政策が持たず、2日前の28日僅か数人、5分の儀式で抜き打ち的に暫定政府に「主権移譲」したという。そして連合国暫定政府(CPA)ののブレマー代表は、米兵だけは残し自分はその僅か一時間半後にさっさとイラ
クを逃げ出した。
 この決定には国連も日本政府もカヤの外であったが、それでも日本政府は自衛隊の多国籍軍参加のつじつま合わせのため、おっとり刀の持ち回り閣議で暫定政府を承認したのである。
 イラク暫定政権は外国人政府顧問団200人を置き、そのうち150人が米国人であり、更に14万規模の米軍はそのまま駐留し、そして、在イラク米大使館は1000人規模の海外公館最大の規模になるという。まさに「偽満州国」と同じ傀儡政権である。
 そして、クエェート侵攻やクルド人殺害など7件の容疑でフセインを裁判にかけるという。その法廷のやりとりが2日付『東京新聞』に載っている。フセインから弁護士不在の裁判を批判され、また資格を問われた判事は何と「連合軍からこの法廷での仕事を頼まれた」と本音を漏らし、フセインから「あなたは占領者の決定で仕事をしているのか」と批判された。
 クウェート侵攻にも、フセインは「クウェートはイラクの都市だ」と発言しているが歴史はその通りであり、英国が産油国を自国利益のために勝手に引いた国境であり、今回の米国のイラク攻撃と同じ目的、手法である。
 クエェート侵攻が悪くて、米英による大儀の無いイラク先制攻撃・占領は問題ないのか。クルド殺害は処罰されて、米英によるイラク市民1万人を超える殺害は問題ないのか。この裁判はフセインの言う通り「茶番」であり、ブッシュもこの戦争の責任を問われるべきである。


「天皇の靖国参拝言語道断」(04.9.10「週刊金曜日」)


 石原慎太郎都知事が今年も靖国に参拝し「天皇に、私人として一人の国民として、国民を代表して参拝していただきたい。それは天皇にしか果たせない国家に対する大きな責任を果たしていただくことになる」(8月16日付『東京新聞』)と発言した。
 石原知事は、その謝った歴史認識をまったく理解していない。日本は敗戦まで軍は皇軍であり、国民は天皇の赤子であり、国は皇国であり、天皇のために死ぬことを名誉と強制された。天皇の写真にさえ最敬礼させ、天皇は神で「天皇のため」とされれば何でも許されたのである。
 A級戦犯が合祀されてから中国などからの批判が強くなったが、問題はA戦犯の合祀問題ではない。靖国が誰を祀るか自由であり、他者や公権力がそこに口出しすることは越権行為で政教分離に反し、問題は公人や公権力の靖国への関与である。
 沖縄の「平和の礎」への記名は全て遺族の了解を得ており、米国の「アーリントン墓地」も希望者だけで、千鳥ヶ淵の「戦没者墓苑」を含め、これらは宗教ではなく、ゆえに誰が参拝しても批判されないのである。
 だが靖国は公的施設ではなく、法的に一宗教施設であり、石原知事はその違いを理解していない。そして、靖国は遺族の了解を得るどころか合祀を拒否したり、その取り下げにも応じないことは「死者の利用」である。
 そのホームページに「靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された」とあるように、天皇の思し召しにより、「官軍(天皇)の犠牲者のみ」を祀ったのが原点だ。管理は敗戦まで軍と内務省が行い、「靖国、軍、天皇」の三位一体だった。
 個人が靖国に参拝することは何ら問題なく、どのような形で戦没者を慰霊するはまったく自由である。しかし、公権力や公人が靖国に参拝することは特定の宗教に荷担する結果になり、ましてや天皇の靖国参拝など、言語道断である。

 

「遂に、治安維持法、国歌総動員法時代に突入!」(04.10.15・「市民じゃ~なる」)


 警察の電話盗聴が合法化されて以来、イラク特措法、自衛隊法改悪、国民保護法など次々と悪法や改悪行われ、「日の丸・君が代」処分を強行し、思想信条や言論表現の中への弾圧が進んでいる。
 警察が電話を盗聴した場合は、後日、本人にその事実を通することになっているが、警察がそんなことするわけない。
 また、9月17日に施行された国民保護法などは有事でなく、平時にこそ国民を拘束する「国民拘束法」である。陸海空の民間輸送機関は国に取り込まれ、兵士や物資の輸送まで強制され、それは当然攻撃の対象とされ、他の民間会社にも物資・食糧、材料などの保存を義づけ、これはまさに「国家総動員法」である。
 そして、とうとう民放まで「指定公共機関」に取り込まれ、これで「大本営発表」が整ったのである。政府は報道の自由を保障するというが、政府の命令どおり報道することが義務づけられている中で、独自の判断や政府を批判する事ができるわけであるまい。
 さらに、有事の際に土地や建物を所有者の了解なしに利用、破壊できるとされ、その損害を「後日補償」することになっているがそんな歴史はないのである。
 沖縄で、広島、長崎で、そして、東京大空襲で命を犠牲にしても補償などなく、その補償したのは軍人だけであり、それは「後に続く者居なくなってはこまるから」である。
 「命の保障」ができずに、どうして田畑の家屋の補償ができるのか。それができるなら「命」の保障先であろう。しかし、年金さえ払えない状況で、その金を何処から出すのか?どこに予算を組んであるのか?これはまさに「夢の法律」であり、政治や社会に関心がないとこんな法律までできるのである。そもそも人を殺しても罪を問われない戦闘状況で、「法律」など守られる筈はなかろ。それはできるな戦争など起きない。
 防衛庁の官舎に「反戦チラシ」を投函して「不法侵入」で逮捕・起訴、末端公務員が『赤旗』を配って「公務員法」違反で逮捕されている。これが「自衛隊支援」のビラだったらだったら、新聞が『自由新報』だったら逮捕されることなく、我が家のポストに望まない住宅広告が入っていたと警察に告発した彼らは動く出あろうか「否」である。
 また「JR浦和電車区事件」をご存知だろうか?JR東労組員が他組合の集会に参加したため、東労組役員が抗議・説得した後、この東労組が労組を脱退しJR東日本も退職したことが「強要罪」だと逮捕・起訴、何と344日と1年近くも勾留されたのである。
 しかも、この逮捕は元労組員の脱退の約1年、退職から半年も経ってからの逮捕なのである。そして、本人の「被害届」の提出2カ月も前に警察の捜査を開始し、嫌がらせの家宅捜索をし7人を逮捕したのである。さらに、それは担当の埼玉県警では、警視庁公安担当とはまさに目的を解る事件である。
 有罪、無罪を別にしても「強要罪」で1年近くも勾留することが人権上「違憲」であり、黙秘権は憲法で認められ、黙秘や否認を理由に勾留を続けることは許されない。
 平成14年度『警察白書』によれければ、平成13年の被害者数は12万1503人で、その内25日以上勾留された数は、僅か163人(0.134%)。当然、殺人、強盗、放火、傷害などの重大事件の被疑者であり、傷害も与えて無い「強要罪」などという軽犯罪で1年近く勾留することは明白に思想弾圧以外のなにものでなく、逮捕直後に有罪判決を受けても、懲役1年にはならないはず。こんな弾圧許してはならない。
 JR東労組共に闘うこの7人はデッアゲの事件を裁判で戦っているが、是非応援してほしい。関心を示さないなら、この状況はどんどん進みやがて我が身に降りかかって来るのも時間の問題である。

 

2005年

 

「自主規制すれば死も同然」(05.1.26・東京新聞「読者交論」)


 NHKの従軍慰安婦問題を取り上げた特集番組の改編問題については、いくつもの疑問が残る。
 放送前日の異例の局長試写はなぜだったのか?また、4回シリーズの2回目だけなぜ短かったのか?、あの裁判に批判的な秦郁彦・元日大教授の談話を「急遽」挿入した(異常に長かった)のはなぜか? 
 放送内容から当然あってしかるべき元日本兵の性的暴行証言、、元従軍慰安婦の被害証言、そして、法廷の結論としての「天皇有罪判決」部分がカットされたのはなぜか?
 これらをカットするなら放送の中身は無いに等しい。故に取材協力した主催者側から放送直後に「趣旨が生かされていない」と提訴され、1審で制作した業者に損害賠償を命じる判決が出ている。(控訴中)
 また、NHKに限らず特定の番組に対して政府高官が「公平公正」を求めれば、明らかに「番組の内容に政府は不本意ですよ」と言っているに等しい。内容まで知らないのに推測で発言したのか。しかし、その割りには具体的内容を知っているのはなぜか?
 NHKは、長井暁チーフ・プロデューサーが夫人の了解を取ってまで、不利益を覚悟で涙ながらに権力を告発したのが、「デッチアゲ」だとでも言うのだろうか。視聴者・国民はどちらを信用するであろうか。、
 NHKの姿勢はイラク報道でブレア英首相の批判に抗したBBCと対照的である。権力から遠回しに批判され聴者の見えないところで自己規制するNHKは死んだも同然である。

 

「君が代の『君』解釈は自由だが」(05.4.3・毎日新聞「みんなの広場」)


 23日本欄「君が代の『君』は大切な息子」を拝読した。
 解釈はそれぞれ自由である。しかし、過去に、この「君」を天皇と教えた歴史があり、「天皇の国」であったことを忘れてはならない。
 戦後、敗戦国のドイツもイタリアも侵略、弾圧、虐殺の反省の上に、国家も国旗とも変えたが、日本は何の反省もできずとうとう「日の丸」も「君が代」も元に戻してしまった。 この投書を読んで、私は戦前、戦中使ってきた教科書に、墨を塗らせたことを思い出す。
 その変身ぶりに当時の児童たちは非常に混乱し、教師への信頼をなくしたが、多くの教師は平然としていたのである。 
 そのことに自責の念を感じた三浦綾子氏は教師を辞め、朝日新聞のむのたけじ氏は新聞社を辞めたが、そんな行動をとったのはほんの一部の人だった。
 「日の丸」「君が代」の解釈や価値観を、処分までして強制する社会は、到底民主主義国家ではない。

 

「西山もと記者の提訴を支持する」(05.4.30・朝日新聞「声」)


 沖縄返還に伴う日米の「密約」を暴いた元毎日新聞記者の西山太吉氏が、国に賠償と謝罪を求め提訴したことを支持する。当時、西山氏の情報の収集方法が、外務省の女性事務官を通じてだったことが判明し、その方法に対して批判が集中した。国会での追求が始まると同時に、彼は逮捕・起訴され一審無罪、二審で有罪で最高裁で有罪が確定した。
 しかしその後、米国の公文書公開で、沖縄返還に伴う軍用地の復元交渉で、日米間に米軍が負担すべき400万ドルを日本側が肩代わりするという密約の存在が確認されたが、政府はその後も「否認」したままだ。一方で米国に抗議や訂正要求さえせず、そのままにしているのだ。
 情報収集方法がどうであろうとも、事実は事実だ。政府が都合のよいことだけけを伝える記者会見だけで、このような重大な国歌犯罪が暴けるであろうか・「否」である。
 西山氏は国家公務員法違反の共犯で逮捕されたが、百歩譲って彼の有罪を認めても、国による国民を欺いた重大犯罪を許してはならない。

 

「今の憲法守る司法権の発動を」(05.5.4・東京新聞「発言」)


 私が小学校に入学した1947年は、日本中が何とバカな戦争をしたものか、こんな過ちは二度と起こしてはならないと本気で思っていた。
 しかし、やがて警察予備隊が生まれ、保安隊から自衛隊へと強化され、そのたびに、為政者は「軍隊」ではないと詭弁をろうしてきたのだ。
 しかし、今は何と自衛隊自身が武器持参で戦地に直行し、それが「国際貢献」だと言われるような時代になった。このずるずるべったりの解釈改憲を許してきた責任は裁判所にある。
 裁判所には、立法府や行政権力の行き過ぎを監視する使命が課せられている。しかし、裁判所は「統治行為論」を盾に、自衛隊の違憲・合憲判断をせず、違憲立法審査権を放棄してしまった。これでは最高裁に無いに等しいではないか。
 このほか、東京都では「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱という行為を、価値観を異にする教職員にも強制、従わないと処分までしている。そして、「反戦ビラ」をポストに入れれば逮捕起訴され、また、サービス労働が当然視される社会。
 これが、どうして思想・信条の自由が守られ人権が尊重される社会といえるのだろうか。
 憲法改正論議の前に、現憲法を守らせるための司法権の発動を強く求める。

 

「改憲なら第一章の廃止から」(05.7.1・「週刊金曜日」)


 天皇家の後継ぎをどうするか審議会まで設置して検討しているが、何とも税金の無駄使いである。他人の家の後継ぎなど誰でも良かろう。自分の家の後継ぎまで自分たちで決められない天皇とは何なのであろうか。つまり、天皇には何の自由もなく、政治権力者の言いなり、自宅外では全ての自由と私生活は否定されるのである。
 皇太子が雅子さんの経験と能力を外交に生かしたいと発言し問題になったが、彼らはすべて政府の言いなりになる人形であり続けなければならない。ゆえに社会を知っている者には耐えられず、美知子さんは声が出なくなり、雅子さんも体調を崩した。
 そもそも、女性天皇を認めないなどという「皇室典範」は違憲であり、女性天皇を認めるかの論議はナンセンスである。皇室典範と言えども「憲法」の上にあるものではない。
 世の中に、生まれながらにして特別の人間など存在する訳はなく、それは造られた価値観であり、それを権力者たちは利用してきた。住井すゑは「生まれながらにして尊い人間を認めることは、生まれながら卑しい人間を認めることになる」と言ったが、まさにその通りである。
 改憲するなら、まず「第一章」を廃止し、本当の人間になってもらうことである。戦前、戦中にこんな発言をすれば「非国民」どころか、「不敬罪」で監獄行であったが、そんな時代に戻らないことを望む。

 

「遊就館の展示欠けた視点が」(05.7.28・朝新聞日「声」)


 「靖国ツアーは、とても有意義」(25日)に私見を述べる。筆者は戦争について子どもたちは教科書で数ペイジ学ぶ程度の知識しかなく、遊就館の展示は事実を淡々と示しているに過ぎないという。
 私は6月、中国東北部(旧満州)を訪れた。旧日本軍によって銃殺され埋められた、3000人余り民の遺骨を掘り起こした「平頂山遺骨館」や、ハルピン731部隊跡などを見学した。現地で生き残った方の証言も、お聴きしてきた。靖国神社にはこのような加害の展示や戦争責任の視点がないことを自覚して、遊就館を見学してほしい。
 先の戦争で310万人の日本人犠牲者を強いた責任は、日本政府にあるが、靖国神社はその指導者であったA級戦犯も神として祭ったのである。一方、その戦争に巻き込まれ、犠牲になったアジアの民は2000万人以上もいた。いわゆる従軍慰安婦や強制連行・労働問題もあった。
 靖国は「戦死は立派、無駄ではなかった」、との宣伝の場にも利用されているのである。それは、遺族の合祀反対や取り下げ要請にも応じないことでも裏付けられている。

 

「戦争の犠牲者戦場以外でも」(05.10.26・朝日新聞「声」)


 靖国神社をめぐり、「参拝した首相、私たちを代弁」(20日)を読んだ。
 首相の「心ならずも戦場に赴いて命を失った・・」発言を支持されるというが、沖縄や原爆、空襲の犠牲になった人たちも「合意・納得」して死んだのではなく同じ犠牲者である。否、民間人も捕虜になるより、自決を強要され犠牲になったのである。
 心ならずも戦場に赴かせたのは誰なのか。その責任逃れのために靖国は利用されてきた。南方の犠牲者の多くが栄養失調や餓死であった。それがどうして立派で名誉なのか。
 「今の反映や平和は英霊のお陰」との主張もよく聞く。だが、それは、生き残った人やその後の人たちが努力し頑張った結果であり、戦死者は無駄死にさせられてのではないのか。その死を無駄と思いたくない遺族の気持ちは分かるが、事実をしっかり見極めるべきである。
 「靖国は明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人たちを祀るため創建された」のが原点である。敗戦まで軍が管理し、宮司の任命まで軍が行った「国教」だったのである。そして、遺族の合祀反対や取下げ要求に応じない。これで宗教といえるのだろうか。

 

「首相の靖国参拝に怒り!」(05.10.25・「市民じゃ~なる」)


 小泉首相が秋の例大際の初日に靖国神社に参拝したことは、首相が「公(国益)」より「個(個人価値)」を優先したことである。しかし、首相は靖国参拝を「公約」しており、批判が強まると「総理大臣の職務として参拝したのではない」との二枚舌は卑怯である。
 首相は伊勢神宮への参拝は批判しないで、なぜ靖国参拝を批判するのかとも言ったが、靖国神社は他の寺社と原点が違い「国教」であった。
 その原点は戊辰戦争の官軍側だけの犠牲者を、天皇の思し召し(「靖国」HP)によって東京招魂社として建立し、この時点で天皇(制)直結の神社であり、単なる戦争犠牲者を祀った訳ではない。
 その後も、合祀には天皇の「裁可」が条件で、管理は軍が行ない神官さえ軍人が就いていた。当時、国は皇国、軍は皇軍、民は天皇の赤子であり、天皇(国)のために加担した者だけを祀ったのである。沖縄や原爆、空襲の犠牲者は祀らず、また、沖縄のガマの中で友軍に殺されたり自決した人は祀られ、米軍に殺されたり人祀られていない。
 そして、首相は「心ならずも亡くなった人たち」と言うが、沖縄や原爆、空襲の犠牲も、決して合意や納得して死んだのではなく、同じ「無念の死」であり、これは「差別」である。それは目的は差別することにより軍人に優越感を促し、戦死者が出ても続く者が切れないようにすることと、戦争や戦死の責任追及を逃れるために利用されたのである。
 現に、中曽根元首相は靖国参拝で「これは当然のことであり、さもなくば誰が国に命を捧げるか」と本音を発言(85.7.25/自民党軽井沢セミナー)している。但し、捧げたのではなく「取られた」のである。また、南方での多くの戦死は補給を絶たれた栄養失調と餓死であったが、「餓死」がなぜ立派で名誉の戦死か、明らかに責任追及逃れである。
 宗教とはその価値観と共にする人たちの集合である。しかし、靖国は遺族の了解も得ず勝手に合祀し、遺族の合祀反対や取り下げにも応じないことは「死者の利用」であり、それは宗教にさえ値しない。
 因みに、沖縄の「平和の礎」は言うまでもなく宗教施設ではなく、その記名には全て遺族の了解を得ており、合意を得られない人の名は刻んでいない。それは、米のアーリントン墓地も同様、希望者だけ埋葬され、埋葬には本人の宗教を尊重され、キリスト教を強制(靖国は神道)されることはなく、寺もモスクも教会も無く、僧侶も牧師も神父もおらず宗教施設ではない。
 そして、首相の参拝が私的で通るなら、天皇も「私的」とすれば天皇参拝を復活できる
ことになり、その影響力は首相の比ではない。その影響力の大きさから「政教分離」があり、天皇や公人、公権力の宗教への関与が禁止されているのである。それは厳格に守り再び権力の「宗教利用」を許してはならない。これは言うまでもなく参拝日時や参拝形式、A級戦犯合祀の問題ではなく、また、アジアの2000万人もの犠牲を強いられた人たちとも無関係ではない。
 これは外国の批判だけの問題ではなく国内問題であり、公人、公権力の関与は多数決で決めてはならないのである。

 

「9 条 連 ニ ュ ー ス」(05.11.20・1面)


 かつての戦争で加害行為を心から悔いて、反戦平和と日中友好に後半生を捧げた元戦犯たちのことをご存じでしょうか。
 日本の敗戦後、5年間のシベリ抑留を経て中国の撫順戦犯管理所に収容された日本人戦犯、山西省残留を経て戦犯となった人々、1062名の戦犯たちの多くは、戦争中に日本軍の将兵として、捕虜や住民虐殺行為や性暴力、強制連行などに関した体験を持っています。
 彼らは中国へ引き渡された時、自らの罪業を考え処刑さえ覚悟しました。
 しかし、管理所は「戦犯といえども人間でる」との方針のもと衣食住のすべてに渡って暖かく接しました。自らも戦争被害者である管理所の職員には、戦犯への寛大措置を不満に思う人もいましたが、主恩来は、「戦犯たちを処刑してしまえばその家族は悲しみ、憎しみの連鎖を断ち切ることができない」と職員を説得しました。
 当初、戦犯たちは 「上官の命令に従っただけだ」と反抗しました。しかし、人道的な待遇のなかで、戦犯たちは自分たちの行為を被害者の視点に立って考えることを、深い葛藤や討論のなかで学んでいきます。
 彼らの多くが赦されて帰国したのは1956年のこと。一人の死刑も無期懲役もなく、63年までに全員が帰国しました。
 帰国後、彼らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成し、日中友好と反戦平和の運動に取り組みます。
 社会的な偏見や警察からの監視など、その活動には多くの困難をともないましたが、半世紀にわたって彼らの活動は続けられてきました。彼らの加害行為の証言によって戦争の実態を知った人も多いでしょう。女性国際戦犯法廷で自らの性暴力を証言したのも彼らです。この証言をNHKがカットして放映したのはご承知の通りです。
 2000年秋、管理所の開設50周年に、元戦犯たち20名を含む100名の訪中団が管理所を訪れました。この訪中に参加した青年達の間で自主的な話し合いが行なわれ、晩餐会の席上、ひとりの若者・熊谷伸一郎(当時24歳)が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の立上げを宣言し、日中双方から万雷の拍手を浴びました。(彼は現在、会の事務局長)
 それから2年後の02年4月、中帰連は高齢化のために解散します。私たち受け継ぐ会は中帰連の精神を受け継ぎ、日中友好と平和の実現を信じ、季刊『中帰連』の発行や証言集会の開催など、北海道から九州まで現在11支部500人で活動しています。皆様と手を携え、不再戦の誓いとしての憲法9条を守り抜いていくために頑張ります。

 

「思想の弾圧につながる判決」(05.12.14・新聞朝日「声」)


 東京・立川の防衛庁官舎にイラク派兵反対のビラを配り、住居侵入で市民団体の3人が逮捕・起訴された事件の東京高裁判決は、思想弾圧を認めた判決だ。
 「表現の自由が尊重されるべきだとしても、他人の権利を侵してはならない」という。門扉もなく自由に出入りできる郵便受けにビラを入れた行為が、刑事処分されるほど権利を侵害しているのか。
 商業ビラ配布でも処分されるのか。「拒否したのに商業ビラを入れた」と通報すれば警察は動くのか。明らかにビラの内容で職務権限を行使した職権乱用だ。高裁判決は商業ビラとの扱いの差にも触れていない。
 入れられたビラは読まないことも、破ることも、捨てることもできる。電車内にも宣伝用液晶画面があるが、見る見ないは自由であるのと同じ。取り締まりがすべて政府に批判的な行動であることを考えれば、明らかに権力による弾圧だ。

 

「権力に迎合した朝日新聞とNHK」(05.12.15・「市民じゃ~なる」)


  過日の「女性国際戦犯法廷」について、戦時性暴力の加害証言、被害証言、そして天皇有罪判決部分をNHKがカットして放送した。
その原因に関して、当時の安倍官房副長官らの政治的圧力の可能性を朝日新聞が報道した。これら、一連の事実を巡ってNHKと対立していた朝日が謝罪してしまった。私は朝日に抗議の電話を入れたが、「情報が漏れたことに謝罪したので、情報そのものについて謝罪していない」と開き直った。
 この朝日の謝罪を受けて、魚住昭氏は10月14日付『週刊金曜日』で「朝日は解体的出直しが必要」と、また同日付『東京新聞』で「記者切り捨ては自滅行為」と批判したが、同感である。
 情報が漏れたことは「記録」が在ると言うことだが、記録の存在を認めたくない朝日はその記録を提出せずに謝罪した。公人が公務を取材されるのになぜ録音を拒否するのか。この手法は記者会見や記者クラブと同じ権力の都合のよい手段である。朝日が組織を守るため「取材倫理違反」を理由に記者を処分したことはジャーナリズム精神に反する。
 これは取材方法や情報流出の是非、安倍元官房副長官が呼んだ呼ばれたの問題ではないっ安倍氏が松尾放送総局長と面会した事と、妓が「公正公平な報道を」と発言した2点を安倍氏自身が認めている。その面会後に異例の局長試写があり、急遽改編が始まったのであり、松尾氏と安倍氏の面会がこの番組改編と無関係ではあり碍ない。
 政府要人が放送前の番組内容を具体的に批判や修正要求をする訳はなく、また、いまさら安倍氏に言われるまでもなく「公平公正」は当たり前の話である。安倍氏のこの発言をNHK側は「安倍氏が不本音ごと解釈したからこそ、慌てて異例の局長試写までし、改編を指示したのである。
 松尾氏はこれを「自主編集であり、圧力と感じていない」と言ったが、現場の長井暁氏は「圧力」と内部告発しているのである。圧力を感じていないなら、既に出来上がっていたテープをなぜ異例の局長試写までしたのか。また、自主的編集と言うなら、その時間は事前に十分あったのであり、4回シリーズのこの2回目だけ4分短かったことは明らかに異常である。
 それは何故か? 安倍氏との面会後、当時、日大教授の秦郁彦の追加取材を入れたり、放送当日も海老沢前会長まで「いろいろ意見があるから、なにしろ慎重にお願いします」と伊藤律子番組制作局長に伝え、編集は放送当日までもつれこみ、とうとう時間切れの結果4分短くなったのである。(10・1日付「朝日新聞」)
 私は当時、この番組を視ていたが4分短いだけではなく、明らかに秦氏の話が異常に長かった。朝日はこの政治圧力を「内部資料流出問題」に歪曲して謝罪し、ジャーナリズムの原点である「権力の監視」どころか、これは過日、元毎日新聞の西山記者が「沖縄返還協定」の政府密約を暴いた時、その内容の事実より取材方法に男女関係を利用したとバッシングされ、国家権力が国民を欺いた事実を履い隠した時と同じ手法である。
 そもそも、NHKの幹部が安易に政府要人と会うこと自体異常であり、それをNHKは「癒者」と全く理解していない。ましてや、放送前の番組内容を政府要人に話すなど論外、言語道断であり、それは「お伺いを立てている」に等しく、正にそうであったのである。NHKは「予算説明のついでに話した」と言うが、予算説明なら総務省の担当部局であり、それを官邸の安倍氏の処に行ってしまうことに何の疑問も感じていないのである。
 今回の事件は明らかに政治弾圧にNHKが自主規制したのであり、朝日は約束に反し録音した事を謝罪した上でテープを公表し、安倍氏らの発言内容を公表すべきである。

 

2006年


「理解できぬ首相の靖国参拝、国民・国益を犠牲にするな」
(06.1.10・東京新聞「ミラー」)

 小泉首相は年頭会見で靖国問題につき「外国の政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と発言したが、私には首相の考えこそ理解できない。
 これは外国からうんぬんの前に「政教分離」の国内問題であり、首相の靖国参拝は国内世論でも賛否が半々であることを知らないのか。これは一国会議員の価値観まで言及しているのではなく、中国も「首相、外相、官房長官」の参拝は見合わせるとの紳士協定があった(日本政府は否定)と、百歩も千歩も譲歩していることを、なぜ理解しないのか。
 己を犠牲にしても「国益」を優先するのが政治家であろう。今の現状は首相の価値観や意地を通すためと言うより、「中国や韓国の言いなりになどならない」という意地やプライドが首相や自民党の本音であろう。
 首相は靖国参拝を公約しておきながら、批判が強くなると「私的参拝」とかわしたが、首相や大臣などが「私的」で通用するのは官邸や私邸内だけで、一歩外に出れば公人としての行動・発言と取材報道され、故に問題になるのであり、公私を都合のいいように使い分けることはできない。
 今は亡き後藤田正晴・元副総理も過日の「罪を憎んで人を憎まず」の首相発言に、加害者の言葉ではないと、また、A級戦犯を戦争犯罪人と認識していると国会答弁しながら、参拝するのは筋が通らないのではないかと批判していた。
 首相は、なぜ、在任期間中だけ妥協して参拝を見送り、国益を優先しないのか。日本がアジアにありながら米国一辺倒で中・韓などと理解が進まないなら、必ずやアジア、否、世界から孤立して行くであろう。
 既に、EUは中国に接近しており、世界から孤立し、再び国民・国益を犠牲にしてはならない。


「被害者の痛みがわからない日本」(06.8.2「社会新報」)


 湯浅謙さんの6月14日付「今週のインタビュー」を拝読しました。
旧日本軍での罪を許され帰国した湯浅さんたちは、帰国後、日中友好と反戦平和ため「中国帰還者連絡会(中帰連)」を組織し、高齢のため2002年に解散するまで運動を続けました。私はその中帰連の賛助会員でしたが、解散を機にその意志を受け継ぐ「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に参加しています。
 侵略ではなかった、南京大虐殺や百人斬りなどなかった、首相の靖国参拝は内政干渉などと、いまだこの国は被害者の痛みが分かっていません。中国や中帰連は「前事不忘 後事之師」と言います。ヴァイツゼッカー西独元大統領は「過去に目を閉ざすものは結果として現在にも盲目となる」と同じ事を言いました。そして、「過去を無かったことにはできない」とも言っています。

 

「天 皇 発 言 に 憤 り」(06.8.4・「週刊金曜日」)


 靖国神社がA級戦犯を合祀したことに昭和天皇が、「私はあれ以来参拝していない。
それが私の心だ」と不快感を表していたという(7月20日付『日本経済新聞』)私はその発言に心から憤りを感じる。
いったい天皇は自らの「責任」を何と感じていたのか!自分もA級戦犯に利用された「犠牲者」として逃げるのか。百歩譲っても利用された責任があり、部下の責任をとるのが上に立つ者の使命であり、責任を取り、退位すべきだった。もともと人間であるにもかかわらずわざわざ「人間宣言」をした天皇は、秩序維持のため戦後も米国に利用されたのである。
 そもそも、一宗教法人の靖国が誰を祀ろうと遺族の了解がある限り自由であり、それが不本意なら支持・参拝しなければよく、逆に合祀反対や取り下げに応じないことこそ、大きな問題である。
A級戦犯を外せば公人や公権力の関与も許されるのか、「否」である。靖国問題は「A級戦犯」合祀是非の問題ではく、「政教分離」の問題であり、A戦犯問題にすり替えてはならない。
戦中「生きて虜囚の辱めを受けず」との調教で兵のみならず、サイパンのバンザイクリフで、そして、沖縄のガマなどで、どれだけの多く女・子どもなどの民が「自決」したことであろうか。
「私も軍の犠牲者」などと言う考えや、「戦争始めたのは軍だが、止めさせたのは私」
などの言い分は認めない。それなら命をかけて戦争を止めるべきだった。A級戦犯に責任をなすりつけるような発言は卑怯である。

 

2007年


「命を救うより奪うのが軍隊」
(07.1.16・東京新聞「発言」)


 防衛庁が防衛省に変わった。過日、久間防衛相は「省になっても変わらない」と発言していたが、そんなことはあるまい。それなら変える必要などなかったはず。
 海外活動も付随的任務から本来的任務に格上げされ、その派遣も特別法ではなく恒久法が必要と。また、参事官に制服登用などの意見さえ出始めている。
 百歩譲っても、軍隊が命を守り、命を救った人数と、命を奪い殺した人数とどちらが多いか論を待つまでもない。
 本紙「新防人考」一回目の記事で、戦争でもないのに既に労災(訓練)で「1777人」もの犠牲者を出していることを知った。
 これも国のため、国際貢献と受け入れるべきことなのか。しかも、この数字には年間100人を超えそうな自殺者(平成17年度93人)は入っていない。

 

「靖国内部資料政府は猛省を」(07.4.5・東京新聞「発言」)


 靖国神社は戦死者の慰霊のためというが、目的は「無駄死に」と思わせない「責任回避」のための顕彰の場である。中曽根康弘元首相は1985年7月の自民党軽井沢セミナーで「さもなくば誰が国に命をささげるか」と本音を発言した。
 八甲田山雪中行軍の犠牲者は戦死ではないと祀られない一方で、その後、沖縄のひめゆりの部隊など民間人も祀られ、平時の交通事故死も護国神社に合祀され、それぞれの時代の変遷で利用されてきた。
 今回、国会図書館が公表した靖国神社の資料の中に、BC級戦犯として有罪判決後に獄死した「慰安所経営者」も合祀されたことが判明したという。慰安所経営者も国や兵に協力したと、軍神、英霊ということか。
 政府は「国・軍の強制はなかった」と反論し、今や世界中から批判されている。美しい国どころか醜い恥ずかしい国であり、到底誇りなど持てず政府に猛省を促す!

 

「『毒ガス被害』までも食い物に怒り!」(07.11.16「週刊金曜日」)


 戦時中、日本軍が日中戦争で国際法違反の毒ガス兵器を使い、戦後、中国各地に数十万発を遺棄してきた。その被害者や遺族が日本の裁判所に提訴したが今年7月、東京高裁は賠償を認めた1審を破棄し不当にも請求を棄却(上告中)した。
 高裁は事実を認めながら「日本が遺棄兵器に関する情報を中国に提供していたとしても、高い確率で事故を防止できたとは言えない」と言うが、結果責任は問わないのか。しかも、「被害救済措置を講じることが望まれる」と付言したが、ならば判決で賠償請求を認めるべきだった。
 一方で、日本政府は遺棄毒ガス処分の責任と処理を引き受け、民間会社がその処理を受注し「利益」を得ていたが、それだけではなかった。何と違法に下請けに丸投げし、1億円余りもの水増し請求(不正流用)が発覚し。
 被害者に補償もせず、その一方で「被害処理」を食い物にしていたのであり許せない!そんな余裕と金があるなら保障に回せ!
 被害者の李臣さんは記者会見で、シャツを脱ぎ胸をはだけ、ズボンを脱いで傷を見せその被害と苦しみを訴え、その顔は怒り燃え涙していた。
 これは国内で日本人だったらあり得ない「人種差別」の判決である。原因と責任を認めるなら、結果被害を賠償すべきであり、こんな判決は日本と日本人の恥である。

 

 

2008年

 

「方正の『日本人公墓』と『撫順戦犯管理所』」(「方正友好交流の会・会報『星火方正』6号)


 私が方正の「日本人公募」のことを初めて知ったのは遅く、『東京新聞』が連載した05
年の「記憶・戦後60年・新聞記者が受け継ぐ戦争」シリーズの記事で、今もその記事を大事に保存しています。
 私はそれまで「撫順戦犯管理所」で人道的扱いを受けた戦犯達が、自らの力で鬼から人間に戻った「中国帰還者連絡会(中帰連)」の賛助会員でしだた。「日本人公墓」の話を知り、これは「撫|頃戦犯管理所」での戦犯への扱いや考えと全く同じであり、これは偶然ではなく、中国の「人道的・寛大措置」が本物である事を改めて確認した思いでした.
 この記事がキッカケで大類さんを知り、貴会の会報『星大方正』や「風雪に耐えた『中国の日本人公墓』ハルビン市方正県物語」などを送って戴き、改めて感動した次第です。
 その後、「中帰連」が高齢のため解散し、その意志を継ぐ「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に参加していますが、日本人公墓のお話は「中帰連」の皆様の受けた人道的寛大措置の考えと一致すると思います。
 戦後、中国側は侵略し土地を奪った日本人戦犯や開拓民を、一部の軍国主義者の犠牲であり同じ被害者であると赦してくれました。残留日本人が散逸する同胞の遺骨を何とか葬りたいとの要望に、中国政府は何と!国交も回復していない時代に、政府自らの仕事と使命として成し遂げてくれたのです。
 敵民族の遺骨を集め、墓を造り守って下さったのです。日本では考えられないことで「坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い」という言葉さえあり、今でもこの国では行政や裁判の場で公然として、アジア人蔑視の差別が温存しているのです。この中国の皆様の恩を一人でも多くに人の知って欲しいと思います。
 罪もない、恨みもない善良な市民同士を戦わせる原因を考えなくてはなりません。私は国と国がどうであろうと、民と民が友好を繋ぐことば不可能ではないと思っています。
 日中国交回復以前に岡崎嘉平太氏らが民間貿易を先行し、周恩来の信頼を受け国交回復に大きな力になった事をご承知と思います。貴会の運動は正にその民間交流でも貴重な大きな業績と思います。私たちの象徴は「撫順戦犯管理所」と場所こそ違いますが、「反戦平和・日中友好」の目的は同じであり頑張りたいと思います。
 手元には、その後の07年夏の東京新聞・羽田澄子さんの「友好の原点『記録に』」や昨
年10月の大類さんの「私の視点」、そして、先日お送り戴いた「聖教新聞」掲載の大類さ
んの記事などを大事に保存してあります。
 憎しみを超えることや、加害を赦すことば容易なことではありません。しかし、「噌しみから平和は生まれない」ことを周恩来は実証したと思います。
 貴会のホームベージ『星大方正~燎原の火は方正から~』も拝見しております。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

2010年

 

「赦しの中国を訪ねて」(「9条連ニュース」10・9月号)

 

 『9条連ニュース』188号で紹介された羽田澄子監督の『嗚呼満蒙開拓団』は、私も観ました。
 私たち(撫順の奇蹟を受げ継ぐ会)は今年6月、「撫順戦犯管理所60周年式典」に参加した時、この「方正地区日本人公墓」にも献花し黙祷を捧げてきました。末だ日中国交回復前の63念年、困難な社会状況の中で、中国人民の土地を奪った憎き日本人開拓団4500名の犠牲者の為に、中国政府が建立してくれだ公墓です。文革の時も現地の皆さんと周恩来の「日本軍の墓ではない。同じ戦争犠牲者であり破壊してはならない」と守られました。
 この隣には集団自決の 「麻山地区日本人公墓」が、そして、残留孤児が建立した「中国養父母公墓」が在ります。更に戦後、岩手県沢内村の藤原長作さんがこの土地で稲作指導をし収穫が何倍にもなったと、現地で神様のように尊敬されていた「藤原長作記念碑」も在りました。
 この一角は柵で囲まれ「中日友好園林」として、現地の皆さんと中国政府から年50万元の支出により綺麗に管理されていました。「撫順戦犯管理所」と共に中国人の「赦しと寛大措置、日中友好」の原点の場所と私は思っています。

 

2011年

 

「硫黄島の遺骨収容 国の責任で実施を」(11.1.17・読売新聞「気流」)


 政府は太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島で戦死した元日本兵の遺骨収容事業を加速させるため、入島制限を緩和し、民間ボランティアを公募する方針という。
 しかし、なぜ、ボランティアなのだろうか。国のために戦って亡くなったことを考えれば、国の責務として行うのが当然ではないのか。
 応募者の善意を否定するつもりはないが、それに頼ることは間違いだ。国は事業予算を増額しているものの、自覚の欠如と責任放棄と言わざるを得ない。
 硫黄島に限らず、戦死者の遺骨収集は国の責任で進めるべきである。特に、南方の戦地で亡くなった人の多くは、補給路を断たれたことによる餓死だったという。
 一日も早く故郷の家族の元に持ち帰ってほしい。

 

「自衛官自殺責任感じよ」(11.2.4・東京新聞「発言」)

 

 護衛艦「たちかぜ」に勤務していた自衛官が、名指しで非難した「遺書」を残し自殺した損害賠償訴訟で1月26日、横浜地裁が先輩のイジメとの因果関係を認めながらも「自殺は予見できなかった」と請求(1億3000万円)の一部440万円の支払いを国と先輩隊員に命じた。
 エアーガンで撃つなど暴行や恐喝行為を上官が放置黙認したことは重大であり、自殺を予見できなければ「見て見ぬ振り」を許すのか。特に船の中は狭くストレスがたまりやすく、また、逆にイジメられる側は逃げ場がないのである。
 「国のため」にと働いていた若干21歳の若者を死に追いやったのは上官・国の責任である。杉本正彦海上幕僚長の「判決文を見ておらず、現時点ではコメントは差し控える」と型どおりの人ごと発言にすごい憤りを覚える。
 10万人当たりの自殺者は一般公務員に比べ、自衛官は1.5倍の33人だという。政府はこの事実を本気で考えるべきである。

 

「初めて訪ねた『方正地区日本人公墓』」(方正友好交流の会・会報「星火方正」12号)

 

  昨午 (2010年)6月、私たち『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』は日中友好協会、紫金草合唱団、中国山地教育を支援する会などを含め、100名程の団を組み「撫順戦犯管理所60周年記念式典」に参加してきました。
  ご存じの方も多いかと思いますが、戦後シベリアに捕虜として収容され捕虜の中から、969名が1950年に旧ソ連から独立後の中国に「戦犯」として引き渡され「撫順戦犯管理所」に収容されました。もともと此処は中国人を収容するために日本が建てた監獄で溥儀も此処に収容されていました。

  収容された彼らは主に59師団で戦時中に、殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くしの、所謂 「三光作戦」処か、強姦や生体解剖、中国人の強制連行や人間地雷探知機に使うなど、聖戦、討伐の名の下にあらゆる虐殺加害を行って来ました。
  しかし、周恩来は 「制裁や復習では憎しみの連鎖は切れない。20午後には解る」と一切の制裁も復習も認めず、暴力も罵倒もしてはならないと徹底しました。彼らは当初「なぜ俺たちが戦犯!」と反抗していましたが、中国人が1日2食のコウリャン飯しか食べられない状況の中で、戦犯たちには白米を食べさせ肉野菜を十分与えられました。
  しかし、それでも彼らは余ったご飯を捨てたり、余りのご飯をこねて囲碁や麻雀牌などを作り遊んでいても「考えて下さい」と言われるだけでした。

  そんな中で彼らは徐々に過去を振り返り「認罪」を深め鬼から人間に戻り、56年の特別軍事法廷で45人を除き 「起訴免除」とされ帰国を許されました。判決には死刑も無期なく、起訴された45人もシベリアと管理所の収容期間を刑期に参入され満期前に帰国を許されました。
  彼らは帰国後 「中国帰還者連絡会 (中帰連)」を組織し、高齢のため2002年の解散まで自らの体験や加害を証言しながら反戦平和と日中友好を訴え続けました。「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」はその意志を受け継ぎ運動しております。
 
 前置きが長くなりました。
 今回、私達の目的はその 「撫順戦犯管理所」の式典参加ですが、平頂山惨案記念館、ハルピン731も訪ね、また今回は皆様が交流を深めている「方正地区日本人公墓」も計画に入れました。
 以前からその存在は承知しておりましたが、私が訪ねるのは初めてで731に行くなら方正の 「日本人公墓」もセットで見るべきと思い実現した次第です。
  私たちは 「撫順戦犯管理所」と「中帰連」に拘って平和運動を続けておりますが、管理所の近くに加害現場の 「平頂山惨案記念館」が在ることはご承知の通りで、必ずこの双方を訪ねております。
  同様に加害の現場である731を訪ねたら、その対比として赦しの 「方正地区日本人公墓」を訪ねるべきだと思っています。農民の命である農地を奪った憎き日本人開拓民のために、国交回復前のまだ貧しかった中国の皆さんがどんなにか苦労され、あの 「日本人公募」を建てて下さったかことか、日本人は知る義務があります。
  その 「中日友好園林」は柵に囲まれ綺麗に整備管理されていましたことに、現地の皆様に心からの感謝を申し上げる思いでした。私達は同行者の一人である僧侶に読経をあげて戴き、花とお線香を手向け全員で黙祷を捧げました。文革時代には破壊されそうになり、周恩来の「同じ戦争の犠牲者」との言葉と現地の皆様の努力で破壊されず済んだとのことにも感謝の思いででいっぱいです。
  開拓団の皆様はこんな遠い所でどんなにか辛く悲しかった事かと思います。まさに開拓民も周恩来の言う通り「日本軍国主義者の犠牲」だったのです。隣には集団自決の「麻山地区日本人公墓」が、そして、開拓民を大事にして遺児を育てて下さった 「中国養父母公墓」も在り、更に戦後、現地で稲作指導に当たり収穫を倍増させ現地で神様のように尊敬されていた、岩手県沢内村出身の 「藤原長作記念碑」とその展示館も在りました。
  此処は正に日中友好の場であり撫順戦犯管理所と共に、日本人加害者への赦しの原点の場であると思います。ハルピン市街から約180キロ、731から「立寄る」という距離ではありませんが、皆きん「行って良かった!」と感動していました。
  参加音の中には羽田澄子監督の「鳴呼満蒙開拓団」を観た人もいましたが、ここに来て初めてこの事実を知った人も少なくなく、皆さん心から感動していました。私達もこの 「方正」の過去を知ってもらう努力をしたいと思います。
  過日、在中日本大使も現地を訪れたとの事でしたが、あの低い高速道路の通過は日本政府の援助で 「バス」が通れるようにして欲しいものです。
  此からも隣国の中国との「友好親善」に少しでも努力を続けたいと思っています。
 今後とも宜しくお願い申し上げます。

    (せりざわ・のぶお:撫順の奇蹟を受け継ぐ会・事務局次長、NPO・中帰連平和記念館・事務局) 

 

【2013年】

 

◆「石破幹事長戦争に無知」(2013.8.10東京新聞「発言」)

 

 国を守ることに誰も反対しないだろう。しかし、平和は軍事力ではなく外交で守る考えが「日本国憲法」の趣旨である。
 しかし、自民党は憲法9条を改定し「自衛隊は国防軍に」と訴える。さらに石破幹事長は、軍だけの裁判所である戦時中の「軍法会議」を 「審判所」と名前を変え設置したいとテレビ番組で持論を展開したという。
 氏は国家の独立を守るには命令厳守のため重罰が必要で、しかも法廷は「非公開」というが、戦争に実態を知らなすぎる。
 あの731部隊の生体解剖も、あの中国での日本軍の放火や略奪、初年兵が的代わりに中国人を突き刺した「実的刺突」訓練も命令であったことを知っているのか。
 軍隊は戦争で勝つことしか考えず、いかにしたら平和を維持するかなど考えない組織・団体である。その戦争に勝つためにはいかなる手段も使う。
 それは日本への原爆投下、 ベトナム戦争の枯葉剤、イラクへの劣化ウラン弾などが証明している。そして、戦争は満鉄爆破(満州事変)、トンキン湾事件、大量破壊兵器などと、私から見ると〝ウソとデッチアゲ〟で始まったのである。

 

「毒ガスは悪くて原爆なら」(2013.9.20『週刊金曜日』)
                                       
 オバマ大統領はシリア政府が「毒ガスを使った」と、安保理合意がなくてもシリアに派兵したいという。何故なら「毒ガスは人権に反する」からと言うが、「原爆」なら良かったのか自分勝手過ぎないか。
 いうまでもなくその原因は日本が「侵略戦争」を始めた事にあり、日本が開しなかったら原爆は落ちなかった。しかし、米国の「戦争終結を早めるため」との反論は決して受け入れられない。
 すでに日本の敗戦は目に見えており、1945年2月の段階で、近衛文麿さえ天皇に「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候・・・・・」と天皇に上奏しているのであり、「戦争終結を早めるため」との理由は到底受け入れられない。日本への原爆投下は明らかに「実験」だったのであり、戦後いち早く米国が設置した「ABCC」(原爆障害調査委員会)は何の治療ももせず731の生体実験同様「資料(データー)」だけ持ち去ったのである。
 そして、広島、長崎の「きのこ子雲」の下で、何万人もの人がどれだけ苦しんだか知っているのか。オバマ大統領の「人権」が呆れる。
 英国議会がシリア派兵を否決すると、オバマ大統領は人権から「国益」に変わった。それが本音であろう。イラン。イラク戦争では「フセイン大統領」を支持し、ソ連のアフガン侵攻では「アルカイダ」を支持し、イラクの大量破壊兵器もベトナム戦争のトンキン湾事件も「デッチアゲ」で開戦したのである。 無人機で偵察や攻撃できる国に対し「宣戦布告布告」して闘う国はなく、米国の身勝手がテロを呼ぶのである。

 

『非人道的すぎるロボット兵器』(2013.10.2・朝日新聞「声」)

 

 NHKの報道番組「クローズアップ現代」で、ロボット兵器なるものが開発されていることを知り、大きなショックを受けた。

 パキスタンなどで「テロリスト」を殺す米国の無人攻撃機は米本土で遠隔操作されているという。モニターを見ながら攻撃する兵士はまさにゲーム感覚だ。さらに、人の意思が介在せず自律的に人を殺すロボット兵器も開発される可能性がある。倫理も人権も無関係に、人間がロボットに殺される時代が来つつある。

 問題は、ロボット兵器開発の先頭に立つのが米国であることだ。米国は侵略を受けずとも世界中で戦争をする。イラクでは大量破壊兵器の十分な証拠がないのに戦争を始め、ベトナムへは「攻撃を受けた」とうそを言って侵略した。今は「テロ」に疑心暗鬼になっていて、新兵器をどこで使うかわかったものではない。

 平和は非人道的な軍事力によってではなく、外交と信頼で守るべきである。

 

『権力の違法で隠すな』(2013.11.8・東京新聞「発言」)

 

 1付特報面「秘密保護法に隠れた狙い」を読んだ。安倍晋三首相は「特定秘密保護法案」を国会に提出し、「国家安全保障会議(NSC)」を設置するというが、その米NSCが何をしているのか、元CIA職員スノーデン氏やドイツのメルケル首相の携帯盗聴でも明らかになった。

 権力は国益だけではなく、権力の維持のためにも違法を含めあらゆる手段を使い情報収集や、それに抵抗する組織や個人を弾圧し市民の耳目をふさぎ、「知る権利」を侵すことは歴史が証明している。

 今も検察は不利な証拠を隠し、官憲は麻薬・覚醒剤などに限り電話盗聴(傍受)を認められているが、警察庁や警視庁にその件数や内容などを聞いたが、「答えられない」の一点張り。盗聴されていることが分からないのに、わざわざ「貴方の電話を傍受しました」などと報告することはありえず、令状や立ち会いは形だけで、何を盗聴しているか確認できない。

 違法盗聴は記事にあるように共産党の緒方靖夫国際部長(当時)の事件でも証明され、このような権力の違法秘密を守るのが「特定秘密保護法案」の目的であり、それは治安維持法の時代への道だ

 

「平和な日本を遺す義務ある」(2014.9.20『東京新聞』発言)

 

 小生は倉本聰さんのドラマ「北の国から」の大ファンだった。15日付一面の記事で、倉本さんの父上が戦時中、教会の月報に投稿で「戦争は罪悪である」と書き、当時の牧師が特高警察に呼び出されたことを知り「この親にしてこの子あり」と思った。
 真宗大谷派の僧侶、竹中彰元も戦時中に同じ発言で特高に逮捕され最下位の僧侶に格下げされた。同派は過去を反省して2007年10月、「竹中彰元復権顕彰大会」を開き謝罪し竹中の名誉を回復し、「平和集会」も毎春開いている。
 今も役所などで政治性を理由に市民の投稿や言論集会を規制する動きが問題になっている。集団的自衛権、武器輸出解禁などが進む中で再びあの悲劇を繰り返さないために、大人には孫たちへ、平和な日本を遺す義務がある。

 

「知っていますか、周恩来の寛大政策」(「自然と人間」2014.11月号)

 

 11月号本欄、倉垣さんの『撫順戦犯管理所を見て』を拝読しました。

 戦後、昭和天皇も中国人をマルタ(丸太)と称し3000人余もの中国人を殺害した731

部隊の石井四郎もの責任は、戦70年を向かえようとしている現在も問われていません。いまだにこの国は戦争のケジメがついていないばかりか、過去の侵略や加害を反省処か隠蔽し否定さえしようとしえいます。

 ところか犠牲者2000万人とも言われる犠牲者を出した中国は「賠償請求権」を放棄しました。。それだけではなく、東京裁判の他にアジア各地でB、C戦犯約1000人が処刑された中で、1956年の中国に特別銀地放映ででは撫順戦犯管理所と太原戦犯管理所に収容された1100余認余りの戦犯音の一人の死刑も認めませんでした。起訴されたのは軍・政府高官の45人だけで他全員は起訴免除とされています。

 これは当時の周恩来が「制裁や復讐では憎しみの連鎖は切れない」と判決文を3回も書き直させたからですこのことをだけの日本人が知っているでしょうか。起訴された45人もシベリアの5年と管理所の6年を刑期に参入され刑期満期前に帰国ししているのです。

この事実は、軍事力ではなく、互いの信頼関係こそ国際平和を守る道だと教えています。

 

【2015年】

 

『メディアはフリーカメラマンを頼っているのに』(「自然と人間」2015/4月号)

 

 先日シリアへの渡航を計画していたフリーカメラマンのパスポートを外務省が取り上

げた。彼は遊びに行くのではなく情報収集のためであり政府は「知る権利」を侵したの

である。

 政府はその理由を「危険だから」と言うが、大手メディアは彼らの情報に頼ってるのが現実である。彼らは自分の判断で行動するのであり国にその判断の権利はない。それなら赤紙で戦地へ追いやった処か、特攻で突っ込ました責任を誰が取ったのか。否「戦死は立派」と称え、その責任回避のために靖国を利用してきたのである。

 国家が危険に追いやることは褒められ、個人判断で行くことは悪であり何かあれば「自業自得」なのか。それは個より公を優先させた価値観であり間違っている。そんな事を認めれば政府の都合悪い情報収集を何時でも止めるこも出来る。

 

『被害者が加害者を赦した歴史~撫順戦犯管理所と中帰連平和記念館』(「社会評論」1015年夏号)

 

 シベリアから中国へ

  敗戦後、シベリアに六十万人が捕虜として抑留され、炭坑や森林伐採、鉄道建設などの強制労働と、栄養失調や寒さで約六万人が犠牲になったと言われている。その中から九六九人が抑留五年後の一九五〇年、旧ソ連から独立間もない中国に「戦犯」として引き渡された。その収容先が「撫順戦犯管理所」であった。そこはかつて日本が中国人収容のため造った撫順監獄である。(一部の「戦犯」は山西省「太原戦犯管理所」にも収容されていた)

 「戦犯」たちは、シベリア各地から「ダモイ(帰国)」と騙され、トイレもない三段になった貨車に詰め込まれた。

  その貨車が着いた先がソ満国境の綏芬河(すいふんが)で五十年七月十八日だった。中国側で待機していたのは貨車ではなく客車であり、暖かい食事が用意され、医師と看護婦が乗り込み「戦犯」の体調まで気を配った。その待遇の違いに彼らは愕然とした。しかし、列車は西に進み日本へは向かわなかった。

 列車は七月二十一日早朝三時「撫順城駅」に着き、管理所まで行進する「戦犯」たちの両側を、八路軍の兵士が銃を隊列の「外側」に向け警備していた。それは彼らを中国人からの暴行から護るための極秘行動だった。

 

 戦犯たちの戦争体験

 「戦犯」たちはどんな戦争体験をしたのだろうか。中国の日本軍は初年兵教育の仕上げに、的の代わりに中国人を杭に縛り付け突き殺す「実的刺突」をさせた。殆どの人が最初の殺害はその恐怖から手足が震え、なかなかうまく突けなかったことを鮮明に記憶している。そして、上官から「そんな事で戦争が出来るか!」と叱責された。しかし、人殺しも何人かするうちに慣れてきて平気になる。彼らは『戦争は人間を人間でなくす』と言っている。

 日本軍の補給の多くは「現地調達」つまり略奪であった。日本軍が集落に入る前に住民が逃げ出し、彼らは空になった民家に放火した。そして家具は「たき火」代わりに燃した。

 日本軍は中国各地で「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くし」を実行し、これを中国側は「三光作戦」と名付けた。つまり、日本軍に「三光作戦」という作戦があった訳ではない。(右翼はこれを以て「三光作戦などなかった」と主張している。)

「生体解剖」も石井四郎の「哈爾浜・七三一部隊(関東軍防疫給水部)」だけではない。山西省の?安陸軍病院で軍医中尉だった湯浅謙(敬称略以降同じ)は、自ら七~八回に渡って十数人の中国人の「生体解剖」に立ち会っており、「生体解剖は七三一部隊だけでなく、何処の野戦病院でもやっていた」と証言している。河南省の一一七師団野戦病院の軍医中尉野田実も自らの生体解剖を証言している。

 二〇〇〇年に従軍慰安婦問題を裁いた国際民間法廷『女性国際戦犯法廷』で加害証言(NHKがカットして放送)をした金子安次は「強姦させない」と怒った上官に「金子、足を持て」と言われ、上官と一緒に中国人女性を井戸に投げ落としている。更に、その幼子が母を追い井戸に飛び込んだ後、金子は上官の命令でその井戸に手榴弾を投げ込んだことを証言している。

 またチチハルの憲兵だった土屋芳雄は一九一七人を逮捕し三二八人をスパイ容疑で直接間接的に裁判も経ないまま「厳重処分」の名の下に殺害し、七三一部隊に送ったことを証言している。同じ憲兵だった三尾豊も生体解剖の実験材料として「マルタ(丸太)」と呼んだ中国人を拷問し「特移扱」(七三一に送る隠語)として四人を七三一部隊に送り込んだ。土屋と三尾は戦後、遺族の一部を探し出し直接謝罪している。

 しかし、これらの人たちは決して特別ではなく、同じ部隊や同じ場所に居た人たちはほぼ同じ体験をしている筈だ。当時、中国人は人間扱いされず「チャンコロ」と呼ばれていた。畑仕事の男性を捕まえ労役に給した。小山一郎は「ウサギ狩り(強制連行)」と称していたそれに自から参加したことを証言している。

 

 管理所の人道的待遇

 「戦犯」たちは管理所で十五、六人ずつ鍵を掛けられた部屋に収容された。壁に貼ってあった「戦犯監房規則」に反抗し、我々は上官の命令に従っただけで「捕虜であり、戦犯ではない」と抗議した。管理所はその訴えを聞き入れ「戦犯」の表記を外した。しかし、戦犯であることを否定した訳ではなかった。

 当初、彼らは反抗していたが、管理所は何の強制もせず逆に彼らの「白米を食べさせろ」との要求さえも受け入れた。中国人がコウリャン飯を一日二食しか食べられない状況下で、当時の中国人数家族分の食糧が戦犯一人に与えられ、それを、彼らは「最後の晩餐」に違いないとさえ思った。

 これは、周恩来の『戦犯といえども人間であり、日本人の習慣と人道を守れ』との指示があったからだ。しかし当然、看守たちは不本意であり、アルマイとの食器を蹴飛ばして運んだりしていた。しかし、周恩来は『制裁や復讐では憎しみの連鎖は切れない。二十年後には解る』と看守たちを諭し教育した。

 その人道的扱いは何時になっても変わらなかった。しかし、「戦犯」たちは余ったご飯で麻雀牌を作ったり、将棋の駒や、歯磨き粉と油煙を混ぜて碁石を作ったりと何の反省もなく遊びほうけていたのだ。それでも「私たちは白米を食べられないのです。良く考えて下さい」と看守に言われるだけで叱責されることはなかった。

 

 苦しい認罪への道

 看守の態度が変わると彼らも反抗的ではなくなり、徐々に信頼関係ができ過去を振り返ることが始まった。部屋の鍵も外され仲間同士の交流もできるようになった。しかし、過去を振り返るのは容易ではなく、それは自ら加害の事実と「責任と罪」を認めなくてはならないことだったからだ。頑として認めない人、反省する人などそれぞれで、「お前がそんな事を言えば俺の立場はどうなる!」などと、喧々がくがくの議論が始まる。時には部下が元上官に「○○と言ったでしょう!」と詰め寄る場面もあった。しかし、それを認めることは怖く処刑さえ覚悟する必要があった。

 その恐怖から精神を患い便所のクレゾールを飲み自死した「戦犯」もいた。また便槽に飛び込み自殺を図ったものもいた。その時、看守が便槽に飛び込んで引き上げ、マウスツーマウスで糞尿を吸い出している現場を鈴木良雄らが見ていた。しかし、残念ながら亡くなったとのことだ。鈴木は前記の金子安次と共に「加害証言」をしたが、梅毒に罹り、当時、高価で入手困難なペニシリンを管理所で連日打ってもらい全快し、そのことを「命の恩人」と感謝していた。

 管理所は決して強制はせず「過去を思い出して下さい」と言うだけで、反省する者には寛大措置を、反省のない者には罰が待つと伝えていた。

 

 鬼から人間へ

 彼らは徐々に反省し最初は「担白(自白)した方が有利のようだ」と算盤勘定で針小棒大に言うと、嘘をついたり大げさに言ったり隠したりせず「事実を正直に」書くように諭された。次には事実は認めるが「上官の命令で自分はそんなに悪くない」と考える。しかし「それで被害者が納得しますか?」と問われる。そして、最後には虐殺した中国人を自分自身や自分の家族に置き換え認罪し、「鬼から人間に戻してくれた」と管理所の六年に感謝するようになった。ここに達するまでに約四年という歳月が必要だった。

 ある日、全員の前で三九師団二三二連隊の中隊長宮崎弘が住民の拷問・虐殺などを涙ながらに全て暴露し、「如何なる厳重な処罰をも受け入れる覚悟です」と発言し、彼らに大きなショックを与えた。彼らはそれをキッカケに積極的に過去を振り返るようになったが、やはり高級将校ほど反省は進まず後になった。

 やがて彼らはスポーツやブラスバンドなどの部活を始めたが、その楽器や道具は全て管理所が揃えてくれた。そして「体が生ってしまう」と瓦生産を始めた者もいたが、これも強制ではなかった。

 

 赦された戦犯たち

  1956年年10月に中国・紅十字会の李徳全女史の来日で初めて名簿が発表され、留守家族に戦犯たちの生存が確認され交流も出来るようになった。そして、56年6月から8月にかけ三回に分け千四百人の中国人被害者家族などが傍聴するなか、瀋陽で「特別軍事法廷」が開かれた。その判決には一人の「無期も死刑」もなく千六十九名の戦犯のうち起訴されたのは政府・軍高官の僅か四五人だけで、他全員が「起訴免除」だった。傍聴席からは「そんなバカなことがあるか!」と怒号が飛んだが、裁判長は木槌を叩き「これは上部からの命令であり、死刑にしてはならないのである」と宣言した。「判決原案」には死刑や無期もあったが、周恩来がそれを認めず三回も書き直しを命じた結果であった。偽満州国官僚トップの国務院総務長官の武部六蔵は、病のため病室で「禁固二十年」の判を言い渡された直後、「病のため直ちに釈放」と伝えられ、ベッドで号泣している写真がある。

 中国が「賠償請求権」を放棄したことは知られているが、一番被害の大きい中国が加害者を赦し「一人の無期も死刑も認めなかった」歴史の事実をどれだけの日本人が知っているだろうか。東京裁判の他、アジア各地でB、C級戦犯約一千人が処刑されている。周恩来は「信頼関係」を築くことで平和を維持することを信じたかったのである。上意下達が絶対の国ゆえ出来たことでもあり、また、独立直後の「国策」でもあったに違いないが、間違った判断ではなかったと思う。

 起訴された四五人は禁固八~二十年だったが、シベリアの五年と戦犯管理所の六年の計十一年が刑期に参入され、殆どが刑期満了前に帰国を許され、三回に分け六四年四月迄に全員帰国した。帰国に際して中国から新しい服に靴や毛布、そして現金五十元まで貰いそのお金でお土産まで買って帰国したのだ。しかし、帰国した舞鶴で政府から軍服を支給された彼らは「これを着て再び戦えというのか!」と怒り、見舞金一万円の低さにも抗議しその金額の引上げも実現している。

 

 「中帰連」立ち上げとその後の活動

 しかし、帰国すると彼らには「アカ、洗脳者、大陸帰り」など偏見とレッテルを貼られ常に公安警察が付きまとい、多くの人たちは就職が困難であった。また、帰」国すると既に葬儀を済ませ妻が再婚している悲劇もあり、家庭を壊さないようそっと去って行った人たちも居た。

 彼らは帰国後まだ生活さえままならない中で、帰国翌年の五七年九月に「中帰連」を立ち上げ、八八年十月には六八〇万円を集め撫順戦犯管理所に立派な『謝罪碑』を建立した。そして高齢のため二〇〇二年四月に解散するまで、自らの加害・虐殺や戦争体験を証言しながら「反戦平和と日中友好」を願い運動を続けたのである。

 そして、「中帰連」の思いを理解・支持する若者や、中帰連の「賛助会員」などが中心になり中帰連解散の翌日に『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』を立ちあげて運動を受け継いでいる。また、中帰連の「資料散逸」を防ぐために、〇六年に川越に『中帰連平和記念館』を立ち上げ、現在NPO法人として活動している。記念館には中帰連関連資料の他に一般の戦争関連図書や映像なども保存している。起訴された四五人の「供述書」コピーや「戦犯」たちが当時管理所で書いた「手記」原本、自費出版本など貴重な資料を保存している。また都立大学総長だった故山住正己の蔵書も「山住文庫」として寄贈されている。

 世界各地で三年に一回開催される『国際平和博物館会議』が昨年九月に韓国・ノグンリで開催され、松村髙夫理事長(慶応大学名誉教授)の発表が高く評価された。また国内の『平和博物館ネット』などにも参加している。

 記念館では内外の学者・研究者、NHKなど各メディアなどにも資料提供し、プロジェクターで映像を視ることも可能だ。狭い館内であるが紙や映像資料だけでなく、パネルや物の「展示」なども現在検討中だ。会員以外にも呼びかけ定期的に「勉強会、研究会、講演会」なども開催し、ホームページやメーリングリストも開設している。

 

  結び

 安倍政権は特定秘密保護法の強行採決で市民の耳目を塞ぎ、更に、集団的自衛権の閣議決定、文民統制の排除、外国船への臨検強行、米軍以外への後方支援や武器弾薬も運ぶと暴走している。

 中国が賠償請求権を放棄し、特別軍事法廷で死刑も無期も認めなかった事は、日本が『侵略・加害を認め反省する』という前提・約束で赦された事を忘れてはならない。それ無くして日中友好はあり得ず、私たちはその加害と責任をキチント認め原点に立ち返るために努力を続けたい。

 私たちは周恩来の「信頼関係を築き平和を守る」思いを理解し、憲法前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し』を信じ平和を守って行きたいと思う。そのためにはこの歴史の事実を伝え続けなくてはらない。ヴァイツゼッカー元独大統領の『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる』との有名な言葉があるが、中国にも『前事不忘 後事之師』という全く同じ諺がある。私たちはこの言葉をシッカリ噛みしめたいと思 う。 (「NPO・中帰連平和記念館」事務局長・理事 芹沢昇雄)

 

【「尖閣問題」の原因は日本にある】(「週刊金曜日」8.23号)

 

 8月14日、 フジテレビ放映の『みんなのニュース』を視た。テーマは「戦後70年に考えるニッポンの過去と未来」で、村山富市元首相(中継参加)や石原慎太郎元東京都知事、100歳のジャーナリストむのたけじ氏らが出演した。

 日本暮らし30年という宋文州(中国出身、経済評論家)は番組でこう指摘した。「戦争したい国はないが戦争したい人がいるんです」

 以前、石原氏が某カメラの前で「野望は支那と戦争して勝つこと」と話した場面を見たという宋氏は「石原先生と村山先生の違いは戦争に行ったか行かなかったか」、「戦争をしたい(という)人間は(自分は)戦争に行かないんです」などと批判した。石原氏は「尖閣問題」で論点ずらしを図ったが、むの氏は「行け行け、石原、戦争やってこい」と突き放した。

 主に安保族は中国の「領海侵犯」を煽るが、これは法律用語ではない。そもそも近年の中国と日本のギクシャクは、先に日本が尖閣を「国有化」したことが発端だ。石原氏がそのキッカケを作った張本人だ。領土を何処に登記するかは日本の自由だが、外交では「相手の立場」を考える必要がある。

 2012年9月9日、ロシアのウラジオストクで開催された太平洋経済協力(APEC)首脳会議で胡錦濤国家主席(当時)はは野田佳彦首相(当時)に「魚釣島は中国固有の領土」とと伝えた。野田首相はこれを無視する形で尖閣国有化を宣言し(10日)閣議決定(11日)した。胡氏の顔は丸つぶれ、トラブルが生じるのも無理はない。

 第二次世界大戦の中国の犠牲者は約2000万人とも言われる。話半分でも1000万人、日本人の死者(310万人)の凌駕する数だ。それだけの罪のない人たちが殺害された。しかし、1956年の特別軍事法廷で中国は起訴された1062人の日本人戦犯に一人の無期も死刑も認めなかった(有罪45人)。周恩来氏が「制裁や復讐では憎しみの連鎖は切れない」として、判決原案を4回も書き直させた背景がある。周氏は日本の立場を考え、賠償請求権も放棄し、「信頼関係で平和を維持したい」と希望を託したのではなかったのか。そうした配慮を踏みにじろうとしているのが、日本である。

 

【2016年】

 

『前事不忘 後事之師』(9条連結成20年記念誌)

 

 この国は侵略戦争を聖戦と撤退を転戦と、敗戦を終戦と、占領軍を駐留軍と言い換え、今また社会科を公民と、修身を道徳と言い換え、武器輸出は防衛装備移転だというがもう騙されない。

 私(74歳)は民主主義とはとわ「少数意見を尊重すること」と習った。つまり小数や弱い立場の意見を少しでも取り入れるということである。しかし、安倍首相は多数を握った与党だけの代表と思っている。多くの市民が反対した特定秘密保護法を強行可決し、自民党自身が違憲としてきた集団的自衛権の憲法判断も閣議決定で済むという。そうし、周辺事態から周辺を削除し米軍以外の外国軍への協力のため自衛隊は世界中に飛んで行き、武器弾薬も運ぶというが、憲法はどこへ行ってしまったのか。9条には『陸海軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない』とあり、前文には『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した』とあり、子供たちにこの憲法をどう教えるのか。

 安倍首相は自衛だと言うが、大量破壊兵器があると始めたイラク戦争も、トンキン事件のデッチアゲで始めたベトナム戦争も自衛であり、日本の日中戦争も太平洋戦争も自衛だったのだ。ヴァイツゼッカー独元大統領の『過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる』の演説は世界中から喝采を浴び、中国にも『前事不忘 後事之師』という言葉があり、過去の歴史から学ばなければまた同じ間違いを犯す。

 

『戦争加担だめ科学者自壊を』(2016.6.22・東京新聞「発言」)

 

 日本学術会議は自衛目的の軍事研究wすることの是非などを検討する委員会を設置したことについて、731部隊による生体実験などを検証してきた「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」の学者らが8日、反対声明を出したことを評価したい。

 『

 最近の戦争は「自衛」の名の下におコン行われ「侵略」とは公言しない。安倍晋三首相も武器輸出を「防衛装備移転」と言い換えた。原爆の父と言われるオッペンハイマーは「科学者は罪を知った」と原爆投下を悔やんでいた。原爆もダイナマイトも戦争抑止ではなっく、戦争ののもにに使われたのだ。

 科学者らは「良心」に従って戦争に加担してはなrない。戦争は、メディア、映画、宗教まで総動員したのである。

 

 2017年

 

『日本政府よ恥を知れ』(2017.1.20・「週刊金曜日」)

 韓国・釜山の日本総領事館前に地元市民団体が少女像を再設置したことに、日本政府は大使や領事の一時的帰国など対抗措置を発動したが、なぜこの状況が発生するか考えるべきだ。

 日本政府は日韓合意で「最終的かつ非可逆逆的合意」と10億円を支払い、問題は解決済みとし、しかしこれらは措置は謝罪でも補償金でもないとの姿勢がお貫こうとした。さらに少女像撤去も求めたが、これらの姿勢が受け入れられないのは当然である。韓国人々はお金が目的ではなく心からの「反省と謝罪」を求めているのではないか。

 安倍晋三首相は過去の侵略・加害・虐殺の歴史に「後世に謝罪させたくない」としているが、史実を忘れず「教訓」として生かすため、後世に伝え続ける義務があろう。しかし、日本政府は「謝りたくない」のだろ。教科書からは日本軍「慰安婦」も「南京大虐殺も消えつつある。

 ブラント西ドイツ首相(当時)は、ワルシャワゲットー跡地でひざまづき謝罪した。ブランデンブルグ門近くの2万平方メートルの広場に連邦議会の構想から17年かけて2711基もの「石碑(石棺)」を設置した。また犠牲の氏名なを記した1万個余りの「躓きの石(プレート)」を、かつてそこに住んでいた犠牲者の家の前の道路に埋め込んである。この事実を安倍首相は知っているか。 日本政府は過去を忘れないために何をしているか。何もしていないのではないか。

 ドイツのヴァイツゼッカー元大統領は過去を忘れる者は現在も見つめることができない、との旨の発言をし、中国にも同じ「前事不忘 後事之師」の諺がある。過去を振り向かず蓋をしようとする日本政府に対し私は「恥をしれ!」と言いたい。

 

『歴史的な事実忘れぬ努力を』(2017.1.27・東京新聞「発言」)

 

 19日付「慰安婦問題の再燃は当然だ」に同感である。筆者指摘の通り「金を出したのだからこれで決着」との態度は、何の反省も謝罪もなくまさに「傲慢」そのものである。 彼らは金の上積みを要求しておらず、求めているのは「心からの反省と謝罪」であり、安倍首相にはまったくその気はない。逆に「戦後レジームからの脱却、未来志向、後世に謝らせたくない」など、過去の歴史の事実から目を背け「教訓」として生かす気などまったくないようだ。
 ドイツでは過去の歴史を忘れないために、ブランデンブルグ門の近くに2700基もの石
碑(石棺)を設置、虐殺されたユダヤ人の名などを記した「躓きの石」が、その人が住んでいた家近くの歩道に1万個以上も埋め込まれている。日本はどんな「忘れない努力」をしているか、過去のは触れず忘れさせようとさえしている。ワイツゼッカー元大統領は「過去をなかったことにはできない。過去を忘れる者は現在にも盲目となる」と言っている。

『民主的な社会公より私優先』(2017.4.7「東京新聞」発言)

 

3月31日付『私より公優先国を守る精神』に異論を述べる。私は反対に原則、公より私が優先する社会こそ民主国家だと思う。国は皇国、民は臣民、軍は皇軍、滅私奉公、・・・・国を守るため、否、国体護持のため敗戦が遅れどれだけの民が犠牲になったことか。否、あの戦争は侵略戦争であり、中国を始めアジアでは日本人犠牲者310万人の何倍もの犠牲を強いたが、その人たちには何の責任もなく日本は被害国ではなく加害国であった。

 「国を守るため」と思想も言論・表現の自由もなく、メディアは権力の宣伝機関とな

り嘘を流し、すべては天皇・国のためとどれだけ犠牲を強いたのか。敗戦で国がなくなっても我々は生きてきた。再び「国を守る」の言葉に騙されてはならない。あの戦争で日本軍は民を守ったか、開拓民を棄民し関東軍は真っ先に逃げ出し、沖縄は国体護持の時間稼ぎの犠牲にされたのである。

 

「北朝鮮は脅威か」([「週刊金曜日)17.6.30)

 日米両国や国連は「北朝鮮が脅威」だと制裁を強めているが、北朝鮮が非難されることはミサイル実験発射を国際機関に通告しなかったことだけである。どこの国も何回も実験
し武器を完成させているのである。
「核の脅威」とも言うが、米もインドもパキスタンも持っており、「俺は持って良いが
、お前は実験も持つことも許さない」というのは、子どもに聞いても不公平と答えるで
あろう。持って良いものなら誰が持ってもよく、悪いなら誰が持つことも許されないは
ずである。
 日本が核を持つ米を脅威と感じないのは信頼関係があるからであり、憲法前文には「
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意
した」と記してある。
 北朝鮮から見れば日本海への米原子力空母や自衛艦の派遣こそ脅威であろう。北朝鮮の軍隊は自国から一歩も出ていないのであり、一方で米軍や自衛隊は世界に派兵されている。
 かつての日本もデッチアゲの張作霖爆殺や満鉄爆破し満州国を否定され連盟を脱退、盧溝橋事件への制裁で石油や資源を止められ、戦争を始めたのである。そして、権力者は制裁では決して窮することはなく、どんなに自国民を犠牲にしても権力を維持するのである。
 沖縄戦の前に近衛文麿は天皇に敗戦を上奏したが、天皇は戦争継続を指示したのであ
り、その後、沖縄、東京大空襲、広島、長崎・・・など50万人以上の民の犠牲を強いて
天皇制が残ったのである。

 

 

『加 害 国 の立 場忘 れ ず』(「東京新聞」ミラー20179.15)


  8月26日付「非戦のために加害者の声を」に同感だ。戦争と言えば誰でも悲劇は訴えるが、原因や責任、ましてや加害を語ることは殆どなく、政府はふたをしようとさえしている。
 あの戦争で日本人犠牲者310万人と言われるが、侵略戦争を始めたのは日本。張作霖の爆殺も満鉄爆破も関東軍のヤラセであった。アジアで約2000万人が犠牲になったが、その皆さんには何の責任もない。中国や朝鮮からの強制連行や労働でも多くの犠牲を強いたのだ。
 中国では1000万人余が犠牲になり、その多くが一般市民であった。哈爾浜731部隊ではマルタ(丸太)と称した中国人3000人余りを生体解剖や実験で全員殺害した。また、中国人を「人間地雷探知機」として行軍の先を歩かせ、中国人を杭に縛り付け初年兵に突き殺させたという。
  自らの加害体験を証言してきた人たちがいる。戦後シベリアに5年間抑留された後、
中国に戦犯として引き渡され「撫順戦犯管理所」に6年間収容された人たちだ。彼らはその中で人道的に扱われ、鬼から人間に戻り、自らの加害・虐殺体験を告白・認めた1062人の戦犯たちだ。うち起訴されたのは僅か45人、しかも周恩来は一人の死刑も無期も認めず、シベリア5年と管理所6年の計11年が刑期に参入された。
 起訴免除で帰国した1957年、彼らは中国帰還者連絡会(中帰連)を立ち上げ、高齢で解散した2002年まで「三光作戦」など自らの加害・虐殺体験を証言した。日本は戦争の被害国か。「否」であり、加害国でもあったことを忘れてはならない。私たちはその「資料」の収集保存をしている。

『制 裁 では 解 決 し な い』(「週刊金曜日」2017.9.15)


 北朝鮮が水爆実験をし更なる制裁が必要と批判されているが、米国は水爆実験をしたことがないのか。米国は南太平洋で水爆実験をし第五福竜丸などが被害を受け、久保山さんがその犠牲になったのである。
 米国が核兵器を持ちながら他国には開発も実験も認めないのは子供に聞いても不公平だ。インドやパキスタンも持っている。北挑戦が批判されるのは事前に国際機関に通告し
なかったことけであり、北挑戦の軍隊は自国から一歩も出ておらず、北挑戦には日本海への米空母こそ脅威であろう。
 そして制裁では決して解決しないことは日本の歴史を見ても解る。当時、日本は世界から満州国を認められず批判され、国際連盟を脱退し石油などエネルギーや資源の輸入を止められ戦争を始めたのである。つまり窮鼠猫を噛むである。
 戦況が厳しくなるにつれ、国民の食料もなくお寺の鐘まで供出させ、原爆の時代に竹槍訓練をさせ、多くの兵士は餓死し一億玉砕とまで言って戦ったのである。そして残ったのはその戦争責任も取らず生き残った天皇と天皇制である。つまり制裁されいくら国民を犠牲にしても権力が残るのであり、制裁では解決せず、話あって信頼関係を築き民族自決を尊重すべきだ。
 仮装敵国が存在しなければ軍隊の必要性がなくなり困る人たちがいる。武器生産、輸出業者である。武器も無限に生産できず消費してもらわないと次の生産ができない。日本も戦後「朝鮮特需」で立ち上がったと言われている。景気回復には戦争を必要とする人たちがいる。阿部首相はその武器輸出をするというのだ。
【2018年】
『靖国嫌な人に強制はするな』(18.8.30「東京新聞」つながるオピニオン)
 23日本欄の投稿「戦争美化する靖国は廃止を」に私見を述べる。私も戦死の責任逃れに利用された靖国に反対だが、廃止は行き過ぎである。靖国を信じる人たちの自由で、A級戦犯を祭るのもその人たちの自由である。しかし、逆に嫌だという人(遺族)にまにまで強制的・一方的に祭ることは死者の利用であり信教の自由を侵す。宗教とは同じ価値観の仲間である。
 戦時中、靖国は軍が管理し宮司も軍人だった。戦死が「バカらしい犠牲」と思わせないために、軍人だけ特別扱いしたのである。空襲も原爆も開拓団も同じ命で同じ犠牲である。
 赤紙一枚で強制的に死に追いやったのは「命を捧げた」とは言わない。その反省から「政教分離」が生まれた。

 

【2019年】
『被害者が加害者を赦した歴史を知っていますか?』(2019.2.8「週刊金曜日」論争)
 本誌1月18日号の投書欄「『戦争体験』の継承とは」(土門寬治)を拝読し、若い学生さんが感心を持ってくれることを嬉しく思った。戦争と言えば誰でも「被害・悲劇」を訴える。この投書自体も原爆悲劇を考えるものであった。しかし、日本が侵略戦争を始めなかったら原爆は落ちなかった。戦争はその「原因と責任」も考えなくてはならない。
 あの戦争で日本人犠牲者310万人だが、中国では少なくみても1000万人、アシアでは2000万人余が犠牲を強いられ、その人たちには何の責任もなかった。
 中国では南京大虐殺や、731部隊における生体解剖・実験で3000人余が犠牲になり、また多くの女性を強姦輪姦し子供まで虐殺したのである。それでも中国は賠償請求権を放棄し、囚われたた1000人余りの戦犯も45人を除いて起訴免除とされ、起訴された45人も一人の無期も死刑にならなった。それは周恩来首相(当時)が死刑も無期もあった判決原案を認めず3回も書き直させた結果であった。さらに、シベリア抑留の5年と戦犯管理所の6年の計11年が刑期に参入され、多くが満期前に帰国している。この事実をどれだけの日本人が知っているだろか。
 ハルビン郊外180キロメートルの方正には、日本人開拓団犠牲者3000人余のために、中国政府が建立した「方正地区日本人公墓」もあるが、ほとんど知られていない。
 日中戦争は関東軍による張作霖の爆殺や満鉄爆破(満州事件)などのヤラセで始まり、ベトナム戦争もトンキン湾事件のヤラセで、イラク戦争も大量破兵器の嘘で始まっている。
 ドイツでは17年かけて税金で「ブランデンブルグ門」近くの2万平方メートルの土地に石棺を模したコンクリート2711基を設置したが、この地下は「展示館」になっている。またナチスによるユダヤ人犠牲者の「氏名、生年月日、死亡日」を記載した真鍮プレートを石に貼り付け、ドイツを中心に犠牲者の住んでいた家近くの歩道に15000個余りを埋め込み忘れない努力をしている。またブラント元首相は1970年12月7日、ワルシャワ「ゲットー」で跪き謝罪した。
 日本はどうか。花岡鉱山、足尾銅山など・・・日本各地で中国人や朝鮮人に強制連行・労働で多くの犠牲を強いたが、日本政府が建てた慰霊碑や謝罪碑が在るのか。日本政府は加害の歴史に蓋をしようとしている。独のヴァイツゼッカー元大統領の「過去を忘れる者は現在にも盲目となる」は有名だが、中国にも同じ「前事不忘 後事之師」の諺がある。 
 日本の同盟国だったドイツのヒットラーは自決し、イタリアのムッソリーニは射殺され、国旗も国歌も変えたが、日本では「天皇陛下負けてご免なさい」と一億総懺悔という言葉さえ使われた。この国は戦争責任のケジメをつけなかった。
『被害者が加害者を赦した歴史を忘れない』1
                             (アウシュブッ平和資料館「会報」)
  ① 日本軍は中国で何をしたのか?
 日本と中国との歴史を振り返るとき、実際にその歴史の中を生き抜いてこられた方々の証言に勝る事実はありません。そうした方々が戦後、日本で設立した組織があります。その一つが「中国帰還者連絡会」(以下、中帰連)です。中帰連の皆さんは戦後シベリアに5年間抑留された後、1950年に戦犯として中国に引き渡され、6年間「撫順戦犯管理所」に収容された969の方々が中心となっています。その中帰連(旧日本軍)は中国で何をしてきたのでしょうか?
 日中戦争は、太平洋戦争前の日本軍の張作霖爆殺(1928年)や満鉄爆破(「満州事変」1931年)で始まりました。国際連盟が日本の作った傀儡政権・偽満州国を認めなかったことで、日本は国際連盟を脱退し、資源の輸入を止められ、真珠湾攻撃で太平洋戦争へと突き進みました。
 日本が始めた侵略戦争での日本人犠牲者数は約310万人とされますが、中国では1000万人余り、中国を含むアジアでは2000万人余りが犠牲になったと言われています。そうした犠牲者には、何の責任もありませんでした。民間人の犠牲という点では、南京大虐殺が特に知られていますが、日本軍が3000人余りの中国人を「マルタ」と呼び、ハルビンの731部隊で生体解剖・人体実験などで虐殺したことなども忘れてはなりません。(その後、部隊責任者で医師の石井四郎は、その「研究資料」と引き替えに米から免責されました)
 中帰連の方々の多くは、第59師団と第39師団に所属していました。中帰連平和記念館には、彼らが戦犯として収容された管理所で書いた「供述書」や、当時中国が記録した写真や映像などもあります。一部の右傾組織などは、中帰連の発言・証言を「嘘・洗脳」などと批判しますが、これからお伝えする内容には映像や直筆の供述書などの裏付け(証拠)があります。
 中帰連の方々は、戦時中は中国人を「人間と思っていなかった」と言っています。それでなくては、こんな虐待・虐殺はできないでしょう。彼らは初年兵訓練の仕上げに「実的刺突」をしています。国内では藁人形を突き刺す訓練をさせましたが、中国では中国人を的として杭に縛りつけ、何人もの初年兵が突き殺す訓練をしました。また行軍の先頭に中国人を歩かせ「人間地雷探知機」として犠牲を強いることで、軍は地雷の犠牲にならずに済みました。
 そして戦闘ではなく平時にも、女性や子供まで虐殺し、殺し尽し、奪い尽し、焼き尽しの、いわゆる「三光作戦」を実施しました。これは日本軍の作戦名ではなく、この日本軍の行動に中国側がつけた表現です。
 また、当時の日本軍には十分な補給がなく、現地調達(補給)とされ、現地で多くの収奪・掠奪を繰り返し、家具などは焚き火にさえ供されました。そのため日本軍が集落に近づくともぬけの空となり、彼らはやりたい放題でした。掠奪は市民の家財だけではなく、石炭や綿花などあらゆるものを持ち去り、商社がそれに協力していました。また軍はアヘンの生産販売にも関与していました。
 女性に対しても輪姦、強姦は日常茶飯事で、慰安所は金が必要だが「強姦ならタダ」と証言しています。また強姦させない中国人女性を生意気だと井戸に投げ込み、その女性の幼子は母を追って自ら井戸に飛び込み、兵士は「苦しまないように」とその井戸に手榴弾を投げ込んでいます。
 第39師団のある中帰連の方は、山東省で強制連行に参加した体験を語っています。強制連行で集めた中国人を一晩倉庫に入れておいたら、翌日何人もが死んでいたと証言していました。また同師団で山西省の潞安軍病院で軍医をしていた中帰連の方は、当時十数人の生態解剖に関与し、その際、中国人は「アイヤー、アイヤー」と泣き叫んでいたという証言をしています。そして、生体解剖や生体実験は731部隊だけではなく、どこの野戦病院でもやっていただろうと語っています。他にも縛り付けた中国人を寝かせ、顔と口をタオルで被い、水をかけた拷問をし、お腹が膨らむと踏みつけて水を吐き出させ、さらに水攻めをしたという証言もあります。
 こうした「拷問、脅迫、監禁、虐待、暴行、酷使」などは日常茶飯事でした。「家屋強制使用、耕地取上げ、貯水池破壊 耕地蹂躙、財産掠奪」など、戦闘の犠牲だけではなく、平時に一般市民や社会に対してもあらゆる罪を犯しました。しかし、これは中帰連だけの体験ではなく、同じ部隊や地域では同じ行動をしていたはずです。
彼らは中国の戦犯管理所の人道的扱いで反省・認罪し、「鬼から人間に戻してもらった」と感謝ししていました。中帰連には他にも戦後、閻錫山らと組み、八路軍と戦った兵士たちしもいました。これは映画『蟻の兵隊』にもなりました。しかし、戦後の裁判で「勝手に残った」とされ、恩給など何の保障もありませんでした。彼ら140人は戦後「太原戦犯管理所」に収容されました。
連載「被害者が加害者を赦した歴史を忘れない」2
                               (アウシュブッ平和資料館「会報」)(2019/7) ② 日本軍は中国で何をしたのか?                          
・戦犯となった「中帰連」
 戦後シベリアに抑留された60万人の中に「中国帰還者連絡会」(以下、中帰連)の皆さんもいました。その抑留者のうち969人が、1950年7月18日、中ソ国境の「綏芬河」で旧ソ連から中華人民共和国(以下、中国)に戦犯として引き渡されました。旧ソ連内の移送は上下3段に仕切られた貨車だったのに対し、中国側では白い座席カバーのかかった客車が待機していました。医師と看護師さんが「体調の悪い人は居ませんか?」と車内を回り、暖かい食事も用意されていたそうです。その後、列車は3日かかかって「撫順城駅」に到着しました。
撫順戦犯管理所(以下、管理所)に収容された彼らは、16、7人ずつ部屋に入れられ鎖錠されました。彼らが最初に反抗したのは部屋の「監房規則」でした。何故なら、その末尾には「東北撫順戦犯管理制処」とあったからです。彼らは「捕虜であり戦犯ではない」と猛反発しました。後に初代「中帰連」会長になった藤田茂(59師団長・中将)も、当時は自らの経歴を棚に上げ「国際法違反だ」と抗議していました。
 彼らは、かつて日本が中国人収容のために造った管理所に、自ら入ることになりました(溥儀もここに収容されました)。この管理所は周恩来総理の直轄管理で、「日本人の習慣と人道を守り、罵倒も殴打も許さない」との指示が徹底されました。管理所では、シベリアと違い何の強制労働も強制学習もなく、彼らはただ淡々と時間を過ごし、「麻雀、囲碁、将棋……」など無為な時間を過ごしていました。それでも批判や注意をされることはなく、ただ「過去をよく考えて下さい」と言われるだけでした。
 しかし一方で、自分のやったことは自身が一番知っており、内心「処刑されるのでは?」と不安を抱いていました。中国人が一日二食のコウリャン飯しか食べられない状況下で、彼らは三度三度白米を食べ、肉や野菜なども充分に与えられました。中国人数家族分の食料が一人に与えられたのです。彼らはその待遇に「最期の晩餐?」と思ったり、焼却炉の煙突が立つと「あそこで焼かれるのか?」と疑心暗鬼になりました。しかし、そうした処遇は何時までも変わることはなく、それどころか健康診断まで実施され、十分な健康管理が行われました。梅毒に罹り歩行さえ困難だった戦犯は、当時まだ高価で入手困難だったペニシリンを連日投与され完治しました。
 このような戦犯たちへの対応に中国人職員たちは反発しましたが、周恩来は「復讐や制裁では憎しみの連鎖は切れない。20年後には解る」と職員を諭し再教育しました。
 3年を過ぎた頃から管理所の人道主義のおかげで、職員と戦犯との信頼関係が徐々に築かれ、部屋の鍵も外され所内での交流が自由になり、彼らは少しずつ過去を振り返るようになっていきました。ある日、中庭に集まった全員の前で39師団機関銃中隊長だった宮崎弘が、戦時中の中国人虐殺、試斬り、拷問、幼児殺害などを、涙を流しながら告白・認罪し、「如何なる処罰も受ける覚悟です」と懺悔しました。認罪には「お前がそんなことを言えば、俺の立場はどうなる!」などと喧々がくがくの議論がありました。認罪の時期や深さはそれぞれ違い、地位の高かった人ほど遅れたと本人が証言しています。
 管理所収容から6年が経った1956年、瀋陽と太原で6、7、8月の3回に分け、「特別軍事法廷」が開かれました。戦犯1017名(撫順と太原の戦犯管理所)のうち起訴されたのはわずか45人で、他は全員「起訴免除」とされ即日解放されました。そして、起訴された45人には、一人の死刑も無期もありませんでした。当初、死刑も無期もあった判決原案を周恩来は認めず、4回も書き直しを命じた結果でした。さらに、45人の有期刑にも「シベリア抑留5年」と「管理所収容6年」の計11年が刑期に参入され、ほとんどが満期前に帰国を許されました。帰国に際しては、預けた私物が返され、新しい服に靴や毛布、現金50元まで支給されました。支給された現金でお土産を買い、3回に分かれて帰国することとなりました。

 

 連載「被害者が加害者を赦した歴史を忘れない」3
                        (「アウシュブッツ平和資料館「会報」Vol.64)
 ③ 帰国した「中帰連」
 起訴免除の決定を受けた皆さんは法廷からバスで管理所に戻ると、職員の皆さんが手を握り肩を抱き「良かったですね!もうじき日本に帰れるのですね!」と自分のことのように喜んでくれました。そして、管理所の中庭にはテーブルが一杯並べられ、その上には中国料理とビールが置かれ、花まで飾ってあったそうです。
 彼らの乗った興安丸は天津・塘沽港から管理所の皆さんに見送くられ出航しました。帰国第一陣は56年6月21日に335名が舞鶴港に着き、7,8月に二次三次と帰国しました。
 その興安丸の中で彼らは既に帰国後の対応を検討し、帰国した舞鶴宿泊所で「日中友好、特別手当の要求、恩給資格確保、太原組の軍人資格回復、生活支援と就職の斡旋」の5項目の「舞鶴方針」を確認しています。
 帰国翌日、彼らに日本政府から支給されたのは引揚げ手当金 1万円と時代錯誤の軍服と軍靴でした。彼らは「これでまた戦えというのか」と抗議し、引揚手当の1万円もあまりにも低いと1万円の上乗せを要求し獲得しました。これが帰国後初の権力への抵抗でした。 
 彼らは舞鶴港に着き盛大な歓迎を受けましたが、そこには政府側の「赤化を避けたい」との思惑もありました。しかし、管理所では一切その様な誘導はなかったことを彼らは証言しています。
 帰る家のない人は品川の引揚寮「常磐荘」に入居し、第二次三次の帰国を待ちました。しかし、既に「死亡届」を出されたり、妻が弟と再婚したケース もあり、今の家庭を壊さないようにそっと去り離婚した人たちもいました。 
 彼らは就職さえ困難な中で帰国翌年の57年に「中帰連」を立ち上げました。その当初の目的は生活の安定や経済的要求や生活改善などの互助会的な連絡機関でした。
 彼らが罪を認め認罪し管理所で書いた「手記・供述書」を元に神吉晴夫さん編集の『三光』が光文社から出版され5万部を売るベストセラーになりました。しかし、右翼の妨害で再版されませんでした。その後、『新編 三光』、『完全版 三光』として再販されています。
 ここから「三光」(焼き殺し、殺し尽くし、奪い尽くす)の表現が広まりました。しかし、これは日本軍に「三光作戦」があった訳ではなく、日本軍の行動を中国側が表現した言葉です。
 彼らはシベリアに5年、管理所に6年、その前に戦争体験と15年前後日本を離れており、社会も貨幣価値も違い元中帰連事務局長だった高橋哲郎さんは「浦島太郎だった」と言っていました。
 帰国した彼らには「アカ、洗脳者、中共帰り」などのレッテルを貼られ、公安警察に監視され就職が非常に困難でした。東京の金子安次さんは就職し「後で履歴書を持ってきて」と言われ、履歴書提出すると「明日から来ないでくれ」と言われ、屑鉄商から帰国後の人生を始めました。また埼玉の鈴木良雄さんも公安に監視され就職できず、牛乳配達から人生の再スタートでしたが、当時そんな人たちがいっぱいでした。
 この二人が従軍慰安婦問題を裁いた2000年の「女性国際民間法廷」で性暴力の加害証言をしました。しかし、その部分をNHKがカットして放送しましたが、その圧力を掛けたのが安倍晋三官房副長官(当時)でした。予算説明で官邸に来ていたNHK局長が安倍氏から「公正な報道をお願いします」と言われました。その直後に急遽、完成済みの放送テープを再編集をし、時間不足で4分短く放送され裁判にまでなりました。しかし、NHKの自主的判断で再編集とされました。しかし、放送前にNHKから金子さん宅に「放送で実名報道して宜しいのでしょうか?」と女性からの確認電話があました。金子さんは「いいですよ、私は証言者ですから」と返事をしました。その後のカットがNHKの自主的判断の訳はありません。
 中帰連は帰国後「731巡回展」などにも協力し、戦争の実態・体験を証言し続けました。しかし、右派勢力から嘘だ洗脳との圧力があり、また一部の学者からさえ「信用できない」と批判されました。
 中帰連はその反論として97年6月に『季刊 中帰連』を発刊し、好評のため2000部増刷され、今も中帰連発行所発行を続けています。また中帰連はNHKの『戦犯たちの告白』(89.8.15 NHK「終戦特番」)に出演協力しています。
 彼らは帰国後も撫順戦犯管理所と交流を続け、何度も管理所を訪れています。
「国民を犠牲にして権力守った戦争報道の責任」
                                                                                              (2019.9.27「週刊金曜日」)
  9月6日付け本誌の雨宮処凜氏の見解に同感である。
 「今の平和は特攻や戦死者のお陰」という主張は良く聞く、しかし何の役にたったのか。戦争をしなかったら日本人310万人、アジアで2000万人もの犠牲者を出さずに済んだのである。
 沖縄戦前に昭和天皇が近衛文麿の「敗戦上奏」を受け入れていたら、「沖縄、広島長崎、東京大空襲、開拓団」など50万余りの市民の犠牲者を出さずに済んだのである。
 国家権力は戦死を「犠牲・無駄」と思わせないために、「戦死は立派」と称え利用したのが靖国である。中曽根元首相は「それでなくて誰が後に続くか」と当時本音を語った。靖国の原点は戊辰戦争の皇軍側犠牲者のみ祀った東京招魂社であることをみれば、天皇直結であることが解る。敗戦まで国が管理し神官も軍人が仕えていたのである。
 特攻の生き残りの伊東正治さんは「犬死になんですよ。お国のためでも悔しい」(03.8.14「東京新聞」社会面)と語っている。戦死者を「命を捧げた」と言う人がいるが、これも同様に「犠牲・犬死に」と思わせなための表現である。「捧げた」とは自らの意志であり、赤紙一枚で否応なしに強制的に戦地に連れ去ったのは「捧げた」とは言わない。
 あの戦争で日本軍は国民を守ったか。8月9日のソ連賛成で開拓団を棄民し、関東軍は我先に逃げ出したのだ。沖縄では友軍に殺害され、集団自決を強いられ、親に自分の子どもの首まで絞めさせた。そして、沖縄は本土決戦の時間稼ぎの「捨て石」とされたのだ。
 敗戦で天皇の戦争責任どころか、メディアは天皇陛下負けてご免なさいと「一億総懺悔」なる言葉まで作った。

「2022年」      

                                   「自衛隊は軍隊であり違憲である」

                                                                                             (2022.7.1「週刊金曜日」)

 自衛隊は憲法違反である。子どもたちに9条や前文を読ませれば解るであろう。

 私は東京・神田で1941年に生まれ「東京大空襲」に遭った。食べ物はなくサツマイモの蔓まで食べ、上野の地下道ではホームレスの子どもが餓死した。それが日本が始めた侵略戦争の結果だった。

 憲法はその反省から生まれ、文部省(当時)は47年8月に『あたらしい憲法のはなし』を作り学校で教えた。

 その9条には「・・・兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争するためのものは、いっさいもたないといことです。これからさきは日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦争の放棄といいます。『放棄』とは『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けして心ぼそくおもうことはありあせん。日本は正しいことを、他の國より先に行ったのです。世の中に、正しいことくらいつよいものはありません。・・・」とあり、その教えを今も私は信じている。つまり「驚異を与えない」ということで、たとえばバチカンやスイスを脅威を感じる国はなかろう。

 日本の場合は、鎌倉時代の元寇以外、日清・日露戦争、シベリア出兵、第一次大戦、日中、太平洋戦争と、すべて自ら始めた侵略戦争だった。日中戦争では中国の人たちが1000万人も虐殺され、それでも中国は賠償請求権を放棄した。日本は自国の被害のみ訴え、その原因も責任も考えず、負の歴史を教訓として生かさない。

 戦争はすべて「脅威」を払拭するための「先守防衛」で始まることは歴史が証明している。今回のロシアの戦略も同様でNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大がロシアにとっての「脅威」だったのだ。日本は北朝鮮や中国、ロシアの核や軍事力が「脅威」感じるのと同様に、それらの国は日米安保や日本海での日米共同訓練などが「脅威」なのだ。その緊張が限度を越えれば戦争になる。

 戦争はすべて「自衛」の名の下に行われ、侵略戦争を公言した戦争はない。政府は「自

衛」「抑止」と言うが、 抑止は相手より強くなくては抑止にならず、その軍事力増強のための予算は限りなく拡大し、岸田文雄首相は軍事費についてGDP(国内総生産)2%と言い出した。これは人殺しのための無駄な予算である。

 そもそも日本軍は国民を守ったのか?米軍の沖縄上陸前の45年2月14日、昭和天皇は

近衛文麿から「敗戦上奏」を受けたが受け入れなかった。その後、東京大空襲や沖縄、

広島・長崎、開拓団・・・など50万人以上の人々が犠牲を強いられた。そして戦後、近衛は自殺し天皇は生き残った。同年8月9日のソ連参戦でも、関東軍、731部隊、満州鉄道関係者などは、特別列車まで仕立ててわれ先にと逃げ出し、国民を守るどころか開拓団を棄民しのだ。