【1976年】

 

「ロ-カル空港をなぜジェット化するのか」(76.10.8・朝日新聞「声」)

  

 先日の閣議で第3次空港整備5ヵ年計画を決定したという。これによるとレ-ダ-などの安全整備は別として、なぜ環境対策費3000億円の 4割もの費用をかけてロ-カル空港をジェット化しなくてはならないのか疑問に思う。

 私達は便利や速さを求めて公害にぶつかり、いまやっと考え直すところに立っているのではあるまいか。秋田まで羽田から 1時間半かかるところを、45分で行ったとしてどれほどの利益があるのだろうか。費用がかさみ、運賃の高くなる。それに大気汚染と騒音公害を地方にまき散らす恐れもある。

 「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」-輸送力が足りないなら、便数を増やせばよい。それでは効率が悪い、というかもしれないが、効率第一主義の考え方が公害を発生させたのではないか。国民の血の出る思いの税金はもう少し実のある社会福祉に回してほしい。政府はもっと大局的見地からプラス、マイナスを考えてもらいたい。

 

 【1983年】

 

 「良心に恥じぬ行動を見せて」(83.11.1・朝日新聞「声」)

 

  中曽根・田中会談は結局、何の結論も出ず変化なしとなったらしい。首相は就任当時、盛んに「国民に分かりやすい政治を行なう」と強調していたが、最近の田中問題に関しては何と分かりにくいことであろうか。何を聞いても「平常心」そして「真情を吐露する」。密室での会談で「出来る限りの助言を行なった」。何と中身のない言葉の羅列であろう。「国を守る気概」「日本民族」等というはっきりした発言と、何と対照的なことか。  そして、田中が会談したのだから、けじめがついた-との解釈、これも全く分かりにくいことである。なぜそれでけじめがついたのか。

 野党は結束して、全力を注ぎ込んで闘ってほしい。力を合わせればこれだけの力があるというところを見せてほしい。どうせ間接税で帳消しになる見せ掛けの減税などどうでもよい。田中問題一本に力を尽くしてほしい、日本の良心ののために。

 そして首相は権力に固執することなく、人間として自分の良心に反することのないような行動をとつてほしい。小さな子供達も見ている。澄みきった目で、あなたたちの行動を。

                               

【1984年】

 

 「皆様のNHK開かれた姿に」(84.2.8・朝日新聞「声」)

 

  NHKの受信料値上げを機につねづね聞きたかったことに答えていただければ幸いである。それは我々との接点が受信料の支払いのみでしかなく、番組や報道、運営にたいし意見を反映する場も投書や視聴者センタ-への電話しかないということだ。

  NHKはいったいだれによって運営されているのだろうか。確かに、予算、決算は国会で承認されている。だからといって国民の意見が反映されているとは言い切れないと思う。我々は代表を選んだり、送り込んだ覚えはない。最高議決機関のNKK経営委員会のメンバ-も選挙で選ばれたわけではない。選出の方法を私は知らないし、それについての放送や報道を見聞きしたこともない。

 それでもNHKは「皆様のNHK」と言う。このような有料の放送は視聴者の意見を反映すると同時に、時の行政権力から完全に独立していなくてははらないと思う。わずかな投書や電話が参考にされるくらいで、視聴者は受け身一方のような気がする。選挙で代表を選ぶまでいかなくても、NHKは投書などの統計を発表したり、定期的なアンケ-トを実施するなど、もっと「開かれた我々のNHK」になってほしいと思う。

                               

「負担制の前に医の『悪』正せ」(84.5.28・朝日新聞「声」)

 

  国会で健保法改正案が審議されているさ中に、開業医が3年間に6億円もの所得隠しをしていいたことが明らかになった。健保法の改正は、膨れ上がる医療費を抑制するのが目的で提案されているが、こうした医師の悪業をみるにつけ、安易に個人負担導入へ道を開いてよいのだろうかと考えてしまう。

 毎年の所得ランクをみると、上位には私立病院の経営者がおり、また脱税の上位を占めるのも医師である。公立病院は赤字で経営が苦しい所が多いというのに、私立病院は景気がよさそうである。生活が苦しい医者など私は聞いたこともない。

 適性も、能力も関係なく跡を継がせるため、何千万円もの金をかけて子供を医師に育てる。そのために薬漬け、検査漬けの濃厚診療で金をかせぐ。薬価基準は改正されたが、まだまだ実勢価格との差は大きく、薬漬けや薬のブラックマ-ケットに手を貸しているという。開業医が全て算術医とは思わないが、脱税や濃厚診療を摘発されたのは、氷山の一角に過ぎないように思う。

 これらの不正を防ぐ手立てもとらず、個人負担制の導入に踏み切るのは納得できない。改めるべき点を改めてから検討すべきである。   

 

「赤字脱却こそ最優先の課題」(84.8.19・朝日新聞「声」)

 

   来年度予算の編成で、政府・自民党は「シーリング」の表現をやめ「概算要求基準」とした。その目的は緊縮イメージの強い表現を避けたいからに外在るまい。しかし、経済を勉強した者でなくても、国債残高が百兆円を避え借り換えまで考えなくてはならない台所を優先に考えるべきなのは当然であろう。我々は国債の利子を払うために税金を払っているのではない。

 防衛費の要求基準が7%増に決まったという。当然GNP1%粋が問題になる。首相発言はさきの「守る」から「守るよう努力していきたい」に変わってしまった。突出した防衛費、それでも首相は「必要最小限度だ」と言うが、米国もソ連も自国の軍隊は必要最小限度と考えている。

 GNP1%を超えたらまた別の枠を考えるというのは、粋がないのと同じである。そんな事で国際緊張を増すより、赤字国儀解消に全力投球すべきだ。

 

【1985年】

  

「二階建てバス安全性検討を」(85.10.11・朝日新聞「声」)

 

 二階建て観光バスが5日、高速道路で死亡事故を起こした。最近、日本にも増えてきたこの種のバスは、導入されてから日が浅いので案前面で未知数が多いのではなかろうか。 事故報道で驚いたのは、その破損ぶりである。二階部分がつぶれてしまい、まるで普通のバスのようであった。事故を想定しての強度は十分なのであろうか。

 もう一つ、二階建てバスは当然、重心が高いと思われるが、運行速度や高速での最高速度の規制が一般車と同じで心配ないのであろうか。ぜひ専門家による再検討をお願いしたい。

 また、タコグラフが使用停止状態になっていたという事実を徹底的に追求してほしい。付いているだけで使わないのでは、無に等しい。タコグラフを切っても運転手には何の利益にもならないから、あるいは会社からそのような指導があったのではないか。少なくても結果から見ると、安全より効率を重視したように思える。

 

「脱税の温床化した?マル優」(85.10.17・毎日新聞「みんなの広場」)

  

 国税庁が金融機関の一割りについてマル優の取り扱い状況を調べたら、不正預金が九千五百億円に達したという。

 サラリ-マンの非課税貯蓄限度額は一人千四百五十万円である。一方、先日の貯蓄増強中央委員会の発表によると、一世帯平均貯蓄額は六百八十八万円という。一人千四百五十万円ものマル優限度額を満たせないのが勤労者の現実である。悪用したくてもできないのである。

 それでも全体では十兆円もの不正があるというのは、いかにマル優制度が資産家や金持ちの脱税に利用されているかということである。

 マル優は小額貯蓄優遇の目的に反し、今や脱税の温床になっているのではないか。

 政府は過去にグリ-ンカ-ドを発案し、埼玉県朝霞市にコンピュ-タ-センタ-までつくったが、自民党の圧力で中止となった。今回、本人確認制度として、住所、氏名のほか二生年月日を記入させ、住民票や保険証の提示をして、架空名義はなくなっても、家族や他人名義の借用により脱税はなくならないであろう。働かずして増やす金には税金がかかっても仕方あるまい。 

 

【1986年】

 

 

「電話の一律配布考えなおす時期」(86.2.15・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 今、市内通話料の値上げと、案内電話の有料化が話題になっている。

 私は提案したい。電話帳は配布でなく必要な人は自ら電話局へもらいに行くようにしたらどうだろう。私は先日。土、日を利用して電話帳配達のアルバイトをした。「(使わないのに、いらないのに)もったいないね」という家庭がある。希望配布の旨を伝えても、ほとんどの家庭や企業は無料なる故に「無料ならもらっておく」という状況である。

 人件費や製作費をかけて、全国の家庭、企業へ配布するのは、大変な金額であろう。配本していると「おいくらですか」と聞くお年寄りさえいた。

                         

「減税できる分国債を減らせ」(86.2.27・朝日新聞「声」)

 

  野党四党の減税の要求額が二兆三千億という。私も減税してほしいのはやまやまである。しかし、国債発行残高が百四十三兆円(六十一年度末)と国家予算の二・六倍、そして、来年度予算の歳出の二割り、十一兆円が国債費である。この現実をどう見るか。到底減税できる状態ではない。政府が防衛費を減額でも認めない限り、必ず別の形で増税等などのしわ寄せが来るだろう。

 もし減税できると言うなら、その分国債の発行を減額すべきである。なによりも国債依存体質の財政を立て直すことが最優先である。それでなくては、我々はいつまで国債の利子のために税金を払わねばならないのか。

 さらに、野党提案は建設国債の一兆三千億円増額を言っている。国債に変わりはなく、反対である。国民みんなで辛抱し、健全財政に戻すべきである。赤字国債とは、金持ちが買って、その利子を貧乏人が払っているようなものである。

 このような状況での所得税累進課税の緩和のも反対する。金持ちには当分協力してもらい、国債残高ゼロにでもなってから考えてほしい。      

 

「高校生も同じ乗客」(86.6.27・東京新聞「発言」)

 

 自分が座席に座りたいから一方的に「立っていられないほど疲れていない」などと決め付け、無条件に「高校生は全員起立せよ」と言う権利が一体どこにあるのか。

 高校生も同じ乗客で、座席が空けば座る権利が同じようにあることをまず認めるべきである。座りたいのは高校生も同じである。

 もちろん、お年寄りや体の不自由な人への思いやりを否定するつもりはない。だが、それはあくまで優しさと思いやりの心からのものであり、当然視すべきものではない。座席を譲られたら「すみません、ありがとう」の言葉があって世の中はうまくいく。

 車内の座席は座る権利があっても譲る義務はないのである。それはあくまで、優しさと思いやりの好意から発するものである。

 「高校生全員起立せよ」という考えはエゴであると思う。

 

【1987年】

 

「献血ル-ム増設してアピ-ルを」(87.3.14・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 私は先日、所用で新宿に出掛け、たまたま駅西口の「献血ル-ム」が目にとまった。この西口には、よく献血バスが止まっていたのを思い出し、いつからから常設になったのかと聞いたら、もうすぐ2年になるという。

 経済大国日本が血液を輸入に頼っているのは、なんとも情けない話である。もし献血で間に合っていたら、血友病患者のエイズの悲劇もなかったであろう。

 しかし、献血の意志はあっても、どこでやっているか調べて、わざわざ出掛ける人は少ない。公報などで献血バスが来るのを知っても、その日や日時が都合悪いことも多々あり、その意志があっても、どこへ行けばよいのか分からないこともある。

 ぜひ、常設の「献血ル-ム」を増設し、その設置や場所をアピ-ルしてほしい。そうすれば、いつも自分の都合で気軽に立ち寄ることができ、真冬や真夏にもあのバスの前やテントの下で待つこともないだろう。

 

「科学技術過信の姿勢は危険」(87.9.3・読売新聞「気流」)

 

 青森のJR五能線で、踏み切りが開く事故があった。JR当局は、「そんなことは考えられない」と言っていたが、どうやら気動車が通過する際の誤動作らしい。

 同じように、かねてからオ-トマチックの自動車の暴走事故が続発しているが、やはり「そんなことはあり得ない」と、運転ミスとして扱われてきた。しかし、アメリカで問題になったオ-トマチック車の欠陥は、今や日本も認めざるを得ない状況にある。

 コンピュ-タ-が導入された頃、よく「コンピュ-タ-で処理していますので、間違いありません」という言葉を聞いた。今、科学技術を信頼し過ぎていないだろうか。もっと「人間」を信じる姿勢が必要だ。この二種の事故が、それを物語っている。

                              

「私は私なりに発言続けたい」(87.11.7・朝日新聞「声」)

  

 「声」編集長の考えに同感です。いい子にはなりたいが、貧乏くじは引きたくない、というのは虫が良すぎると思います。

 自分の考えを発言する場合、時には損を覚悟で発表しなくてはなりません。 しかし、権力や体制に、多数意見に異論を唱える場合、日本では社会、学校、学問の世界でも、アウトサイダ-の扱いを受けることは少なくありません。

 しかし、社会や労働条件を良くするためには、黙っていたのでは何も良くなりません。決して他人が与えてくれるわけではないのです。国や企業ににらまれても、要求し交渉しなくては、社会保障も労働条件も良くなりません。本当は長いものに巻かれた方が楽なのですが。

 そして匿名を認めることは、何よりも「匿名でなくてはものが言えない社会」を肯定し助長することになります。それは言論の自由にブレ-キをかけることになります。

 私は弱い者いじめと、裏切り者が大嫌いです。私は自分が正しいと思うことを自由に発言するために、管理職の試験も受けず、平社員です。

 『われら生涯ヒラ教員』という本があります。私も自分の言論の自由を守るため生涯ヒラ社員で通すでしょう。

 

【1988年】

 

「公庫の貸し付けも本当に必要なの」(88.3.5・読売新聞「気流」) 

 

 公団とは、独力では住宅取得が困難な勤労者などに、国が援助して住宅を供給する所、と私は心得ていた。しかし、何時の間にか億ションまで売るようになった。

 住宅取得の限度は、年収の5倍以内といわれる。年収 500万円(平均サラリ-マンの年収はこれ以下)としても、2500万円である。

 5 千万円 1億円もの住宅を購入できる人に国が援助する必要はない。億ションを買うにも、公庫から金が借りられるという。

 これらは、本来の目的を逸脱している。公団も公庫も原点に立ち戻って、その目的を改めて見なおすべきである。国の金で大きな組織や人員を抱えて、マンション業者や民間デベロッパ-と同じことをする必要はない。

           

「広く薄くは、悪しき平等だ」(88.7.3・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 政府・自民党は税制改革で「広く薄く」が平等と言う。私は「広く薄く」は「悪平等」と考える。

 今しきりに「何百万円以上は減税」などの論議があるが、それ以下の所得の人の論議はなく、自民党は新税の逆進性を無視している。自動車やピアノ、電気製品が安くなり、水を飲んでも、電話をしても電車に乗っても税金がかかる。これがなぜ平等なのか。

 税は負担能力に応じ徴収し、富の再分配の機能を持たせなければならない。

 減税、減税と言うが、税率3%の消費税新設を前提にしての話である。また、一旦消費税が導入されれば、税率が上がるのは目に見えている。

 私は、年金生活者や母子家庭、生活補助所帯にまで課税して、その犠牲の下に所得減税をして欲しいとは思わない。政府は本気になって税の不公是正に取り組むべきだ。

 

「電話帳の有料化が有料案内より先決」(88.9.18・朝日新聞「声」)

 

 私は「104番」の有料化の前に、現在無料で配布されている電話帳の有料化を検討すべきだと思う。

 現在、電話帳は各家庭や事業所にほぼ無条件で配布されている。多くの家庭などでは、ほとんど死蔵されているのではないだろうか。

 私は電話帳配達ののアルバイトの経験があるが、ほとんどの家庭では「無料ならもらっえおく」という状態で、また、会社や事業所では電話回線数だけ配布しているがその必要はないと思う。

 そして、配布される電話帳は同一地域だけであり、地域外は「104番」に頼っているわけであり、自分で調べることは出来ない。私は電話帳を有料化して必要な人が購入したらよいと思う。

 たとえ「104番」を有料化するにしても、電話帳がいまのまま無料で配布では問題は解決しない。電話帳有料化の分「104番」は低額に抑えるべきであろう。

  

「受忍できぬ車内CM放送」(88.12.29・読売新聞「気流」)

 

 15日の最高裁第一小法廷に続き、、二十日、第三小法廷でも、車内のCM放送請求が棄却された。

 私は納得いかない。判決は、車内という”とらわれの聴衆”であることや、公共企業であることを考慮しても、受忍範囲である、と言う。

 車内公告は、見ないことができるが、音は聞かない訳にはいかない。乗客は運賃を払って、輸送を依頼しているのであり、街頭放送とは違う。

 営利のためのCM放送が認められるなら、自ら楽しむために、車内でラジカセを自由に音をだして聞くことも認めなくてはならない。

 自由とは、「他人に迷惑をかけない範囲で」ということである。強制的にCMを聞かせる自由はないと私は思う。

                 

【1989年】

  

「閣僚辞任より内閣総辞職を」(89.1.4・朝日新聞「声」)

 

 リクル-ト疑惑の中で、改造内閣の目玉と注目された法相が、就任から約70期間時間で辞任した。前代未聞の出来事である。リクル-ト外しで組閣したつもりの内閣はそのスタ-トでつまずいた。

 そもそも竹下首相自身が疑惑の中心の一人であり、長谷川法前相が月4万円の会費を受手辞めるなら、首相はとっくに辞めなくてはなるまい。

 潜水艦事故の瓦氏は別としても、奥野国土庁長官、先の宮沢蔵相、今回の長谷川法相と、閣僚自身の責任による辞任が続いたのは、任命者である竹下首相の責任である。しかも、適格性を欠くと、自らの罷免件を行使することなく、辞任を待つ、という自主性のない無能ぶりである。これは、何の政治理念の持たない首相が、事なかれ主義を地で行き、適材適所も能力も考えず、派閥均衡で内閣を構成したからである。

 そして、法相の後任に、与党議員の中には国民の信頼を得られる人材が見つからず、やむなく党外から起用するという、異例の人選となった。こんな信頼を失った内閣は、総辞職して国民の審判を仰ぐべきである。

 

「自然林を守り後世に残す義務」(89.1.20・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 環境庁が行なった第三回自然環境保全基礎調査の結果、自然林が国土面積の二割を割ったことがわかったという。私は今力いっぱい「もうこれ以上、自然林を伐採しないで」と叫びたい。

 竹下首相は盛んに「ふるさと創生」を口にするが、この十年間でブナの自然林は十三%も減少したという。ふるさとの自然をそのまま大切に保存することが「ふるさと創生」ではないのか。

 動物の一生はせいぜい百年であり、人口林は植林すれば数十年で復元する。しかし、自然林は百年単位である。あの自然林は何百年、何千年もたって出来上がったのである。そしてその中で動植物のバランスも保たれている。

 自然の変化にはつながある。そこに人工的に手を加えることは、そのつながりを遮断することになり、何千年たとうとも、もう決して元には戻らないのである。

 首相はふるさとや自然を金で買えると思って、自治体に一億円をばらまくと聞く。

 そんなことより知床の原生林、白神のブナ林や屋久島の縄文杉や大王杉、そして各地のふるさとや田舎の自然林などのすぐれた自然環境を極力そのまま残すべきであり、私達はこれらを後世に残す義務がある。自然破壊は都市だけでたくさんである。

  

「大喪の礼、国の行事化には反対」(89.1.30・朝日新聞「声」)

  

 二十三日付本欄中村氏の意見に反論する。宗教色のある天皇家の私的儀式と国葬は時と場所を変えて行なうべきである。

 故吉田首相の国葬も、故三木首相の国会・内閣合同葬も、僧侶、神主、祭神、牧師、神父に関係なく行なわれた。天皇や神道だけは特別というのであろうか。それは天皇を現人神と教え、天皇の写真に頭を下げさせ、体制に反論を許さなかった社会へ戻ることになる。

 もちろん、天皇家にも信教の自由があり、それに個々の国民が参加し、肯定するのは自由だが、決して国はそれに関与してはならない。

 氏は憲法二十条の解釈を「葬儀は儀式であり宗教活動ではない」と言うが、儀式に参加することは既に宗教活動であり、大喪の礼を神道で国の行事として行なうことは、天皇に名を借りて国が神道のみを特別扱いすることになり、それは明らかに国の宗教活動である。

  

「原発事故多発安全再確認を」(89・2・7・読売新聞「気流」)

 

 東電福島第二原発で、再循環ポンプという重要機械が破損した。この3号機は中性子密度上昇で自動停止、配線ミスで手動停止、循環ポンプの異常振動などの事故を起こしている。

 政府や電力会社は、日本の原発は「絶対安全である」と、”神話”を押しつけている。スリ-マイルもチェルノブイリも、「人為的ミスだから」、「型式が違うから」、日本の原発は大丈夫、と説明してきた。本当だろうか。

 いま、原発の事故、故障は珍しくなくなった。自動停止したから安全、ではなく、自動停止するようなことのないよう、保守管理しなくてはならない。原発に「もし」とか「万が一」は絶対許されず、それは取り返しのつかないことを意味する。

  

「参列国訂正は”卑劣な策略」(89・3・4・朝日新聞「声」)

  

 大喪の礼の参列国数を、各国代表が帰国するのを待っていたかのように、政府は南アフリカ共和国を追加して、164ヵ国と訂正した。

 政府は招待状は出していないと言い、南ア当局は事前に了解が得られたので参列したと反論している。そして、南アが参列していたことを外相は知らなかったと言う。しかし、遅くとも大喪当日、政府は参列国を掌握していたはずであり、二日もたってからもう一ヵ国参列していたなどと言う話はナンセンスであり誰も信じないであろう。あの厳戒体制の中、塀でもよじ登って参加したでも言うのであろうか。

 政府の態度は卑怯である。外国からの批判を恐れて公表しなかったと見られて当然である。政府は南アの参加を認めるなら、たとえ外国からどんなに批判されようと、自主性を持って敢然とした態度で臨むべきであった。また、その批判に耐えられないのなら断るべきであった。

 まるで悪いことでもするようにコソコソした策略は逆に世界から批判され、かえって日本の立場を悪くする。政府の行動を非常に遺憾に思う。

 

「消費税、即刻廃止せよ!」(89・3・14「日刊ゲンダイ」)

 

 政府は「4月1日から消費税スタ-ト」などと、TVコマ-シャルを流している。

 私は心から憤りを覚える。税収も順調で赤字国債発行脱却の見通しもついた今、あの強引な強行採決までしてなぜ導入するのか。

 渡辺政調快調は、リクル-ト疑惑を指摘されると「株は損も得もするし、国民生活には何の関係もない」と、のたまう。そして消費税の矛盾を指摘すると、二言目には「そんなら減税しなくてもいいのか」と言う。

 ほんのわずかな所得減税の代わりに、消費税を導入されるなら、私は所得減税など辞退する。平均的なサラリ-マンが一体いくら減税になると言うのか。その一方で金持ちの所得減税は60から50%に引き下られる。

 物品税や通行税の廃止でゴルフ用品やピアノなど非必需品が安くなり、グリ-車や航空運賃が安くなる。その代わり食料品や飲み水まで課税され、通勤通学の定期券や手紙や電話代にも課税される。これが貧乏人いじめの不公平税制でなくて一体何であろうか。生活保護所帯や年金生活者はどうやって生きていくのか。

 そもそも税金には富の再分配といいう機能を持たせなくてはならない。つまり、税制はその負担能力に応じて課税されなくてはならないのである。

 この消費税は、まさに”ミソもクソも一緒”であり許せない。即刻廃止すべきである。

 

「紙面審議会の設置を戒めに」(89・9・28・朝日新聞「声」)

  

 本紙二十付「紙面審議会を新設」の社告を読んでうれしくなった。さきの「サンゴ損傷事件」につい社会的責任を痛感し、自己批判の結果、このような組織を確立したことと、縮刷版を事実のまま残したことを高く評価したい。そして、この「紙面審議会」が何故できたのか、その戒めを永久に忘れてはならない。

 私は今まで時々「読者応答室」へ電話して、記事の問い合わせや、意見を言わせていただいた。。とくに記事問い合わせへの応答の早いのに驚いた。「記事デ-タ-ベ-ス」を利用しているのだろうと思っていたら、スクラップブックで対応しているというので、記事の分類方法について知りたいと思ったことがある。

 意見や苦情の対応には確かに横柄な人もいた。この窓口は討論の場ではなく、たとえ報道した記事にあったとしても、社外の意見を聞き、少数意見でもつぶすことなく、紙面に反映すべきである。

 また、意見、苦情と紙面への問い合わせ窓口を分けたことは非常によいと思う。これまでの「読者応答室」を統合し、読者への窓口となる「読者公報室」にも期待したい。この読者への窓口は新聞社の顔として重大な責務を負うことにもなると考えるからだ。

  

「 ト ラ ブ ル の 元 」(89・10・14・読売新聞「気流」)

 

 災害救助、邦人の保護といえども、海外派遣には反対である。たとえ丸腰で行っても、組織は軍隊でああり、それが海外派遣の実績になることはまず間違いない。

 警察予備隊、保安隊、自衛隊、そして領土領海からシ-レ-ンと公海上へ、次は、とうとう海外派遣で他国へでかけると言うのか。

 天災など国際救急は、レンジャ-や救急隊の組織を確立して行なうべきある。もし邦人保護に自衛隊が派遣されたなら、自衛のための軍隊同様、やがて自衛のために武器を持参、そしてその武器は大きくなっていく。

 戦争は、たつた一発の銃声から始まることさえある。ましてや邦人保護のための派遣は、独立国の主権を侵すことになり、より大きなトラブルに発展する心配がある

  

「電 話 帳 を 有 料 に」(89・11・3・読売新聞「気流」)

 

 電話帳は無料なるが故に、多くの家庭や会社で受け取り、企業などでは電話回線数だけ配達されている。

 一組数千円の電話帳の印刷、作成、配達は、電話が五千万回線を超えた現在、その費用は膨大である。しかも、その電話帳は、職業別は毎年、五十音順は一年半ごとに配達される。

 その必要はないと思う。電話帳こそ有料化し、必要な人は購入すればよい。必要のないものを押しつけて 104を有料化するのは納得できない。

 電話帳の作成配達などの仕事に携わっている人もいるが、その人たちのために無料配達を維持するとしたら、本末転倒である。

 有料化するなら、電話帳を受領しない利用者には、その分 104番利用を無料にすべきである。身障者に無料扱いが出来るなら、技術的には同じであろう。

 

【1990年】

  

「安易に救助を求めていないか」(90・1・12・毎日新聞「みんなの広場」)

  

 北アルプスで救助された人のインタビュ-で、記者の質問に「そんなに悲壮感なく四方山話というか、次は何処の山へ行こうかなどと話していた」という返事を聞いて、腹が立ってきた。命懸けで必死に救助に向かう人の命を何と心得ているのか。

 私は冬山の経験こそほとんどないが、山歩きを初めて三十年たつ。夏山でもあれだけ急変する天候、彼らは一体冬山をどう考えているのか。この冬も彼ら以外の多くのパ-ティ-が、天候悪化を配慮して撤退し事無きを得ている。

 無線を持っているからと、安易に救助を求めていないか。山は自らの足で下山するのが大原則であり、けがや道に迷った時などに限って救助を求めるべきであって、天候悪化中は無線連絡をとりビバ-ク、回復次第、自力で下山する覚悟と計画が必要である。

 山男よ、冬山を甘く見てはならない。そして安易に救助を頼ってはならない。

 

「選挙応援した橋本氏は論外」(90・2・25・朝日新聞「声」)

 

 NHKの橋本大二郎記者が蔵相である兄の選挙運動をしていたことは、公共放送のキャスターとして論外の話である。

 NHKは新聞や民放と違い一方的に視聴料をとる公共放送であり、職員は準公務員といってもいい。一方、新聞は私企業であるが、偏向したり、記者が特定の政党を支持する行動をすれば、社会に対する使命は果たせないし、信頼は得られない。だから、新聞は自己規制し、倫理を踏まえて発行されている。

 市民はどの新聞を購読するかは自由であるが、NHKはその運営や番組編成が不満であっても視聴料の不払いを認めず、しかも視聴者を代表する組織が確立されていない。

 もちろん橋本氏に思想信条の自由はある。しかし、映像の時代の今、アナウンサーやキャスターはタレント性が強く、その影響は大きい。選挙事務所で会計事務などの裏方に徹するならまだしも、表に出て演説とはマスコミ、いやNHKを利用したも同然だ。

 橋本氏が処分問題も意に介せず、NHK幹部もその処分を「上司に任せる」とはあまりにも認識が甘い。

 

「自然豊かなふるさとゴルフ場から守ろう」(90・3・25・朝日新聞「埼玉版」)

 

 千葉県は4月から新設されるゴルフ場の農薬使用を全面的に廃止して、既設のゴルフ場にも強く指導していく方針を打ち出した。素晴らしい勇気だと思う。

 自然に恵まれた小川町では既設の二つのゴルフ場に加え、新たに三つ造成中で、ほかにもう一つ予定されているという。ゴルフ場の雨水は農薬とともに川や地下水に流れ込む。その結果、我々の飲むきれいな水が汚染されるのは我慢ができない。規定以下の濃度ならい良いというものではない。

 水に恵まれた小川町では、昔から酒造りや和紙の生産が盛んだった。町の水道水は現在 100%自前で賄っているが、3年後には不足する水を利根川から引かねばならない。河川や地下水を汚染させるゴルフ場への水道供給もその一因というのは、なんとも割り切れない思いだ。

 ゴルフ場と違って、森林の葉は呼吸し、鳥が鳴き虫が生活している。私はそんなふるさとを残しておきたい。

 

「川掃除で知る汚さぬ心構え」(90・5・27・朝日新聞「埼玉版」)

 

 先日の日曜日、私達の集落では恒例の「川掃除」があった。住民が力を合わせて空缶やビニール等のゴミ集めました。この日の大物賞は壊れた自転車でした。

 川を掃除するのもいいことですが、まず川を汚さないことが大切です。川掃除に出ると、まずごみや汚れに気が付きます。掃除を体験することで、汚染に関心を持つようになるのです。一度出るだけで、もうきっとごみを無造作に川に捨てるようなことはしなくなるでしょう。こんな意識の変化が貴重なのです。

  

「狭い機内での禁煙協力は当然」(90・9・1・東京新聞「発言」)

 

 旅客機の禁煙区間を一時間から二時間に変更するについて、日本タバコ産業が日航に異義を申し入れたと言う喫煙者にも勿論自由はある。

 しかし、自由とはあくまで他人に迷惑をかけない範囲での話であり、家庭の居間や会社の事務所などより遥かに過密な航空機内では禁煙は当然である。ましてや一、二時間の禁煙は我慢の範囲内である。              あの狭い旅客機内で禁煙、喫煙席を分けてどれだけの効果があるのか。私は以前、禁煙席に乗った際、私の前の席から喫煙席だったが、苦情を言う訳にもいかず困惑したことがあった。狭い航空機内しかも国内線では喫煙者は禁煙に協力すべきである。    

 そもそも喫煙者でなく、タバコ産業が口を出すのは喫煙者の代弁と言うより、売り上げ、商売を重視した発言であると言われても仕方あるまい。私も喫煙経験あり、念のため。

 

「住宅公団はだれのために?」(90・11・27・東京新聞「発言」)

  

 何と住宅公団がなんと30万円近い家賃の住宅を作ったという。でも民間より安いという。一体だれが入るのであろうか。

 常識として家賃は月収の2から3割といわれる。この計算では月収 100万円以上でないと入れず、並のサエリ-マンではとても不可能である。

 住宅公団はだれのために存在しているのだろうか。金持ちや資産家のために少しでも安い住宅を供給するのが目的なのか。そんな余裕のある人たちの住宅供給は民間デベロッパ-に任せておけばよい。国は住宅に困っている勤労者所帯の住宅政策にこそ力を入れるべきである。

 

 「これからも開 かれた国会を」(90・12・6・東京新聞「発言」)

 

  快晴の1日、国会開設百年を記念しての国会図書館、憲政記念館の記念展示と共に、国会一般開放の見学に参加してきた。

 議員でさえ選挙後の初登院の時しか入れない正面玄関から、ボディ-チェックも無く胸にワッペンを付けるだけ、私は開かれた国会を感じた。

 権威とはつくるものではなく、信頼によって自然につくらられるものである。「国会の権威」と「開かれた国会」とは決して矛盾するものではない。     国会を一般開放したことは国民に国会、政治を身近に感じさせるものであり、非常によかった。主権在民の民主主義、常に国会は国民に開かれていなくてはならない。それはただ物理的にだけではなく、その審議や情報にも渡っていなくてはならない。

 百年でたった三日の開放というのは「開かれている国会」には程遠い。今後とも「開かれた国会」を望む。それにしても、国会事務局でさえ予期しなかったあの国会前の人の群れ、あれだけ国会や政治に関心のある人がいるとは、まだ日本も捨てたものではない。 

 

「議員常識に驚き、巨額申告漏れ」(90・12・20・読売新聞「気流」)

 

 稲村元環境庁長官に数十億円の所得申告漏れがあったという。しかし、本当に申告漏れだろうか。 100万円単位ではない、いくら議員の常識が我々と違うとは言え大金すぎる。 私は以前、税務署に電話し「脱税と申告漏れの違いは税務署の判断か」と聞いたところ、「そうである」という返事であった。しかし私は、庶民の場合「脱税」、著名人の場合は「申告漏れ」であるような気がする。十億円もの金額を「忘れた」で、修正申告通で通るのであろうか。

 

【1991年】

  

「金の影響力が非常に大きく」(91.7.17・東京新聞「発言」)

  

 「金のかからない選挙を」をと、政治改革が選挙改革に換えられようとしている。

 金は「かかる」のではなく、「かけている」のである。それだけの金が無くては立候補できないわけではない。現に故市川房枝女史や青島幸男氏は金をかけなくても当選した。金のある候補者は、いかなる選挙制度に変えても金をかけるであろう。

当選しだいがために、いかな効果は絶大であり絶対に金るある方が有利となり政治改革が選挙改革に置なカになるということであろう。

 そして小選挙区制で一番怖いのは選挙で金が非常に大き力となるいうことである。なぜなら、選挙区が大きければ大きいほど金の効き目は少ない、しかし、選挙区が小さくなるほど、金のあるほうが有利となる。

 全国に1億円使って運動しても大して効果はないが、たかが、数10万の選挙区ならその効果は絶大であり絶対に金のあるほうが有利となり、結果は金により左右される選挙になりかねない。もっともそれは多分に選挙民の良識に任されているわけではあるが、

 そして、国会議員はさらに地域の代表の性格が強くして地元との癒着を生み、弊害が進むであろう。全国区であったならロッキードやリクルート議員を再び選出させるようなことはなかったであろう。

 

「NHKの運営視聴者の手に」(91.7.20・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 辞任した島・前NHK会長の国会での虚偽答弁は責任を問われて当然だが、郵政大臣の「しかるベき措置をとる」、通信委員の「責任を取らせるべきだ」などという発言は問題である。これらは明らかに-言論の府ヘの国家権力の介入だ。

 NHKは受信料で成り立ち、言論の府として国から独立し、国の監視下にあつてはならない。しかるにそれは理論上であり、NHKの最高決定機関の経営委員は首相が任命し、予算は国会の承認であり、NHKの経営、運営は国(内閣及び国会)の強い影響を受け、視聴者は何の議決権も選任権も持たないのが実情である。これは株主総会のない株式会社と同じである。

 経営委員は視聴者が選びNHKの経営、運営を国の監視下から視聴者の手に移すぺきである。私は島氏の虚偽答弁よりも、これを機にNHKへの国の関与、権限強化を恐れる。

 

「NHKは自民党のものか?」(91.07.25・読売新聞「気流」)

 

 NHK会長人事で元最高裁判事の伊藤正己氏の名が浮上したところ、政府・自民党内で「初耳だ、聞いていない」の声が相次ぎ、急きょ関谷郵政大臣が小渕幹事長に釈明に駆けつけたという。政府・自民党は言論の府の独立ということを、いかに考えているのか。会長人事はNHK経営委員会の専決事項であり、NHK会長がだれに決まろうと、政府・自民党が関与してはならない。

 だいいち「皆さまの受信料」で成り立っているNHKだ。特定の政治勢力の影響が及ばないように選ばれている経営委員会の意思を無視するのは、政治の介入ではないか。

 小渕幹事長や自民党首脳の発言は、公共放送であるはずのNHKが“私物化”されていることではないか。NHKは国家権力の宣伝放送機関ではない。

 

「喚問での野党の追及甘すぎる」(91.9.2・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 衆院証券・金融特別委員会の承認喚問テレビを聞いて(見てではない)がっかりした。何の迫力もなく、野党は野党は証人喚問を叫んだだけで何らの追求もできない。資料不足、勉強不足、何ら理詰めで追求することができず、腹さえ立ってくる。

 原因はなんだろうか。それは野党の多くの議員は、国会議員の地位に甘んじ、本気で弱者のことを考えていないからである。

 こんなことでは到底よりよい社会は目指せない。野党議員はその地位に甘んじることなく、社会の不正と弱者の幸せのために本気で追求してほしい。

 

「バス乗客の置き去り、原因は違法駐車では」(91.11.16・朝日新聞「埼玉版」)

 

 東武東上線鶴瀬駅前で、バスが違法駐車の車に進路をふさがれたため、バスを待つていた乗客が置き去りにされたいという、10日の埼玉版の記事を読んだ。記事では、バス運転手と、残された乗客の主張は食い違っているが、問題は違法駐車であると思う。

 鶴瀬駅前では、警官派出所が在りながら、違法駐車が日常茶飯事だという。警察は「違法駐車が邪魔な時は、クラクションを鳴らさずに駅前派出所に届けるよう東武バスに指導した」とあるが、これでは本末転倒だ。

 近くに派出所があるのに、運転手はいちいちバスを降りて、知らせに行かなければならないのか。目の前に違反がありながら、市民に再三指摘されなくては取り締まれない警察こそ職務怠慢ではないのか。バス運転手を責めるほどはどうかと思う。

 

「正造の生き方、政治家に必要」(91.11.21・東京新聞「発言」)

  

 栃木県佐野市で今月3、4日、田中正造の生誕百50年を記念し正造を思養する人たちが150年祭を実行した。

 正造は名主の家に生まれ代議士になったが、その代議士の地位も財産も投げ出し、民のために貧しい農民ともに、農民に犠牲を強いる国家権力に立ち向かった。

 時あたかもマザコンならぬロリコン内閣成立。今の政治家は金、そして地位と名誉・権力にちがみつき民のことなどそっちのけ政治家は、正造のの爪(つめ)のあかでも煎じて飲んで欲しい。地位や名誉を欲する者は大臣や首相になるのは大変だと思っているのであおるが、そんな事は簡単である。

 しかし、正造の生き方を採る方が、大臣になるよりどんなにか勇気と努力、そして、優しさが必要か今の政治家には分かるまい。

  

【1992年】

  

「発煙筒と笛をぜい携行して」(92.1.30東京新聞「発言」)

 

  遭難したヨット「たか」号の一人が27日ぶりに救助された。 

 証言によれば救難信号が電源異常(これは参加者の確認不足)のため作動しなかったらしいが、救命ボートからは、捜索の救援機を2回も確認できたという。捜索に問題があったとは言わないが、それぞれの捜索機は何とか発見したいと全力を尽くした結果であり、やむを得なかったと思う。あの広い海で点のようなボートを見つけるのは簡単ではなかろう。私が残念に思うのは、なぜ発煙筒を持参しなかったのかということである。

 また過日、秩父で聾唖者の団体が遭難しかけたが、陸上での救援には笛がいい。人間の声の何倍も遠くへ届き、疲れないで音を出し続けることができる。

 山や海の危険を伴うレジャーはこの発煙筒と笛をぜひ携行してほしい。値のはるものでも重い物でもないのだから

 

[激論コーナー]フジモリショック 逆クーデター(92.05.02・読売新聞)

 

 国会を解散し、裁判官を罷免し、全権力を握ったフジモリ氏の行動は逆クーデターと言われても仕方ない。

 彼の政治でインフレも収まり、やっていることは大筋で認められ、今回の措置も多くの国民が支持しているという。ならばなぜ強権発動したのか。時間がかかっても民主的な手続きを踏むべきであった。

 いくら目的や方針が正しくても「目的のためには手段を選ばず」というのは、戦争に「いい戦争」が無いのと同じであり、やはり反民主的である。何よりも腐敗した前政権の時でさえ、彼自身が民主的な選挙で選ばれたことが、決して絶望的でないことを証明している。政権を握った今、少なくとも当時よりいい状況にあり、時間がかかっても民主的な方法が取れないはずはあるまい。この行動は反フジモリ派にいい口実を与え、かえって社会が混乱するのでないか。それに彼が日系人ということに彼自身と日本はこだわりすぎる。

 

「『足尾』に同じ過ち繰り返すな」(92.5.17・東京新聞「発言」)

 

 足尾銅山の排煙で枯れ果てた山の緑の復活に、自然の鳥を利用するする方法が提唱されているという。

 1985年から営林署がヘリコプターを使って岩山に種をまいているというが、考えてみると、もい

儲けるだけもうした古河財閥の後始末に、なぜ税金を使われるのかと思うと、腹立たしい。

 足尾銅山の鉱害は単に足尾にとどまらず、その排水は渡良瀬川を下り田畑を鉱毒に漬け、やがて谷中村滅亡へと進んだのである。昨年はその救済のために生涯を捧げた田中正造の生誕150年でもあった。いまもその心は「田中正造大学」などの賛同者によって引き継がれている。

 多くの人たちがこのように自然を取り戻そうとしているなか、過日の本紙報道によれば、その松木沢をせき止め、首都圏の産業廃棄物の膨大な廃棄場所にする計画があるという。同じ過ちを繰り返してはならない。

 

「命預かっていることを忘れるな」(92.6.22・東京新聞「発言」)

 

 静岡県御峨場市の国道で修学旅行中の小学生が乗ったバスが横転した。

 その原因が何と十キロにもわたつて割り込みを根に持つてのカーチェイスの結果だつたという。

 残念ながらマナーの悪い運転手は多く、警察の取り締まりとともに、交通犠牲者なくすためマナー向上に努めなければならない。

 しかし、だからといって今のようにマナーの悪い逆転乎に、実力で対抗するというのは大変危ゼ険である。

 ましてや多くの命を預かっているフロドライバーは、その自覚を失ってはならない。幸い子供たちの命に別条はなかつたものの、楽しみな修学旅行は台なしになってしまった。

 相手が悪いからといっても元には戻らないのである。多くの命を預かるプロドライバーに冷静さと慎重さを求めたい。

 

「田氏除籍の社党本末転倒」(92.8.6・新聞「みんなの広場」)

 

 社会党は参院東京選挙区で連合推薦の森田健作氏をさず、PKO法に反対し候補した内田雅敏氏を支した田英夫氏を、院内会派の「社会党・護害{共同」から除籍するという。

 前代未聞の議員辞職願まで出し、PKO法に反対した社会党の行動はジェスチーだったのか。私は社会を支持する組合の指示、本気で本気で「PKO法反対」のビラを配った。PKO法に反対しながら、それを肯定する森田氏を推した社会党本部こそ、-言行不一致どころか「やることと、やらせること」が違い、その責任を問われるベきである。

 普段、政治的発言も行動もなくPKO法を肯定するタレントをただ知名度が高いというだけで推した責任もある。彼は当選早々「民社党会派」に入りたい旨、意思表示し、実行した。彼の言動から十分予測できることであり、併せて社会党本部の責任を問いたい。

 

「赤字国債の発行 安易な安易な実施反対」(92.9.12・産経新聞「談・話・室」)

 

 8月31日付社説「赤字国債の発行阻止に努めよ」に同感である。何とか赤字国債発行ゼロを達成した今でも、その還元や利子に当てる国債費は歳出にの24%を占め、その金額は一般歳出の45%(93年度概算要求)に当たり財政を大きく圧迫している。

 国債発行は一番安易な方法であるが、打ち出の小槌ではなく、結局国民にその利子分だけ余分の負担になり、それはサラ金や麻薬と同じで、やがて硬直化し悪循環となる。苦しくても行政改革を進めるとともに国民も我慢し、こく悪循環を脱出しなくてはならない。

 また台所が苦しいというのになぜ減税なのか。平均サラリーマンが減税されても一人当たり減税は知れているし、それが消費税につながるとも思わない。減税で喜ぶのは税金を多く払っている人であろう。減税よりそのお金を難病対策や高齢化社会など社会福祉に有効に使ってほしい。

 

「献金多い銀行公共性自覚を」(92.9.17・東京新聞「発言」)

  

 水増し担保や無担保融資、金余りと企業や土地に湯水のように融資し土地暴騰を引き起こし、バブル経済を招いたのが銀行自身である。それにもかかわらず、不良担保買い取り機関を設置し公費も充当してほしいなどと言つている。

 そんな中で、行員の賃金ベースが高いという批判も高<、今まで賃金ベースも公表せず日経連会長さえ批判される始末である。

 また、銀行は経営が苦しいと言いながら、政治献金の統計を見れぱ、公共性が非常に強く中立であるべき銀行は、預金者そっちのけで今年も献金上位14位までを占め、その割はは全体の30%を超しているという。

 銀行は自らの公共性を自覚しその責任を感じるよう猛省を促したい。

 

「暴力団と癒着 徹底追及望む」(92.09.25・読売新聞「気流」)

 

 22日の佐川事件初公判によると、一国の首相選びの最中に何と右翼封じに暴力団を抱え込み対処したという。

 多くの市民が団結して何とか暴力団を排除しようと努力し、縁日からの締め出しや組事務所の撤去に取り組んでいる。正義を通した弁護士がそのために傷さえ負った例もある。

 一体、一部の自民党首脳らは何を考えているのか。自民党が暴力団と癒着することは、贈収賄やヤミ献金、裏金などよりもっと悪質であり、善良な市民が正義が通る社会にしようと努力している中、言語道断であり絶対に許すことはできない。野党は国政調査権を使い、金や政治倫理を含めて徹底的に追及すべきである。ただし今までのように新聞コピー片手に「このような報道があるが事実か?」などというやり方は国政調査権の名に値せず、野党や議員は自らの調査と判断で追及して欲しい。

 

「弱 者 の 声 奪 う」(92.10.10・読売新聞「激論コーナー」)

 

 規制の目的は右翼団体の騒音対策というが、良識的市民運動との区別をどこでだれがするのか。拡大適用される恐れは十分にある。第一、法の適用、運用を相手によって使い分けるというのは法の下の平等に違反する

 確かに大きな音を発するのは迷惑にもなるが、それは短時間のことだ。言論・表現の自由の重みと比較すれば受忍の範囲であると思う。

 拡声機を使った演説、デモは経済(金銭)的弱者にもできる大切な表現の方法の一つである。拡声機の規制は、経済的弱者から言論・表現の自由を奪うことになる

 

「佐 川 事 件」(92.10.14・毎日新聞「アクションライン」)

 

 私が言いたいのは、金丸さんが辞めた時、検察庁はどう責任を取るのかということだ。つまり、辞めなければならないほどの悪いことをしながら、罰金20万円だけで済ませたということは、どういうことになるのか。人は時として悪いことをしてしまう。それは政治でも例外ではない。だから裁判所があって、検察があって警察がある。金丸さんも悪いが、それを上申書意1枚で済ませてしまう検察も悪い。検事総長の責任を問いたい。

 

「佐川事件 平等欠いた検察に責任」(92.11.12・読売新聞「気流」)

 

 佐川事件に対する国民の怒りはロッキード、リクルートの比ではない。なぜなら金や贈収賄の次元ではなく、一国の首相選出に暴力団が絡んだ疑いがあるのである。

 疑惑を持たれた議員は自らのためにも証人喚問に応じ、真相の解明に協力すべきである。真実を述べ、主張する限り偽証罪の心配はない。

 また金丸氏の「事情聴取なし罰金二十万円」は法の下の平等に反した差別である。十日付本紙で根来法務事務次官は「事情聴取なしはやむを得ない」と述べていたが、私は罰金五万円(略式起訴)のスピード違反で召喚された。その差の理由を知りたい。

 本紙十日付松沢氏の「論点」や九日付元東京地検特捜部長の記事が指摘するように、検察の法適用は不適切な差別であり、検察は相次ぐ告発に捜査再開をせざるを得なかった。

 これは検察自らの処分が不当であったということであり、検事総長の責任を問いたい。

 

「知りたいのは5億円の行方」(92,11.19・東京新聞「発言」)

  

 金丸氏は検察の事情聴取に、「国税当局の課税処分があれば応じる。処分がなければ、贖罪(しょ<さい)として五億円を公的な機関などに寄付しだい」と供述していたという。

 問題をすり替えてはならない。金の問題ではなく金の行方の問題である。金丸氏側は「5億円は個人にもらつたので所得税を払う」で済ませたいのであろう。だが60数人の政治家に配つた((政治資金)のであり、税金を払ったり公的機関に寄付するからと免罪されるものではない。

 ヤミ献企がワンサと人り、亡くなつた奥様の相続が50数億門だから、3億や5億で済むなら安い話であろう.この発想は金で検察を買収するも同然で、寄付したければ事件と関係なく寄付するがいい。

 60数人の政冶家の名は記憶にないというが、受け取った方はともかく渡した方は、貸しをつくり恩を着せることであり、必ずメモや記録が残っているはずだ。5億円もの金を「誰にやったか分からない」で国民が納得するとでも思っているのか。検察は国民の期待を裏切ってはならない。

  

「トイレ改善した道路公団に拍手」(92.11.26「オピニオン」)

  

 最近、高速道路を利用して気付いたことがある。高速のSA、PAは営業車を含めトイレ休憩を兼ね立ち寄ることが多く、今までのSAはトイレが一カ所に集中していたため、どうしても駐車がトイレ近くに偏るが、最近改良(新築)された中央高速の談合坂下りSAと関越の三芳下りPAは食堂売店を中央に挟む形で両翼にトイレを設置したため駐車バランスがよくなった。建設費や効率だけを考えれば一カ所の方がいいだろうが、公団の勇断に拍手する。

 もう一つ、そのトイレのドアが使用時に閉めて使い、原則オープンとなっていることだ。ひと目で空いている場所が分かり、ノックの必要もなく、またこの方式だと使用後もドアが空きっぱなしになるため、汚さないように心がけて利用することを期待できる。

 長い間、日本ではくみ取り式だったため、トイレは汚い所、ご不浄と言われ「臭いものには蓋(ふた)」という考えがあった。今は水洗であり、一部採用され始めているオープンドア方式を今後デパート、公園、役所など公共のトイレに採用すべきである。

 

「与野党の若手の行動、頼もしい」(92.12.11・毎日新聞「みんなのひろば」)

 

 自民党若手の新井将敬氏など「勝手に発言するな」と〝イジメ〟にあっているが、今度は政治倫理規定を「傍聴禁止」どころか、会議録の閲覧さえ禁止した時代に逆行する改悪案に伊東秀子氏ら社会党の若手4人が1日の本会議をボイコットした。彼らの行動は正しく、社会党が自公民と共に国民の「知る権利」を侵す改悪案に賛成したことに私も強く抗議する。

 今まで議員は何でも党幹部や党の決定に従うことが使命であったが、それでは議員は単なる議決の票数でしかなく、米国のように議決の時は自分の思想信条で賛否を表明する自由を認めるべきである。そうすれば党の幹部や一部の執行部が党を牛耳ることなく、党内も民主的運営ができるようになる。

 ここに来て一部の与野党の若手が本気で政治を変えようと考え、行動し始めていつこを頼もしく思う。〝イジメ〟に負けず頑張ってほしい。

 

【1993年】

 

「報道協定、安易に受け入れるな」(93.1.9・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 皇太子妃が内定したという。その報道は在京テレビ局すべて申し合わせたように一斉に番組を中止しピタリ6日午後8時45分であり、この誤差のない報道は異常で、まるで国営放送である。

 しかも報道の第1報は何とアメリカのワシントン・ポスト紙である。それは日本のマスコミが内庁の申し入れを受け入れ報道協定を結んでいたため、この制約を受けない外国報道機関が第-報を報じたというわけである。その報道協定は再々延長を日本のマスコミは安易に認めてきたのである。日本で発生した日本のニュースをなぜ外国報道機関が先んじるのか。

 安易に報道協定など受け入れず、もっとプロフェッショナルとしての自覚を持つべきであり、婚約報道に限らずこのような当事者が発表するのを待って報道する姿勢は報道の信頼性にもかかわり、マスコミ、の猛省を求める。報道協定が許されるのは人命がかかっている時だけである。

 

「多数決で決められぬ信教の自由」(93.2.23・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 箕面市忠魂碑・慰霊祭訴訟で16日、最高裁は合憲の判断を下した。

 碑の移転費用については行政側の校舎移転費用に起因するもので、忠魂碑ではなく、他の宗教施設でも同じ処置を取ったであろう。

 しかし、慰霊祭の教育長参加を「私的儀礼的なもの」という理由で違憲ではないとした判断には到底納得できない。

 公費を使ったことからも公務よしての参加であり、最高裁の「私的だった」では済まされない。

 信教の自由について最高裁の「その行動が目的を伴うものでなければいい」との考えは間違ったいる。国や地方自治体などが関与した結果が目的の有無に関係なく大きな影響を与えるものである。

 これがもしキリスト教の戦没者慰霊施設でも自治体は同じ対応をそただろうか。

 信教の自由、社会正義や倫理などは、多数決で決めてはならないと思う。

  

「情報や意見は自分で判断を」(93.2.25・東京新聞「発言」)

  

 15日付け〝わかものの声〟「どのTV信じていいのか」(肥後徳浩君)に一言。

 あなたはまだ純真なのでNHKのヤラセのショックが大きかったのでしょう。でも、いい勉強をしました。あらゆる報道を鵜呑みにせず、これからは疑ったみる必要があるのです。

 ニュースや報道はそれぞれの社の価値観で編集報道しています。新聞のトップニュースも放送のニュース時間配分や順序も、各社違うのです。それを見比べて自分で判断するように心がける必要があります。「新聞はすべて同じではありません」というテレビCMがありましたが、まさにその通りなのです。一つのものを視てそのまま信じることは、自分で考える判断する能力を失います。多様な意見や情報を聞き、自分で判断することが必要です。

 ヤラセ以外にも、誰でも、どんな組織でも、自分たちに都合の悪いことは隠し、報道したがらず、そこに知る権利というものが生じるのです。

 

「市内料金値上げに反対」(93.3.4・東京新聞「発言」)

 

  NTTが市内料金を値上げする方針というが、その原因が納得できない。

 新規参入の通信会社は大手都市間など需要の多いもうかるところだけに幹線をひき、業務を始め、もうからないところには手は出さないのであり、これは郵便局と宅配便と同じである。

 NTTは辺地で採算が合わなくても、通信を守らなくてはならず、そのために何十万もの人を雇っているが、その一方で大都市間など競争相手がいるところでは、相手が値下げすれば同様に値下げせざるを得ない実態にある。

 なぜなら情報は一般商品と違い、「安いと通話が半分しか伝わらない」などちいうことはない。料金によって、質が左右されることが無いため、必ず通話料の安い方に脚は流れる。

 最近では自動的に安い料金を選んで掛ける電話さえ実現している。

 このような競争はフェアーではなく、新規参入各社はNTTなしには存在し得ず、末端通信回線が各企業や家庭に入っているからこそ成り立つのであり、他人のフンドシで経営しているのも同じであり、その犠牲を競争相手のない市内電話に負担させるのは筋が通らない。

 NTTは他社にその接続料を値上げして対抗し、無競争の市内料金に上乗せすべきでではない。

  

「農薬散布やめるべきだ」(03.3.15・朝日新聞「埼玉版」)

 

 市民グループ6団体が農薬の空中散布を止めるよう県に要望した(11日付埼玉版)という。昨年、大久保浄水場近くの荒川から微量の農薬が検出されたというが、これは以前、東京都などへ供給している朝霞浄水場でも問題になった。

 東上線が冷房化される前、毎年夏の散布時期に、「沿線で農薬空中散ですので窓をお閉め下さい」と車掌が社内放送していたが、あれから30年も空中散布が続いている。自分の都合で農薬をまいておきながら「こまるなら自分で窓を閉めろ」とはとんでもなく、と私は当時から思っていた。

 手軽だから、高率がいいから、効果があるからなどと他人に迷惑をかけて、毒である農薬を空からまく権利があるのだろうか。それでなくれも環境破壊につながる農薬は、必要最小限でとどめてほしい。空からまくという安易な方法は、もう止めるべきである。

 

「あきれるより怒りがつのる」(93.04.05・産経新聞「談話室」)

 

 金丸信・自民党前副総裁の脱税事件について、参院予算委で民間人の証人喚問が行われた。岡三証券の岡景俊専務は故金丸悦子夫人からの「金丸の名前は使わないで」との要望をそのまま受け入れ、手数料も取らずに債券の売買を行ったが「脱税資金とは認識していなかった」と証言した。だがあえて名前を隠すのはまともな金でないのは常識であり、ましてや手数料も取らずに扱ったのは違法であり脱税の共犯といえる。

 また、旧平和相銀の田代一正元会長は金屏風(びょうぶ)事件に関して、真部俊生八重洲画廊社長との間で金屏風購入についての話があったかどうか「記憶にない」という。国民を愚ろうするのもいいかげんにしてほしい。

 野党の無能ぶりにもあきれるが、もともと自民党の国対費で“飼い慣らされた”与野党“なれ合い”政治。こんな茶番な“喚問劇”にいよいよ怒りがつのるだけだ。 

 

「空き交番解消こそ信頼」(93.6.3・東京新聞「発言」)

 

 最近、交番に行っても警察官がおらず、犯罪通報や被害救済が遅れ、よち事態が悪化したという例が問題になっいるが、警察庁長官が「空き交番」をつくらないよう指示を出したことを評価したい。

 日本は世界一治安のよい国と言われ、その一つがこの交番制度にあると、諸外国からもこの制度の視察に来日している。

 住民は、交番に行けば警察官がいると思っている。救いを求めて行ったら、警察官がいないというのは非常に困る。運が良ければ警察官がいるというのでは交番が当てにならないということで、無いに等しい。

 人出不足、予算不足など理由はいろいろあろうが、空き交番の事態は最優先して解決してほしい。警察官がいてこそ交番の機能が果たせるのである。

 「警察官がいない時、緊急の用事はこの電話で」などという設備で代行できるものではなく、それは交番だけでなく、警察制度そのもにに対する信頼や期待感にも影響を与えるであろう。

 

「今こそ〝三流〟の汚名返上 細川新政権に心からのエールる」                 

                           (93.8.7・東京新聞「ミラー」)

 ついに自民党政権は崩壊した。

 その原因は政権交代のない長期1党支配のため、ロッキード、リクルート、佐川、ゼネコンとあくことのない政治腐敗が生じたことであった。

 金丸氏の検察調書にあるように、「いつのまにか感覚が麻痺(まひ)してしまう」のであり、仙台市長や茨城県知事の不祥事も同様で、安定も度をこすと腐敗するのである。

 確かに政権は安定している方がいいがそれならいつまでも自民党政府が続くのがよいということになるが、その結果が今日の腐敗を生んだのである。

 ここヘきて社会党は大きく譲歩せざるを得ず、見ようによれば言行不一致ということになる。しかし、それは細川謹煕氏の言うように、何よりも自民党政権を柊わらせるという目的を最優先させなくてはならなかったからである。

 いくら理想をいっても、万年野党では何も実行することはできず、「絵に描いた餅」でしかないのである。社会党が変わるのは当然であり、また変わらざるを得ないのである。

 今まで万年野党に甘んじてきた社会党も、政権党となれば、目の前にある現実を直視しないわけにはいかないのである。

 今までこの国は、大臣から総理まで能力も適性も関係なく、当選回数という年功序列でその人事が行われてきたのである。そして長い間に政官財の癒着が完成した。

 権力はあるが金のない政治家と、金はあるが仕事や指名が欲しい財界は、利害が一致し、金で政治を買うことができたのである。

 これは個人の政治献金と違い、参政権を持たない企業が金を意のままに政治に使い、政界を買収してきた構図なのである。企業の金や利益は株主や労働者、そして社会に還元すベきものであり、企業が勝手に政治につぎ込んでいいものと私は思わない。

 政治に金がかかるのは事実であり、政治資金も献金も認められているのである。しかし、私腹を肥やしワイロとして受け取るため、帳簿に載せず、現金取引ということになる。だから政治献金・資金はすべて銀行口座経由以外は認めないことである。

 三流という日本の政治を立ち直らせるため、新政権は国民の期待にこたえてほしい。国民の過半数が自民党政権を否定したのであるから。

 

「異常事態考え無人電車やめて」(93.10.09・読売新聞「気流」)

 

 大阪で無人運転される新交通システムの電車、ニュートラムが暴走した。人間は間違いを犯しやすく、その苦い経験から列車自動停止装置(ATS)、列車自動制御装置(ATC)、列車自動運転装置(ATO)と発達してきた。しかし、すべてを機械に任せることに無理があることを、この事故は証明した。

 自動化やロボット化などの合理化も結構だが、世の中に絶対はないかぎり、人の命を直接預かる場を無人化するのは危険である。

 無人とは、暴走に限らず異常事態時に避難誘導を指揮する人がいないことを意味し、混乱にも拍車をかける。自動運転が可能でも、異常時を考え、保安要員を乗せるべきだろう。

 

「相馬さんVS三木さんの対談に思うこと」(93.9.24・「月刊金曜日」)

 

 前略、『月間金曜日  7.23』号届きました。

 相馬雪香さん、三木睦子さんの対談「総自民党化の幕開け」しっかり読みました。かり読みました。いつもお二人の大先輩が政治浄化を訴える講演などで活躍されていることを、テレビや新聞で見て敬意を表す1人です。

 相馬さんの「道は遠くても諦めない」との考えに全く頭が下がります。ご年配のお二人が努力なさつているのに、「我々若いものが諦めないで頑張らなくては」と対談を読みながら改めて思いました。

 三木さんのおっしやるとおり先日の投票率の低いのにも本当にあきれますが、三木さんの運動は無駄ではありません。現に本誌の対談を読んで、ここに-人、私もお1人の行動を陰ながら応援していることを知って下さい。

 『信なくば立たず』や『三木と歩んだ半世紀』なども読ませていただきました。三木元首相は信念を貫いた政治家であると思っています。政治家も経営者もサラリーマンも良識派というのは残念ながら常に少数派です。否、良識派故に毛嫌いされ少数派になってしまうというのが本当かも知れません。

 ロッキードのイメージチェンジのため三木元首柑が駆り出され、そして、今度はやり過ぎたと引きずり下ろす、三木さんの秘蔵っ子と言われた海部さんも全く同じ道を歩かされました。海部さんもどうせ「棚ボタ」でなった首相なのですから、信念を貫きPKOを阻止すべきでした。そうすれば三木さんのように「男」になれたのにと私は思います。

 三木さんは信念を通したところが立派です。三木内閣でなかつたら田中角栄逮捕はなかったでしょう。日中旧交回復といいますが、田中氏はたまたまその時期に首相であつただけで、その陰に松村謙造氏や宇都宮徳馬氏等の裏方の努力があった結果なのです。

 今度高校の英語の教科書にも載るそうですが、6000人のユダヤ人を救ったあの元リトアニア領事の杉原千畝さんは、何が正しいか目分で判断し信念を貰いて生きた立派な人だと思います..「国の利益より人間の生命を優先し、それは人権や国境を超えたもの」という信念です。それが例え自分に不利になろうとも信念を貰き、それが認められなくてもきっと充実した人生だつたことでしよう。

 私は三木首相を思い出すすのです。今や金や出世のために悪いこ事も承知でやる、銀行・証券・そして政治家やサラリ]マンなど信念を-持って生きている人が少なく、言行不-致で子供たちは親や大人を馬鹿にするようになるのです。

 今や教育の中央統制が進み非常に危険になってきていよすが、自分の子供にだけはものの見方や価値観をしっかり教えてきたつもりです。それは人間として一番犬切な事は地位でも名誉でもお金でもなく「優しい心と思いやりを持った人」であり、そして、お父さんは「裏切り者と弱い者じめが大嫌い」である事をことあるごとに言ってきました.

 そして他人の言うなりにならず、価値観や善悪を自分自身でしつかり判断できるようにな人になってほしいと・・・・。

 

「報道への弾圧を許した国会証人喚問」(93.11.26・「週刊金曜日」)

  

 テレビ朝日怖前報道局長発言で、 10月25日国会証人喚問が行われたが、これは報道に対する弾圧以外の何ものでもない。

 椿氏の発言は民放連の「放送器組調査会」という非公開の場であつたにもかかわらず、まるで内部筈発のように提起され、しかもテレビ朝日はもとより、民放連も自主管理どこ何の行動も起こさず、要請されるままに議事録や録音テープの提出に応じたのである。

 非公開は必ずしも悪いことではなく、政府の諮聞機関や閣議も非公開であり、それは議論の活性化や自由討議を加速する利点もある。したかって今回の提起は非公開の閣議内容を大臣が公表したのも同然である。

 映倫は何のために存在するのか?言うまでもなく「表現の自由」に対し外部からの弾圧や権力の介入を防ぐために存在するが、今回の放送各社は行き過ぎ発言を肯定するのみで、「あれはテレ朝のこと」と、明日は我が身という危機感はまるでなく、まだ新聞の方が問題点を指摘していた。

 そして、フリーのテレビキャスター8人が共同で抗議声明を出し、また民放連番組調査会の外部委眞が「もう目由に討議するのは無理。報道の自由は一般市民も含め、守り育てていくものでもう一度考えてほしい」と抗議し、5人全眞が辞職した重みを民放連は理解していない。

 番組制作にあたり論議するのは当然であり、このようにいちいち国家権力や政党・組織の口出しを許すなら言論報道つ目由は成り立たない。発言内容に問題があるならテレビ局なり民放連内部で対処するペきで、なぜ民放連はこのような外部圧力を排除するために自浄努力を果たさなかったのか。

 これでは組織や政党、そして国家権力への「批判」も偏向と受けとられかねず、今回の証人喚問は非常に重大な意味を持つ。「何が公平で何が中立か」その判断は一人ひとり槻聴考が判断することであり、国や政党・組織にその判断権限はなく、その判断を国家や組織がするなら今の教科書検定と同じであり、常に権力の都合や多数意見を推すことになり、言論・報道の自由は失われることになる。

 今回の喚間はロッキード、リクルート、佐川、ゼネコンと飽くことのない金権、政財官癒着政治に対する同氏の批判に反省できない自民党の八つ当たりでしかない。しかも、話が出てからたった3日後の全会-致で政治取引が合意されたのである。

 そもそも.「国政調査惟」とは不明や事実を解明する場でであつ、既に議事録・録帝テープまで公開され、椿氏を喚間しても新たに解明することは無く、「・・・についでどう思うか」などという質問は、思想信条と価値観の問題であり、言論への弾圧にほかならず、ましてや局の免許更新に条

件つうけるなどと言語道断であつ民主主義の崩壊を意味する。

 弘は証人喚問を詐した国会に強く抗議すると共に、民主主義と報道・言論の自由を守るためにメディアとジャーナリストに奮起と自覚を求める。

 

「選挙報道での証人喚問は言論の自由規制」(93.11.20・「組合新聞」)

  

 本紙2215号でも触れていたが、先のテレビ朝日・椿前報道局目双の国会証人喚問の危機に全く同感である。

 そもそもこの発言は非公開の「民放連番組調査会」の場での発言であったか、これがまるで内部告発のように、サンケイ新聞が1面トップで報道したことに始まる。

 非公開は悪いことばかりではなく、討論の活性化や自由討議を促進する役目もあり、政府の諮問委員会や閣議も非公開であり、今回の事態は非公開の閣議内容を大臣自ら公表したも同然である。

 もし発言に問題や行き過ぎがあったなら、その会議の場なりテレビ朝日や民放連が自主的に判断・行動すべきであるが、今回テレビ朝日はもとより民放連も何の行動も起こさず、それどころか会議の議事録やテープを請求されるまま提出し、報道の自由を守るという意識がまるでなかった。

 「映倫」は何のために存在するのか?それは映画という「表現の自由」を権力の介入や、弾圧から防ぐための自主管理組織であるが、今回放送々各社は発言の行きすぎを肯定するのみで「報道の自由」」に何ら危機感を感じず、「あれはテレ朝のこと」とまるで他人ごとで、「明日は我が身」という意識はまるでなく、まだ新聞各紙の方がその問題点を指摘していた。

 この事態にフリーのニュースキャス8人が、共同で抗議声明を出し、民放連の番組審査会の外部委員5人全員が「もう報道の<自由は期待できない」と抗議し、辞職した危機を民放連は感じていない。

 証人喚問は「国政調査権」に基づいでいるが、それは「不明な点や事実を解明する場」であり、既に議事録や録音テープまで公開され椿氏を喚問しても、新たに解明することは何らなかっ

たのである。

 このような安易な行動が許されるなら、今後政府や政党・組織への批判も「偏向」と受け取られかねず、「報道の自由」に重大な影響を与えかねない。しかも、この証人喚問はたった3日間の全会一致で了承され、国会日程の政治取引に利用されたのである。

 この証人喚問は政官財の癒着と金権政治に反省できない自民党の八つ当りでしかなく、そもそも番組作成に議論するのは当然であり、この程度のことで放送免許更新に条件を付けるなどとは言語道断であり、報道の自由ヘの介入であり許されてはならないことである。

 

「薬の添付文書厚生省に責任」(93.12.7東京新聞「発言」)

  

 新薬の抗ウィルス剤ソリブジン(ユースピル)が、発売からたった1ヶ月の間に抗ガン剤との併用で14人もの人が犠牲になったことは非常事態と言える。

 患者が薬りをもらうとき、まずその薬の説明を受けることは希であり、」ましてや他の病院の医師からの調剤の有無を聞かれることは皆無といってよい。

 言うまでもなく、薬は身体に異物であり副作用があり、医師はその配慮をする義務がある。しかし、この新薬について厚生省の「添付文書の『併用を避ける』は『併用禁止』と同じ強い表現であり医師の責任である」との主張は到底納得できない。

 併用すれば死に至る危険を「併用を避ける」程度の一般注意書きで許されるのか。赤枠で囲い赤字で「併用厳禁死亡に至る」と何故表記させなかったのか。売り手側は不利な情報を隠すのが常道であり、それを監督指導するのが厚生省であり、メーカー寄りの表現を黙認したと言われても仕方在るまい。

 販売中止をしなかったらもっと多くの犠牲者が出たであろう。それでも厚生省は「注意書きがあり医師の責任」で通ると思っているのだろうか。

 

「小沢氏の会見拒否 記者は足で情報を」(93.12.11・読売新聞「気流」)

 

 新生党の小沢代表幹事が産経、日経新聞の報道問題をきっかけに記者会見を拒否し、「貝になった」というが、故佐藤元首相の引退記者会見を思い出した。

 佐藤元首相は「新聞は偏向しているから嫌いだ、出ていってくれ」と新聞記者を排除し、だれもいない広い記者会見場でテレビカメラに向かって一人で会見した。彼はなぜ新聞よりテレビが好きだったのか? それはテレビが事実しか伝えない正確さの一方で、イジワルな質問もせず一方的に都合のよいことだけを伝えられるからである。

 小沢氏が会見拒否をしても、本来ならジャーナリストは困らないはずだ。しょせん、記者会見などというのは自分たちの都合のよいことしか発表しないのが常であり、それで困るとしたら、取材を記者会見や記者クラブに頼り、自らの足や人脈で情報を得ようとしないジャーナリスト自身の責任である。

  

「必要性未定での工事続行は矛盾」(93.12.29・読売新聞「気流」)

 

 26日付の解説「国民の疑問 解消急げ」に同感である。完成後の長良川河口堰(ぜき)使用について、政府は「来年度一年間かけて検討」して判断すると言う一方で、来年度予算はそのまま認めるという。どう考えても矛盾している。

 必要性の有無が未決定のものに、なにゆえ予算を計上するのか。報道によれば、しゅんせつ量などその裏付け数字がないまま着工されたという。

 私は専門的な河口堰の必要性の有無はよくわからないが、必要かどうかに関係なく工事が進むというのはどういうことなのか。

 ゼネコン側は工事を受注すればいいのであり、完成後使用しなくても建設業者や政府は一向に困らないが、それは税金で支払われるのであり、その一部はやはりわいろに回るのであろうか。必要(使用)の有無が未決定にもかかわらず、工事続行なら、そう疑われても仕方あるまい。工事続行は間違いであり、政府は国民が納得できる必要性を示せないなら、即工事を凍結すべきである。

  

【1994年】

 

「小沢氏に誠意みられず」(94.1.22・東京新聞「発言」)

 

 新生党の小沢一郎代表幹事が、「このままでは不利」と判断したのか、「記者の会見」を再開したが、その内容は相変わらずである。

 自分に不利な質問には誠意を持って答えず、「・・・質問に答えた通り、適法に処理してあります」と、どう適法なのか具体的説明や帳簿のコピーなどの提出もない。

 また「その議論を蒸し返るづならば渡り合ってもいいが・・・」と開き直り、さらに「そういう経過のたぐいの話しをすれば、お互いいといろあるんだから、また問題になっちゃうでそう」と、一向に誠意をみせない。

 私は「どういろいろあるのあら」を知りたい。

 テレビ、ラジオと違い、記者会見の記者は国民に代わって質問や意見を述べるのであり、そこには当然批判もある。それにきとんと答える場所でもある。記者会見の場を自分の意見や考えを一方的に述べる場だと思っている。故に「記者会見はサービスだ」などと言うのであろう。それなら記者はいらずレコーダーの-台も置いておけばよい。

  

「批判や追及を認めぬ小沢氏」(94.02.09・読売新聞「気流」)

 

 記者会見を再開した小沢一郎新生党代表幹事が、今度は「週刊現代」と「東スポ」の記者の会見出席を拒否したという。

 その理由を小沢氏側は、それらの社の記事に対して「告訴や民事訴訟を起こす可能性もあるから」と言うが、背後にあるのは、小沢氏が自分に都合の悪いことを書くマスコミを排除し、彼を批判したり、疑惑を追及することを認めないという姿勢である。

 不本意なことは裁判で争うべきであり、会見拒否はお門違いだ。マスコミは協調して彼の記者会見を拒否すべきだと思う。

 このまま特定のマスコミ排除が続けられるなら、記者会見とは名ばかりで、彼の宣伝機関に成り下がるようなものだ。そんな会見なら、ジャーナリストでなく、ただテープレコーダーかビデオカメラを1台置いておけば済むことだ。

  

「一体、何通が首相に目に」(94.6.1・東京新聞「発言スペシャル」)

 

 「平成の目安箱」は点数稼ぎの思いつきであるナンセンスである。

 無人でも受信できるファックスを、日曜・祝日を除く9時から5時までなどという発送が、形だけのものであることを物語っている。この時間帯は多くの労働者は勤務中であり、ファックスを送ること難しい時間帯であろう。

 第一、首相は忙しくてファックスお読んでいる時間はないはずであり、一体、何通の意見が首相の目に止まるのだろうか。首相に国民の声を聞く気があれば、このような新聞の投書欄などで十分理解することはできるはずである。各紙に目を通すいことにより偏らない、いろいろな意見を吸収できるのである。

  

「他紙より迫力、木星の写真」(94.7.22・東京新聞「発言」)

 

 18日付中間尾朝刊の1面、つまり木星の社員です。

 他の3紙もいずれも全同じAFPの写真を4~6枚載せていますが、東京新聞だけがNASAテレビ、共同のの木星の衝突後の全体像と衝突部分の拡大写真、そして南極の赤外線望遠鏡の写真を載せました。まさに「やったね!」という感じです。

 私は特に宇宙に関心がある者ではありませんが、全く同じ何の変哲もないすい星の位置が少しづつ変わっているだけでなく、よく見ないと何だかピンときません。東京新聞の写真はまさに衝突の迫力が読者に伝わってきます。

 上2枚の写真も衝突の航跡が鮮明であり、下の南極からの写真も本当に迫力があります。おそらく東京新聞もAFPの画像は受信しているのではないかと思います。だが、NASAテレビの写真を選択した英知にエールを送りたいと思います。

 

「自由競争に水をさす大蔵省」(94.11.22・東京新聞「発言」)

 

 城南信用金庫が懸賞金付定期預金を発表し、都銀や大蔵省が反対して公正取引委員会は問題なしとの態度だ。だが大蔵省は自ら法的には氏問題ないとしながら、また「行政指導」の下に圧力をかけようとしている。

 自主規制や申し合わせは自由競争に反し、談合や官民癒着にも発展しやすくは排除すべきであり、談合の温床である。

 今では銀行があまりにも過保護あり、「銀行はつぶれない」の神話さえある。

 まして都銀が大蔵省と組み圧力をかけるようなことがあってはならない。日本は法治国家でありもういい加減に「行政指導」はやめぶべきであり、その根源は必要もないほど多くの監査や許認可権を握っているからである。

 

【1995年】

 

「それでも出かけた外遊」(95.2.3・「週刊金曜日」)

 

 昭和天皇が死んだ時、テレビは喪に服すると一斉にコマーシャルを抜いたが、この度の兵庫県南部地震で5000人を超える犠牲者が出てもコマーシャルが流れた。

 昭和天皇は高齢であり病死であっても天命全うしたといってもよいであろう。天皇だって人間であり死ないわけはなく5000人もの市民より一人の天皇の死のが悲しいというのか。

 私には天皇も神戸市民も他人だが、天命を全うした天皇の死よし、死ななくてもよかった天災で5000人も亡くなった民の犠牲のほうが何十倍も悲しい。今でも天皇の死んだ時のあのマスコミの異常な反応とその価値観を思い出すとは私や寒気がする。

 そのなかでも皇太子が記者会見に「忍びない」と言いながら、国際親善のためと既に数千人の犠牲者が確認された20日、予定通り中東三カ国に出発した。自分の祖父が死んだときは、あんな大騒ぎをしたが、名も知られない民なら5000人死んでも外遊に出かけるというのか。 

 国際貢献は今でなくてもできるし、世界中がトップニュースで伝え、しかも多くの国々から救援や緊急援の申し出や救援の手が伸びていることを考えれば、外遊を急遽中止しても、相手国が同情こそすれ批判や非難されることはあるまい。

 彼らが外遊を中止して、国内に居たからとて役に立つことはなかろうが、この冬空に30万人もの人が避難所生活していることを考えれば、人の心として配慮できなかったのか、宮内庁や彼らの常識は一体どうなっているのか。 

 天皇家に生まれたからと天皇の権威を守るため特別な人間ときて、その価値観に仕立て上げられたことに気がつかず、何も疑問を感じないのだろうか。我々と何ら変わらない同じ人間であろうが。

 

「公共施設は堅固に」(95.03.02・読売新聞「気流」)

  

 登録していたボランティア組織からの要請で、震災後の神戸で一週間ほど救援活動をした。そこで感じたのは、公共建造物の重要性だった。

 多くの被災者は役所や学校、体育館に避難していたが、これらの建物が民家と同じように倒壊していたら、大変だったに違いない。建設費が多少割高になっても、公共施設はイザという時のために、十分に安全なものに作ってほしい。

 

「国民に実名をなぜ隠すのか」(95.3.25・東京新聞「発言」)

 

 東京協和、安全2審査の預金、融資先の実名が衆議院予算委員会の委員のみに開示されたが、何故、委員だけなのか、国会議員はそんなに特権階級なのか。こんなことを了解する国会自身が言語道断でありマンバークを見て場合によって程ほどにしようというのか。

 国会議員は国民の代表であって特権階級ではなく、議員の知り得たことは国民にも知る権利があり、議員だから委員だからというのは納得できない。

 プライバシーというなら、なぜ毎年の大口相続額や納税ベストテンなどを公表されるのか。

 元新進党の山口敏夫氏は親族の関連会社の多額の焦げ付き不正融資に関し関与を否定するが、誰でもろくな担保もなく安易に貸すなら私も借りに行く。

 この救済は「銀行は潰れない」という神話をさらに強化し、銀行の放漫経営を助長し預金者も経営者に無頓着で利率のみに目がいくことになる。現に金融不安を理由に救済することは、他の金融機関もたいした差がないこと認めたことになるす。

 

「国会決議は政争の具か」(95.3.31・「週刊金曜日」)

 

 3月8日付『読売』社説、「不戦決議を政略で扱うな」に反論する。

 まず社説は、今までにも政府が反省を表明しているのであり、「立法府である国会にそのような資格があるのか」と疑問を呈しているが、国会は国民を代表しているのであり、その責務は立法作業だけではない。一方で行政府は憲法及ぴそれに則った法に基づいて行政を執行する機関にすぎないのであり、憲法に「国会は国権の最高機関」と明記されていることば言うまでもあるまい。

 また、過去の社会党の姿を張り出し社会党を批判しているが、過去ではなく現在合意の上で出来た自社内閣であることの見識を欠いている。そのうえ「先の戦争での日本の行動に侵略的なものがあったことば否定できない」と消極的に認めながらも、国会決議すれぱ一件落着する性格のものではなく、そんなことをしなくても他の方法があると、従軍尉妾婦のための「民間募金構想などを軌道に乗せること」だと述べているが、とんでもない話である。

 従軍慰安婦に国が関与していたことが暴露されたが、それは国の責任であり、それはそのまま国民の責任であリ、関心のある人や善意の組轍や団体、個人で補償して済む問題でなく、国として責任を持って補償するべきであり、必要なら増税してでもその責務を負うべきで、国の責任を個人や組織・団体などの民間に転嫁してはならず、日赤がその窓口引受けを辞退したのは当然であろう。

 ましてや「先の戦争の呼称すら、まだ確定しない」などの主張は戦争責任と何ら関係なく、それぞれの価値観で呼べばいいのであり、呼称を統一確定する必要はなく、履き違えている。

 反共産党、反社会党の機関紙『読売』の姿勢は言うまでもないが、読売は侵略戦争と認めるのか、謝罪の必要性があるのかないのか、目らの意志をきちんと表明せず「政略だからやめろ」とは話の転嫁もはなはだしい。

 

「銀行の駐車場休日に開放を」(95.4.2・朝日新聞「埼玉版」)

 

 多くの都市銀行は営業店舗が繁華街や駅前などで1等地にあるが、す一部の店舗では、土日祝日などの非営業日に駐車場が開放されていないところがある。

 非営業日であっても、最近はCD機など稼働しており利用者も多い。駐車場が閉まっているために多くの人が店舗前や路上に駐車し、周囲が非常に迷惑している。

 もちろん駐車場を開放するかどうかは銀行の自由裁量であろう。しかし公共性や利用者の利便を考えて、ぜひとも開放してほしい。開放している都市銀行もある。

  

「紙切れ一枚の約束守れるか」(95.4.29・東京新聞「発言」)

 

 高レベル放射能破棄物を積んだ「パシフィック・ピンテール」号が、六ヶ所村のむつ小川原港入港前に、青森県知事が異議を唱えたが、「最終処分地にしない」との科学技術庁長官の文書があり妥協したという。

 そこに期限も明示されて、そんな約束が守られるわけはないのは、誰の目にも明らかで、国と県の逃げ口上である。

 半減期が何万年の核廃棄物を、30~50年冷却期間でさえこれだけもめているのに、50年後誰が引き受けるというのか。

 その時に生きてもいない間が「最終処分場にしない」などと死後のことまでその時点で、その時点で、その人たちが考えろはなと言っているも同然である。

 そもそも最終処分地も決まらないうちに、再処理を見切り発車した国の責任であるが、処分地として承認した部分地域住民自身の責任でもある。

 

「8000万円の大金で、なぜ申告漏れ」(95.6.2・東京新聞「発言」)

 

 プロゴルファーの尾崎将司氏が、3年間で8000万円の申告漏れがあったというが、なぜ脱税ではなく申告漏れなのか。

 サラリーマンの女房は100万円起こせば扶養控除から抜かれるのであり、いくら高額所得者で我々と金銭感覚が違うとはいえ、8000万円もの大金を「うっかり」で通る金額ではなく、申告漏れ扱い不平等である。

 確かに、自分の才覚で稼いだのであり、高額の税金を払うのバカらしいと思うかもしれないが、自由競争社会は富める者と競争社会に負けたものが出るのであり、税金はその貧富の格差を是正する「富の再分配」の目的があるはずだ。

 

「閲覧手数料の無料化で高知県を評価」(95.08.11・朝日新聞「声」)

 

 各地の自治体などで、食糧費の情報公開が問題になっているなか、高知県は情報公開条例を改正し、公文書閲覧手数料の無料化の方針を決めたという。この英断を高く評価したい。

 もともと国や地方行政のあらゆることは原則公開であり、国民や住民には知る権利がある。行政府にはそれを知らせる義務があり、そもそも知りたければ手数料を払えという考えが間違っている。

 そして情報公開を拒否するには、住民が具体的に納得できる理由と説明が必要である。隣組もPTAも労組組合費なども“公金”であるが、非公開などということは許されず、当然、市町村、都道府県、国は、公金である税金の使い道を公開する義務がある。情報公開の程度は民主主義の物差しになるのである。

  

「不利益を被る覚悟で」(95.08.25・毎日新聞「アクションライン/核実験」)

 

 武村正義蔵相がタヒチに行くことを一部の自民党議員が批判しているが、それは当たらない。「現職閣僚が」と言うが、靖国神社参拝はよくて反核はダメなのか。そもそも日本の反核姿勢はほとんどが声明や抗議文という形だけであり、国と国民が多少の不利益を被る覚悟での抗議をしていない。被爆国の日本が本気で核実験反対を訴えないでどこの国がするというのか。

 

「官官接待廃止、高知県に続け」(95.09.28・朝日新聞「声」)

 

 高知県の橋本知事が全国に先駆けて、いわゆる官官接待の全面廃止を県議会で明言し、国の役人への接待も、市町村から接待を受けることも廃止した行動を高く評価し

 営利企業ではない公務員がその公務になに故、接待の必要があるのか。接待の有無やその程度に応じて、それが職務に影響を与えるなら、明らかに贈収賄に相当し、違法である。

 公僕であるはずの公務員がその公務執行に料亭やホテルを利用し、ホステスさえはべらせ、酒を飲ませなくては仕事が出来ないとは言語道断であり、先進諸外国では考えられない話である。

 ましてや、いまだに「接待は有効であり、今後も全面禁止するつもりはない」と開き直り、見直しや予算削減にとどめる自治体が多いことは遺憾である。

 しかし、「三割自治」の言葉通り、地方財政が確立されていないことにも問題がある。地方交付金や多くの補助金に頼らざるを得ない状況があり、地方財政の確立が必要である。

 だからといって、それは免罪符にはならない。東京都をはじめ自治体は高知県に続き、接待行政を全面廃止すべきである。高知県が出来て、他の自治体が出来ない理由はない。

 

「報道行動見直す記事評価したい」(95.10.8・東京新聞「ひろば」)

 

 4日付夕刊社会面に坂本弁護士に関する「遺族の心情と報道のはざまで」が載った。

 あらためてて自らの行動を見直したこの記事を評価したい。母親さちよさんもマスコミに不本意な面もあったが、大きく協力した面もあり、記者会見に応じてくれたのではなかろうか。

 家族は最後の最後まで生存を信じていたいものである。第三者が状況から推測報道することの難しさもあり、確かにさつよさんが警察から「生存の可能性はかなり低い」説明を受けたのは報道のかなり後だったのであろう。

 

「食糧費の公開、勧告の通りに」(95.10.23・朝日新聞「埼玉版」)

 

 19日付埼玉版によると、「官官接待」などに使われた食料品の公開請求で、県が接待相手や場所を非公開にしたことについて、市民団体から救済の申し立てを受けた県情報公開監査委員が、県に公開するよう勧告したという。良識的には当然だが、その勇断を高く評価する。

 もともとこれは金額の問題というより、その支出が適切であるか否かが重要だ。設定の相手とその理由は市民が納得できるものでなくてはならない。接待相手が特定できない限りは、密室での支出であり是非の判断さえつかない。

 そもそも市民の常識で考えれば料亭やホテルなどで飲み食いしなくては公務ができないと言うのは到底理解できない。接待の有無や程度が公務に影響与えるという名それは、「官官贈収賄」である。

 高知県では官官接待廃止を県議会で宣言したが、埼玉県もそれができないなら、市民の納得を得るために今回の勧告を受け入れるべきだ。

 

「大声で挨拶し、嫌でも返事」(95.11.15・東京新聞「発言スペシャル」)

 

 今、きちんと挨拶できない若者が多いという声がある。同感である。挨拶と返事は仕事以前の問題であり、挨拶や返事ができないので人間関係がうまくいかない。

 私は新入社員が入るとまず挨拶と返事をやきちんと相手にき伝えるようにという。朝、職場に入るとき私は意識して大きな声で「おはようございます」という。そうすると嫌でも返事せざるを得ない。

 相手に聞こえない挨拶や返事はしたことにならず、共同作業ではきちんと意志伝達をしないと大きな怪我をする場合もある。

 朝、みんなで「おはよう」挨拶できる環境なら1日、憂うつに過ごさないで済むのである。それから「ありがとう」と「ごめんなさい」のも気軽に使いたいものである。

 

「『ゆりかもめ』に運転手は必要」(95.12.05・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 東京臨海新交通臨海線の無人電車「ゆりかもめ」が先月二十九日、レインボーブリッジの上で緊急停止し、乗客は一時間ほど車内に閉じこめられた後、暗く寒い橋の上の通路を一・三キロ先の最寄り駅まで歩かされたという。

 緊急停止の原因はなんと、たった一枚のベニヤ板だったというが、運転手がいたら恐らく事前に障害物を発見し、事なきを得たのではあるまいか。これは「停止したのだから問題ない」というものではない。

 しょせん機械は人の代わりにはなり得ないことを示している。かつて大阪の新交通システム「ニュートラム」の無人電車が車両止めに衝突した事故もあった。

 人の削減がそんなに大切なのであろうか。「輸送の使命は安全」であり、多少運賃が高くなっても、私は運転手を乗せてもらいたいと思う。否、乗せるべきである。

 

「心配していた原発事故が現実に」(95.12.15・朝日新聞「声」)

 

 敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」の冷却材ナトリウムが漏れ、その処置が遅れている。

 かつて原発は絶対安全と、国は「原発神話」を押し付けてきたが、現実には放射能漏れ、細管のピンホールや自動停止など各地でトラブルが続発し、今や現地では住民の避難訓練さえ行われている。

 ナトリウム利用の危険性は当初から指摘され、現に英、独、仏でもナトリウム漏れを体験し、その安全な取り扱いは困難と、高速増殖炉の導入を断念したのである。原発後発の日本がその技術が特別高いわけはなく、綱渡りの技術であり、今回のトラブルについて動燃も科学技術庁も想定さえせず、原因の調査にはまだまだ時間がかかるとされている。

 それでなくても、日本は地震列島であり、たとえ原子炉本体が崩壊しなくても何百何千本もの配管が地震で破損しないわけはなく、火力発電のように水漏れや水蒸気爆発では済まないのであり、勇断をもって断念すべきである。

 

【1996年】

 

「本庁職員遊具運憤りを感じる」(96.1.7・東京新聞「ひろば」)

 

  12月27日付「TOKYOU発」を読んだ。

 深夜帰宅のタクシー利用について、同じ都職員なのに三交代を余儀なくされている都立病院の看護婦には立替払いの請求に、領収書はもとより乗車経路、会社名、運転手、利用日時、料金請求額まで記載させるそうだ。一方、本庁職員のクーポン券利用は受け払い簿に記入するだけで、領収証も必要ないと聞き、その差別に憤りを感じる。

 これは本庁職員が特権階級と錯覚したうぬぼれであり許せない。「事務が繁雑になる」というなら全て同じ扱いにするべきである。

  

「総背番号制より、情報公開が先」(96.4.2・東京新聞「発言」)

 

 自治省の研究会がいわゆる「国民総背番号制」導入の最終報告書を提出したが断固反対する。

 自治省の目的が「唯一行政事務の効率化」であり、プライバシーや人権を考えると行政事務の効率化にプライバシーに優先させることはできない。

 報告書はプライバシー保護について他のデータベースに接続しないとか、民間への提供の禁止などをいうが、そんなことが守られないことはこれまでの事実が証明している。

 既にメール業者など存在し問題になっているが、過去にも埼玉県の志木役所などからも直接住民基本台帳のデータが漏れていた事実も発生しているのである。

 情報公開法さない状況で、国や自治体がどのような個人情報を収集するかわからず、氏名、住所、生年月日にとどまらず、即刻所得や徴税はもちろん、やがて職業や年収ところが、子供の内申書の成績、思想信条さえ記載憶され国民をコントロールすることになりかねない。到底、事務効率の向上をはプライバシーや人権と引き換えることは許されず、情報公開法の成立が先である。

 

「電話の受信番号公開、新たな危険も」(96.06.26・朝日新聞「声」)

  

 迷惑電話やいたずら電話防止のため相手の電話番号を表示させることは理解するが、それを一律に強制することには反対である。

 これは掛け手の番号を公開することにより新たに迷惑電話被害を拡大する道にもなりかねない。いま個人の電話番号を電話帳に載せない人が増えているが、その意味を理解していない。

 メーカーやディーラー、旅行業者などへの電話問い合わせなどで電話番号が相手に知れれば、しつこく勧誘されたり、ただで関心のある人の電話番号が集約できたりする。現在でさえ売り込みなどの迷惑電話は少なくないのである。

 ましてや百貨店や銀行関係、通信販売業者が、自分たちの利益と効率化のために賛成などということは許されない。電話番号がプライバシーであることを理解していない。

 これを認めるなら名簿業者同様、早々に電話番号業者も発生し、第二の国民総背番号制にもなりかねず、導入するなら掛け手の意思選択が許されなくてはならない。

 

「流されずに 自分に正直にが」(『400字の遺言』講談社収録96.7.10)

 

 二人の子供に告ぐ、私はお前たちに出世も名誉も富も期待しない。ただ自分に正直に生きてほしい。本音と建て前を使い分けず、何が正しく何に価値があるかを自分でしっかり考え判断できる人間でいてほしい。

 人の価値は「優しさと思いやり」で決まると、私は信じている。人や他人に迷惑をかけない限り自由であり、他人の評価や多数意見に流される人間になってほしくない。

 私に影響を与えた人、宮澤賢治、田中正造、林竹二、そして、ソ連政変で知られた杉原千畝、そんな人たちがどう生きたか知ってほしい。

 人の一生はやり直しはきかず、死ぬときに後悔しても遅いのである。

 私は定年まであと数年、未だ平社員だが仕事は誰にも負けないつもりで頑張ってきたし、何の後悔もない。お前たちも自分の心に正直に悔いのない人生を生きてほしいと思う。

 

「静かな深緑の一軒宿」(『旅』96.8月号)

 

 6月はじめ、職場の山中の3人で、日本海に近い新潟の権現山の鉾ヶ岳を登山を試みた。登山口の柵口温泉からは急登の連続で、鉾が岳への道にはあちこちに残雪が残っていた。下山の宿は、地図で見つけておいた一軒宿「島道温泉計」計画通り3時に到着。三代目の家色白のおばあちゃんが、娘さんと快く迎えてくれた。築70年とかなり年期が入っている、旅籠という感じの鉱泉だが、畳や襖障子が張り替えられて気持ちが良い。何よりも静かで新緑の美しく、まさに命の選択ができた。天然ガスも出るため、いつでも自由に風呂に入れるのも有難い。囲炉裏の自在鍵に掛けた大きな鉄瓶も、その天然ガスで沸いていた。薄暗い階段を上って正面には70センチあまりの石の薬師如来像が安置されている。昔、ある人が鉱泉の近くに埋まっていると予言、発見されたものだという

 宿の裏には池があり、周囲にはホオの木やモミジもある。10月中旬には紅葉がきれい、とおばあちゃんの話で、何時の日か、今度は秋に行ってみたいと思う。

 宿には山奥の高台にあるが、高速のICイから車でわずか15分と到底信じがたい。「何しろ静かな所」という人にはぜひお薦めであり、好きな本でも持ち込んで滞在できれば最高の贅沢であろう。

 

「いでよ、田中正造のような政治家」(96.10.9・東京新聞「発言」)

 

 3日付″ミラー〟「生きることは他を生かすこと」(元文相瀬戸山三男氏)を考え深く拝読させていただいた。

 筆者が92歳という高齢りにも負けず、いまだに理想を求め発言を続けていらっしゃることを尊敬するとともに、このような人にこそいつまでも政治家をやっていてほしかったと思う。

 政治家のレベルはそのまま参政権を行使する有権者のレベルであり、政治家を批判することはそのまま自らを批判しているに等しいのである。

 「井戸塀政治家」は死語になり、出したい人より出たい人が立候補し、何処から出れば有利かしか考えない立候補者。

 代議士の職を投げ出し貧しい百姓のために明治天皇に直訴までし、最後は貧しい農民と共に生き頭蛇袋一つを手にし農家の庭先で倒れ、井戸塀政治家だった田中正造のような政治家はもう出ないであろう。

  

「憲法に反する盗聴の見直し」(96.10.7・朝日新聞「声」)

 

 法務省は、刑事分野の法政見直しを法制審議会に諮問するというが、その中に、「通信傍受」を認めさせる案が入ってることに断固抗議する。

 法務省は犯罪捜査や容疑の裏付けなどに、裁判所の形状によって傍受を認めるよう明文規定を設け、その内容に電話やパソコン通信、インターネットなどの有線に限らず、無線防除も含め認める見直しというか、これは正に憲法21条の検閲の禁止、通信の秘密の保障に反し違憲である。

 傍受は当然、事前了解を取ることはあり得ず、一方的に行うものであり、それは官権・国家権力だけが一方的に行使することが許される結果となり民主主義に反する。

 裁判所の令状つけるというが、既に「逮捕状」の発行については、請求されるままに発布されているが実態であり、この盗聴は事件発生後に限られず、予防にも使われることは十分予見でき、またしれを、思想信条や宗教組織など、あらゆる方面に利用することが考えられ、プライバシーや人権は無いに等しい。

 一般市民が、何らかの理由で権力に盗聴されることは十分予測され、それに市民が、気がつくことはできない。そんなことが合法的に許される社会は民主主義社会ではない。

 

「定年したら放浪の旅」(96.11.18・東京新聞「われら中高年」)

 

 私の定年後の夢は、軽自動車のワンボックスカーを買い、寝袋と折り畳み自転車の乗せ、半月単位ぐらい、日本国じゅう放浪の旅をすることで、

 車で寝れば費用はかからず、疲れたら民宿やペンションに泊まり、洗濯物は車の中に針金で吊して乾かす。街の中は駐車場に車を止め、自転車で街歩きをするのである。こうして鎌倉、倉敷、高山、京都、角館、函館などの街を自転車で回ってみたい。

 

【1997年】

  

「信念の人影響数々」(97.1.8・東京新聞・「発言スペシャル」)

 

 私に最初の影響を与えたのは小学校ころ、ラジオで聞いた宮沢賢治の伝記で感度を受けたのは、彼の作品そのものよりも貧しい農民に生涯をささげた賢治の人生に感動した。

 次に名主家に生まれ、代議士までやりながら、農民のために尽くし、まさに井戸塀政治家を貫き、最後は農家の庭先で倒れ一生を終わった田中正造。

 そして田中正造の研究彼家もあり、国立大学の学長を定年退官後は奥様とともに各地の荒れた学校や定時制高校を講演をして周り、「私はじめて本当教育を知った」と述懐実感した故林竹二。彼は「教育が変わること」とも言っていた。

 ほかにも、内村鑑三の影響を受け、山形県小国町に設立された、一学年一クラスの日本一小さい制高「基督教独立学園」で百歳まで授業した梅子先生などから、私の思想や価値観は大きな影響を受け、敬愛する方々である。

 

「『測候所廃止』で効率化に疑問」(97.1.11・東京新聞「発言」)

 

 気象庁は今年3月から関東・中部地方でなどで5カ所の測候所を、「業務の効率化」の名の下に廃止、無人化するという方針である。労組や地元自治自治体などが反対しているというが、私も反対意見を支持する。

 効率化に反対するするつもりはないが、官官接待やヤミ出張・手当に食料費の不正や福祉の丸投げなどでも何十、何百億円もの無駄をしながら、たった数人の接測候所の人数を削ろうというのか。灯台や交番の無人化も増えているが、人を削るだけの効率化ではあるまい。

 いくら無人化・自動機器が発達しても、それらは決して人に変わるものではなく、東京湾を走る無事電車の「るりかもめ」は開通早々たった一枚のベニヤで止まってしまい、客だけの電車の乗客は高い海の上のブリッジを歩かされたのである。

 B長く地味な測候所の記録の積み重ねを理解していれば、安易に無人化の提案はできないはずである。そしてすべてが数字に代えて済むものだろうか。

 

「動燃の理事長人事にも問題」(97.04.29・読売新聞「気流」)

 

 参院予算委員会に参考人として出席した動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の近藤俊幸理事長が、自分が理事長になった経緯について「望んで(動燃に)来たわけではない」と思わぬ本音を口にした。驚くとともに、こうした人材を組織のトップにつけた動燃の人事のあり方に問題があるとの印象を強くした。

 質疑の冒頭、近藤理事長は「国民に不安を与えた。責任者として深く受け止めている」と陳謝した。ところが、「望んで来たわけではない」と言い放ったうえに、「どうしても後を引き継げと言われて……」と責任感を疑いたくなるような発言まで飛びだした。

 いかなる経緯があるにせよ、理事長職を引き受けた以上は、責任ある立場であることに変わりはないはずだ。いくら都合が悪くなったからといって、「望んで来たわけではない」とは不謹慎である。国会の予算委員会という公式の場で不穏当な発言をした人物はもちろん、こうした人物をトップに据えた動燃の人事体質自体も問題である。こうしたところにも危機管理に鈍感な組織の弱さが顔を出しているように思える。

 

「ハナミズキの歴史を忘れまい」(     新聞「TV&芸能」欄)

 

 ホリデイにっぽん「ハナミズキの旅路」」(5日・NHK)を視て、日本がアメリカに送った桜のお礼に、アメリカハナムズキが送られたこと知った。毎年ワシントンの桜祭りはあるのに、ハナミズキはその行方さえ分からず、日米の戦争で冷遇された可能性さえあるとは・・・。ワシントンの桜との扱いの差ににただ恥じ入り米国民に謝罪するのみである。贈られた原木を突き止めた、嶺与志彦さんありがとう。そしてハナムゾキの歴史を忘れまい。

 

「存在意義なし、現在の環境庁」(97.05.29・朝日新聞「声」)

 

 諫早湾干拓問題で環境庁の姿勢が批判されているが、石井道子長官はすでに排水門を開けないことに、「個人的に賛成」との態度を表明しているという。しかし、これは個人の考えを反映し固執する課題ではあるまい。

 すでに農地は転作や休耕田が生じ、同じ干拓の秋田県大潟村では減反問題で大騒ぎをしたのであり、農地は足りていると考えるのは常識であろう。

 国債発行残高が国家予算の三倍を超え、その脱却のメドも立てずに二千億円を超す大金を投じて農地を作り出す必要はなく、その農地をだれが買い、だれが耕作するのか。防災対策なら他の方法がいくらでもある。

 膨大な金をかけての自然破壊は許されず、尾瀬の長蔵小屋三代目の今は亡き平野長靖さんとともに、尾瀬の林道阻止に力を貸した大石武一元環境庁長官は現役を退き、八十七歳になったいまも各地で自然保護運動や講演をなさっている。

 環境庁は、発足当時からその業務が行政と相いれないことが存在することは覚悟の官庁であり、その職権を行使せずに行政執行に「お墨付き」を与えるだけの環境庁なら、その存在は弊害であり無いほうがよく、廃止した方がましである。

 

「首相の責任は総辞職しかない」(97.10.10・「週刊金曜日」)

 

 佐藤孝行前総務庁長官が就任から僅か12日で辞任した。

 しかし、彼は就任後にで辞任や罷免されるようなことはしておらず、主任前の経歴が問われたのであり、でれはが就任した彼の責任ではなく、指名した橋本首相に責任である。

 首相は彼を指名した当時「批判は覚悟の上うえ」と開き直り、記者の質問にも「コメントしないのがコメントだ!」と選挙民をバカにした発言をした。

 に行きが、そもそも選挙民は佐藤氏を選んでおらず(選挙区で落選)、比例名簿に載せたのは自民党の政治レベルであり、彼を入閣させたののは橋本首相の政治レベルなのである。

 そもそも、一国の首相が自立できずに悪い先輩の言いなりになった結果であり、その先輩は「優秀な後輩の面倒をみるのが先輩」と言ったが、 優秀だったかもしれない後輩の面倒を見損なった結果が「受託収賄」だったのではないのか。

 しかも、その先輩が形成不利となるとだんまりを決め込み、「あまり首相に迷惑をかけないほがいい」と言い残し選挙区の群馬へ帰ってしまう無責任ぶりである。 

に 無責任なのは首相も同じである。指名した自分の責任であるものを、官房長官に辞任説得役を、押し付ける卑怯者ぶりであり、この責任は内閣総辞職か解散で選挙民の判断を仰ぐことは意外なく、「罷免」ではなく「辞任」とはその裏には次回選挙で名簿順位「当確」の約束が存在したと推測されても仕方あるまい。

 

「内海好江さんの死に寂しさ」(97.10.11・読売新聞「気流」)

 

 漫才師の内海好江さんが、六十一歳の若さで亡くなりました。あのきっぷのいい早口の江戸っ子言葉をもう聞けなくなるのが、寂しく感じられます。

 最近の大人は八方美人になりすぎて、若者らの言動をき然とした態度で注意できる人が少なくなりましたが、好江さんは、テレビ、ラジオの情報番組などにコメンテーターとして出演し、若者の礼儀知らずな面についても悪いものは悪いとはっきり批判していました。

 好江さんは東京・浅草の出身ですが、私も東京・神田の下町で生まれ育ちました。昔は町内に一人や二人は怖いオジサン、オバサンがいて、他人の子供であろうと知らない子であろうと、迷惑をかけたり悪いことをすれば、どなりつけてくれたもので、私はそのイメージを好江さんに重ね合わせていました。

 四十七年間にわたりコンビを組んだ内海桂子さんによれば、コンビ結成当時、好江さんは十四歳で、「あめ玉をしゃぶっているような子供」だったといいます。好江さんが、当代随一の女流漫才師として成功されたのも、今の若者には到底耐えられないような厳しい修業の賜物(たまもの)だったのでしょう。

 好江さん、素晴らしい芸を本当にありがとうございました。

  

「『富の再分配』に利子課税必要」(97.11.20・東京新聞「発言」)

 

 15日付本欄「景気対策に利子課税廃止を」に一言。

 年金生活者の預貯金にも課税されると批判するが、私は当然であると思う。汗して働いている者としては、働かずして大金持ちが預金や株で、金で金を生む辞退に反感を覚える。

 そして、年金生活者や貧乏人が本当に利子課税に悩むほど預貯金をしているだろうか?現役で働いている私でさえ住宅ローンや教育で利子を気にするほどの預貯金ができないでいる。

 もともと年金積み立、増やすのが目的ではないが、年金の一部預貯金に回すのは自由である。しかし、そのときの利子を気にするほど積み立てである貧乏人がいるのだろうか?

 もし、いるとすればすでに貧乏人ではなかろう。

 利子課税廃止で喜ぶのは貧乏人おり資産家や大金持ちであり、利子課税や相続税を強化すべきであり、税制には「富の再分配」の目的を」課さなくてはならない。

  

【1998年】

  

「廃棄物処理が製造責任者で」(98.1.18・東京新聞「ひろば」)

 

 11日付で〝TOKYO発〟「。産廃問題の解消責任問う法整備必要」に全く同感である。

 物を作った企業はその製品の中身は構造、処分方法にいちばん詳しいはずで、ドイツの自動車のように製造者責任にすれば、その尻は自分に回ってくるため、最初からゴミのでないものや処分するしやすい材料を使い、分解処理のしやすさも考慮して製品を作ることになる。

 日本の現状やメーカーは売ることだけしか考えず、いつになってもこの問題は解決しない、その費用はいくらでも商品価格に上乗せすればよく、メーカーの価格上昇を消費減と考えるから公的に強制する他ない。

  

「商業利用促すナンバーディスプレイ」(98.4.10・「週刊金曜日」)

 

 NTTの「ナンバーディスプレイ」制度が聞き実施されたが、電話帳への番号を非公開にしている我が家にも何度も確認書類がきたが、電話帳への記載を断ったいるのになぜ問い合わせの必要があるのか。

 問い合わせの通信費を無料でなく、そもそも公開を希望する人のみ公開すればよく、問い合わせや返事をだうっかりすると公開されてしまう方法そのものが間違いであり、電話番号がプライバシーであることを理解していない。

 NTTは盛んに「迷惑電話対策」というが、企業や職場に電話帳を利用させることが見え見えであり、現に商店や企業はデータベース化して使いはじめ、その集めた電話番号情報の転用や目的外使用禁止などいくら規制しても守れないことは容易に想像がつく。

 例え番号表示をしても、10桁もの番号を何人分覚えていられるというのが、不特定多数かかる電話番号が表示されても、誰だか分からないからと出ない訳にはいくまい。

 また逆に言えば商業利用や悪用されるのを防ぐため、発信者が番号を番号を公開しないと受信拒否されるのも問題であり、それは番号電話というプライバシーを相手に伝えることを強制するもので、NTTにプライバシーを強制的に開示させる権利があるのだろうか。

 NTTはその選択は受信者の裁量だというが、それはこの制度を導入したNTTの責任であり、行政は官憲が苦情や告発相手を特定することもできるのである。

 

「税の重み忘れた〝ヤミ休暇〟」(98.08.22・読売新聞「気流」)

 

 先月の参院選で投開票作業にあたった川崎市職員百十二人が、時間外手当を支給されるのにもかかわらず、選挙後、出勤簿上は出勤扱いのまま代休を取っていたことが分かった。

 投開票作業の際に同市の担当職員に支給される時間外手当は、高い人で一時間当たり四千―五千百円。つまり、こうした手当に加えて、“ヤミ休暇”までとっていたわけで、休む際には職員がその旨を所属長に口頭で伝え、暗黙の了解を得ていたというのだから驚くほかない。不況に苦しむ民間企業で、手当の支給されないサービス残業や休日出勤が珍しくないことを考えれば、信じられない話である。

 市は、休んだ分を有給休暇や夏期休暇に振り替えるよう職員に指導したというが、それですむ問題ではないだろう。

 市の幹部らは、常識からおよそかけ離れた行為を許してしまった責任を明らかにするとともに、税金の重みや公務員の立場というものを、もう一度よく考えるべきである。

 

 【1999年】

 

「産廃施設問題住民の同意を」(99.1.29・東京新聞「発言」)

 

 厚生省は、産業廃棄物処理建設について、多くの自治体が周辺住民の同意を求めている「は住民同意条項」が改正廃棄物処理法に反する可能性があるとの解釈で撤廃を指導し、従わない自治体を個別指導する方針という。

 そもそも地方自治に国が口をはさむことは自体間違っている。埼玉の所沢に限らず、各地の処理場周辺でダイオキシン問題や排水問題が起きており、周辺住民に大きな影響を与えている。

 土地所有者だけの問題では収まらないことが現実に起きているのであり、地域住民の意向を無視するような厚生省の考え間違いである。

 しかし、処理場は当然必要であり、ゆえに地域住民との話し合い、納得・合意の上で建設すべきものである。東京・日の出町にある処理場のようにデータさえ開示しない姿勢なら、とうてい住民の理解や支持は得られない。

 厚生省は地域のことは地域住民で自決する「自治」も「民主主義」も理解していない。

 

「日本の援助隊活躍に期待」(99.8.22・東京新聞「発言」)

 

 トルコで大地震が発生し多数の犠牲者が出ているが、日本の国際援助隊の第一陣台20人がその日のうちに出発した(18日付朝刊一面)。嬉しく、誇りにに思うと同時に隊員の皆さんに感謝したい。これで日本おカネを出すだけで汗をかかないとか、外国隊が先着し一段落した頃に着くなどの批判があったがなに、より早く現地に着くことが重要であろう。

 生活習慣はもとより言葉も通じないなかでの援助活動はどんなに大変かと思うが、救命に国境はない。今回は海上保安庁、消防庁からの派遣なので、軍隊がどうのこうのという批判もあるまい。

 神奈川県のキャンプ事故でも腰まで川につかり、命がけで向こう岸に渡っって救助するレスキュー隊員を見たが、仕事とはいえ感謝にたえない。派遣された。救助隊員の皆さんの無事とでしく。健康を祈る。

 

「起きるべきして起きた『ツアー登山』での悲劇」(99.10.1・東京新聞「発言」)

 

 蝦夷富士と呼ばれる美しい羊諦山のツアー登山で、2人の犠牲者が出た。私は以前から「ツアー登山」に危惧を抱いていた。

 旅行と違い登山はツアーを組んで行くのにはなじまない。参加者は山岳部や山中間ではない。初めて出会った力量が分からない人たちで、初心者や登山未経験者、中高年など体力や経験に自信のない人もいるだろう。

 原則として登山は自己責任であり、自分の足で登り下山するまでが登山である。「同行者がいるから安心」という安易な考えは非常に危険である。しかも、今回の登山は高齢者を同伴し、暴風警報さえ出ていたのに登山を強行したのは言語道断であろう。グループ登山では姿の見える範囲、声の届く範囲で行動するのが常識である。伝えられるようにバラバラになって見失った」としたらもってのほかである。

 私は20代から山歩きはじめ、いまも年数回出かけて出かける。登山には素人である市民運動仲間のレクレーションに参加する場合でも、目的地が登ったことのある高尾山などでも、必ず事前に歩いてみる。リーダーは必ず最後尾に付き一番弱い人に合わせて行動する。これが鉄則である。

 添乗員が一緒に登るならツアー客が、添乗員をリーダーと思い頼るのは当然であり責任は重い。力量に格差がある混成部隊で、一人ひとりとの程度の力があるかも分からないのだから、ツアー登山は止めるべきなのである。

 山を知っている人は自分で計画を立てるが、ツアー登山には地図も読めない人もいるであろう。「添乗員が登山歴20年のベテランなので任せた」と、たった一人しか行かなかった添乗員への責任転嫁の無責任であり、会社部分の責任が問われて当然である。

 

「過半数の横暴、許してはならない」(99.11.03・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 自民党が来年1月からの企業・団体献金禁止に反対し、法改正の方針を決めたことに抗議する。

 自自公で過半数を取れば法律の目的を反古(ほご)にし、都合のよいように改悪することが許されるのか。多数を握る権力がそのようなことをするなら民主政治の崩壊である。自民党は献金継続の条件として政党助成金の削減を打ち出しているが、話は逆であり、献金を廃止する目的で政党助成金制度を導入したのである。

 企業や団体には参政権はなく政治団体でもなく、そのような組織の献金はひも付きになり、その体験から政治浄化の目的でできた法律である。

 政治に金がかかるなら政党助成金を増やしても献金は禁止すべきだ。問題は闇(やみ)の中で金が動くことであり、税金であればガラス張りでなくてはならず、自民党はそれが困るから反対している。

 過半数の横暴を許してはならない。民主主義は「少数意見の尊重」であり、それはただ「聞くだけ」ではない。

 

【2000年】

 

「諸悪の根源は銀行」(00.1月・分会新聞、「ぼろ手」)

 

 この国は長い間、自由経済ではなく官僚主導の法に基づかない、官僚指導の「行政指導」のもとに管理経済行ってきた。しかし、こんな金融常識が世界では通用しないしないのでる。外国ではダメな銀行はバタバタ潰れるのは当たり前で、日本のように行政主導で横並びということはない。

 銀行協会と自民党政府が一体で、銀行からの自民党への政治献金は常にトップだった。税金投入後も「献金割り当て」を伝える「タカリ」ぶりである。世の批判に個人への政治献金を禁止されようとしているものの、抜け道を考を政党では今まで通りとは言語道断である。

 湯水のごとく税金をつぎ込み潰れるべき銀行を潰さず、銀行幹部は責任を取ることなく、それどころか多額の退職金まで戴いているのである。中小企業では銀行の貸し渋りによって経営破綻に陥った。〝道義的責任〟を感じて首を吊った事業主事業主までいる。銀行の担保不足は自己責任なのである。

 そんな一方で大企業には債権放棄などということが平気で行われ、あの水俣病を招いたチッソに興銀はなんと626億円の債権放棄をするという。当然、その銀行には税金が投入される。私の住宅ローンも債権放棄しろ!と言いたい。これによりチッソは2000年3月期損益は500億円余の黒字に転換だというのだから腹が立つ!

 銀行が個人に金を貸さないの日本だけと聞く。それ故、個人はサラ金や日栄などのノンバンクで借金をして、サラ金業者は高利で稼ぎまくる。もともとサラ金などに資金を横流ししているの銀行であり、なぜ銀行が自らが個人や中小企業融資しないのか。そうすれば高利これらノンバンクで金を借りる必要はない。

 未だペイオフ廃止も決まらないが、もともと一人当たり1000万円の保障枠があり、ペイオフ延期(拡大)は、預金者保護に名を借りた金融機関保護である。社会が混乱し、自民党政権が崩壊するのを防ぎ、金融機関からの政治献金を確保するためであり預金者保護ではないのである。

 この一人1000万円は一人一金融機関ということなので、大手都市銀行だけでも9行、信託銀行、地方銀行、第二地銀、信金、農協、郵便局など1億や2億の保障はそのままできるのである。一体そんな預金を持てる人がどれくらいいるのか、これは単なる金持ち保護の何ものでもない。

 

「納得いかない建設相の発言」(00.02.03・読売新聞「気流」)

 

 徳島県の吉野川可動堰(ぜき)建設計画の是非を問う徳島市の住民投票は、「投票率が50%以上になった場合だけ開票する」という異例の条件のもとで投票が行われた。住民投票を成立させないため、投票を棄権しようという動きもある中、投票率は55%となり、計画反対票は投票総数の九割と圧倒的多数を制した。

 中山建設相は住民投票について「民主主義における投票行動の誤作動」と発言。本紙のインタビューにも「そんなものに判断していただく気はない」と述べ、計画反対に転換した徳島市長については「市長の責任を捨てた人」と批判した。

 普段、民主主義は多数決と言いながら、都合の悪い時には誤作動だというのでは、あまりにも身勝手だ。政府が国民の意思を尊重するのと同様に、市長が市民の意思を尊重するのは当然だ。

 それでも国として必要だと判断するなら、住民の意思を無視してでも建設すればよい。その結果については、国民が次の選挙で判断を示すことになるだろう。

 

「少数意見無視、言論の府危機」(00.2.4・東京新聞「発言」)

 

 国会の混迷を与党は言論の府を放棄した野党の責任だというがそうだろうか?

 もちろん民主主義はは原則多数決であることは否定しないが、私は子供の頃「民主主義や少数意見を尊重すること」とも習った。尊重と「聞くだけ」ではなく、聞き入れなくては「尊重」とは言わない。

 しかし、最近の国会審議の場は言論ではなく、言論の儀式の場となり単に事件経過の場と化し審議には程遠い。

 しかもで、、日の丸・が君が代という価値観や心の問題まで、学校での「指導の強制」はクリスチャンの教師に仏教を信じるように教えろと言っているに等しい。また、憲法で認められている「通信の秘密」まで捜査の名の下に盗聴(傍受)を認める法律を一方的に多数決で決めてしまったが、これは到底「言論の府」とは言えない。

 民主主義は多数決で何でも出来ることではなく、少数意見を取り入れ妥協するということだ、と子供の頃習った「民主主義」を私は今も信じている。

 その民主主義に反することに疑問を感じず、与党のみで審議を進める現状に民主主義の危機を感じる。与党が自らの行動に自信があるなら解散して民意を問うべきである。

 

「アルミ車両の危険性証明?」(00.3.11・東京新聞「発言」)

 

 東京・中目黒での地下鉄日比谷線脱線衝突事故で大きな犠牲者が出た。原因究明には多少の時間がかかるだろうが、しっかり原因を解明しなければならないと思う。

 私の私鉄で電車の検査している一人だが、破損状況を見てアルミ合金車両の危険性が証明されたように思う。鉄道会社は効率を考え、車両の腐食防止や軽量化のためアルミ車両を導入しているが、その強度はに明らかに鋼鉄やステンレスに比べ弱く、鋼鉄車両だったら犠牲者が少なかったかもしれない。アルミを素材に使うに当たって、効率一辺倒でなく、強度補強の対策が万全だったか気になる。

 また事故と直接関係をあるまいが、車両検査を延ばしてきたことも気になる。技術が進歩し故障も少なくなった。しかし、私が入社した40年前は自動車の車検にあたる重要部、全般検査という作業は1年半事だったが、やがて2年なり3年になり現在4年に延ばされようとしている。更に毎日の検査と月1回の検査が3日、と3カ月に延ばされてきたが、これは運輸省が認めてきたことである。

 最近の電車はサービス、安全機器などが増え、非常に複雑になったうえ検査が延び、その分、現場の点検担当者に負担がかかっているのも無視できない。これを教訓に一層の安全対策への努力をで望みたい。

 

「『公金の投入』は権力保持のため」(00.4.25・東京新聞「発言」)

 

 株価急落を受けて「公金投入で株を支えR」という与党政策担当責任者の緊急対策提案に、自民党など与党内からも批判が出た。当然である。

 銀行の不良債権処理などで政府は必要ないという銀行にまで、総額何十兆円もの公金を投入した。今度は公金で株を買い支えるというのか、この国の経済は自由競争ではなかったのか。

 銀行が潰れのも株価が下がるのも自由競争の結果であり、それにより混乱するのも自由経済である。

 銀行救済も株買い支えもそれは国民のためではなく、その混乱が間違いなく政府の崩壊を招くのでそれを避けるための方策なのである。

 権力保持のために自由経済に手を加えることは許されない。それは結果として世界に通用しなくなり、ますます信頼を下げる結果になる。

 

「日本は市民中心の民の国」(00.6.10・「比企丘陵から」)

 

 森首相は党首討論をボイコットし、国会論議を避け、5月26日、「神の国」発言の釈明会見を開いたが、とうてい納得できる内容ではない。

 彼は「天皇をの神と言っていない」と主張するが、そんなことは子供でも承知していることであり、問題はそんなことではない。「まさに、天皇を中心にしている神の国であるというこ」との後段の「国民の皆さんにしっかり承知していただくこと」の部分こそ問題なのだ。

 これは「君が代・日の丸」の指導・強制と同じ価値観の指導押し付けを意味している。彼が私人としてどう思うと勝手であるが、そもそも一議員の立場ではない首相が、「神道政治連盟国会議員懇談会」などという組織に籍を置き発言すること自体が違っている。き

 しかも自らの発言行動に自民党と内閣の立場の違いすらわからない彼は、若い記者から「資質に問題」と指摘されているが、もっともな指摘であろう。

 天皇中心が?市民中心が?、神の国が?民の国が?

  これは思想信条や価値観の問題であり、「しっかり承知していただくこと」などと強制されてたまらない。釈明会見の中で、他の多くの神のことも述べているというが、神の存在を一切信じない無神論者も新もいる。

 また、「象徴天皇は誰もが認めていること・・・」などと決めつけっれてもたまらない。戦争責任さえ負わずに亡くなった昭和天皇の誕生日の「みどりの日」を「昭和の日」に名称を変更しようという動きと一連のものである。同じ人間を天皇と祭り上げ利用してき。歴史を忘れてはならない。

 天皇や天皇制を否定する人たちがいるのであり、その人たちを、また「非国民」など言わせるつもりなのか。それは、まさに「何時か来た道」であり、決して再び歩んではならない道である。

 多数決で決めていいことと、決めてはならないこと(もちろん思想信条の自由は多数決で決めてはならない)を理解しない彼に首相の資格はない。

  

「漁師の助け合いに感動した」(00.09.08・読売新聞「気流」)

 

 三宅島から避難する漁業関係者を、静岡県下田市が地元の漁協などと協力して、漁船ごと受け入れることを知り、うれしくなった。「船を捨てて島を出ることはできない」という島の漁師からの相談にこたえたものだという。

 困った時にはお互い様とはいえ、なかなかこうした協力はできないものだ。

 漁師が生活の糧である船を置いて島を去るのは家族を置いていくのも同然だろう。船を置いていくことになったとしたら、さぞやつらい思いをしていたことだろう。

 島の漁師さんは、私が感じる何百倍も喜んでいるに違いない。私も「本当にありがとう」と言いたい気分だ。

 こうした支援は、普通のサラリーマンにできるものではない。同業の漁師さんたちだからこそ出来た支援で、同じ漁師の心意気を感じた。

 人の恩を受けた人たちはそれを忘れず、いつの日かその恩を返すに違いない。このような良い話が続いてほしいと思う。

 

 「日本政府に金大統領を祝福する資格はない」(00.10.27「週刊金曜日」)

 

 金大中韓国大統領のノーベル平和賞受賞を大いに讃えたい。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対し、自らがまず大きく譲歩する金大統領の「太陽政策」は当初、韓国国内で批判を浴びたが氏が信念をを貫いた結果が今回の受賞につながった。

 「太陽政策」正しさは、例えば中国撫順戦犯管理所に収容された元日本人戦犯の例からも実証されている。撫順戦犯管理所の待遇は正に「太陽政策」といえるもので、詳しくは本誌335号(1月13日)に掲載された「中国へ『帰郷』した日本人戦犯たち」に紹介されている。容易にできることではないから評価されたのである。

 この金氏の受賞に日本政府は早速おお祝いのメッセージを送ったという。日本政府にその資格があるのか!金氏が東京滞在中にホテルから連れ去られた事件で、ホテルから在日韓国大使館員の「指紋」という物的証拠まで取りながら、日本政府は捜査を中断し朴正煕政権と「政治決着」したのでる。

 大統領就任後、金氏が出した「責任は問わないが、拉致事件の事実経過は明らかにしてほしい」という寛大な要望さえも放置しておいて、なにがし祝電か。日本政府の厚顔無恥ぶりに、怒りを通り越し憤りを感じる。

 同じノーベル平和賞受賞者でも、米軍の核持ち込みの密約を求める隠し、国民や国際社会をだまして「非核3原則」で同賞を受賞した故佐藤栄作首相とは大違いだ。

 だが、今回の受賞に際しては、金大統領のやり方を受け入れた北朝鮮の金正日書総書記の勇断を賞賛することを忘れはなるまい。日本も、今こそ北朝鮮に手をさしのべるべきではないか。「勇気ある譲歩」の正しさは、金大統領が示してくれたのだから。

  

【2001年】

 

 「温暖化よそに、米国の身勝手」(01.04.01・朝日新聞「声」)

 

 地球温暖化を防ぐため、CO2削減の枠組みを定めた「京都議定書」から、ブッシュ政権が離脱する意向を示した。クリントン前大統領が署名をし、来年の発効を目指すこの時期に、あまりにも身勝手である。

 米国は、議定書不支持の理由を、先進国だけに温室効果ガスの削減義務が課せられるのはおかしいとし、ブッシュ大統領は「我々の経済を損ない、米国の労働者を傷つけるような計画を受け入れるつもりはない」と語ったという。

 先進国全体のCO2の36%(1990年時点)を排出している米国が「自国の利益第一」では通らない。さらに、生活の向上にはどうしてもある程度のCO2排出増は避けられず、途上国に先進国同様の規制をすることは、現在の生活格差を固定することにつながる。先進国にそのような強制をする権利はない。

 身勝手な米国に反省を迫るためにも、他の先進国は力を合わせて京都議定書を発効させるべきである。

  

「年金の改訂は国家的詐欺」(01.4.16・東京新聞「発言」)

  

  不景気やデフレの最大の原因は、政府が信頼を失ったことである。その原因の一つは年金に対する契約違反という国家の詐欺である。

 何10年単位で計画保障されるべき年金が一方的に契約破棄されたことで、多くの国民は自らの将来を国や政府に託すことに不安と危惧を感じている。

 年金が当てならないなら現実としていくら金利が安いといっても、金は財産を蓄えなくてはならない。余裕があっても消費にはまらないが当然である。

 それでなくとも商品は必要以上に生産され町にあふれている。余分な商品は買わなくても十分生活ができるし、老後年金で生活できる保障がないなら今を我慢するほかない。

 政府は少子高齢化社会で若者が減り掛け金が足りないと年金支給額を下げ、支給年齢を引き上げたが、なぜ税金で補充しないのか、我々は何のために税金を払っているのか。

 老後の年金は最優先で保障確保されるべきで、戦闘機や軍艦を買わなくても、道路の舗装が多少悪くても障害者や高齢者、そして経済的弱者が泣いたり自殺しないように税金を使わなくてはならない。

 「政治は金の使い方」という。この国や金がないのではなく、金の使い道を間違えているのである。世論調査でも「日本の将来は暗い」との意見が多いが当然である。つまり、政府が信頼を失ったことを示しており、国がこういう状況であれば銀行や保険会社、民間会社なども信頼されず、不良債権増も当然である。

 

「年金空洞化は税金で対応を」(01.06.05・朝日新聞「声」)

 

 国民年金の保険料未納者が99年度末で265万人に達した。全対象者2110万人に対し、未加入者や免除者を加えた空洞化率は36%になる。政府は理解を深める対策に乗り出すというが、本末転倒ではないか。

 年金は本来行政がお願いして入ってもらうものではなかろう。なぜなら加入していなければ将来自分が困るはずだ。ではなぜか? それは年金制度、つまり政府が信用を失っているからだ。市民が当てにしなくなってきたということに政府は気付くべきだ。

 何十年も加入していた年金契約で一方的に支給額や支給年齢を変更することは、一般社会では許されない。詐欺といわれても仕方あるまい。

 年齢構成が将来どうなるかは人口統計から分かっている。年齢構成が変わったから「貴方がたは運が悪かった」で済ませていい訳はない。前もって分かっていたことを放置してきた結果で、年金の掛け金が足りなければ税金で補てんするのが当然ではないか。銀行救済や戦闘機・自衛艦購入より優先すべきなのは言うまでもない。

 年金は人口構成や景気動向に関係なく安定して保障されるべきで、それがほごにされるなら、社会不安につながりかねない。市民が不安を感じ未加入者が増えるのは当然のことだ。

 

「熟慮した言動を外相に求めたい」(01.06.28・読売新聞「気流」)

 

 田中外相が衆院外務委員会の土肥委員長らに対し、委員である自民党の鈴木宗男衆院議員の質問時間の短縮を働きかけていたと知り、あきれてしまった。たとえ質問内容が不本意であろうと、委員の質問に答えるのは外相としての務めだろう。

 田中外相は、自民党の国対副委員長からも指摘されたように、これまでも、委員の質問に正面から答えず、質問の趣旨に関係のない発言をする傾向があったように思う。

 今回の問題で、外相は「立法への介入などをするつもりはなかった」と陳謝しているそうだが、その行動は、政府による国会への介入としか言いようがない。国民の期待にこたえるためにも、田中外相には猛省の上、発言や行動の際にはもっと慎重になってもらいたい。

 

「訂正放送の判決重さかみしめて」(01.07.28・読売新聞「気流」)

 

 NHKの離婚を扱ったテレビ番組で、当事者双方に取材せず、前夫と長男の言い分だけを放送したとして、学習塾経営の女性がNHKに対して慰謝料や訂正放送などを求めた訴訟で、東京高裁は、女性の主張を認める判決を言い渡した。放送法に基づく訂正放送の命令は、民放を含めても初めてのことという。私は、この判決を支持したい。

 刑事事件などでは、被害者と加害者側双方に関する取材が求められるように、利害が対立した離婚のようなケースでも、当然、双方の言い分を聞くことが必要だろう。番組では、前夫の素顔まで出して放映しており、視聴者へのインパクトが大きくなることが予想されただけに、なおさら女性側の主張も取材するべきだったと言えよう。

 NHKは上告するというが、これはメンツを優先した反応のようにも思える。安定した受信料収入に支えられた、放送界の「ガリバー」であるNHKに、一市民が立ち向かうのは容易ではない。

 今回の勇気ある提訴に拍手を送るとともに、NHKに反省を促すためにも、裁判の行方を多くの人に注目してもらいたい。

 

「新大久保事故、首相の考え危険」(01.10.26・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 訪韓した小泉純一郎首相は、東京・JR新大久保駅で転落者を助けようとして亡くなった元韓国人留学生、李秀賢(イスヒョン)さんの両親に面会。「李さんは日本国民を感動させた。崇高な勇気は引き継がれていくと思う」とたたえた。

 しかし、私はこの首相の考え方には非常に危機感を感じる。これは靖国神社に戦死者を祭る考えと全く同じだ。国や他人のために命を犠牲にすることを是とする考えは死者の利用である。

 新大久保駅で犠牲になった2人は、死を覚悟したわけでも命を犠牲にしようとしたわけでもない。結果として犠牲になられたのである。2人は決して「私に続け」とは言っていないと思う。

 その行動の尊さを必要以上に褒めたたえることは靖国神社同様、死者の利用である。命は二つとない尊いものであり、決して粗末にしてはならず、自分を犠牲にしない範囲で最大限の努力をすべきだ。

 国や誰かのために死ぬことを褒めたたえる価値観は、戦前の価値観であり、再び権力者に利用されてはならない。

 

「自治とは逆行、市町村の合併」(01.12.05・朝日新聞「声」)

 

 福島県矢祭町議会が「大領土主義は町民の幸福にはつながらない」として市町村の合併反対を決議した。町長も「中心部に一極集中し、辺境は貧乏くじを引く。小さくても住民の顔の見える町づくりを目指す」が持論という。同感だ。

 「自分たちのことは自分たちで決める」住民自治こそ民主主義の原点。市町村の規模は、市町村長が隅々まで目が届く範囲が適切だ。市でもせいぜい10万人程度が限度ではないか。50万~100万人もの指定都市や区では、住民や環境などの隅々まで把握することは容易ではない。40人より30人学級の方が目が届くのと同じだと思う。

 国は合併を進めようとしているが、結局は効率優先と上意下達の政治を目指すことになり、必ずしも住民の利益とはならない。矢祭町長の言う通りだと思う。村や町の図書館や学校などが減らされたりしてはかなわない。中央集権的な政治、行政は、住民にとって住みやすい社会とは反対のもののように思われる。

 

「鉄道の事故対策、根本から検討を」(01.12.07・読売新聞「気流」)

 

 「転落事故防止は鉄道会社の仕事」(11月29日)という投書の指摘には同感である。路線バスはワンマン化のため車掌がいなくなり、駅では自動改札機の普及で改札係もいなくなった。

 最近では駅のホームからも駅員の姿が消え、電車のワンマン化も進みつつある。だが、多くの命を預かっている電車がワンマン運行でいいものかと、ふと考えてしまう。非常事態が起きた時、しっかり対応できるのか疑問だ。

 今年一月にJR新大久保駅で三人の男性が亡くなった事故を契機に、各鉄道会社は転落を検知するマットや非常通報ボタンなどの対策を実施している。しかし、しょせん緊急時に電車を止めるための機能でしかなく、ホームから人を転落させないという対策にはなっていない。

 いくら機械が発達しても人間の代わりにはなりえないと思う。安全を損なうような人員削減は考えものだ。鉄道会社には、安全確保の在り方を根本から検討し直してもらいたい。

 

「警察官の無免許運転に呆れた」(01.12.25・東京新聞「発言」)

 

 神奈川神奈川県警に続き今度は千葉県警で2人の警察官が無免許で、パトカーなど公用車を運転していたいことにあきれた。

 おそらく警察界の常識はこの程度家であり、他の県警も似たり寄ったりなのだろう。尤も過日、潟県警に観察に行った関東管区警察局長がろくな監査もせず温泉旅行で麻雀していても「処分なし」なら現場の警察官の士気が上がる筈がない。

 免許の認識しないで公用車を運転させるなど言語道断であり、資格の必要な業務無免許の確認は民間会社でも常識である。持っていたと思っていた、偽造を見抜けなかったなど、警察のする言い訳ではなく署長や県警本部長の責任が問われて当然である。

 

【2002年】

 

「タイヤ脱落の徹底調査望む」(02.1.29・東京新聞「発言」)

 

 横浜市で主婦が大型トレーラーから外れた前輪の大型タイヤに直撃されて死亡した事件で、同様のトレーラーやダンプカーの前輪が脱落したが事故が、この事故を含めて、23件もあったという。

 三菱自動車側は部品の強度や材質設計に問題がなく「リコール対象にならない」とあくまで善意での点検サービスというが納得できない。

 これらはいずれも単なるタイヤが外れたのでなく、ブレーキドラムごと脱落したという極めて異常な事故であり、いずれも三菱自動車で、しかも23件発生したということは単なる締め付け不良ということは考えられない。

 既に何の責任もない人命が失われ、タイヤの脱落という重大事故は乗務員の命をも左右するものであり、国土交通省は事故原因調査をメーカーの内部調査に任せることなく、原因の徹底究明をすべきである。

 

「一石二鳥、公用車は『軽』で十分」(02.06.12・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 

「京都議定書」批准で議長国日本の使命が問われている。日本の中央官庁では、中庭などに黒塗りの運転手付きの大型乗用車が何十台も並んでいる。高級官僚の移動用の車だが、ドイツの最高裁判事はヘルメットをかぶり自らミニバイクに乗って登庁する。この格差は何だろうか?

 この乗用車は税金で動いているのである。多くの場合、たった一人乗るのに大型車は必要ない。軽自動車で十分であり、運用費用もCO2も削減され、一挙両得である。

 自分の車ならともかく税金で見えを張る必要はない。この税収不足に公金の大切さを理解するなら、3ナンバー車にふんぞり返っている状況ではない。国賓などを接待する以外の乗用車は軽自動車に変換することを提案する。

 

「あきれた口利き たるんだ政治家」(02.07.16・読売新聞「気流」)

 

 帝京大医学部の入試の前に、厚生労働省の宮路和明副大臣が、地元後援会幹部の孫にあたる受験生の受験番号を大学側に伝える「口利き」行為をしていたことが明らかになった。このことで宮路氏は十五日、辞任した。

 先週の国会での宮路氏の答弁は、その問題性を理解していないように聞こえた。宮路氏が笑いながら「よくあること」と答えたことに、質問者である共産党の小池晃議員が「笑っている場合じゃない」と怒ったのも当然だ。「副大臣になって、身を清めなきゃいけない時に、そういうことをやったのはまずかったかなと思う」との答弁にはあきれ果てた。

 これは副大臣としての資質という次元以前の、人としての倫理問題であろう。この程度の人物を副大臣に選んだ小泉首相にも責任はあり、本人の辞表を待たずに即刻罷免してもよかったと思う。

 一方、帝京大医学部に関しては先日も、合格発表前に百億円以上の寄付金を集めていた問題が明るみに出るなど、医師を養成する機関として、首をかしげたくなることが少なくない。文部科学省はどんな指導をしているのだろうか。

 

「警察の公用閲覧は熊本だけか」(02.08.10・毎日新聞「みんなの広場」)

 

 熊本市役所で、警察官が「公務」の名の下に、一般人では閲覧できない戸籍謄本や住民基本台帳の原簿を自由に閲覧していた。「公用閲覧」の腕章をした警察官の閲覧中、市役所職員は立ち会っていなかった。その恐ろしさに身震いし、がくぜんとした。

 市当局は「官公署同士の信頼関係」だと説明する。住民基本台帳ネットワークシステムの稼働で、警察は熊本市の端末から何でも情報収集することが可能になるであろう。

 私は戦時中の憲兵を思い出した。当時、軍隊内の警察であった憲兵は白布に墨で「憲兵」と書いた腕章をすれば、何でも許される特権を持っていた。熊本県警のこのような行動は熊本市役所に限らないはずである。

 

「不安募らせる原発トラブル」(02.10.2・朝日新聞「声」)

 

 経済産業省原子力安全・保安院は東京電力の原発損傷暖しで、内部告発した関連会社の社員名を「東電側に伝えていない」と否定していたが、一転して伝えていたことを認めた。

 いったい我々は、どこを、誰を借用すれはいいのだろうか。保安院だけでなく、電力全社の借用なさを裏付けることがまた明らかになった。四国電力伊方原発で、タービン発電機のコンクリート台にひび割れが発生ていることを、20年も国や愛媛県に報告していなかったというのだ。これは、科学者らでつくる「原子力資料情報室」への内部告発で判明した。副社長は「安全上問題はなく、隠したわけではない」と言うが、はたしてそうだろうか。原発の現場では、安全にかかわるという見方があったのではないか、と疑うのは過剰な反応だろうか。

 新渇県に続き、福島県もブルサーマル事前了解を取り消したのは当然だ。これだけ、電力会社による原発の異常隠しが続くと、原発への不安が増し、原子力政策を早急に見直すべきであると言いたい。

 

「図書館での集会内容聞くな」(02.10.16・毎日新聞「みんなの広」)

 

 先日、県立図書館に「視聴覚室」の利用で問い合わせたら、上映の映画や集会の内容が政治的ではないことが条件との返事があった。

 いったいどこまでが政治的でありるか、誰が判断するのだろうか。そん権限が図書館にあるのか。購入本の選択にもそんな基準があるのだろうか。

 日教組の集会などでも政治団体の妨害で混乱するとの理由で、会場を貸さない例があるが、これは集会を開催すること自体が悪いのではなく、妨害する方が悪いのであって、このような拒否は許されない。

 右にも左にも言論表現の自由が認められなくてはならず、公共図書館が思想や集会内容をチェックすることは言論と表現の自由に反するのではないか。公共的建物は集会内容に関係なく貸すべきである。

 

「ゆったり歩道ぜひ実現して」(02.12.15・朝日新聞「声」)

 

 30人学級の先駆けなどで話題を呼んでいる埼玉県志木市が、今度は市道の4分の1を一方通行にして、ゆったりした歩道を確保する案をまとめた。朝晩の交通量の多い道、歩道設置の要請のある道、抜け道としての交通量の多い道などを優先して決めたもので、住民説明会を開いた上、県公安委員会と話し合うという。

 年配者や障害者に優しい街づくりを目指す同市の構想の一つだ。郵便配達や出前などに支障が出ないよう原付きバイク除外の配慮もあり、公安委員会はぜひ理解し支持してほしい。

 日本では歩道の無いバイパスさえあり、街中では歩道のない狭い道を子供たちが1列で小さくなって集団登校する姿を見かける。車は少しくらい遠回りしても問題ない。一般道は歩行者の安全確保を中心に、歩道のない道は原則一方通行くらいの考えを持ち、多くの自治体もぜひ検討することを期待したい。将来を考え、新たな道路には必ず歩道を付けてほしいと思う。

 

【2003年】

 

「金持ち減税論に反対」(03.1.11・東京新聞「発言」)

 

 自民党の税制調査会が相続制度・贈与税の1本化とともに、その税率引き下げなどの減税案をまとめたことに反対する。

 党税調はその理由として「資産移転をスムースに進め低迷する経済活性化を進めるため」というが、贈与・相続税を納める人たちがいったい日本人の人口の何割いるのだろうか。お金や生活に困らない人たちへの減税は消費の拡大にはつながらず、これは明らかに金持ち優遇の政策でお金や生活に困らない人への減税には反対したい。

 一方、所得税の課税最低所得額を引き下げるというのは貧乏人イジメであり、「富の再分配」という税の本来の目的に反するのである。贈与・相続は自ら努力によるものでなく「棚ボタ」あり、自由経済のなかでスタート地点での不平等でもある。

 

「カートリッジ預かり金式に」(2003.02.12・産経新聞「談話室」)

 

 パソコンが個人にも普及し、また最近はデジタルカメラがフィルムカメラを抜き、一般家庭にプリンターも普及している。

 このプリンターのインクのカートリッジは、かなりしっかりとしており、到底捨てる気にはなれず、各社が電器店やパソコン店に置いている「回収箱」にまとめて投入しているが、あまり回収に協力している姿は見ない。

 資源もエネルギーも無限ではなく、かなり多くのカートリッジが回収されていないのではなかろうか。回収促進のためこのカートリッジに、あらかじめ一定金額(百円程度)を価格に上乗せして、回収と引き換えに上乗せ金額を払い戻す「デポジット制度」をぜひ導入してほしい。

 

「あまりに軽い臨界事故判決」(03.03.06・朝日新聞「声」)  

 

 作業員2人が死亡し周辺住民660人以上が被曝(ひばく)したJCOの臨界事故に、水戸地裁は3日、執行猶予付き判決を言い渡した。執行猶予とは不当であり、この重大事故に企業としてのJCOへの罰金100万円は、私にも負担できる金額である。

 国やJCOは臨界事故がいかなる危険かを承知しており、知らされていないのは犠牲になった現場作業員で、その危険には二重三重の安全策が必要であるにもかかわらず、何とバケツ作業には、あいた口がふさがらない。これは管理者責任である。

 火災にも失火や業務上失火のほかに、危険を承知で招いた重失火がある。交通事故でさえ、危険承知の極端なスピード違反や飲酒運転事故には危険運転致死傷罪の厳罰が適用される。

 臨界事故の危険を百も承知で作業員にずさんな作業をさせた事故が、単なる交通事故と同じ業務上過失致死で、しかも執行猶予付きとは到底納得できない。現にJCO社長は「寛大な措置に安堵(あんど)している」と述べた。また、監督者である国の責任を問わないのでは意味が無く納得できない。検察は控訴すべきである。

  

「公用車待たせパチンコに抗議」(03.6.2・朝日新聞「声」)

 

 先日の東北地方の地震で秋田県の副知事が、連絡を受けながらパチンコを継続し登庁が遅れたという。しかも、知事は出張で不在だったのである。

 プライベートタイムに何をしようと自由であり、地震が珍しくない日本でその揺れから「大したことない」と判断したのかも知れない。

 しかし、問題は公用車を待たせていたことである。パチンコに公用車を使用していい訳はあるまい。言うまでもなく車も運転手も税金で動いているのである。

 副知事が辞意を伝えたものの、呆れたことに知事は「反省している」と軽く考え慰留したという。おそらくこの副知事は私用に公用車を使うのは日常茶飯事であったであろう。否、副知事に限らず県庁内にそんな習慣があったかもしれない。

 運転手は「何でおれがパチンコの終わるのを待つのか?」と理不尽に思ったに違いない。運転手はいま流行の「内部告発」を何故しなかったのか?それは不利益や弾圧があるからであり、秋田県民はもっと怒るべきである。

 

「天皇だけ無事ならいいのか」(03.7.11・「週刊金曜日」) 

 

 6月4日、北海道の富良野を訪れていた天皇夫妻の乗った車に不審車が近づき、白バイが間に入り阻止したものの、軽自動車に衝突され天皇の車と接触したという。

 昼のニュースでNHKもこの事故を両陛下はご無事で怪我はなく、そのまま予定通り行動と報じた。しかし、間に入った白バイの警官や不審車運転手の怪我の有無については何ら触れなかった。これは民法や新聞各紙の報道も同じで、私は翌日、富良野警察署に白バイ警察官の転倒の有無や怪我の程度を問い合わせたが、「こちらでもよく分からない」とうやむや答弁でお茶を濁した。

 天皇さえ無事なら他はどうでもいいのか。警官も同じ人間であり、ましてや身を投じ

て阻止したのではないのか。

 この考えや報道姿勢は、戦前の天皇の価値観と同じであり、天皇さえ無事なら他はどうでもいいのである。そして、身を挺して天皇を守った人は「立派」で終わりなのでありそれは「命」の差別である。そして、国や天皇ののために犠牲になれば立派だったと、「靖国神社」に祀ってやるという価値観と共通するのである。

            

「保険料未納問題根本的解決策は」(03.8.19読売新聞「気流」)

 

 社会保険庁は、十分な所得があるのに国民年金保険料を納めない悪質未納者リストを作り、強制徴収に乗り出すようだ。預貯金差し押さえも辞さないという。だが未納問題は、それだけでは解決しないと思う。

 なぜなら、政府がこれまでに「契約違反」をしてきたと、多くの人が感じているからだ。厚生年金もそうだが、国民に強制加入させておきながら、途中で給付水準の引き下げや給付開始年齢の引き上げなどを行い、加入時点の約束を守らなかった。その結果、年金制度に対する信頼は大きく失墜したと思う。

 そもそも、高齢化が進むことは以前から統計的に分かっていたことであろう。それを理由にこれまでも給付水準が下げられ、年金改革論議の中で更なる負担増と給付減が言われている。「このままいけば、今以上に条件が悪化するだろう」と、若い人たちが感じるのも当然である。

 加入し、保険料を払っておけば決して損はしない、という信頼を取り戻さない限り、問題は解決しないだろう。必要なら税金を投入してでも老後の生活は保障する、という姿勢を国がはっきり示すことが必要なのではないか。

 

「公共交通機関の安全軽視に憤り」(03.11.12・読売新聞「気流」)

 

 高速バスや大型トラックの飲酒運転などが問題になっている中、今度は、ジェイアール東海の高速バスが問題を起こした。静岡の東名を走っていた高速バスが、誤って通過した停留所に戻ろうと300メートルもバックしていたという。

 その前日の4日朝には、東北自動車道で、通り過ぎたンターチェンジに戻ろとバックした乗用車に後続の大型トラックが衝突する事故があったばかり。前日事故が何ら教訓となっていないことに憤りを感じる。

 またその後の調査で、高速を逆送したバス運転手らバス運転手3人が過去に、運転免許の失効により一時無免許のままバスを運転していたことも明らかになった。3人の無免許運転は、本社側に報告されていなかったという。

 多くの乗客の命を預かる公共交通機関に携わる人たちは、安全の重要性について、もっと自覚してもらいたい。  

 

 「遺体取り違え、病院の無責任」(03.11.27・東京新聞「発言」)

 

 業者が都立大塚病院で患者の遺体を取り違えて搬送していたという。医療ミスや患者取り違えが報道される中、病院はそれを教訓として何ら生かしてないということで、あきれた。

 遺体引き渡し時に何と病院は「立ち会っていない」ということだ。患者取り違えは、病人を人とし診ていないということであり、このミスは遺体を物として見ている証拠である。業者は遺体と初対面であり、病院が立ち会うのは当然であり、「そこにあるから持って行け」いう態度は言語道断である。

 また、間違われた同姓の遺族に何の連絡もなかったことも、この事態の深刻さを理解していない証拠だ。遺体搬送を全面的に業者の託し、この事態になっても「ミスが起きた後は、できるだけ立ち会うように指導強化した」とは事の重大さを理解していない。は遺体引き渡しに伴う病院の当然の義務である。

 

【2005年】

 

「納得できぬNHKの反論」(05.1.25・市民じゃ~なる)

 

 NHKへの阿部、中川両議員の政治関与疑惑問題で、100歩譲って阿部、中川氏、NHKの言い分を入れたうえで疑問を訴えたい。

 まず、NHKは阿部氏に会ったことを認め、その目的は予算説明のついでに話題になっていた番組の内容を説明し、その時に阿部氏が「公平公正を望む」と言った事を認めている。しかし、何も今更「公平公正」を言われるまでもなく当然の話であり、この発言は明らかに説明した番組への発言であり、これは阿部氏(当時・官房副長官)が「政府としては不本意ですよ」と言っているに等しい。 

 そして、NHKはこの行動(阿部氏の面会)を予算の国会承認を受けねばならず「事業計画や個別の番組について正確に理解してもらう必要があり」当然の業務(1.20付「朝日」)としているが、その常識が間違いである。

 行政なら担当の総務相の部局、国会なら総務委員会であり、なに故、阿部氏に直行する必要があるのか。それを権力との癒着と感じないNHKの常識こそ「麻痺」している。それは、常に権力と癒着し日頃からトップダウンの経営・運営をしている証拠であり、ましてや政府幹部に直接、特定の番組内容を事前に説明するとは事前検閲や自己規制に繋がり非常識も甚だしい。

 NHKに国は海外放送分(1%以下)しか税金を支出していないにも拘わらず、予決算や人事など全てが視聴者の代表ではなく、国会の承認で足りている「放送法」自体が間違っており、NHKに視聴者の代表組織が無い結果、国会承認とされている。

 松尾・元放送総局長は阿部氏の公平公正の発言を「圧力と感じていない」と言うが、その判断はすべて彼が否定すれ如何なる「政治関与」も否定されるのか、現場は圧力を感じていたのである。

 その結果として異例の「局長試写」があり、放送前日の深夜まで編集作業が続いたのである。私は当時この放送を視ていたが、4回シリーズのこの2回目だけが4分短かった事実も「自主的判断」で視聴者が納得するであろうか。

 そして、元日本兵の強姦証言、元慰安婦の被害証言、更に天皇有罪の判決部分の3カ所をカットしたが、これも自主判断なのか!この3カ所をカットするなら、あの取材報道は何の意味も為さないのであり「自主判断」の説得は到底無理である。

 この否定根拠を「コンプライアンス推進室の調べた結果」と言うが、長井氏は1ヶ月以上前から同室に調査を求めていた。その回答が無く放置された結果として長井氏は家族を含めた不利益を覚悟し、奥様にも了解を得て涙ながらに公表したのでり、それが「デッチアゲ」とでも言うのか、一体それで長井氏に何の利益があると言うのだろか。

 そもそも「内部調査」など信じられる時代ではない事さえ理解していない。あの雪印も、三菱自動車も北海道警も当初否定していたが、内部告発に耐えられず暴かれたのであり、第三者に委託し真相を解明するのが常識である。

 過日、NHK職員が浦和から拙宅に「視聴料支払い」の説得に来たが、私の質問・主張に一言も答えられず「勉強して来ます」と帰ったままで再度の訪問はなく、私はもう25年の不払いを続けている。不払いを広げ本当に「皆様のNHK」にしなくてはならな

い。不払いでも放送法には「罰則」はなくザル法でありご心配なく。

 最後にNHKは1月19日夜7時のニュースでこの問題を約12分放送したが、告発・追求側の異論反論は一言も報道されず、その12分全てがNHK側の言い分だけであったが、これがNHKの「公平公正」である。NHKしか見ない人はどうするのか? 如何に不本意でも相手の主張や言い分も報道し、それに対して反論するのが「公正公平」であろう。

 

「NHKこそ解体民営化せよ」(05.4.15・東京新聞「発言」)

 

 6日付「不払い防げる民営化」に賛成である。視聴料を払う者に、何の議決権も決定権もなく、国は税金を支出していないのに予算も人事もすべて「国会」で承認されている。それなら税金で運営すべきでる。NHKは国営や民間では公正な報道ができないと言う。

 しかし、オーストラリアは国営であり、米国は民法であり大きな問題は生じていない。NHKは英国のBBC放送(英放送協会)を参考にしたと言うが、イラク報道でブレアー首相と対峙したBBCと、「国際女性戦犯法廷」の報道を事前に政治家に説明して、「公正に」と言われて、あわてて自己規制したNHKとは、雲泥の差で到底公正とはいえず、NHKこそ解体民営化すべきである。 

 

「少ない登庁、都知事は説明せよ」(05.6.10・東京新聞「発言」)

 

 都教委の「日の丸・君が代」強制について、本紙の世論調査では70%の人が反対や行き過ぎと答え、昨年7月の調査とほぼ変化がなかった、と記している。その強制をしている石原都知事が週に2,3日しか登庁していなかったとは知らなかった。それはなぜなのか。

 都知事職をアルバイト程度に思っているのか、都民にその理由を説明すべきである。また、財政の窮屈な中で2000万円もかけて、ろくに登庁もしないで「沖ノ鳥島」までパフォーマンスに出かける必要がどこにあるのか。

 そもそも、あれは島ではなく「岩」であり、他国が同じ主張したら日本は受入れるのか。

 石原知事は浜渦副知事らが7月までに任することで、「裸の王様」になることを自覚し、自らが浜渦副知事らを任命した責任を感じるのだろうか。

 

「許せないJR西日本の体質」(05.7.10・「市民じゃ~なる」)

 

 尼崎での転覆事故に対するJR西日本の体質に、怒りを覚えるのは私だけではあるまい。

 まず、当局は早々に原因に余談を与えかねない「置き石」説の可能性を航空鉄道事故調査委員会(事故調)に関係なく一方的に発表、後日、事故調の「置き石」の可燃性を否定され取り消した。

 次に、脱線速度を空気バネなど各種の条件を考慮せず、133キロと机上の空論を発表し、これも同様に不適切な数字であったことを認め謝罪した。前記、「置き石」説とともに原因が速度オーバーやJRの責任でないないことを早々に強調して発表と言われても仕方ない。

 最悪なのは、同電車で出勤途上の社員が乗っていたが、現場からの電話連絡を受けた上司がそのまま通常出勤を優先させたのである。JRは「事故状況が分からなかった」というか、事故は徐々に拡大したのではなく事故状況が伝えられたはずである。これを本人の怪我の有無だけを確認し、通常出勤を優先させた上司の指示に呆れる。これに対し、被害者の家族と思われる男性がテレビニュースで「敵前逃亡だ!」と抗議していたのは当然だ。当時、現場では付近の工場のみなさんや女性事務員まで必死で救助に参加している姿がテレビニュースに映っていた。

 更にその後、天王寺車掌区では事故を知りながら予定通り「ボウリング大会」を開き、その後、懇親会で酒を飲んでいたという。部署や管轄が違い救出に駆けつけずとも日、せめて中止は常識であろう。しかも、当局はこの事実を隠蔽していたが、記者からの指摘で発覚したのである。このボウリングやゴルフ、飲み会・親睦会が労務管理に利用され、そこに参加する社員が評価される体質であることを社員が証言している。

 この原因を情報の不徹底で「今後、情報の共有化を図る」というか、ここに至ってもまだ解っていない、原因は「思っていても誰も発言できない」、つまり、個人より組織・会社が優先し、個人の発言や自己主張ができず「上意下達」優先の環境が原因であることに気付いていない。起こってしまって事故は元に戻らないが、事故後の対処が被害者の立場に立っておらず、自己保身や責任回避ばかりの行動に怒りを覚える。

 しかし、それだけではない!娘さんを失ったお母さんが遺族や被害者どうし励ましは会いたいとJRの手紙送達依頼も「問い合わせのあった人には」と断り、しかも、その手紙の内容まで修正さてさせたのである。これは被害者に、いい機会どころか、すでに被害補償への遺族や被害者の文化を狙ったものである。

 そして、事件後もオーバーランが続発している事はタイヤに無理があり、8日付『読売新聞』ににJRの運転手が「遅れれば直線で飛ばし、カーブ手前や駅停車時にブレーキを遅らせるしか方法がない。既にギリギリのタイヤになって余裕を失っている」と、脱線現場は回復運転ができる数少ないポイントだったと証言している。

 また、5月4日夜のNHKニュースによれば、新型ATSの普及率が7.7%で、JR東日本の四分の一で、しかも、その予算が01年まで16億円だったが予算が02年度にはなんと整備が遅れているにもかかわらず半分以下の5億円に減額されていたといい、如何に安全を後回しにしているか裏付けている。

 これは採算を優先したJRの過密・高速、安全無視のタイヤが原因ではないのか。電車の遅れはオーバーランだけではなく客扱いでも遅れ、それは運転手の責任でなく速度制限を守って時間回復が可能なら電車の先頭にいる運転手が命がけでスピードを上げることがあるまい。

 わずか50秒の遅れて再教育を受けていた運転士が自殺(他に1年半に7人が自殺、JR東日本HP)していることも明らかになり、手袋しなかっただけで再教育の名の弾圧を受け裁判を起こしていることも判明した。この再教育たるや職場任せて規則もなく、草むしりや規則や条文の書き写しなど、到底「安全協定」に値せずいじめや制裁に等しい。

 このJR西日本の態度・行動や、事後処理は安全を優先しているととは言えず、現場や個人だけの問題ではなく、「ものが言えない」会社の体質の結果である。

 垣内社長以下、JR幹部の監部の反省・謝罪は口先であり、その「言行不一致」の行動に強く抗議する。

 

「踏切安全監視、鉄道会社の責任」(05.10.16・読売新聞「気流」)

 

 〝開かずの踏切〝で、またお年寄りが犠牲になった。

 10月12日に死亡事故があった東京都大田区の踏切は、JR京浜東北線と東海道線の計4本の線路があり、ラッシュ時には1時間のうち10程度しか開かないという。その上、事故当日はダイヤに乱れがあったといい、歩行者が待ちきれず渡ることは容易に想像できる。

 また、事故当時、踏切には「故障」という表示が出ていたという。私は、この表示は踏切の故障と思っていたが、ダイヤの乱れなどで30分以上遮断機が上がらないときでも「故障」表示が出るという。

 このことは、ほとんどの人が知らないだろう。この踏切は、これまでにも「故障」表示が出ていた可能性があり、JRはその安全管理に無関心だったと言わざるを得ない。

 今時、ビルやマンションのエレベーターでも常にテレビモニターで監視されている。踏切も遠隔操作で容易に監視できるはずだ。踏切の監視は、JRなど鉄道会社の責任である。

  

「男女差別を認める『皇室典範』は違憲」(05.10.21「週刊金曜日」)

  

 天皇の世継ぎ問題で女性天皇を認めるか否かと真顔で審議していることに呆れる。マスコミがそれを「違憲」と批判せず、そのまま報じていることは民主主義の

である。                                       

 天皇や皇室典範は「憲法」の上にあるものか。私は昔、学校で憲法は「国の最高法規」と習った。確かに98条に「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とあり、99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と、天皇にも憲法の尊重・擁護義務が課せられている。つまり、天皇や皇室典範も憲法の下にあるということである。

 そして、14条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあり、性別による差別を禁止している。天皇も国民の一人であり、女性継承を認めない皇室典範は違憲であるとは明確であり、マスコミはなぜ「違憲」と主張しないのか。

 それとも天皇や皇室典範は憲法の「上」にあるとでも言うのか。そいう解釈無くして、このような議論はあり得ない。

 

「法的措置表明NHKに憤り」(05.10.30・東京新聞「ひろば」)

 

 20日付5面「記者の眼」、小田記者の「法的措置より抜本改革を」に同感である。NHKの「法的措置」導入表明は、まさに「脅し」であり無責任な発表である。

 不払いの原因を検討せず徴収優先の考えは受け入れられない。そもそも日本は自由契約社会であり「契約の強制」は違憲である。職員の使い込みや流用は単なるきっかけで、過日の「慰安婦報道」の改編や徴収の不平等などの不満が、一気に噴き出したことを自覚していない。

 「皆様のNHK」は金を取るときだけで、視聴者には何の議決権も決定権もなく、人事も予算もすべて国会で承認するなら税金で運営すべきである。また、NHKは国会承認を「国民の代表」だから問題ないというが、国会は「国政の代表」であり、NHKや視聴者の代表ではない。

 

【2006年】

 

「納得いかぬ、上海総領事館員の自殺」(06.1.27・「週刊金曜日」)

 

 昨年末、1年半も前の上海総領事館員の自殺が発覚し、政府は中国側の責任と抗議しているが、鵜呑みにしてはならない。

 きっかけは週刊誌報道というが、政府はなぜそれまで隠蔽していたのか。

 報道によれば「遺族が非公開を望んだ」というが本当だろうか。もし、本当ならどうて「黙殺」を通さなかったのか。

 原因は、女性関係を利用した情報入手のための中国公安当局からの圧力だという。証拠は「遺書」と言いながら公表されず、証拠は何もない。そして、大使館や公安は情報収集が職務であり、そのようなことがありうることは常識である。

 一国の総領事館員が、在留国の圧力により自殺に追いやられたというに、小泉首相がそれを知ったのは週刊誌報道後だという。自殺の原因は過労やイジメなど、首相に話せない「遺族の希望」以外の何かがありそうである。それでなくて「首相に報告しない」理由は何か、外務省に聞きたい。

 外務省は事件後、厳重に抗議しているというが、その証拠・記録は無く、逆に中国側は「中国警察は当時、日本の上海総領事館関係職員から事情聴取し、事実を確認した。聴取記録や、日本の職員の署名もある」と反論しており(『読売』1月9日付)、公表され

たらどうするのか。日本政府の行動は明らかに腰が引けている。

 

「新聞の特殊指定見直しには疑問」(06.3.23・読売新聞「気流」)

 

 公正取引委員会が、独占禁止法に基づいて新聞の全国一律価格での販売などを定めた「特殊指定」について、撤廃を含めた見直しを検討している。この問題で、日本新聞協会が「特殊指定の堅持をを強く求める」とした特別決議を全会一致で採択したことを強く支持する。

 公取委の考えは、あまりにも世間知らずだと思う。何でも価格競争させれば良いのか。販売部数を増すために、新聞が、週刊誌のように興味本位とも言える内容になってもいいのだろうか。新聞は価格競争こそないが、内容で競争しているのだ。

 そもそも、読者は世界一の宅配制度が崩れることを望んでいない。今は基本的に全国どこに住んでいても同じ料金で新聞が読める。しかし、その特殊指定が外されれば、地域によって価格が高くなったり、山間部などには届かなくなる可能性さえある。文化や教養、情報の面でも地方の格差が拡大していくことになるだろう。

 

「エレベーター放置責任重い」(06.6.10・東京新聞「発言」)

 

 東京都港区の区立公社のマンションで、エレベーターの扉が開いたまま上昇し少年が犠牲になった。しかも、この エレベーターは今までにも、停止位置がずれたトラブルが数十件も起きており、住民が心配していたという。

 エレベーター事故は即人命にかかわり、この状況を知りながら、結果として放置した管理者と検査会社側の責任は重大である。

 扉が開いた状態で動かないシステムは当たり前であり、半導体や集積回路(IC)が劣化し故障することは当然あり、その時点でなぜ徹底的に原因を追及しなかったのか。

 本紙によれば検査会社社長は「ほかに管理しているエレベーターに比べて、トラブルが多かった」と、まるで他人事であり、さらに「故障だけでなく、住民が恐怖心を抱いて過剰に反応したケースでもあのでは」と責任の押しけとも思われる発言をしている姿勢に反省が感じられない。

 

「混乱の責任取り潔く辞任すべき」(06.6.22・読売新聞「気流」)

 

 日銀の福井総裁が村上ファンドに拠出し、1400万円以上の利益を上げていたことが判明した。国会答弁で、福井総裁が「大した額ではない」と述べたことは国民の神経を逆なでするものだった。また、日銀が金融の量的緩和策を解除する直前の2月に福井総裁がファンド解約を申し出たことは、金融政策の変更が株価に大きな影響を与えるだけに、「内部取引」の疑いを捨てきれない。

 福井総裁は、自らの立場を自覚しているのだろうか。問題発覚後、福井総裁は「利殖目的でなかった」「利益は自分のために使わない」などと釈明し、給与の自主返上の意向を示したが、それで済む問題なのだろうか。

 中央銀行である日銀には金融を通じて、金利を上げ下げする絶大な権限が与えられている。そのトップは中立、公正でなければならない。今回の事態は、日銀総裁に対する国民の信頼を失墜させたもので、重大意だ。海外の金融当局の日本への信頼も失われる恐れもある。

 今後、市場の不信感をぬぐうことは難しいだろう。福井総裁は、混乱を招いた責任をとって、潔く辞任すべきである。

 

「違憲を訴えないマスコミの姿勢」(06.10.18.「社会新報」)

 

 報道機関には天皇と創価学会批判の2つのタブーが在ると聞きますが、、まだ2つあります。

 それは「皇室典範」が違憲であることと、安倍首相など大臣が改憲を公言していることです。

 前者、女性天皇を認める「皇室典範」改正案が、紀子さんの妊娠が分かると、小泉前首相は意図も簡単に国会上程を止めてしまいました。憲法は国の最高法規であり、当然、「皇室典範」の男女不平等は違憲のはずです。

 また、後者の改憲提案権は国会の発議のみに認められ、逆に政府・行政には憲法の擁護・遵守義務があります。また、最高裁には違憲立法審査権が与えられ「憲法監視義務」があり、政府・行政には改憲発議権はないのです。つまり、政府が改憲を主張、誘導することは違憲です。

 しかし、この2つの違憲状態を批判しないことに、現在のマスコミの姿勢が見られます。

 

「放送への命令断じて許せぬ」(06.10.20・朝日新聞「声」)

 

 菅総務相はNHKの短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に扱うよう「放送命令」を出すことを検討しているという。拉致問題の早期解決を願う気持ちは分かる。だが、国が費用を一部負担しているからといって命令してもいいとは思わない。金を出せば口も出していいのか。それは「教科書」にも言えることで、放送内容への命令など言語道断である。

 NHKは戦時中の大本営発表や国策放送の反省から再出発したことを忘れてはならない。放送命令が一度でも出たなら、やがて拡大解釈されるに違いなく、それは歴史が証明している。

 NHKは「皆様のNHK」を掲げて、受信料を払っている視聴者のものであると言っている。

が、視聴者に経営委員や理事、会長の選任権はなく、予算や事業計画は国会で決めるよう放送法は規定している。

 NHKの手本の英BBCも政府と一線を画しているし、豪の公共放送ABCも権力への批判が旺盛だ。NHKにも毅然として対応を望みたい。

 

【2007年】

 

「NHKは政治から距離を」(07.2.16「週刊金曜日」)

 

 NHKは受信料の徴収に住民基本台帳ネットワークの活用を検討している(2日付「東京新聞」)という。一方で1月31日の自民党の通信・放送産業高度化小委員会でも「住民基本台帳の活用など、国としてもNHKを支援すべきだ」との意見が出ている(同)というが、これはまさに、与党・政府とNHKが癒着ていることを示している。

 先日も東京高裁が「女性国際戦犯法廷」の放送内容改変について、NHK幹部と安倍晋三氏らの接触後に急遽改変・自己規制したことを認め、損害賠償を認めた。このように、予算や人事を与党・政府に握られているのがNHKの実態である。

 「皆様のNHK」は受信料を払う義務だけ課せられ、決定権や議決などの権利は視聴者には何もなく、予算も人事もすべて国会で承認されている。これにNHKは「国会は国民の代表だから問題ない」という。国会は「国政」を委託しているのであり、NHKや視聴者の代表ではなく、それが同じというなら「国営放送」であり、税金で運営すべきである。

 この人事や予算などの国会承認は「国会」ではなく、実態は与党・政府承認であり、

現にNHKは予算説明を通常業務とのうえで、「与党所属の衆参両議院議員のうち250名程度に対する個別の予算説明をしている」と先の裁判で準備書面を提出している(1.30日付「毎日新聞」)野党など無視であり、まさにまさに癒着である。

 受信料を義務化するなら国会承認ではなく、政府、国会から独立した視聴者の代表組織を確立し運営されるべきである。

  

「『欠 陥 原 発 止 』 め よ !」(07.4.20・「週刊金曜日」)

 

 原発の「臨界事故」は北陸・志賀原発だけではなく、東電・福島原発でもあったことが発覚した。何れも「制御棒」が脱落したのが原因である。

 原発は原子炉内に制御棒を入れることで制御、停止し、抜くことで核反応が始まり一定のところで臨界に達する。原発はこの臨界を利用して蒸気を発生させている。しかし、この臨界は常にコントロールできる状況の下で行われなければならないが、今回の事故は一時的にせよ制御できない状況に陥ったのである。

 この沸騰水型原子炉は原子炉の下から重力に逆らって制御棒を押し入れる構造になっており、当然、位置確保が不能になったり、押し入れる力がなくなれば内圧や引力により脱落するのは自然の理である。

 人間のやることに「絶対」はなく、現にその制御棒の位置確保も出来ず脱落し、それは暴走の可能性を示す。制御棒操作の油圧配管の穴あきや弁不良などになれば当然制御棒は脱落する可能性がある。現に、関電・美浜原発では10ミリもの配管が1ミリにもなり配管破裂による11人の死傷事故を起こしたのである。

 制御棒をなぜ原子炉の上から挿入する設計にしなかったのか。上から挿入すれば制御不能になった場合はそこで停止するか原子炉内に落下し、原発を停止させる安全方向に動作することになる。しかし、下から押し込む設計は「フェールセーフ」となっておらず欠陥設計である。

 原発には「もしも」はなく、それはチェルノブイリ原発事故を見ても解る。その放射能はスカンジナビア半島まで飛んだのであり、避難訓練などナンセンスであり何の役にも立たないのである。欠陥原発は大事故の起きないうち早急に止めるべきである。

 

「『子捨て』公認制度おかしい」(07.5.23・朝日新聞「埼玉版」)

 

 これは合法的「子捨て箱」だ。病院前に置いて電話で通告するのと、どこが違うのか。

 公認の「子捨て箱」なら親の良心がとがめることもない。開始当日、3歳くらいの子が早速この箱に捨てられた。この件で警察は、病院が生命の安全確保ができる場所だとして保護責任者遺棄罪には当たらないとする一方、父親捜している。3歳なら親を捜す対象になり、0歳なら捜さない法的根拠はあるのか。

 子は親を選べない。子は親が誰であるか知る権利がある。「親が分からない」「親に捨てられた」子の思いが分かるのか。

 親は子の幸せを考え、勇気を出して児童施設や養子制度を利用する義務がある。「子捨て」を公認する制度に抗議する。

 

 「大気汚染訴訟、尊い和解決着」(07.7.4・東京新聞「発言」)

 

 東京大気汚染訴訟で、原告側は被告・自動車メーカーへの和解金額に不満が残るものの、メーカーの判断を待ち、メーカーが受け入れたことで決着を図りました。原告の皆さんやその支援者に心からお礼と感謝を伝えたいと思います。

 何よりも、この原告の皆さんの活動は、自分たちのみならず、多少の不満は残っても「被害者全員」の救済に道が開けるなら、という尊い闘争と判断でした。

 私は石川牧子事務局長が「和解案が実現すれば、今この瞬間に病の床にある患者が医療費助成で救済され、医療費のために借金した人の返済にも役立つ」との発言を読み胸がいっぱいになりました。どうか被告の国や都、メーカーは、この思いを裏切らないでほしい。原告の皆さん、長い間、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございます。

 

「この選挙で格差拡大是正を」(07.7.27・「週刊金曜日」)

 

 証拠のない消えた年金15件が認定されたというが、何と素早い対応であろうか。これは選挙を意識した発表である。選挙が終われば、その窓口が絞られるに違いない。消費税は争点になっていないが、もし与党が半数を取れば間違いなく消費税を上げるであろう

 介護保険も障害者自立支援法も年金同様、負担だけでサービスを受ける権利が次々と制限されている。

 史上最長の好景気のなかで、労働分配率は下がり、貧困率もジニ係数も上がり、生活保護所帯は増え、自殺者は3万人を超え労働者の三分の一が、身分不安定な非正規雇用の生活を強いられ、年金はこの始末である。

 労働者派遣法は無責任な雇用者と使用者の違いを認め、その職種や雇用期間は次々と改悪され、今や製造業にまで何でもありである。若い人が携帯電話で、名前も知られず日雇い動労を強いられホームレス一歩手前の生活をしている。

 派遣、パート、バイト、フリーターなど非正規雇用が増えていることに、経営側は「労働の選択の幅が増えた」と言うが、厚生年金や雇用保険も労災保険もなく、その日暮らしの労働をどれだけの人が望んでいるというのか。

 一方で日本有数の大企業が偽装請負や労災飛ばしまでしているのである。

 安倍晋三首相の「再チャレンジ制度」の発言通り、小泉純一郎前首相の「規制緩和」は完全に格差拡大とその固定化とともに、労働者の奴隷化を進めたのである。この参院選で政府・与党に鉄槌を加えなくてはならない。

 

「自爆した安倍首相に無責任に怒り!」(07.9.21・「週刊金曜日」)

 

 安倍首相が政権を投げ出し自爆した。

 参院選の際に「小沢さんを取るか、私を取るかの選挙」と政権信任投票であることを公言しながら、惨敗しても辞任しなかった首相が国会を招集し、何と所信表明演説直後、代表質問直前の辞任表明とは余りにも無責任である。

 辞任するなら、国政や国民に迷惑をかけないタイミングを選ぶのが政治家であり、100歩譲っても国会招集前に辞任すべきであろう。それは最悪のタイミングである。

 選挙の敗因は政治と金の問題だけではない。

 国民の生活には目もくれず、緊急課題でもない国民投票法や教基法改悪など、多数を握れば何でもできると17回も「強行採決」してきたへの危惧や、弱者が犠牲になる改革や美しい国、戦後レジームが否定されたことにもある。しかし、阿部首相はそれを理解していなかった。

 首相は辞任して政局を転換したいと言うが、首相が変わっても野党の対応が変わるわけもなく、ましてや「小沢一郎民主党党首が会ってくれない」から辞めるとは、まるで駄々っ子でありお門違いも甚だしい。

 当初の内閣はお友達内閣と揶揄され、改造内閣は先輩ばかり自由にならず、このタイミングで投げ出したのは無責任きわみであり、安倍氏を選んだ自民党の責任も大きい。

 まさに「殿ご乱心」。野党議員から「子どもが首相をすればこんなもんだ」との批判は的を射ており、そもそも、お祖父ちゃんとお父ちゃんの跡を継ぎ、大臣経験もない世間知らずのお坊ちゃんは宰相の器ではなかったのだ。『東京新聞』が「下野か衆院解散か、だ」と社説を掲げたのは当然である。

 

【2008年】

 

「NHKの謝罪なぜ自民党だけ」(08.1.26・東京新聞「発言」)

  

 インサイダー取引疑惑問題で22日、当時の橋本元一NHK会長が自民党の電気通信調査会に出席して陳謝したところ、全理事の引責辞任を求められたという。

 なぜ、「自民党」の調査会なのか、NHKは自民党のものか、自民党の了解があればいいのか。NHKは国のものでもなく視聴者のものであり、せめて謝罪は国会の担当委員会に行くべきであろう。それとも自民党が呼んだのか?

 与党に行けば済むという考えも根本的に間違っている。自民党に謝罪に行くなら、各野党にも行くべきであろう。

 従軍慰安婦問題を裁いた「女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組改編問題の時も、NHKは当時の安倍官房副長官に予算説明に行った時に番組内容を伝えたという。

 予算説明に国会でも行政の担当部局でもない官邸に、なぜ行ってしまうのか。NHKは、これらが癒着であることを気付いていない。

 

「『住基ネット』で不当な最高裁の弁論開始決定」(08.2.1「週刊金曜日」)

 

「住基ネット訴訟」ですでに金沢地裁と大阪高裁で違憲判決が出ているが、最高裁第1小法廷はその大阪高裁の上告審に対する弁論を2月7日に開くことを決定した。最高裁が弁論を開くのは、高裁判決の見直しを意味し、違憲判決が覆すれる可能性がある。

 弁護団は同様の「差止訴訟」が高裁に10件係属中であり、おおむね今春判決言い渡しがなされる見込みで、さらに地裁でも係属中で判決が出るまでわずか数カ月であるから、これを待って最高裁としての判断(弁論)を行うよう申し入れたが、最高裁は不当にもこれを無視した。

 最高裁は下級審の判断が出そろった段階で検討に入るべきで、緊急事態でもないのに、何故そんなに急ぐ必要があるのか。これは明らかに他の高裁判決が出る前に潰そうという狙いである。

 憲法上、各裁判官は独立しており、最高裁の判例に従う義務はなく、下級審の判例の積み重ねで最高裁の判例が変わることもある。しかし、実態はその判例に逆らうことは容易ではない。

 業界に「判例主義」や「ヒラメ判事」(上ばかり見ている)という言葉があるが、判例に従うだけなら裁判官はいらずパソコンの1台もあれば済む。下級審の判断の出る前に「重し」をのせるために、最高裁が事前にその「合憲判例」を作ろうという作為的な裁判は不当であり強く抗議する。

「住基ネット」導入時、政府は情報漏れの指摘に「罰則もあり絶対大丈夫」と言ったが、北海道斜里町に限らず、愛媛県愛南町のほぼ全員の情報漏れの他、その原因である「無断再委託先」の企業からは秋田県北秋市などでも漏れており(総務省)、この住基ネットの個人コードに個人情報を集約する「住基ネット」がいかに危険かを実証している。

 

「海自事故説明信じられない」(08.3.13・東京新聞「発言」)

 

 海上自衛艦イージス艦の「あたご」が漁船「清徳丸」に衝突し沈没させた事故で、その捜索の真っ最中に1機のヘリを使い当事者の航海長を防衛省に移送し、石破大臣や増田次官らが事情聴取していた。

 ところが、その事情聴取の「記録もメモも無い」との次官発言が「うそ」であり、自ら目を通し海上保安庁にファックスしていたことが判明した。そして、その事情聴取の相手が航海長であることを知らないで行ったていたという。相手が誰だか分からないで事情聴取することなど常識ではあり得ず、私は信じない。

 さらに、「あたご」にレーダーの軌跡が残っていないというが、これも信じない。世界に誇る高性能レーダーにデーターを蓄積する仕組みがないわけはなく、消した可能性もあると思う。

 権力の情報をうのみにしてはならないことは歴史が証明している。

 

「国 民 は モ ル モ ッ ト か」(08.10.3・「週刊金曜日」)

 

 「事故米」問題で太田大臣が辞職したが辞職で済むのか。

 何年にも渡り100回も監査しながら、その内容は「民間業者性善説」に立ち書類監査だ けで、その真否も確認せず判らなかった済むのか。暗黙の了解で農林省はぐるだったと言える。

  辞職せずとも大臣はもう数日後には自動的に内閣解散であり、辞職することは責任を取ったことにはならない。何と1年4ヶ月で4人の農水大臣交代には呆れたもので、こんな市民を愚弄した先進国はなく、二代続けての政権放棄に続き世界の笑いものでり、まさに、恥を知れ!といいたい。

 なぜ、食えない物を輸入したのか?これも不思議である。事故米に着色して卸せばこんな事態はなく、食用転売が前提であった言える。現にカドミューム汚染米は着色したが、食用に不適でも危険性は少ないと農水省は敢えてそれをしなかったのである自国の食の安全も守れないで、中国餃子を批判できるのか。

 

【2009年】

 

 「税金は『富の再分配』再認識を」(09.3.6「週刊金曜日」)

 

 本誌2.20号の表紙「税金は『金持ち』から取れ」を読み、私は子どもの頃に学校で「貧富の格差を是正するのが税金の目的」と習った事を思い出した。

 言うまでもなく自由競争を放置したり規制緩和を進めれば必ず勝者と敗者が出るのであり、勝者は富が富を生み、敗者は学校にも行けず格差が固定化し今の現状がまさにそうである。

 故に税金は富める者から多く、貧しき者から少し税金を取り、使う時には皆のために使うのが税金の趣旨である。つまり資産、所得比例で徴集する直接税が主であり間接税は従なのである。

 しかし、自民党政府のやってきたことは所得税の最高税率の引き下げの一方で、課税最低所得額を下げ、更に富める者の相続税や贈与税も引下げてきた。それだけではなく食糧など生活必需品は非課税だった物品税を廃止し、「広く薄くが平等」と全商品一律課税の消費税を導入し、何と、赤ちゃんのミルクもダイヤモンダも同じ課税である。消費税は逆進性が強く貧乏人は税率だけ可処分所得が減るのである。そして、最後のセーフティーネットである筈の「社会保障」も穴だらけである。

 今回の金融危機まで日本企業は史上最大の利益を生んでも労働分配率は上がらず、本誌記事でも企業優遇税制であることが明白である。

 その企業では偽装請負や労災飛ばし処か、一流と言われる企業で過労死や自殺が「労災認定」され、派遣労働者の労災はこの3年で8倍(厚生省全国調査08.8.21「読売新聞」)に増えており、まさに労働者は使い捨ての奴隷である。

 これは小泉元首相の規制緩和が原点であり、人間らしい生活ができるよう世直しが必用である。

 

【2010年】

 

「『氷河特急』の再開、会社の判断に疑問」(10.7.29・読売新聞「気流」)

 

 スイスで人気の観光列車「氷河特急」で、多くの日本人が死傷者する脱線事故が起きた。スイスと言えば、私には永世中立国で治安も良く、安全な国という認識があった。

 しかし、事故原因が判明しないまま、鉄道会社は特急列車の運行を事故から2日後に再開した。新たな再発防止策も取られていないという。会社は「安全を確認した」と説明しているそうだが、疑問を感じる。事故が日本だったらこの状態での運転再開はあり得ないだろう。

 鉄道会社はこの稼ぎ時に、列車を止めるべきではないと判断したのだろうか。「乗る乗らないか観光客の自由」との言い分もあろうが、納得できない。 

 

【2011年】

 

「原発、心配が現実に」(「週刊金曜日」11/4/1,841号)

 

 東日本大震災で原発の「緊急事態」が現実になった!

 政府、東京電力(東電)は「想定外」で逃げているが、日本は地震列島・大国であり、地震発生の「時期や規模」を予側できる訳はない!

 また、人聞のやることに「絶対」はなく、逆に原発には「もしも」は無いと私は主張してきた。

 核燃料も溶け出し最悪の事殿である。この事態に当事者である東電社長の謝罪会見が何と事故発生「二日後」の他人事発言に怒り!を憾じる。一週間後の3月18日、初めて東電の小森明生常務が福島県を訪れ号泣し謝罪した(19日付「東京新聞」)と言うが、何故、社長ではなく常務はのか!

 新潟県中越沖地震の時に柏崎刈羽原発の「消火栓」が出なかったが、地面がひつくりかえ返り水道管も下水管もズタズタになり、原発の消火仕だけ出る訳はなかろう。

 今回の福島第1原発も自家発電が動く前提の考えが甘い。100歩譲っても完全に地下に造り、非常の揚合は海の仕切壁を爆破し、自然に(重力で)で原発に海水を流入させる設計にすべきで、非常時に電気が生きている前提のポンプアップなどナンセンスである。また、危険物は分散するのが常識であり「経済効率優先」の結果がこの始末であり、現地ではさらに2機の原発を建設中である。

 現地の原発職員、消防、警察、自衛隊員などの皆さんが今「命がげ」で必死で対処下さっているが、ご家族はどんなにか心配な事であろうか。既に、負傷者が出ているがこれは誰の責任か、それとも「自然災害」で済ませるのか。これが政府の「原発推進」の結果である。

 以前から「原発は危険」と批判、反対の声があっだ。これが水でなく「ナトリウム」を使った高速増殖炉だったらと思うとゾッとするが、あり得なぃ話ではない。 否、今「もんじゆ」は核燃料が炉内に落下したまま対処できずは停止しているのである。

 そして、福島第1原発の3号機は昨年9月プルサーマル運転に入り、燃料は「MOX燃料」つまりウランでではなくプルトニュームである事を何処も報じていない。

 「メルトダウン」に陥らないことを願っている!

 そして、現地で対処下さっている皆様に脱帽し、ご無事である事を祈っています。

 

 「トンネル特急火災、避難の遅れ検証を」(11.6.2・「読売新聞」気流)

 

 北海道哉威村のJR石勝線トンネル内で発生した特急火災で。39人が病院に搬送された。JR北海道は、特急が緊急停止した2時間後に、警察からの連絡で火災を認識したとのことだ。これほ紛れもない「人災」といえる。

 社内マニュアルでは、乗務員が炎を目視して初めて「火災」と覚知すると定めていたという。煙が出ていれば。炎が見えなくても火災の可能性が高く、乗客の避難を最優先させるのが常識的な判断だ。今回、その常識が働かなかったのは、マニュアル厳守の教育のせいだっだのだろうか。

 JR北海道は、脱線、火災の原因だけでなく、なぜ乗客を避難させるという判断が働かなかったのかも検証すべきだろう。 

 

「東電・清水前社長『顧問』就任でいいのか」(11.9.23・「週刊金曜日」)

 

 東京電力は電気料金の値上げを検討していると報じられた。東電は否定しているが、日本の電気料は先進国諸国の約2倍ととんでなく高く、その「原価計算」は公表さえされていない。しかも、独占企業にも拘わらず、何と2010年度の広告費だけでも240億円、同年の「販売促進費・普及啓発費」も600億円を超える費用が費やされているという。

 更に、清水正孝前社長は責任を取って辞任した筈だが、何と「顧問」に落ち着いている。東電に抗議の電話をしたら「無給で事後処理に協力している」という。有給、無給の話ではないだろう。顧問でなくても協力はでき、そもそも清水前社長がいないと事後処理が出来ないほど東電は人材がいないのか。

 形だけ頭を下げ顧問に落ち着き、その一方、原発事故で全財産処か自殺を含め命さえ亡くしてる被害者がいる中で、彼は高給で得た自己資産を提供することもなく、何ら変わらず普通の生活をしているのである。国は「民会会社の人事に国は口を挟めない」と言うであろうがこれを追認するのか。

 8月6日付『東京新聞』の投書欄に【原発を推進してきた東電や大株主の銀行やら、官僚、原子力村の面々は、この期に及んでも甘い汁を吸い続けようとしている。彼らには、温かい人としての資質はもはやないと思われる。あればまず、自分たちの財産をなげうって土下座するだろう】と載っていたがまったく同感であり、値上げの前に東電経営者は全財産を投げ出し土下座せよ!

 

『原発の町決断に拍手』 (11.10.8・東京新聞「発言」)

 

 中国電力が上関原発を計画する山口県上関町の町長選で、推進派の柏原重海氏が三選した。その一方で、静岡県牧ノ原市議会が中部電力の浜岡原発の「永久停止」を決議したことは高く評価できる。 

 福島原発ではいまだ放射能を止められずにいる。にもかかわらずこの期に及んでも原発を受け入れるなら、以後のトラブル被害は事後自得と言えよう。一度原発補助金に漬かり受け入れれば、なかなか足を抜くことはできない「麻薬」であることを、今回の事故は示したのである。 

 そんな中、財政を原発補助金に頼ってきた福島県双葉町の井戸川克隆町長が、今後は原発に頼らないことを表明したという。既にどっぷり原発に漬かってきた町政の、大変な困難を覚悟しての表明を、高く評価する。

 使用済み核燃料の処分方法や行き先、徐染した土砂や焼却灰の処分すら決まらい中、再稼働は政府が責任をもって判断する、という野田佳彦首相の国会答弁は、あまりにも無責任だ。政府は双葉町に圧力を加えることなく、十分な支援をする義務がある。

 

『なぜ東電清水前社長が顧問ですか』(「自然と人間」10月号)

 

 原発事故の責任を取って辞任した筈の清水正孝・前社長が何と「顧問」に就任しているが、これが責任を取った人事なのか!産業経済省に電話するとその非常識を認めながらも「民間会社の人事に口は出せない」との模範解答が返ったきた。

 今後は東電に電話すると「無給で事後処理に協力している」と応えた。有給、無給の問題ではなく、顧問でなくても協力はでき、清水前社長が居なくては事後対処できないほど東電は人材不足なのか。

 全財産処か自殺を含め命まで亡くている被災者の中で、彼は高給で蓄えた私財を提供する事もなく、形だけ頭を下げ普通の生活をし顧問に収まっている事を許していいのか。

 一方でJR北海道で死傷者こそ出さなかったトンネル火災事故で、社長の中島尚俊氏が事故の責任を感じ(推測)遺書らしきものを遺して行方不明になっているというが、命を大切にして欲しいと思う。東電の清水前社長と責任意識がまるで違う。清水氏ら東電の責任ある経営者は全私財を投げ出し土下座すべきではないか。

 

 

 

『つぶやきを怒りに、怒りを行動に同感!』  (2011.11.21・「早稲田大学新聞」)

 

 「早稲田大学新聞」11月1、11日付、那須涼氏の怒り「つぶやきを怒りに、怒りを行動に」を拝読した。

 冒頭の「原発事故を許容することは人間をやめることに通じる」の言葉にまったく同感である。原発爆破僅か10日後の3月24日、須賀川市で三十年も有機農法で野菜を作ってきた男性が首を吊って人間をやめた。更に93歳の南柑馬の女性も「お墓に避難します」と人間をやめて自死しているのである。

 氏の「山は荒れ果て、川は汚泥と瓦礫のたまり場となり,・・・」の言葉に、私は田中正造の『真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし』の言葉を思い出す。氏の「断末魔の再起は絶対容認できない」の言葉にも同感である。

 現地では財産処か自殺者まで出ている中で東電幹部は形だけ頭を下げ、高給で得た財産を提供することもなく、責任を取って辞任したはずの東電清水前社長は顧問に就任し、これが「責任をとった人事」なのか、余りにも国民を馬鹿にしてる。

 「原爆被害・悲劇」を知る私たちが止めなくて誰が止められるであろうか。

 

 この先を生きる子供たちのために原発を止めるのは我々大人の責務であり、腐りきったマスコミは頼れず、それを動かすのは世論であり、電話でも投書でもデモでも何でもいい、那須氏の指摘通りその怒りを「行動」に移そう、私も出来る努力を続けたい。

 

2012年】 

 

「『絶対』安全原発にない】(2012.1.6・「東京新聞」)

 

 昨年12月14日付「若者の声」で高校生の「上手に原発利用を」に私見を述べさせたいただきます。筆書の「対策をしっかりしていれば、3.11の大地震で起きたようなことにはならなかった」との考えは、はっきり言って甘いと思います。 

 十分な対策を施すことは否定しませんが、人間は過ちを犯し、「絶対」の対策はなく、また人間は自然には勝てずその自然を予測することは、今回を含め非常に難しいことなのです。そして、今回の事故を見ても原発に「もしも」は許されないのです。

 避難区域を見直したり批判訓練を続けることは、再度の原発事故を否定していないということです。本紙12月15日付特報面の指摘通り地震そのもので配管破損の可能性もあり、人間が地震を抑えることはできないのです。日本は環太平洋火山帯にあるのです。

 再びこの悲劇を繰り返さないためには、自然界に存在しない物質を止める努力をすること以外に方法はないと私は考えます。

  

「快適さより廃炉優先を」(2012.4.20・東京新聞「発言」)

  

 政府はせっかく止まっている危ない原発をなにゆえそんなに再稼働させようというのか。なぜ、原発を再稼働させないことを考えないのか。

 避難地域の見直しや避難訓練は、再度の事故を否定できないからであり、再び事故を起こせばまさに日本は沈没であろう。

 電気が足りないなら窓の開かないビルや乗り物以外はすべてエアコンを禁止すればよく、広告の証明やネオンサイン、光速道路の証明など全て禁止すればよい。10年20年前の生活に戻っても原発を廃炉にすべきで、それが子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちへの大人に責任である。

 今廃炉を決めても。この先何十年も何兆円もかかるのである。そもそも使用済み核燃料の処分も場所も決まらず、原発の燃料プールは満杯でその処分も決まらず、再稼働など非常識も甚だしい。

 津波が来なくても電源があっても、地震で配管が破損したり、制御棒が入らなかったり、プールが破損すれば同じ結果になる。

 

 「納得できない政府事故調報告」(2012.7.27・朝日新聞「声」)

 

  東京電力福島第一原発事故で、政府の事故調査・検証委員会が23日にまとめた最終報告書は、原因を津波と電源喪失で済まそうとする政府、東電の追認である。

 国会事故調査委員会は事故原因を「人災」と断定し、地震そのものでの破損の可能性を指摘したが、政府事故調では原因は「津波」とした。また、地震そのものによる配管などの損傷を否定しているが、原子炉の確認もできずどうして否定できるのか。

 原因が地震そのものによることを認めれば、地震はコントロールできないから原発は不可となる。また、地震で外部電源を喪失しており、津波が来なくても自家発電や非常用バッテリーが何日も持つわけはなく時間の問題である。

 『理科年表』を見て欲しい。日本は環太平洋地震帯に位置しており、原発設置は非常識なのである。再び同じ事故が起きない保証はない。人間は、自然には勝てないことを知るべきだ。

 

「絵どうろうの美人画に感動」(2012.8.14・秋田魁新報「声の十字路」)

  

 私は毎年、季節が変わるたびに車で数日間の旅に出る。今回は栗駒山に登った後、以前にテレビで放送されていた「七夕絵どうろうまつり」を見物したくて、湯沢市を訪ねた。

 明るいうちに会場に到着、規模の大きささに驚いた。何より感動したのが美人画の素晴らしさ。また、その中に、夢だった菓子職人になったことを亡き父に自画像とメッセージで伝える女性の絵どうろうがあり、胸が熱くなった。

 夕食を済ませてから、夜の絵どうろう見物に繰り出した。明かりがともされ、日中とは違った魅力を味わうことができた。浴衣姿の女性など、大勢の人が行き来したいた。

 私は旅先で必ず地方紙を読むようにしている。コンビニで買った本紙の1面に大きな写真付きで絵どうろうまつりの記事が載っており、会場の光景を思い出した。

 起源は江戸中期とされる素晴らしい伝統行事を、これからも絶やすことなく、受け継いでほしいと思う。

 

「取材制限は許されない」(2012.10.5・東京新聞「発言」)

 

 立ち上がったばかりの原子力規制庁が、庁内の部屋に記者を入れての取材を受けないよ

う指示が出ていることに強く抗議する。原子力安全・保安院や東京電力、政府の資料隠しで信用を失ない、新たに設置された規制庁は強く透明・公開性が必要とされこのな姿勢は許されない。

 原発事故の「国会事故調」はその報告書の中で、情報公開徹底のため「19回の委員会は全て公開で行い、責任ある立場の人を中心に38人の参考人を招致している。動画中継には80万回のアクセスがあり17万件以上の書き込みがあった」と自負している。

 この報告書はこの様な裏打ちがあって高く評価されているのであり、規制庁は見習うべきである。規制庁は過去の教訓から生まれた組織だ。スタート早々このような国民に閉ざされた姿勢は許されず、国民の「知る権利」の重さも理解せず警備上の問題など言うのは言語道断だ。

 

「踏切事故 鉄道会社が責任もて」(212.12.16・朝日「声」)

 

 「踏切事故の犠牲者の半分が60歳以上」とNHKの報道番組で報じていた。車いすの80代女性が踏切を渡りきれずはねられ、JRから電車の修理費用の支払いを請求する文書が届いたとも伝えていた。あきれて怒り心頭だ。私はかつて私鉄に勤めていた時、そういう賠償請求をするケースの噂は聞いていたが、技術屋だったので確認まではしなかった。

 自殺のよる人身事故は別として、車両故障などで電車が止まるのは会社の責任だ。その結果、何万人、何十万人もの人に損害が及ぶが、鉄道会社は賠償しているのか。せいぜい「振り替え輸送」の切符を出す程度だ。ホームからの転落や踏切事故は故意ではないので、弱者に追い打ちをかけるのではなく、費用については全て会社側が負担すべきである。

 

【2013年】

 

 『政治に期待すること』(2013.3.26・読売新聞「埼玉版」)

 

 今の政治家は過半数を取れば何をしてもいいと思っていないか。その典型が合法政権だったナチス政権であった。子供の頃に民主主義とは「少数意見を尊重すること」と習ったが今も間違いないと信じている。民主主義は原則多数決であるが、少数意見や弱者を無視していいということではない。最優先の課題は東日本大震災や福島第一原発事故の被災者の支援である。

 また労働者派遣法で使用者は雇用に責任を持たず、職業斡旋を民間に開放し、「中間搾取」が合法化され、多くの労働者が非正規で結婚どころか生活の安定され成り立たない。政府は奴隷となった労働者を人間に戻すため「労働者派遣法」を廃止すきである。

 

『消費税還元セール、口挟むな』(2013.4.19・朝日新聞「声」)

 

 消費税に関して「消費税還元セール」などの表現を禁止する特別措置法案の国会審議に入ったというが、私は反対である。脱税を取り締まるならともかく、宣伝文句まで規制することは「言葉狩り」であり、民主主義社会ではありえないことだからだ。

 政府は、こうした販売方法が消費税の転嫁の仕組みなどをそこなうものだとみているようだ。だが、消費税を価格に転嫁しようと、売り主が負担しようと、脱税がなければ同じだと消費者の私には思える。 

 そもそも、安倍政権が掲げる物価上昇2%目標で、年金生活者や生活保護所帯は生活が苦しくなり、さらに消費増税で可処分所得が減り、格差が拡大する方向にある。だが、安倍晋三首相はそんなことはあまり忖度していないようだ。首相には物余りでも買えない人の心配をしてほしい。強い経済や強い国ではなく、「弱者に優しい国」を目指すべきである。

 

『JR北海道トラブル続きで心配』(2013.7.31・読売新聞「気流」)

 

 JR北海道で特急列車のトラブルが相次いでいる。 7月に入ってから6日にはエンジン付近から、 15日は配電盤から出火した。 22日にもエンジン付近から白煙が出た。

 けが人はなかったが、走行中の車両からの出火は重大事故につながりかねないと心配している。

 JR北海道は2011年5月に、石勝線のトンネル内で特急列車が脱線炎上し、避難した乗客の多くが気道などにやけどを負う事故を起こした。車両下部の部品の落下が脱線につながったとされ、運輸安全委員会から検査体制に問題があったと指摘された。あの事故の教訓が生かされているのだろうか。

 公共交通機関でいちばん大切なのは「乗客の安全」のはずだ。JR北海道は安全運行の体制を強化し、事故を起こさないよう全力を尽くしてほしい。

 

「コンビニよ食品を大切に」 (2013.9.21・東京新聞「発言」)

 

 コンビニ大手のセブンイレブン-ジャパンが、賞味期限の迫った弁当などを加盟店が値引きする「見切り販売」を妨害して損害を与えたとして、東京高裁が8月30日、加盟店側に損害賠償を支払うことを命じられたのに、上告したことに抗議したい。

 同社は、弁当などを捨てさせ新たに仕入れさせればもうかるであろうが、店側は損失を被る。そもそも食べられる食品を捨てさせていいのか。

 個人の精肉店はコロッケやカツを揚げて売っているが、その日のうちに売れるだけつくって捨てるようなことはしていない。その後、来たお客さんには「すみません。今日は終わってしまいました」で商売をしてきた。

 余っても捨てさせても「品ぞろえ」というのは間違っている。否、無駄でも、贅沢でも、捨てさせても生産して消費を拡大する考えは間違いである。

 途上国では子どもたちが餓死しており、食料に限らず地球の資源もエネルギーも、無限ではなく、先進国だけのものではない。「足るを知る」の言葉をかみしめるべきだ。

 

 「首相、話が違う!」(2013.9.27・赤旗「読書の広場」)

  

 安倍首相は消費税を引き上げる方針だという。しかも、費税3%のうち 2%の5兆円を「経済対策」に使うという。                      

 話が違う。増税は景気浮揚や消費拡大ではなく、財政再建と「福祉と一体」のためではなかったのか。それは口約束だったのか。広告をしなくては、はけないほど生産して、所得も増えないのにまだ消費促進というのか。

 そもそも消費税は逆進性が強く税の目的である「富の再分配」に反し、格差拡大を招くのである。貧乏人は所得のほぼ100%に消費課税され、富める者は所得の1部で生活し残りは株や投資で富が富を生んでいる。

 地球の資源もエネルギーも有限であり、言うまでもなく先進国だけのものではない。必要なのは「富の再分配」であり、それが税の目的であり、いい加減「足を知る」を理解すべきだ。

 

『権力の違法で隠すな』(2013.11.8・東京新聞「発言」)

 

 1日付特報面「秘密保護法に隠れた狙い」を読んだ。安倍晋三首相は「特定秘密保護法案」を国会に提出し、「国家安全保障会議(NSC)」を設置するというが、その米NSCが何をしているのか、元CIA職員スノーデン氏やドイツのメルケル首相の携帯盗聴でも明らかになった。

 

 権力は国益だけではなく、権力の維持のためにも違法を含めあらゆる手段を使い情報収集や、それに抵抗する組織や個人を弾圧し市民の耳目をふさぎ、「知る権利」を侵すことは歴史が証明している。

 

 今も検察は不利な証拠を隠し、官憲は麻薬・覚醒剤などに限り電話盗聴(傍受)を認められているが、警察庁や警視庁にその件数や内容などを聞いたが、「答えられない」の一点張り。盗聴されていることが分からないのに、わざわざ「貴方の電話を傍受しました」などと報告することはありえず、令状や立ち会いは形だけで、何を盗聴しているか確認できない。

 

 違法盗聴は記事にあるように共産党の緒方靖夫国際部長(当時)の事件でも証明され、このような権力の違法秘密を守るのが「特定秘密保護法案」の目的であり、それは治安維持法の時代への道だ。

 

『自身で判断する習慣を 』(「自然と人間」2013年11月号)

 

 台風のため伊豆大島の土砂崩れで大きな被害を出し避難勧告が出なかったことや、町長や副町長も不在であったことなどが批判された。それは事実であろう。

 ただ、自分の身は自分で守る行動判断も必要であり、すべてを行政に任せ言いなりになって、後で批判しても命は戻らない。

 思い出すのは「 3・11 」東日本大震災でJR東も各地で脱線どころか、電車が流されたり車両が2つ折になど甚大な被害を受けながら1人の犠牲者も出さなかったことである。

 それは運転指令と連絡が取れない中で、乗務員自身が乗客など相談しながら判断した結果であった。

 社会も学校も自身の考えで判断をさせず、 言いなりになるイエスマンや指示待ち人間を作っているが、JR東労組の組合員自身が判断する習慣を身につけていた結果である。

 ちなみにJR北海道は石勝線のトンネル火災の時に乗務員は何の指示もせず、乗客自身が危険を感じ脱出し難を逃れたのであり、 JR北海道はその後も常識を超える重大事故が続いている。

 

『国民を『足蹴』にした安倍政権』(2013.12.20・週刊金曜日「論争」)

 

 「特定秘密法」が成立したという。政権を握り衆参で過半を握れば「何をしてもい」と言うなら、合法政権だったナチス政権と同じである。安倍政権は白紙委任状を受けた訳でも与党だけの代表でもなく、先の参院選の自民党得票率は35%にも満たない(毎日新聞)のである。 

  この法律にはおおよその三分の二が反対や慎重審議を求めていたが、強引に可決しても次の選挙で国民は「忘れてくれる」というのが本音である。賛成意見の多くは「秘密は必要」と主張したが、それには既に国家公務員法や自衛隊法などに処罰規定がある。それを殺人犯も等しい懲役10年で脅し、更に「特定有害活動」や「テロ」にまで拡大したことが大きな問題である。そもそも条文に36カ所も「その他」があることは法律の体をなしていない。

 「何が秘密か、それが秘密」と政府が何でも勝手・自由に指定し、開示するか否かまで自身で決める悪法がどこの国にあるのか、米も独もチェック機関があり60年後の開示なら既に関係者はおらず真相究明も責任追及も出来ない。福島で開かれた地方公聴会では賛成意見は一人もおらず、衆参特別委員会の参考人質疑でも与党推薦者からさえ慎重審議の意見が述べら、参院の地方公聴会は何とその前日に設定を決めるドタバタ無謀だった。時間経過と共に次々とボロが続出し世論の「第三者機関設置」に政府は抗せず『情報保全観察室、保全監視委員会、情報保全諮問会議』など、参院可決直前に官僚まる受けを提案し法律の欠陥を認めた結果になった。この提案は全て政府内の組織であり「第三者機関」ではあり得ず、法律施行までに努力するなどの「口約束」や法律の「補足」で間に合わせる内容ではない。法案成立前にここまで欠陥を認めるならキチント「条文」に入れるべきだ。

 逮捕起訴されてもその理由が開示されることはなく、何で逮捕されたかも解らず「デッチアゲ」さえ可能である。この悪法が成立していたらイラク戦争で米兵を輸送した自衛隊が、武器弾薬を運んでも「軍事機密」であり、沖縄密約を暴いた西山太吉元記者は投獄されていた。

  関東軍のヤラセだった張作霖の爆殺や満鉄爆破も軍事機密であり、ベトナム戦争の「トンキン湾事件」も、イラク戦争の「大量破壊兵器」のウソも軍事機密であり、メルケル首相の携帯電話盗聴も「軍事機密」なのである。さらに安倍首相は集団的自衛権や武器輸出を虎視眈々と狙っており、刻々「治安安維持法」の時代と「戦争」への道に近づいている。

  参院可決を報じた7日の各紙には27年も投獄されながら、諦めずにアパルトヘイトから解放したネルソン・マンデラ氏の死を悼む記事が大きく載っていた。諦めずにこの悪法の廃棄を求め続けなければ、やがて子や孫の世代には戦争に引きずり込まれるであろう。

 

【2014年】

 

『首相好みのNHK人事』(2014.2.14「週刊金曜日」)

  

 1月28日の衆議院本会議での海江田万里民主党代表の国会代表質問で、 NH会長発言問題に「放送機関のトップが行った個別の発言について政府としてコメントすきではない。新会長をはじめNHK職員のみなさんはいかなる政治的圧力に屈することなく、中立・公平な放送を続けてほしい」との首相答弁はチャンチャラ可笑しい。

 2000年にいわゆる「従軍慰安婦」問題を裁いた「国際女性戦犯法廷」が開かれ、そこで元日本軍兵士が加害証言を元「慰安婦」の女性が被害証言をしたが、 NHKはこの部分をカットして放送し大きな問題になりき裁判にまでなった。その犯人は当時、官房副長官だって安倍晋三氏の圧力であったことを私は忘れない。

 安倍氏は面談したNHK幹部に「公正な報道をお願いしますと」発言、その直後にすでに完成したテープの再編集が急遽開始されたのである。そこには普段番組制作には関与しない国会担当局長も参加し編集を支持したのである。そして、時間切れでシリーズのこの回だけ4分短縮で放送されたのである。

 結果はNHK自身が忖度して再編集したことになったが、これは明らかに政治判断で、安倍氏は圧力を否定したもののその発言を認めていた。そもそも放送前の内容を安倍氏はどうして知っていたのか。

 籾井NHK会長を選んだのは安倍首相に責任がある。就任早々公正であるき日銀総裁や内閣法制局長官に〝お友達〟を配し、特定秘密保護法の「情報保全諮問会議」の座長は『』読売新聞』の渡邉恒雄会長で、同会長は「最終的に首相に判断してもらえば結構だ」(1月28日付『東京新聞』と発言、その7人のメンバーは大半は容認派である。

 籾井会長を任命したのが首相好みで纏めたNHK経営委員会であり、会長の発言は本音であり同委員会が注意して済む問題ではなく罷免任を求める。

 

『保険会社社長の開き直り発言』(2014.2.15・東京新聞「発言」)

 

 保険金の不払い問題で記者会見した東京海上日動火災保険の永野毅社長は、謝罪はしたものの「請求のないものは不払いではない」と開き直りとも思える抗弁をした。保険会社は勧誘時には「これも出る、あれもです」と良いことばかり並べるが、いざ支払いとなると本来支給されるものも「請求がない」で済ませるのか。あんな小さな文字であんな多くを書いた契約書を全部読んでいる保険加入者はいるだろうか。

 私が世話になった自動車の任意保険では「治療や入院給付は」、「代車は必要ですか」など、受けられる補償(サービス)をきちんと伝えてくれ、必要なものだけをお願いした。 「請求がなければ無視しろ」とのもうけ主義は許せない。保険は相互の信頼が必要で、加入者の立場を全く理解しない永野社長に抗議する。

 

『必要なのは優しい国』(「自然と人間」3月号)

 

 米バージニア州で公立学校の教科書の日本海表記に「東海」と併記するよう定める法案が可決されが、日本政府はその拡大を防ぐため米地方議会に追従しないよう働きかるという(8日付「東京」)が内政干渉であろう。

 歴史的経緯があるにしろ「公海」に特定の国の名前をつけることは好ましいことではなく、周辺国の思いを考えれば尚更であり、政府はなぜ反対するのか。日本海を「東海」とすると日本に何か不都合や不利益があるのか。ただ、自国名を強調したいだけあり、そんな自己主張だけの島国根性の愛国悪心は間違っている。

 東海と変更して周辺国との友好が進むならなお結構なことであり、在韓日本大使館前の女性像や、中国哈爾浜駅に出来た安重根記念館などにもの日本政府は異議を唱えているが、安倍政権は「法的に解決済み」と無反省に自己主張だけで、被害を受けた相手国の事など微塵も考えない。そんな姿勢ではアジア処か世界から孤立していくだろう、否、もう孤立化が始まっていることにも気づいていないようである。 必要なのは強い国ではなく優しい国である。

 

【2015年】 

 

『ナチスと重なる安倍政権』(撫順の奇蹟を受け継ぐ会「東京支部会報」2015/3)

             

 先の衆院選挙で自民党は安定多数を獲得し、安倍首相は「国民の支持を得た」とやりたい放題である。しかし、その中身は「死に票」の多い小選挙区制度の弊害で48%の得票で76%もの議席を獲得し、比例に至っては得票も議席も3割しか支持されていないのである。

 

 そんな中で多くの市民が反対した特定秘密保護法の強行採決や原発の再稼働、歴代内閣が違憲をしてきた集団的自衛の閣議決定、武器輸出・・・・やりたい放題で合法政権だったナチス政権と重なる。敗戦を終戦と、占領を駐留と、社会科を公民と、武器輸出を防衛装備移転・・・・などと言い換え目をそらそうとしてきた。

 

  公務員の「守秘義務」は既に公務員法に罰則があったにも関わらず、懲役10年もの罰則をもうけたことは治安維持法の改悪で死刑を導入したことに重なる。特定秘密保護法

 

 先の衆院選挙で自民党は安定多数を獲得し、安倍首相は「国民の支持を得た」とやりたい放題である。しかし、その中身は「死に票」の多い小選挙区制度の弊害で48%の得票で76%もの議席を獲得し、比例に至っては得票も議席も3割しか支持されていないのである。

 

 そんな中で多くの市民が反対した特定秘密保護法の強行採決や原発の再稼働、歴代内閣が違憲をしてきた集団的自衛の閣議決定、武器輸出・・・・やりたい放題で合法政権だったナチス政権と重なる。敗戦を終戦と、占領を駐留と、社会科を公民と、武器輸出を防衛装備移転・・・・などと言い換え目をそらそうとしてきた。

 

  公務員の「守秘義務」は既に公務員法に罰則があったにも関わらず、懲役10年もの罰則をもうけたことは治安維持法の改悪で死刑を導入したことに重なる。特定秘密保護法は「知る権利」を侵し、関係する公務員には家族や身内にまで思想信条や病歴など丸裸にされる。それは公のために個は規制された戦前、戦中の「治安維持法」の時代と同じである。それは、やがて公務員採用や大企の採用にも秘密裏利用されるだろう。それは、警察の「電話盗聴」が実質無制限であることからも判かり、政府の不正は如何なる手段でも暴かなくてはならない。

 

 2月16日の衆院代表質問では岡田民主党代表の格差指摘に、安倍首相は「誰にでもチャンスはある。頑張れば報われる社会の実現」と答弁した。確かに誰にでもチャンスはあるかも知れない。しかし、今の格差社会では「子どもの貧困」と言われる通り貧乏人の子は高等教育も受けられず、大学を出ても正規雇用に就けず、借りた奨学金さえ返せずスタート時点から平等ではない。

 

 そして、この競争社会で頑張れば誰でも報われるのではなく、結果として必ず勝者と敗者が出現し、それは自己責任ではなく資本主義・競争社会の宿命であり、それは規制緩和で更に拡大し貧困と犯罪が増え社会は不安定になる。

 

 それを是正するのが「富の再分配」としての税制と、「格差是正」のための社会保障でるあるが、安倍政権はその格差を拡大させている。消費税率引上げ、軍事費の突出、物価に追いつかない賃上げや年金など格差拡大策を採っている。 物は「広告」しなくては捌けないほど街に溢れ、これ以上消費を増やしてどうするのか。資源もエネルギーも無限ではなく、言うまでも無く先進国だけのものではない。武器を輸出すればその消費が進まなくては次の生産ができずそれは戦争に繋がり、戦争が景気の「特効薬」であることは日本が朝鮮特需で復興した事が証明している。次の参院選で安倍政権を打倒しなくてはならない。は「知る権利」を侵し、関係する公務員には家族や身内にまで思想信条や病歴など丸裸にされる。それは公のために個は規制された戦前、戦中の「治安維持法」の時代と同じである。それは、やがて公務員採用や大企の採用にも秘密裏利用されるだろう。それは、警察の「電話盗聴」が実質無制限であることからも判かり、政府の不正は如何なる手段でも暴かなくてはならない。

 

 2月16日の衆院代表質問では岡田民主党代表の格差指摘に、安倍首相は「誰にでもチャンスはある。頑張れば報われる社会の実現」と答弁した。確かに誰にでもチャンスはあるかも知れない。しかし、今の格差社会では「子どもの貧困」と言われる通り貧乏人の子は高等教育も受けられず、大学を出ても正規雇用に就けず、借りた奨学金さえ返せずスタート時点から平等ではない。

 

 そして、この競争社会で頑張れば誰でも報われるのではなく、結果として必ず勝者と敗者が出現し、それは自己責任ではなく資本主義・競争社会の宿命であり、それは規制緩和で更に拡大し貧困と犯罪が増え社会は不安定になる。

 

 それを是正するのが「富の再分配」としての税制と、「格差是正」のための社会保障でるあるが、安倍政権はその格差を拡大させている。消費税率引上げ、軍事費の突出、物価に追いつかない賃上げや年金など格差拡大策を採っている。 物は「広告」しなくては捌けないほど街に溢れ、これ以上消費を増やしてどうするのか。資源もエネルギーも無限ではなく、言うまでも無く先進国だけのものではない。武器を輸出すればその消費が進まなくては次の生産ができずそれは戦争に繋がり、戦争が景気の「特効薬」であることは日本が朝鮮特需で復興した事が証明している。次の参院選で安倍政権を打倒しなくてはならない。 

 

【1016年】

 

『事故防止 歩車分離信号で』(2016.2.18読売新聞「気流」))

 

 今月8日、静岡県遠野市の交差点で、横断歩道をわかっていく登校中の小学2年生が右折しようとした車にはねられ亡くなるという痛ましい事故が起きた。

 交差点での事故を減らすには、 車側の信号が「青」のときには、人と車の流れを分ける歩車分離信号を普及させることが必要だと考える。主要な通学路を始め学校から一定の範囲にある信号機を対象に導入を検討すきだろう。子どもたちの安全確保のために、最善の努力が求められる。

 

 『人権無視の天皇制廃止を』(2016.7.29「週刊金曜日」)

 

 天皇が「生前退位」の意思を示したとメディアは騒いでいるが、この際、換算が面倒
な元号と共に、天皇制は廃止した方がいいのではないか。
 天皇をはじめ皇室の人びとはかなりの自由を制限されている。人間であって人間では
なく深刻な人権問題を抱えている。英国の皇室は浮気もすれば離婚もする。推奨する訳
ではないが、それが人間であろう。天皇は“特別な人間”(象徴)に仕立てられ、外出
も買い物もままならない。
 とりわけ、外の自由を知る人には耐えられず、適応するのが困難な環境であろう。ゆ
えに美智子妃は声が出なくなったり、雅子さんも体調を崩したりしたのではないか。
 権力が天皇を利用している実態もある。今回の退位の情報も宮内庁はこれを否定し、
菅官房長官は会見で、皇室典範の退位検討を否定した。天皇の意思は無視され、むしろ
「天皇の政治介入」と批判する意見さえある。
 戦時中、天皇は“現人神”とされていた。敗戦で「人間宣言」をしたが、はじめから
“人間”に決まっている。
 それでもなお天皇や皇室の人びとをこの国の制度が縛っている。生まれながらにして
特別な人間はいない。それを認めることこそ差別にほかならない。その原点が「戸籍制
度」であり、天皇には戸籍がない。

 

 

◆【天皇を普通の人に】(「自然と人間」2016.9月号)

 

 天皇が「お気持ちを表明した」と大騒ぎですが、皇室の皆さんには何の自由もなく、

その行動はすべて政府が握り明治政府の時代から権力が利用し敗戦まで神とされた。

 敗戦まで「国は皇国、軍は皇軍、民は臣民」とすべて天皇の下にあった。敗戦後「人間宣言」したが最初からに人間に決まっており、生まれながらにして特別の人間などおらず、それは時の権力が利用するために作られた存在であり差別である。

 平成天皇は憲法に触れないよう長い間、政府の人形でありつづけようと努力してきた

と思うが所詮人間であり限界がある。

 憲法は国の最高法規で男女差別を否定しているが、皇室典範は女性天皇を認めておらず明らかに「違憲」である。しかし、メディアは報じない。天皇が亡くなるまで公務が出来る訳はなく、天皇を絶対・特別の人間とするための手段である。

 新憲法で天皇は「象徴」とされたが、それは時の権力が権威付のための利用するためであり、その公務や公正性は政府が判断しており「人権問題」であり、天皇制を廃止し普通の人にもどしてあげたらと思う。

 

『ノーベル賞受賞は義務か』(「9条連ニュース」11月号)

 

 「ノーベル文学賞」の選考主体であるスウェーデン・アカデミーの18人のメンバーのひとり、ペール・ウェストベリ氏が21日にスウェーデン公共放送SVTのインタビューに答え、そこでボブ・ディランさんの沈黙について「無礼かつ傲慢だ」と厳しく非難したとの報道があるが、彼の発言こそ傲慢である。

 ノーベル賞は受賞義務があるのか、受賞が当然と思い面子をつぶされ「沈黙は傲慢」との発言に至ったのであろう。ボブ・ディラン氏は反戦や人権を訴えてきた反権力の一市民であり、ディラン氏は他人の価値観など気にせず、自分が正しいと思った道を生きてきたであろう。

 化学や医学賞などは理論的に説得力があるが、文学賞や平和賞はその評価・価値観が様々で利用される場合もある。ディランの平和賞も「反権力も評価もする」というパフォーマンスとも思える。沖縄密約の張本人である佐藤栄作元首相になぜ「ノーベル平和賞」なのか私は理解に苦しむ。受賞式のあの豪華なパーティーは到底庶民から遠く離れており、違和感を覚える人がいても不思議ではない。

 

【2017年】

 

【安倍首相は森友学園との関与を認めて辞任せよ】(2017.4.14「週刊金曜日」)

 

 森友問題で安倍政権は3通の契約書による詐欺容疑などで、何とか「100万円寄付」の問題から目を逸らそうとしているようだ。しかし詐欺容疑と金銭問題は別である。

 補助金詐欺や約8億円の値引きなどは「金」の問題であるが、幼稚園児に教育勅語を暗唱させ、安保法制を支持し、中国や韓国・朝鮮民主主義人民共和国を批判する教育こそ彼の目指す「戦後レジームからの脱却」である。

 ゆえに、首相夫妻そろってこの学園を支持し、安倍昭恵氏は名誉校長まで引き受けていたのである。首相夫妻は多額の値引きやゴミ問題までは知らなかったかもしれない。しかし、どんな小学校かも知らずに、名誉校長を引き受けるはずはない。明らかに教育方針に賛同していたのである。

 国会で、関与があるなら「首相も国会議員も辞める」と公言したからには、その真実の解明が必要だ。籠池泰典氏か、昭恵氏のどちらかが嘘をついている、ということであり、籠池氏だけの証人喚問は不公平である。首相がそこまで自信があるなら真相解明のため昭恵氏の証人喚問に応じる責任があるだろう。100万円寄付発言を「首相に対する侮辱」とまで言ったが、それなら補助金詐欺ではなく、なぜ、国会証言の「偽証罪」で告訴、告発しないのか。その真偽を追及されると困るからであろう。

 鴻池祥肇議員は籠池氏の要請を断ったと言うが、事務所は動いていた。その後、籠池氏側の希望通り次々と異例の措置がなされたのである、昭恵氏の名は「印籠のような力はない」どころか、絶大な力がある。官僚が一斉に忖度したのはその証左と言えよう。松井一郎大阪府知事も「首相は忖度があったことを認めるべきだ」と言っている。

 もし表に出なかったら、教育勅語を信仰する小学校ができたかもしれず、金の問題どころではない。

 

『原発撤退せよ』(「自然と人間」2017年5月号)

 

 独、伊、に続き台湾政府が「反核、不要再有下一個福島」(もう一つの福島は必要ない)と原発撤退を決めたが、安倍政権は再稼働どころか輸出までするという信じがたい暴挙だ。いまだ福島原発の事故原因もメルトダウンの核燃料の状況もわからず、使用済み核燃料どころか除染土砂の行き先さえ見つからず野積みにされたままだ。廃炉の見通しもない。

 世の中に絶対は「死」しかななく、人間が自然に勝てるわけはなく、エベレストは海の底であった。原発が安全なら避難計画も避難訓練も必要なく、そもそも避難など出来ないことは現状が示している。原子力規制委員会は「規制」ではなく40年寿命の延長さえ認める「許可委員会」である。同委員会は「規定の合否の判断であり、安全とは言っていない」と公言している。

 安倍首相は「私が責任を取る」と言ったが福島の責任を誰が取ったのか。もう一度同じ悲劇を繰り返してもいいのか。原発輸出先で事故が起きたら責任がとれるのか。