【2015年】

【平和ための博物館・ 

 市民ネットワーク全国交流会】参加

 

 東西で毎年交互に開催している『平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会』が、今年(14回)は10月24,25日の両日に名古屋の「ピースあいち」で開かれ両日とも50名ほどの参加者で下記の発表があった。

 初日は中帰連平和記念館、山梨平和ミュージアム、ナガサキピースミュージアム、岐阜空襲を記録する会、「ピース大阪」元学芸員、女たちの戦争と平和資料館(wam)が発表し、翌日、丸木美術館、ひめゆり平和博物館、ピースあいち、立命館大学の10人の発表があった。 

 「中帰連平和記念館」からは松村理事長が9月21,22日に北京で開かれた『戦争の痛みを忘れず、心の中に永遠の平和―駐日関係シンピジウム』の報告と、芹沢事務局長が記念館の近況を報告をした。また「満蒙開拓平和記念館」が時間がなく「資料」のみ提供した。 

 初日には下記二つの「特別報告」があった。 

①『戦跡保存・公開と平和資料館(仮称)建設決定までの経緯と現状』 

  伊藤泰正さん(豊川海軍工廠跡地保存を進める会・豊川高校地歴科教諭) 

②『鷹来工廠と学生たち―名城大学農学部にのこる戦争遺跡―』 

  渋井泰正(名城大医学経済学部教授) 

 2日目の冒頭には「立命館大学国際平和ミュージアム」の安斎育郎名誉館長の『戦後70年にあたっての平和博物館のありかたを考えると』題した特別講演もあった。

 来年の「交流会」は10月29,30日に白河市の『アウシュビッツ平和博物館』の開催が決まった。

『原発被災地を訪ねて』 

 

10月3日、埼玉県越生町の仲間が組んだ福島原発被災地の「楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町」を訪ねる『福島スタデーツアー』に参加した。それぞれの現地で被災者に当時の話や今までの経過や現状をお聴きした。

 先月9月5日に「避難指示解除」になったばかりの楢葉町の宝鏡寺住職で高校教師でもあった早川篤雄さんは、40年前の70年代から原発反対の運動を続け裁判も起こした。その裁判の途中でスリーマイルやチェルノブイリ原発事故が起きたが裁判では敗訴した。早川さんは国の言う事は「ウソ」ばかりと、自分の家に住めず家族がバラバラになり生活が壊れた悔しさを「金ではなく元の生活を戻して!原発を止めて!」と訴えた。早川さんの田圃も「除染土砂」置き場になってしまった。アンケートでは「町に戻りたい」は8%、 20、30代は1,2%、「戻るつもりはない」が45%で若い人が戻らなければ町は消滅すると訴えた。

 双葉町などは未だ誰も住めず町にも家にも誰も居らず、黙々と除染の作業員だけが転々と働いていた。津波で破壊され放射能で戻れない壊れた家屋などがそのまま放置され、転倒した車は今もそのままだ。常磐線は今も「滝田駅」で止まりその先に行けない。せめて原発を泊めるのが政府の最低の責任と義務であろう。

【「戦争遺跡保存全国シンポ」千葉館山集会】開催 

 年1回毎年開いている『戦争遺跡保存全国シンポジウム』が、今年は千葉県館山市の「千葉県南総文化ホール」で9月4~6日に開催され350人余りが参加した。

 全体集会・基調講演の翌日は「保存の現状と課題、調査の方法と整備技術、平和博物館と次世代への継承」と、特別部会として「米占領軍の館山上陸と直接軍政/証言者のつどい」の4つの分科会に別れ全部で28件の発表があった。私が参加した『平和博物館と次世代への継承』の分科会は7人発表があり、私は「中帰連と記念館」の運動と近況を報告した。沖縄など遠方からの参加や、現地のボランティアスタッフの活躍に感謝の思いであった。。

 尚、来年の「20周年シンポ」は8月20、21日に第1回シンポが開かれた長野県・松代で開催することが決まった。(「写真」は第3分会)【私の最新ユース】へ

【「三鷹事件」を検証し、再審を求める集い】


 東京・吉祥寺の武蔵野公会堂で9月4日、『戦後70年 三鷹事件を検証し、再審を求める集い』が開かれ350席の会場は参加者で埋まった。

 最初に『三鷹事件再審を支援する会』の大石進代表(布施辰治弁護士の孫、元「日本評論社」社長会長)が主催者挨拶に立ち、続いて共催の『三鷹事件の真相を究明し語り継ぐ会』代表世話人の堀口作治さん(元朝日新聞編集局次長)が挨拶した。堀口さんは当時、一橋大学の学生で帰宅途中の三鷹駅ホームでこの事件に遭遇した。「救命を」と思い近づくとMPに「ゲットアウト」と追い出され体験を話した。

 続いて弁護団長の高見澤弁護士から既に再審請求から4年経つが今「三者協議」を継続中などの報告がり、各弁護士からも2機のパンタグラフ、手ブレーキ、後方前照灯の点灯、目撃証言・・・などについて説明があった。 

 獄死した竹内景助さんは電車検査のプロで電車の構造は熟知しており、マスコンを「針金で解錠し紐で縛る」などは素人のやることである。そもそも「計画的犯行」と言うのに、何故「現場で拾った」針金(しかも大量)や紐を使ったのか?、現場に「落ちてなかったら」どうしたのでしょうか。ゲストの鎌田慧さんは冤罪の現状について訴えた。

  当時の国鉄三大事件の「下山事件」は迷宮入り、「松川事件」はデッチアゲ、この「三鷹事件」も共産党弾圧の「ヤラセ」であったが、皮肉にも死刑判決を受けたのは非共産党員の竹内さんだった。珍しい「死後再審」だが竹内さんの名誉を回復しなくてはならない。【私の最新ニュース】へ

◆【「悪魔の飽食・東京合唱団」20周年コンサート開催】  

 戦時中、中国・哈爾浜平房の731石井部隊が「関東軍防疫給水部」の看板の裏で、中国人を生体解や実験、毒ガスや凍傷実験などで3000人余りを殺害した。これを告発した森村誠一氏の『悪魔の飽食』を合唱組曲で歌っている『悪魔の飽食・東京合唱団』(全国にある)が結成20周年を迎え、8月29日に杉並公会堂で「20周年記念コンサート」が開かれた。

 オープニングには「生きる」(作詞・谷川俊太郎 作曲・吉田要)が披露され、第一部の「20年の歩み」では「さとうきび畑、草原情歌・・・」など6曲を披露、第二部は金子みすゞの詩に池辺晋一郎氏が曲をつけた「星とたんぽぽ」など7曲が歌われた。

 休憩を挟んで第三部は池辺晋一郎さんと金子みすゞ記念館館館長の矢崎節夫さんのトーク、そして第四部はメインの混声合唱組曲「悪魔の飽食」7曲が披露され、1000人余りの会場は参加者で埋まった。戦争の「悲劇」を繰り返してはならない!

◆【「9条連」が結成20年で集会】

 東京の「日暮里サニーホール」で7月31、敗戦70年・9条連結成20年『怒りの鐘を打ち鳴らせ!今こそ~東アジアから平和を~』が開かれ400人余りが参加した。

 オープニングでは常石敬一氏の挨拶と『地球星』が合唱披露され後、中山弘正・9条連共同代表の挨拶で第一部に入った。

 第一部は『憲法改悪に立ち向かう!』と題したシンポジュウムでコーディネーターに植野妙実子氏(中大教授)を迎え、浅井基文、樋口陽一、C.ダグラス・ラミス(沖縄在住・政治学者)の各氏から話を聴いた。浅井氏は安倍首相が詳しくは「読んだことはない」と国会答弁した「ポツダム宣言」などについて詳しく説明した。また、今若者たちが自主的に国会前などに集まり、組織で動いた60年安保と明らかに違うなどの発言もあった。

 二部は『東アジアから平和を』と題して伊藤成彦氏、中国の凌星光氏と韓国の金榮泌氏からコーディネーアーに内田雅俊弁護士を迎え話を聴いた。凌氏は日本が平和憲法を守るなら国連常任理帰国への道も開かれると、また、金氏は日本の「憲法9条は日本だけのものではない」などと発言した。

 その後、沖縄から駆けつけた安次美代子氏(沖縄9条連共同代表)から、沖縄の基地や現状の闘いなどの報告があった。浅野健一氏の閉会挨拶の後、全員で『地球星』の大合唱で集会は終了した。最後まで殆どの人が帰らず熱のこもった記念集会だった。

◆【今年も中国大使館で「7・7集会」開催】

 日本人に『7月7日は何の日』と聞くと、殆どの人は「七夕」と応え1937年7月7日に「盧溝橋」で数発の銃声音から始まった日中全面戦争勃発の日であった事を知っている人は多くはないだろう。


その『7月7日を忘れまい』と元軍人4団体が毎年『7・7集会』を開催してきたが、高齢化のため後継団体が受け継ぎ開いている。今年も「日中友好8・15の会、撫順の奇跡を受け継ぐ会、不戦兵士・市民の会、関東日中平和友好会」の共催で毎年持ち回りで担当し、今年は「日中友好8・15の会」 の担当で会場に中国大使館を借て開かれた。

 当日は最初に各団体からの挨拶に続き、程永華大使からあの戦争は日本人民も被害者であり歴史の過去を鏡として学ばなくてならないと、ヴァイツゼッカー元独大統領の『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」や、中国の『前事不忘 後事之師』の言葉を紹介した。そして、この4団体の創始者の勇気に感謝すると述べた。その後、今年担当の「日中友好8・15の会」の沖松代表幹事の講演に移った。(挨拶する程永華大使)

沖松氏は1925年生まれの90歳で、陸軍士官学校を出たが最後は特攻隊に組み込まれ、怖いというおり寂しかったという。特攻には特別食が出たが、何を食べても美味しくなくお金も地位も通用せず、「平凡に暮らせる幸せ」を感じたという。8月15日の出撃予定だったがその直前に敗戦になり一命を取り留めた。その時は「助かった!死なずに済んだ」との思いであったという。戦後は「何故戦争したの?するの?」を長い間問い続けて来たという。

 最後に「中帰連」の撫順戦犯管理所での生活や裁判、帰国までを描いた合唱組曲『再生の大地』が披露された。その最後は『赦しの花』という曲で、ある戦犯が帰国時に「もう武器を持って大陸に来ないで下さい。そして、日本へ帰ったら幸に暮らして下さい」と手渡された朝顔の種を生涯咲かせていた実話を歌にした曲で、そのハート型の葉の朝顔はいま全国で咲いている。(講演する「日中友好・8・15の会」の沖松代表監事)  

       (合唱組曲『再生の大地』を披露する「再生の大地合唱団」)  

◆【埼玉・小川町で橋本勝さんの「諷刺マンガ展」】開催

◆【ドキュメンタリー映画「原発と日本」を観て】

  この『日本と原発』は原発訴訟の弁護団長もしている河合浩之弁護士が監督したという異例の映画である。

 この映画は技術的、科学的内容だけではなく、被害者の生活は勿論、役人の天下りや原発周辺の人間関係、原発は安いのウソ、被害者の自死・・・など幅広く紹介している。

 政府が漠然と無責任に「円形」に原発周辺10キロ規制のために、放射能が低く津波直後から救済・救出できたのに・・・、また射能汚染濃を10日後に知らされた飯館村、それまで汚染された水を飲み、飯を炊き、風呂に入っていた悔しさ、自死した配偶者の無念さ・・・等など、河合氏は監督だけではなく自ら出演取材した記録である。今年4月の関西電力大飯原発3,4号機運転差し「止め仮処分」の原告勝利判決まで入っている。

 最後のシーンは日本全国54カ所の原発関連施設が映し出され、その後、誰も居なくなった「チュルノブイリ」の街と同原発の「石棺」が映し出された。

 使用済み燃料の処分処か、除染した低レベル放射能土砂の置き場も決まらず、廃炉技術の見通しもつかず、地震大国のこの国で10万年もかかる使用済み核燃料をこれ以上増やしてどうする!原発事故の原因の事故の収束もせず、電気の足りている現状での再買おうとはキチガイ沙汰である。それは「核兵器」の潜在能力を維持したいからである。