【安倍首相の靖国暴走の危険 】(12/28)

 安倍首相が多大な犠牲強いられた国の思ににも及ばず、公を放棄し私を優先した靖国神社(以下、靖国)参拝に中国、韓国から批判され、マスコミは「外交問題に発展」と報道したが、これは重大な国内問題でもある。
 先日の「特定秘密法」の採決について『NYタイムス』は16日付け社説で、阿倍首相を「傲慢」と指摘し「時代錯誤的で危険な思想だ」と結んだが、この靖国参拝は正にこの社説(下記「PDF」参照)が的を射ていることを証明した。そして、靖国参拝はの批判に止まらず、EUやロシアからも批判され世界の平和への「思い」に、日本だけがアジア処か世界から孤立化している。

 

 首相は中国、韓国に対し「常に対話の窓口は開いている」との発言と言行不一致であり、参拝後に記者の質問に平和や民主主義を口にしたが、集団的自衛権や武器輸出が「平和への道」なのか。国民の8割が反対や慎重審議を求めていた「特定秘密法」を強行採決したのが民主主義なのか。

 

 靖国神社の原点は戊辰戦争で犠牲になった「官軍」のみの犠牲者を祀った東京招魂社が原点であり、敗戦まで軍が管理し戦争荷担への国策に利用した「国教(天皇教)」だったのであり、その反省から「政教分離」が憲法に明記されたのである。

 

 今回の参拝で首相は廻廊外の鎮霊社にも参拝したと強調したが、なぜ兵士と差別しているのか、そこに靖国の目的が見える。よく英霊とか「命を捧げた」と言うが、赤紙一枚で否応なく強制で戦地に連れ出したことは「捧げた」とは言わず、戦死が「犠牲・ばからしい」と思わせないために靖国は利用されてきたのである。兵士だけではなく沖縄戦で犠牲になった多くの市民も、また東京大空襲や広島、長崎の原爆で犠牲になった民も、無念の死であり決して「合意・納得」して亡くなったのではなく、戦闘もせず犠牲になったのである。

 

 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」には故郷に帰れない無名戦死のご遺骨が葬られているが、靖国は戦死者の名前だけ祀っている。それでも信じる人の自由であるが、問題は合祀を拒否している人たちまで強制的に合祀し取り下げにも応じないことは死者の利用でさえある。

 

 戦死者の慰霊施設は諸外国にも在ると言うが、米の「アーリントン墓地」を含め宗教施設ではないことが決定的な違いであり、そこには寺もモスクも教会も無く、僧侶も神主も牧師も神父も居ないのである。そして、アーリントン墓地への埋葬は靖国のように強制されず「希望者」だけで、また埋葬には本人の宗教を尊重して埋葬され、靖国のように神道を強制されることもない。


 宗教への国・政府関与を多数決で決めることなど許されず、政権を握り衆参で多数を握れば信頼を得たと「何をしてもいい」なら合法政権だった「ナチス・独裁政権」と同じであり、この先「集団的自衛権、武器輸出、憲法改悪・・・」と安倍内閣の暴走は非常に危険である

『NYタイムス』社説
 安倍首相を「傲慢」と指摘し、「時代錯誤的で危険な思想だ」と結んだ12月16日付「社説」
「NYタイムス」.pdf
PDFファイル 34.9 KB

◆【中国との緊張「原因」を考えるべき】(12/1)

 マスコミは中国の「防空識別圏」拡大を批判するが、その原因を考える報道は殆どない。このキッカケは石原慎太郎・前都知事の尖閣列島を国が買わないなら「都が買う」との言動である。しかし、話しが大きくなると彼は「黙り」を決め込んでいる。野田前首相がこれに乗ってしまったことであった。
 石原氏は原発についても「東京湾に造ってもいい」と発言したが、法律で「人口密集地」には設置できず、それは「危険」だからであり、最初から政府は危険を承知していたからこそ都市を避けたのである。彼は自分の発言に責任を持たない男である。本当に安全なら、避難計画も避難訓練も必要なく、そんな事が役立たない事は3・11で体験したのである。

 

1.安倍首相は中国との領土問題(尖閣)は存在しないと主張するが、国交回復の「田中-周恩来」会談で下記の様に語っている。

 

田中:「尖閣諸島についてどう思うか。私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」
周:「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」
 
  ここには「棚上げ」の文言こそないものの、「懸案事項」として双方が異論を述べず、その存在を暗黙している。これは外務省の公文書にも載っていると、NHKスペシャル『日中外交はこうして始まった』(12/9/30)でも指摘していた。
 また訪中した野中広務・元官房長官も「棚上げ」の存在があったことをテレビでも証言(6/9 BS-TBS)し、国交正常化交渉にかかわった栗山尚一・元外務事務次官も「『暗黙の了解』が首脳レベルでできたと思う」と述べている。(6/25「朝日新聞」デジタル版)

 

2.その石原氏の発言などを受けて2012年9月9日、ロシアのウラジオストクで開催されたAPECで、胡錦濤国家主席が野田総理と15分間ほど立ち話の中で


 『ここのところ、中日関係は釣魚島問題で厳しい局面を迎えている。釣魚島問題に関して、中国の立場は一貫しており、明確だ。日本がいかなる方法で釣魚島と買おうと、それは不法であり、(購入しても)無効である。中国は(日本が)島を購入することに断固反対する。中国政府の領土主権を守る立場は絶対に揺るがない。日本は事態の重大さを十分に認識し、まちがった決定を絶対にしないようにしなければならない。中国と同じように日中関係の発展を守るという大局に立たねばならない』と(2012年9月19日「日経ビジネス」電子版)野田前首相は釘を刺された。しかし、野田氏はこの警告を無視しその僅か2日後に「国有化」し胡錦濤の顔は「丸つぶれ」であった。


 野田氏にすれば胡錦濤氏の顔など関係なく「自国の領土を何処に登記しようと、誰が保有しようと自由だ」と言うことであろうが、外交とは「相手の立場も考える」ことが必要で、平和は軍事力ではなく「外交」で守るものである。


3.そして、日本は下記の「最後のチャンス」を失ったのである。
 つまり今年9月27日の国連総会で、王毅外相が日本と対立する尖閣諸島問題を念頭に、領土などの争いについて『すぐに解決できないなら、まずは棚上げしてもいい』と述べた(9月29日「朝日新聞」)が、安倍首相は無視したのである。
 日本政府は尖閣諸島の領土問題の存在を認めていないが、中国はその存在を認めた上での棚上げを国際社会に訴え、田中―周恩来会談の「棚上げ」を再提案した。「棚上げ」とは実質、現状を「当面黙認」するという事だが、安倍首相はこの重大な譲歩も蹴飛ばしたのである。日本が竹島を「棚上げ提案」できないことを考えれば、この「棚上げ再提案」が如何に勇気ある譲歩した提案か理解すべきであり、ここで日本は「最後のチャンス」を逸したのである。
 長い間、高橋達之助、宇都宮徳間、岡崎嘉平太・・・・など多くの先人が努力して築いた日中友好を、野田、安倍両氏は一瞬にして水泡に帰したのである。外交とは自己主張だけではなく、相手の立場も理解することこそが平和への道である。
 ここまでの譲歩を無視された結果が中国の行動であり、相手の立場を考えない結果でありその「原因」は日本にある。何でも自国の思うようになる訳ではなく、それは戦争への道に繋がる。(12/1)

 

◆【特定秘密法案」阻止!】(11/30)

 今回の『特定秘密保護法案』の条文には「その他」が36カ所もあるだけで法律の体をなしていません。チェック機関もなく政府が何でも自由勝手に「秘密」を指定できる法律が何処の先進国にあるのでしょうか。その秘密開示の可否も政府が決め、永久に秘密のまま廃棄も可能です。そして、60年後の開示なら関係者は既に亡く、真相究明も責任追及も不可能です。


 「外交、防衛」の秘密保護には既に国家公務員法や自衛隊法に罰則規定があり、殺人犯にも等しい懲役10年を科してまで国民の「知る権利」を侵し耳目を塞ぐことは認められません。政府による恣意的指定・運用が十分考えられ、私は政府など信用しません。国権の最高機関である国会の「国政調権」さえ関与できない法律は違憲です。


 あの戦争で負けていても「勝った、勝った」と発表し、関東軍による張作霖の爆殺も、満鉄爆破のヤラセも「軍事秘密」だったのです。否、ベトナム戦争の「トンキン湾事件」もイラク戦争の大量破壊兵器」のウソも秘密でした。自衛隊はイラクで米兵だけではなく、武器弾薬も運んでいたかもしれず、それも「軍事秘密」です。そして、メルケル首相の携帯電話盗聴も米の「国家秘密」だったのです。


 外交、軍事のにみならず「特定有害活動」や「テロ」にも拡大し、石破幹事長がブログで「デモをテロ」に例えたことに本音が出ています。この法律は「何が秘密か、それが秘密」であり、逮捕起訴されてもその証拠が開示されることはなく「デッチアゲ」さえ可能です。


 そして、その秘密に関係する人や家族、更に下請け会社などの人たちまで「思想調査」、「個より公を優先」と国のために人権もプライバシーも犠牲にする社会は、治安維持法や特高警察の時代と同じです。福島の「公聴会」でも、衆参両院の「参考人聴取」でも、全員が反対や慎重審議を求めたことを、首相はどう考えているのでしょうか!参議院の「公聴会」の決定は公募もせず前日決定されるなど余りにも暴挙です。
 政権を取ったからと国民の多数が反対する法律を強行採決するなら、合法政権だった「ナチス政権」と同じです。 (12月6日、強行採決)

  

◆【自民党・町村氏の国会発言に異議】(11/12)

11月8日の衆院国家安全保障特別委員会で自民党の町村信孝元外相が国民の「知る権利」に対し「国家や国民の安全に優先するという考え方は基本的に間違いがある」と述べたが、 町村氏の考えこそ間違いである。憲法は権力の暴走を防ぐのが最大の目的であり、民主主義とは原則、公より個が優先する社会である。
  戦前・戦中、国は皇国、軍は皇軍、民は皇民とされ、天皇や天皇制の批判や軍命に反すれば「不敬罪」や「抵命罪」で処罰された。知る権利処か耳目を塞がれ思想信条の自由さ えなく「滅私奉公」と全て個より公を優先した結果どうなったのか。関東軍の「ヤラセ」であった張作霖の爆殺も満鉄爆破(満州事変)も「秘密」であったのであり再び治安維持 法の時代に戻してはならない。
  また氏は「『知る権利は担保しました、しかし個人の生存が担保できません、国家の存立が確保できません』」とも発言したが、45年8月の敗戦で日本国は無くなったが民は無くならなかった。米軍は鬼畜であり、敗戦になれば女性は辱めを受けるも「嘘」だった。
 逆に日本軍は沖縄で米のチラシを持っていただけで「スパイ」と殺害したり自決さえ強要したのである。これが個より公を優先した結果であった。

 

◆【靖国合祀に思う】(11/5)

 11月2日付『東京新聞』の投書欄「A戦犯の合祀なぜ」に私見を述べる。
 靖国神社は法的にも明らかに宗教法人であり、その経緯は戊辰戦争の官軍、つまり天皇側の犠牲者だけを祀った「東京招魂社」が原点であり、敗戦まで軍が管理し天皇、軍、国は一体だった。

 宗教法人である靖国が誰を祀ろうと本人 (ご遺族)が了解する限り、靖国とそれを信奉人たちの自由である。逆に、合祀に反対しえいる人の 「合舵取り下げ」に応じ ない方が大きな問題である。  
                                              
 そして、昭和天皇(以下、天皇)が参拝を止めた理由を「A級戦犯合祀」との発言は納得出来ず 天皇こそ戦犯であり、A級戦犯に責任を押しつけることは卑怯である。
 当時、天皇は軍の「統帥権」を持ち、国は皇軍、軍は皇軍、民も皇民とされ、天皇の権限発言は「絶対」であり天皇の名の下に何でも許され、天皇制や天皇の批判や反対することは許されず、「不敬罪、抗命罪」などで処罰されたのである。 

                                  
 敗戦が見通せる沖縄戦が始まる前のl945年2月I4日に、近衛文麿は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」と敗戦を奏上したが、天皇は戦争継続を指示したのである。
  その後 「沖縄、東京大空襲、広島、長崎・・・・」など50万人以上の市民が犠牲を強いられた。戦争の開始も敗戦の決断も全て天皇の名においてなされ、l00歩譲って軍や政 府に利用されたとしても天皇には責任があり、連合軍にもその責任を追及する声があったが、結果として天皇は米にも利用された。 

                      
 靖国が問題になるのは「宗教施設」であるからだ。 よく米のアーリントン墓地が比較されるが、アーリントンは「墓地」であり宗教施設ではなく、寺もモスクも教会もなく、僧侶も牧師も神父も居らず、アーリントンに埋薬されるのは希望者だけで、靖国の様に強制的に合祀されることはない。そして、本人 (ご遺族)の宗教を 尊重して埋葬されている。ドイツの戦没者の慰霊碑なども「宗教施設」ではなく、氏名不詳の戦没者のご遺骨埋葬している千鳥ケ淵の 「国主戦没者墓苑」は無宗教であり、故に誰が参拝しても批判されないのである。宗教への国の関与を「多数決」で決めることは許されず、「信教自由」を侵すことにもなり、特攻の生き残りであった群馬県の伊藤正治さんは「犬死にだった」(2003.8,4「東京新聞」)と言っている。  

                                               
  靖国は戦没者の氏名だけ祀っておりそれを信じるのも自由だが、権力の 「宗教利用」が如何なる結果になったか、政府はご遺骨のある千鳥ケ淵の戦没者墓苑こそ守るべきである。
 しかし、ここは既にご遺骨が入りきれないほど満杯になっており、政府は改善のを検討すべきである。首相、大臣にも思想信条の自由があるが、公私の分類は困難であり公務中は日本の侵略戦争で犠牲なった事も配慮し公務中は避けるべきである。                            

 

◆【教育は誰のものか】(10/22)

沖縄県竹富島が使っている中学「公民教科書」について、下村文科相が八重山採択地区で決めた育鵬社の教科書を使うよう「是正要求」をしたことに抗議する。
 今までに2年間使ってきた教科書を政権が変わったら「使うな」ということは、明らかな教育への政治介入である。既に、教科書検定をパスしているどの教科書を使うかは自由であり、教科書採択区域制度は検定制度の否定で教育の統制である。それでなくても検定の名下の「検閲」で差が無くなり、殆ど「国定化」しており、本来各学校や教育委員会単位で判断することである。
 教科書採択区制度は教科書、教育の統制であり、政府に都合のよい「国定教科書」を一律に使わせた間違いを繰り返してはならない。教育とはそれを受ける児童や生徒のためのものであり、権力の価値観を強制し権力の気に入る人間を「調教」することではない。これは「竹富島のわがまま」ではなく、権力の「政治介入・弾圧」である
 この竹富島教委の対応に国は、言うことを効かないと教科書無償化を実施せず、保護者や教員OBらのカンパで教科書を購入し生徒に与えているという姿勢は非常に立派である。政府の『金を出すから口も出す』という考えは間違いであり、その金は我々の税金であり教育に政府は『金を出しても口を出してはならない』のであり、教育や学校は権力の「調教機関」ではなく、その間違いは歴史が証明している。
 更に言えば育鵬社の教科書は何れも政府権力寄りで、それは高校公民の教科書でも問題になったのである。教育や地方自治を権力の意のままにするために弾圧し、意識や考えを統一する社会は民主国家ではない。「 教育と地方自治の独立」は民主主義の根幹である。(10.22日付『東京新聞』特報面に詳報)