【私の読んだ本から】2014年


著者:古林安雄

発行:埼玉新聞社

発行:2014.12.22

定価:2000円+税

A4版 161頁                   


 この事件は1884年(明治17年)10月31日から11月9日に掛けて起きた事件で、僅か130年程前の話で、それが「正義」と評価される様になったのはまだ数十年前である。「秩父事件」の本は可成り出ているが、この本ほど詳細に記した本はなかろう。

 序の「事件概要」に始まり、「事件参加状況、秩父の風土、生存の危機、秩父自由党、運動の展開、武装蜂起、官憲との衝突、転戦、運動の圧政」と、時の社会背景から現地の地形や町村体系、経済状況など系統立て詳しく記している。

 最初に動いたの今の寄居町・風布であり、秩父各地から下吉田の椋神社に結集し、一時は官憲を追い出し大宮鄕(秩父市)を制圧した。しかし、政府の軍派遣のため転戦し最後は南佐久の東馬流で終焉を迎え、現地には秩父事件「戦死者の墓」が建っている。

 この事件は埼玉だけではなく群馬や長野の南佐久、首都圏の東京、千葉、神奈川、栃木、茨城、更に遠く富山、岐阜、石川、愛知、新潟、福井、宮 城、・・・・などからも参加しているが、もっと広がって欲しかった。秩父事件は長い間「暴徒」とされたが、彼らは繭の暴落などで生活が困窮し、その借金の 減額や返済猶予などを願ったが無視され、生きるための決起であった。

 本書には犠牲者の氏名は勿論、参加者の氏名、年齢、出身地、行動や関与の形態、量刑まで「秩父事件参加者名簿」の一覧表が77頁に渡って付いている。

      筆者は元県立高校教師とのことだが、良くここまで調べたと脱帽であり「秩父事件」に関心のある人には必読書であろう。


編著:加古陽治

発行:東京新聞社

発売:2014.8.28

定価:900円+税


 戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』は広く知られ、その学生の一人で戦犯に問われ無念にも処刑された木村久夫を知っている人も多いだろう。この度『きけ わだつみ』に載っていなかったもう1通の遺書を紹介した本である。

 木村は戦時中インド洋カーニコバル島でスパイ容疑で日本軍が現地人85人以上を殺害した事件への責任を課せられ処刑された。しかし、彼は指示に従い取り調べをしただけで、処刑を指示した参謀は無罪、中佐は懲役3年という理不尽であった。

 現地では書き留める紙もなく、彼は愛読書の岩波の『哲学通論』の余白に、処刑半時間前までビッシリ書き留めている。『きけ わだつみ』に掲載されず削除された部分は、政府・軍などを批判した部分であり、本書にその削除された主な部分が掲載されている。

 親は子を戦争にやるために、育て大学にまで学ばせたのか。何とも空しく指示に従い取り調べした彼が処刑され、処刑を命令した上官が無罪とは何とも不条理である。これが戦争社会なのか。731部隊の石井四郎も生体解剖などの資料と引き替えに免責され、昭和天皇もその責任を問われることはなかった。犠牲になるのは何時も名も無い市民であり、命令する者は常に安全な所に居るのである。 

著者:稲葉剛

発行:岩波新書

発売:2013.11.20

定価:720円+税


 安倍政権は物価を上げ福祉を削り、消費税率を上げ「格差拡大策」へと急ぎ、生活保護基準の引き下げを実施し生活保護や福祉は「無駄」と思っている。

 役所ではなるべく「申請」そのものを受け付けないよう「窓口規制・水際作戦」で規制している。老齢加算や母子加算も次々減額廃止されていった。

 生活保護を切られると医療費や健康保険料、介護保険料や保育料、就学援助も切られ学校給食費などが自己負担になり、単なる生活保護費を切られるだけでは済まない。生活保護者(所帯)が借金をすると「収入」と見なされ保護費が削減されることを初めて知った。「孤独死、孤立死、餓死」が生じる国が先進国などと言えるのか。新宿区内で亡くなった路上生活者は一ヶ月で40~50人にものぼるが報道やニュースになることはなく此は命の差別であろう。本書には5度に渡っての申請が認められず餓死した例や、再申請が認められず自死した例なども示している。

 これ以上の消費拡大ではなく、富の再分配と格差是正こそ必要だが安倍政権は逆方向に突っ走っている。 

著者:古賀 勝

発行:労働旬報社

発売:

定価:950円

 

 地方放送局が労組弾圧のため労組役員らを東京支社に飛ばしたことから始まった。まさに「60年安保」時代の実話である。

 その地方局の東京支社の労組役員がメーデー参加のために休暇を申請した処、会社から「電波監理局から呼び出しがあった」と休暇を認めないと上司から通告 があった。当時、総評は総評の時代で同業労組は横のつながりがあり、労組が役所の担当にに確認した処「その様な要請はしていない」ことが判明したので 「メーデーに参した」として懲戒処分を受けた。労組がこの処分に抗議した処、会社は住居侵入と傷害を受けたと告訴さらた闘いの記録である。

 国鉄が解体されJRに、総評が解体され右傾化した連合になり、今や労組はストライキも出来ず春闘では政府の「賃上げせよ」とのパホーマンスで、「官制春闘」となり、安倍政権の格差拡大策で市民は困窮している。労組は苦しくても自ら闘わずして先は開けない事を知るべきである。 


著者:及川和男

発行:れんが書房新社

発売:2008年7月17日(初版)

定価:1600円+税

 

 岩手県の西端、秋田県境の6000人ほどの貧しい村である。医者も病院も無く冬は雪で「陸の孤島」となり、医者にかかるのは「死亡診断書」を書いてもら うために、遺体を背負ったりソリにのせて隣村まで運んだが、その医者の前に待っていたのは一人だけではなかったという。

 家の壁も床も隙間だらけで、薪ストーブを焚いても前だけで、室温は零下4~5度で室内風速は秒速40センチという住宅状況であったという。乳児死亡率は最悪だった。

 そんな村に久しぶりに帰村し、定時制高校の分校で英語講師をしていた深澤晟雄は教育長に推され、その後、助役から村長に推された。彼は『ロケットが月に行く時代に、老人や生まれてくる子どもがコロコロ死んでいいのか!』と立ち上がるのである。

 保健婦を養成配置し「予防医療」に力を入れ、高給を払い招いた医師も数ヶ月交代でやる気の無い医師処か、麻 薬使用の医師まで派遣される始末であった。彼は母校の東北大学に9ヶ月も通い医師派遣を要請し実現するのである。数ヶ月のつもりで来た医師は彼の熱意に、 その後15年も勤め村立病院の病院長にもなるのである。彼の信条は「人間に格差があってはならい」という信念であった。

 彼は65歳以上の医療費を無料にするが、国から健保法違反と圧力がかかる。しかし、彼は法律に違反しても憲法25条には違反せず、「私は村民の命を守るのが使命」と突っ張ったのである。その後、60歳に引き下げ1歳未満の医療費も無料にし、5年後「乳児死亡率0」の全国初の金字塔を打ち立てたのである。その後、医療費は国、県の平均を遙かに下回り、黒字経営も実現したのである。

 彼は他にも婦人会や青年会の設置処か、役場職員の「労働組合」まで設立させている。雪道にはブルドーザーをローンで買い、冬道を盛岡まで開通させ定期バスの運行や、病院への無料のマイクロバスの運行なども実現したのである。「日本一貧しかった村は日本健康な村」に生まれ変わったのである。

 しかし、予防医療に力を入れた彼は自信の予防に無頓着で食道癌に肺炎を併殺し、僅か59歳で命を閉じたのである。村民の悲しみは言うまでもない。

 彼はこの偉業を村民の理解・協力・努力と言っているが、助役、教育庁、病院、保健婦・・・・・多くの村民が彼を信頼した結果でもあろう。

 多くの市民、否、多くの政治家や首長に読んで欲しいと思う。

 深澤晟雄さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。 【深澤晟雄資料館】

編集・発行:NPO法人中国帰国者の会
発行:2011年3月15日
頒布価格:1000円

 日中戦争のソ連参戦で関東軍は開拓民を棄民し、追っ手を絶つため橋などを爆破しながら我先に撤退したことが知られている。その棄民された主に「残留婦人」と呼ばれる女性たちの、正に血の滲む体験の聞き取り記録である。
 偽満州国の「開拓地」は既に畑になっていた。つまり中国人の畑を安く或いは強制的に接収した土地であった。敗戦でその仕返しと日本人を襲った中国人もい たが、暖かく援助してくれた中国人も多く、孤児を預かったりソ連兵から守ってくれたり、食料を与えてくれ中国人も多かった。
 戦争末期には「根こそぎ動員」と男は殆ど招集され、残されたのは女性と子供たちだけであった。女性は生きるために不本意な中国人との結婚せざるを得ない人たちも少なくなかった。
 敗戦の15日に勤務していた女性交換手は非番に交代が来ず17日まで働き寮に帰ったら荒らされて何も無かったという。逃避行の中で身内を置き去りにしたり、頼んで銃殺をしてもらったり、集団自決など・・・・まさに地獄であったが、この責任を誰が取ったのか!責任処かA戦犯だった岸信介(阿倍首相の祖父)が首相になる始末で、これも市民の自覚の無さである。
 戦後の文化大革命でも苦労を強いられ、永住帰国した人たちも苦難の連続であった。戦争は悲劇の「原因と責任」を考えなくては、その体験・教訓を行かすことが出来ない。靖国はその責任回避のために「立派だった」と利用されている。


著者:堀田シヅヱ

発行:2014.8.6
自費出版(A5版 163頁)
定価:1500円(税別)

 著者の堀田さん(以下、著者)は1920年に広島に生まれ看護士として広島陸軍病院に勤務、その後、志願して中国済南陸軍病院に勤務した。9人兄弟の男性は全部兵隊に取られ、女子もその夫が兵役に取られ「お前までもか」と親が嘆き44年に24歳で帰国した。
 帰国後、広島県古市で保健婦として働き、45年8月6日の原爆投下は爆心から5,5キロで被爆した。その直後から救援活動に従事したが、何の外傷も無い人たちが次々と亡くなって逝ったという。
 結婚のため埼玉県鴻巣に移住、ご主人は中国で看護した兵隊でした。その後、小学校の養護助教諭に採用され「教え子を戦場に送るな」のスローガンの下で労働運動にも参加した。しかし、ご主人は僅か26歳で逝き広島で「堀田さんを探し求め歩いた」ための癌であった。本には素敵な若夫婦の写真が載っている。
 やがて「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に参加し、埼玉の被団協「しらさぎ会」結成にも尽力、米国へも渡り「被爆証言」もしてきた。しかし、米では何時も「パールハーバーはどうなのか?」と聞かれ、戦争は「被害だけではない」ことを考えるようになったという。
 後半には被爆医師の肥田俊太郎さんとのインタビューが載り、そのDVDが付録に付いている。現在94歳ですが長い間ご活躍有り難う御座います。これからもお元気で遅らし下さい。 


編集:興安街命日会
発行:新風書房(B5版、560頁)

発売:平成26年8月1日
定価:3700円(税別)

 敗戦6日前の45年8月9日、ソ連軍が旧満州の国境を越え侵攻したが、いち早くその情報を知った関東軍は開拓民を棄民し、特権を生かし我先に逃げ出したのである。その結果多くの犠牲者や残留孤児、婦人を生む悲劇が生じた事が知られているが、この「葛根廟事件」もその悲劇一つである。
 旧満州「興安街」に住んでいた日本人住民約1300人は9日のソ連侵攻と共に避難を始めたが、水も食料も無く疲労困憊状況のなかで敗戦前日の8月14日ラマ教寺院のある葛根廟近くでソ連の戦車隊に遭遇し無差別銃撃を受けた。 既に男性は軍に「根こそぎ動員」され、殆どが女性と子どもたちでで、殆どがその時に犠牲になり生存者は百数十人で30人以上が孤児を強いられた。しかし、それだけでは済まず生きる望みを失った彼らは次々に自決を図ったのである。
 母親が自分の子の首を絞め殺し、また借りた日本刀で自ら子を斬首した母親、青酸カリを飲ませ自らも飲んで逝った人たちもいた。何と子どもの食べている食料を横取りした母親さえも居たという正に修羅場・阿鼻叫喚とはこの様な状況を言うのであろう。

 この逃避行では中国人に襲われ物ばかりか死体の着衣まで剥がされ同然で歩いた人たちもいた。しかし、逆に多くに中国人に助けられて人たちも多く、本当に辛いときに助けてもらった事はどんなにか有り難かったであろうか。(8/10) 

著者:高橋まゆみ
発行:信濃毎日新聞社
発行:2010年4月24日(初版)
定価:1500円+税 

 

   先日、北信・栄村の「北野天満温泉・学問の湯」に行った帰り、以前から見たかった飯山の『高橋まゆみ人形館』に立ち寄った。ジオラマの中に農家のオジイ、オバアと子どもや孫たちの日常姿の人形たちで、時間を気にしない良き時代の農村風景である。
 酒の好きジイチャン、娘の結婚に背を向けて座るジイチャン、バーチャンの膝で泣く子は作者自身であることがこの本で解った。
 人形館には何冊かの本が置いてあったが、この本は単なる人形の写真だけではなく、作者が人形制作にかかわったキッッケや、長野市内から農家である夫の実 家・飯山に引っ越すことになつた事なども書いてある。その中で趣味の人形が仕事になり妻・母としての葛藤もあったようだが、夫や家族の理解なしに此処まで は来られなかったであろう。この人形ちは2003年から全国95ヶ所で展示され、2010年この『高橋まゆみ人形館』のオープンでこの地に落ち着いたとい うが、何とも表情豊かな人形たちの良き時代の農村風景が心を和ましてくれる。 (7/20)

 

 

 

編著者:大田昌秀(国際沖縄研究所) 

発行:高文研 発売:2014年5月1日 

定価:1700円+税(A5版 173頁)

 元沖縄県知事の大田昌秀氏も、沖縄の多くの本を記しているがこの本は今年5月の新刊ある。
 知られた通り沖縄では12の男子中学校と、10の女学校、14歳未満の子どもまで防衛隊や義勇隊の名の下に戦争に動員され、男子は15~60歳、女子は17~40際までが戦闘員として戦場にかり出された。女学生の「ひめゆり部隊」「白梅部隊」が有名だが、中学生だった大田氏も「鉄血勤皇隊」としてかり出され、摩文仁の海で意識を失い九死に一生を得たが、多くの学友をこの戦争で失った。彼はその思いの悔しさを伝えようと努力を続け、米公文書館に20年も通い集めたい資料(写真)である。
 戦争や沖縄戦に詳しくない人にも解り易く、時系列で編集してあり戦争や沖縄の戦争中の変化がよく解る。「鬼畜米英」と調教した日本軍は沖縄住民に集団自決まで強要し、親が子を殺すことまでした沖縄に何があったか知って欲しい。
 沖縄戦に至るまで、沖縄戦前夜、本島上陸、両軍の死闘、特攻作戦、首里司令部崩壊、戦場に出た学徒、捕虜と収容所、沖縄戦終結、久米島事件、米軍宣伝ビラなどの16項目に分類された写真が載っている。米の宣伝ビラを持っていただけで「スパイ」と友軍に殺害されたのである。
 戦闘が終わって「鬼」と思われた米兵が優しく子どもを抱いている姿は涙さえ出そうである。国家権力緒始めた戦争で幼い子どもまで殺され、罪も恨みもない人同士が殺し合った過去の体験から学ばなくてはならない。今また安倍政権は「集団的自衛権」と大きく戦争に一歩踏み出そうとしている。

2013年6月現在、沖縄の『平和の礎』には沖縄の地で命を落とした内外の24万1千227人が記名されている。ここは「靖国」と違い宗教施設ではなく、記名は全て遺族の「ご了解」を得て記名しており心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

編集:冤罪ile編集局  発行:希の樹(のぞみのき)

発行:2014年5月28日(年3回発行) 定価:780円

 

 この『冤Fiie』は当初、季刊だったが現在は年3の発行で本号で21号になる。今までA5版120頁だぅたが本号からB4版115頁と大判になつた。冤罪の本は多々あるが市民向けの「冤罪」専門雑誌は他になく貴重な雑誌である。
 巻頭の特集は『袴田事件』で笑顔の姉秀子さんの写真など3頁に渡ってカラー写真が載ってる。本文には事件や裁判経過の他に秀子さんのインタビュー記事もある。
 事件では他に、二子多摩川痴漢冤罪、埼玉愛犬家連続殺人、 松山事件、遺体なき殺人事件・・・など載っている。
 興味深いのは04年に刑訴法改悪の『証拠の目的外使用』の解説である。検察の出した証拠を一般に公開するなという改悪であるが、それでは世に証拠の矛盾や不正・冤罪を問うことが出来ず、税金で集めた証拠は検察だけのものではなく、被疑者・被告、国民のものである。これでは裁判は密室でやっているに等しく「公開裁判」とは言えない。
 シリーズの「裁判官の品格」も興味が湧き今回は裁判員死刑判決を破棄した、東京高裁10部の村瀬均裁判長を取り上げ評価している。京大法学部を出身の63歳、23歳で司法試験合格しエリートコースを歩いたという。後半に彼の今までの判例もあり、減刑や逆転無罪判決の他に、人権や弱者を思いやる人権感覚を持ち丁寧な審理をしてると評価している数少ない判事の一人のようである。
 終わりの「あの事件はいま・・・」のコーナーには北陵クリニック筋弛緩剤、東住吉冤罪事件、飯塚事件・・・・」など8件の冤罪の事件・裁判経過や現状が載っている。
 本誌は何と780円である!冤罪に関心のある人には是非購読して欲しい。(6/4)

 

 

編者:読売新聞宇都宮支局 発行:随想社
発行:2014.4.10  定価:1800円(A5版303頁)

 

  「3.11」を機に宮澤賢治と田中正造が改めて見直されているが、何れも私が一番影響を受けた偉人である。

 昨年は義人と言われた田中正造の没後100年ということで、地元の佐野市を中心に年間を通しイベントが開催された。本書は読売新聞宇都宮支局がそれを記念し1年に渡り「地方版」に連載した記事をまとめたものである。
 正造に関しては岩波の『田中正造全集』をはじめ多くの出版があるが、本書は現在を生きる人たち、「あとがき」によれば『田中正造に心を揺さぶられ、その精神を伝えようとする人々を追った』を書いてる珍しい貴重な本である。

  谷中村の元村民の子孫を始め、没後100年の企画を中心に進めた「田中正造大学」の坂原辰男さん、北海道サロベツに移住した元谷中村村長の子孫、著名人で は石牟礼道子や中村哲さん、谷中村だけではなく足尾銅山関係者の記載もある。他にも新潟やフィリッピンの鉱害と闘う人たちや多くの正造、谷中村、足尾の関 係者50人余りの発言やインタビュー載っており、最後に正造の研究者である布川了さんが載っている。

 『真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし』

 原発は文明か、否であり、昨年のIOC総会で福島原発事故を「収束した」公言した厚顔無恥の安倍首相に、正造の「爪の垢」でも煎じて飲ませてやりたい!(6/1)

 

 

編者:菊地美千代 

発行:2012年1月20日 

自費出版 1000円

 

 映画『蟻の兵隊』(2006年池谷薫監督)で戦後も中国・山西省に残り武装解除もせず八路軍と戦った日本兵(軍)が居たことは少しは知られたが、この菊地一郎さんもその一人である。
 夫人の美千代さんが何とかご主人の無念を伝えようと、ご主人の亡き後その資料をまとめ自費出版し、何時も各地の市民集会の会場で訴えている。
 敗戦後、山西省の軍閥・閻錫山から日本兵の帰国に、一部日本軍を残すことを条件とされ第一軍司令官・澄田中将の命令により「十総隊」として2600名が残され八路軍と4年余り戦い560名が戦死している。
 菊地さんは48年7月にその「普中作戦」で右目を失い、身体中に砲弾の破片が食い込っまだ。満身創痍の身体でながらも何とか太原の原隊に戻ろうと必死に歩き、その間、何度か八路軍に出会い「殺される!」と思ったが「その身体では無理だ」と食料や傷の手当てなどをしてくれた。日本軍は中国人を「チャンコロ」と蔑み取り調べで殺すことはあってもそんな扱いはしなかった。その後、八路軍に捕まり戦犯管理所に収容されたが、そこでも人道的扱いを受け「起訴免除」となり帰国した。
 しかし、帰国すると現地除隊後「勝手に残った逃亡兵扱いで、戦後の闘いで戦死した人たちにも何の補償もなかった。それは、当時、早々に飛行行きで日本に脱出した澄田中将らの「命令はしていな」との証言で裁判も敗訴した。
 帰国後も障害の身で何度も職を変え頑張って生きてきたのは、美智代夫人の大きな力を励ましがあったに違いない。当時の写真や診断書なども載っている。
 戦争とは正に人間の棄民・使い捨てであった証明であり、当時は兵隊よりも馬の方が大切にされたのである。
 どんなにか無念であったであろう菊地さんのご冥福をお祈り致します。
 この国はその歴史を忘れ、いま再び戦争への道を歩いている。それを進めているのは自身が戦地に行く心配のない輩たちである。

 

著者:吉原 毅 発行:KADOKAWA

 

発売:2014年4月10日 定価:800円(税別)

 東京の城南信用金庫が3.11直後から「反原発」の意思表示と行動を起こしたことは知られていると思う。この報道に私は資本主義中枢の「金融機関が?」と思っていたが、その理事長が書いた本である。日本の金融機関がこのような思想や価値観を持ったなら、どんなに素晴らしい社会になるであろうか、しかし、残念ながら続く金融機関はなかった。

 反原発の意見と共にその原発に対するウソや原発ゼロの根拠、3.11直後の様子も書いてある。使用済み核燃料の問題、原発は安いのウソ、10万年もかかる放射能、機能していない「もんじゅ」には毎日5000万円かかり、六カ所村の再処理施設にはなんと3億円もかかっているという。
 また原発の発電効率30%に対し火力47%、ガスコンパインド発電では57.5%、原発の原価には交付金はもちろん、廃炉費用、使用済み核燃料の保管、処理費用などは計上されず、それでも「原発は安い」というのか!
 同信金は自ら被災地に3億円を寄付し、役員OBや客に呼びかけた募金1億5000万円も寄付、社内に特別休暇制度やボランティア休暇制度を設け職員が定期的に被災地に足を運んだ。更に被災で働けなくなった現地の信金から乞われて現地職員を雇用している。しかし、経済に素人の私が勉強になったのは後半のお金、金融の話である。

 多くの人は信用金庫とは「小さめ銀行」と思っている人が私を含め少なくないだろう。信金とは金もけが目的の銀行とは違うことを初めて知った。また、同信 金の創立者など非常に立派な人たちであった。原発に対し著者の理事長自身も「賛成」の立場であったが、3.11を機会に考えが変わったのである。そこには なぜ原発をやめないか「原子力ムラ」の話も書いてる。

 そして、この信金では金儲けの融資は一切せず「貸すも親切、貸さぬも親切」と大銀行が土地投資、ゴルフ会員権、カードローン、投資信託、変額保険などに融資したがこの同信金はそれには金を貸さず、故にバブル崩壊時も健全経営を貫くことが出来た。ATMの連携さえしない徹底ぶりで、理事長待遇は支店長より200万円低く、60歳定年と共に賃金の「完全年功序列」制度を導入し職員の生活・身分も生活も安定し、そこには競争はなくそれでも上司に信頼があればキチンと働くということでる。多くの人がこの本を読んで気付き追従して欲しいと思う。

 

 

 

 第25回平和展パンフ『仏の名の下にヤスクニへ』

 

問合せ】「真宗大谷派名古屋教区教化センター」
 〒460-0016 名古屋市中区橘2丁目8番55号
 TEL:052-323-3686   FAX:052-332-0900
   HP:http://www.ohigashi.net/

 (「無料」で送付して下さる)

 

 真宗大谷派名古屋教区教化センター(以下、同派)が毎年3月に一週間、同所で主催している『平和展』のパンフ(B版62頁)である。この平和展は既に今年で25回目を迎えたという。
 同派に限らず戦時中全ての宗派が「戦争」に荷担したが、同派は徹底的に「自己批判」し、その反省の一環としてこの『平和展』を開催している。この「パンフ」の内用を含めて戦争の悲惨・悲劇だけではなく、「加害と責任」についてシッカリ自己批判していることが素晴らしい。私は宗教に疎いが此処まで猛省している宗派があるのだろうか。

 戦時中、同派の僧侶である竹中彰元「戦争は罪悪である」と発言したことが、陸軍刑法99条(造言飛語罪)に当たるとして、71歳の彰元に禁固4ヶ月の実刑判決を受け、その後、控訴審や恩赦で禁固2ヶ月20日・執行猶予3年の刑が決まった。しかし、同派はこれに乗じて彰元を最下位の僧侶に格下げしたのである。

 この毎年の『平和展』では同派で保管されている多くの写真、資料、書類を展示しパンフにも載せている。今年の展示・パンフには「大谷派と軍隊、大谷派と天皇制、現代」の3部からなり、慰問と従軍、布教、戦場の僧侶、海外布教と天皇制布教、・・・・、「現代」では特定秘密法や安倍首相の靖国参拝などの新聞報道と共に、同派が安倍首相に送付した安倍首相の『靖国参拝に対する抗議』文なども載っている。同派は再び権力に迎合して過ちを繰り返すまいと「平和」の問題に真剣に取り組んでいる。 

 前記彰元は敗戦直後の45年10月に77歳の生涯を閉じたが、同派は檀家たちの「彰元復権請願署名運動」などを無視できなくなり、1990年の「平和展」で初めて彰元「反戦言動」を展示した。そして、反戦言動から70年経過後の2007年10月に同派の主催で『竹中彰元師復権・顕彰大会』が開かれ、同派は彰元に謝罪し赦しを乞い彰元は復権し、僧侶より檀家の方が彰元に近い場所に居たと同派幹部も反省している。尚、このパンフは希望すれば無料で送ってくれる。(既刊も?)

 同派僧侶・大東仁氏が記した2冊の本を紹介する。

 (左)変形新書版146頁・風媒社刊 (右)B6版、248頁・風媒社刊

 

著者:橋本勝 出版:七つ森書館   (四六版197頁)
発売:2014年1月5日   定価:1600円+税

 

「風刺マンガ」家の橋本勝氏の作品集である。
 氏は長い間、的を射た「権力批判」のマンガを書き続けている。
 本書は「戦争はカッコイイ、ずっと戦争だった、なぜ戦争はおきるのか、いつまでも戦争、平和はつくれるか」の5章でできている。
 「20世紀は虐殺と戦争の時代」と言われてきたが、この21世紀も同じ過ちを繰り返そうとしている。否、[安倍独走・暴走政権」は集団的自衛権で軍を海外に出し、更に武器輸出、否、「防衛装備移転」で死の商人をするという。
 「マンガは」文字と違い一目の感覚で訴える内容が解るが、本書ではそれぞれのマンガに氏が数10行のコメント・解説をつけている。プロとは言え「よくこんなアイディアーが浮かぶ」と感心する。
 アフリカの子ども兵士、ひのまる・きみがよ、ベトゃん・ドクっちゃん、死刑、沖縄、かくみつやく、かくしゃしゃかい、ひみつほごほう、・・・・・・・、最後は「きょうせい(共生)」で終わっている。諦めてはならない「無関心・知ろうとしない事は罪である」、また過ちを繰り返さないよう、子や孫に責任を持つよう関心を持ち、是非この「マンガ」手にして欲しい。(3/25)

 

 

 

著者:伊藤孝司  出版:風媒社

発行:2014.2.28 定価1800円+税

 

 所謂、戦時中に「日本軍慰安婦(従軍慰安婦)」にされた韓国・朝鮮人女性14人の血を吐くような体験・証言である。
 安倍政権になって政治社会の右傾化が急速に進み、そのなかで「日本維新の会」などの戦争の「せ」の字も知らない国会議員がこの「日本軍慰安婦」問題を公然と否定する発言をし、「河野談話」の見直や検証まで求める始末である。
 更にNHKの籾井会長はその就任会見で慰安婦制度は「何処にでもあったでことしょう」と平然と発言し批判を浴び「私的発言」と取り消しを求めた。否定する彼らはこの女性たちとと対峙する勇気があるのか。彼女たちは今次々とと亡くなり、彼らはそれを待って否定するつもりだろう。櫻井よしこ氏も「証拠がない」と主張しているが、敗戦当時に殆どの書類は廃棄・焼却したことも知らないのか。
 この本で彼女たちは判る範囲で具体的地名や日本兵の名前を記しており、それでもウソ・デッチアゲとでも言うのだろうか。単に騙されたり、強制連行されたのみではなく、その扱いは奴隷以下であり正に読むに堪えなず、私でも本当と思うほどの扱いを受けている。そして、本書に多くの彼女たちの顔と共に切られたり刺されたりした傷跡の写真もあり何とも痛ましい。
 2000年にこの「従軍慰安婦」問題を裁いた民間法廷『女性国際戦犯法廷』が東京で開かれ、そこで元日本兵の加害証言と被害女性の被害証言、そして天皇有罪の判決を出したが、この三点をNHKはカットし放送し大きななった。この時に放送前に「公正な報道をお願いします」と圧力を掛けたのが当時官房副長官だった阿倍晋三現総理だった。是非、多くの人にこの過去の負の歴史に目を逸らさず事実を知ってほしい。(3/11)

 

 

 

著者:野田正彰 発行:講談社

発売:2013.9.11  定価:1300円(税別)

 

 本書は福島原発の「メルトダウン」のため酪農が出来なくなり、「馬鹿につける薬なし、原発で手足ちぎられ酪農家」「原発さえなければ」「大工さんには保険金で支払って下さい」などと堆肥小屋の板壁に書き遺して自死した酪農家の「精神鑑定」もした精神科医の野田正彰氏の著作である。
 精神障害は他の病と違い原則薬で治るものではなく、その「原因・環境」を取除く必要があるが、実態医療は患者の話を聴く処か、患者の顔も見ないでパソコン画面の診断基準にチェックを入れ薬を出し薬漬けというのが現状のようである。しかも、一部の医師などが製薬会社と組み薬の消費拡大を担っている状況さえあり「うつ病」を作り出してるという。
 著者は「自死」についても研究しているが、社会ではお年寄りの「孤独・孤立死」が増えていると報道するがそれは違い、家族と同居しえいる老人が仕事も出来なくなり、役に立たないと自死している人が多いのが実態だという。私は原発避難で「足手まといになる、お墓に避難します」と自死した92歳の老婆を思いだす。しかし、今は若い人の自死が増えているという。「労働者派遣法」での派遣など非正規労働者が増え貧しいだけではなく、先の見えない「生活の安定」が成り立たず絶望している若者は少なくないであろう。現に「自暴自棄」になった青年が犯罪を犯している。
 うつや精神障害は患者の「話を」聴くことが治療だと思うが、医師の数も足りず医療は全く機能しておらず、回復しないとただ薬を増やすだけという。 
 薬を全否定はしないが、素人の私も「うつ病」が薬で治るとは思わず、薬での金儲けではなく、患者にシッカリ向き話しを十分聴く医療を取り戻して欲しいと思う。また、医師や病院だけではなく、家族や周りの協力も是非必要であろうう。他人事ではなく自身も何時どうなるか分からず、社会は「助け合い」が必要である。是非、この時代に多くに人に読んで欲しいと思う。

 

 

 

著者:上田誠吉 出版:花伝社
発行:2013年4月10日 定価:1700円+税

 

 『治安維持法』と言えば小林多喜二の虐殺や横浜事件を思い出すが、この『軍機保護法』は1899年公布、1937年に改悪され対象範囲が拡大、罰則は死刑にまで重罰化された。敗戦で1945年10月に廃止されたがその被害者のドキュメンタリーである。著者は多くの冤罪にも力を尽くした今は亡き良心の弁護士・上田誠吉弁護士で、今「特定秘密保護法」の危険を訴えるために、1987年に朝日新聞から同じタイトルで発刊された貴重な復刻版である。
 北海道帝国大学の英語教師ハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻(米国人)と学生7人が『軍機保護法』のスパイ容疑で開戦の1941年12月8日に逮捕された。その学生の一人が宮澤弘幸でハロルドと共に非公開の裁判で懲役15年の判決を受けた。妻のポーリンは懲役12年を受けたが二人は1943年9月に交換船で帰米し、1951年に北大に復帰し札幌で生涯を閉じた。宮澤は逮捕後、逆さ吊りの拷問などの取調べを受け網走・宮城刑務所に服役し敗戦の法律廃止で釈放されたものの、結核と栄養失調で1947年2月に27歳の若さで生涯を閉じた。

市販の『DVD』
市販の『DVD』

 この記録は一人残った妹の秋間美江子さん(米在住)が密封していた過去を、夫の秋間浩さんの「証言したら」とのアドバイスから掘り起こされた貴重な記録である。
 当時でも破防法の適用はハードルが高く『軍機保護法』が利用され、昨年末に強行裁決された『特定秘密保護法』が現代の治安維持法とも言われるが、治安維持法の第一人者である小樽商科大学の荻野富士夫教授は、戦前の『軍機保護法』に近く、当時の『国防保安法』と合わせたような危険な法律と訴えている。
 当時ナショナリズムを煽り「売国奴・露探」などとレッテルを貼り権力が悪用したが、レーン、宮澤が受けた「懲役15年」は治安維持法の死刑に次ぐ重罰であった。母のとくさんは月1回言葉も交わせない数分の面会で息子の生きている確認のために、月末に一ヶ月ごとに何十時間もかけて東京か網走に通ったのである。母はレーン氏を恨んでいたが後日和解に至っている。

 

 

 

 

著者:坪内廣清 出版:彩流社

発行:2003年7月31日 定価:1800円+税

 

 本書は岐阜県各務が原市で中学校の校長まで務めた筆者・坪内廣清氏の実体験も通した、5年間だけけ存在した戦時中の「国民学校」の実態を記したものである。
 提灯行列までし日本中大騒ぎした「紀元二千六百年」の翌1941年、日本が太平洋戦争に突入し小学校は「国民学校」となり、教育の「調教化」が徹底されていったのである。 学校では国定教科書で「神の国」と教え、忠君愛国、滅私奉公、大東亜共栄圏、五族共和、八紘一宇・・・と、学校には天皇皇后の写真と教育勅語を入れた「奉安殿」に児童、生徒たち全員に最敬礼させ、天皇や天皇制を批判処か、天皇写真が載った新聞を粗末にすれば「不敬罪」で処罰された時代である。今も「日の丸・君が代」を起立斉唱しない教師が処罰されている。
  学校は「満州開拓青少年義勇隊」に子どもたちを送り込み全国で8万5千人余りがつぎ込まれその悲劇は知られた通りである。 
 運動場も畑となり代用食に芋畑などになり、更に学校は軍に接収された。国民は「見ざる、言わざる、聞かざる」を強制され相互監視さえするようになる。やがて空襲が激しくなると学童疎開が始まるが、その避難先でのイジジメなどに合う子もいた。敗戦の年45年3月には本土防衛と「国民義勇隊」が組織されるが、竹槍を手にしたり、戦車への肉弾攻撃の訓練までしていた。
 この本にはこの5年間の「国民学校」の調教の様子が徹底的に記録しており、特に、当時の時間割、教育・学校組織、教材内用、農業生産指数、代用食、米の配給割当、日用品供給品目、一般家庭供出品、学徒勤労動員数、当時の紙芝居・・・・等など、当時の貴重な数字や表などが載っている。

 敗戦で価値観が一転しそれまでの教科書に墨を塗り使ったのである。いま、教育が再び右傾化し「調教」が進み、教科書検定の名の下の検閲強化、教科書の広域採択、教育委員会の私物化などが進んでいる今、再び「調教」の過ちを犯してはならない!(2/6) 

 

 

 

著者:青木茂 発行:緑風出版

発行:2013.12.10 定価:2500円+税

四六判 291頁

 

 かつて「満州国」として日本に占領支配された東北地方を中心とする中国各地に、中国人が万人坑と呼ぶ「人捨て場」が数えきれないほど現存しています。そして、それぞれの万人坑に、日本の中国侵略下で犠牲になった中国人の遺体(遺骨)が埋められています。
 このような「人捨て場」としての万人坑は中国のいたるところに残されていますが、初めて私が訪ねた万人坑は内蒙古自治区のハイラルにある沙山万人坑で、2000年のことです。
 それから2012年までに20カ所の万人坑を私は訪ねました。そして分かったことの一つは、多くの万人坑のそれぞれで犠牲者が文字通り万人の単位になることです。もう一つは、日本の民間企業が関与する鉱山や土建工事現場における強制労働が大量の犠牲者を生み、万人坑を形成する主因になっていることです。
 これらの事実を基に万人坑に関わる全体像を見ると、一般住民の強制連行や捕虜の徴用などで鉱山などの現場に送り込まれ強制労働を強いられた中国人は、「満州国」内に限っても1000万人を優に超えることが確認できます。また、強制労働を強いられた中国人の8割とか9割が死亡する現場がたくさんあったことも確認できます。
 さて、2000年以降ほぼ毎年私は訪中し万人坑を訪ねていますが、そのうち最近の4回の訪中記録を収録したのが本書です。その中で、中帰連平和記念館初代理事長の仁木ふみ子さんの同行で中帰連の西尾克己さんが興隆県(旧熱河省の一行政区)2006年に訪ね、60年余前の日本軍兵士としての自らの侵略犯罪を興隆の人々に初めて謝罪する話も紹介しています。
 これらの訪中記録に加え、「満州国」の万人坑と中国人強制連行の全体像を考察する一文も収録しています。本書を通して、万人坑と中国人強制連行について理解してもらえれば嬉しいことです。
 なお、本書で紹介している万人坑の写真を、本書に収録できなかったものも含めインターネットで公開しています。下記の『万人坑を知る旅』を参照ください。⇒ http://www.ac.auone-net.jp/~miyosi/

 

 

 

著者:松本五郎 発行:自費出版

発売:2013.9.20 定価:800円

問合せ:TEL:0155-31-7454(著者)

  

 戦時中の悪名高い『治安維持法』と言えば小林多喜二の虐殺や横浜事件のデッチアゲなど多少は承知しているが、この旭川師範学校の生徒たちが描いた「生活図画」が反動的だと逮捕された思想弾圧事件は知らなかった。
 現在、北海道音更町で暮らす92歳の松本五郎さん(以下、著者)たちが、旭川師範学校で美術を学び、その描いた絵が反動的と「治安維持法」違反で著者は1年3ヶ月も未決勾留され懲役1年3ヶ月、執行猶予3年の判決で仮釈放された実体験録である。
 当時、著者が尊敬していた美術教師の熊田満佐吾や「全寮制」の在学生、卒業生たち26人が検挙されたが、当時の「治安維持法」で逮捕された生存者は今全国で約50名で、十勝では既に著者一人だという。中には「天皇の写真が載った新聞を粗末にしたと、「不敬罪」で逮捕された級友も居たという。当時を体験した数少ない体験者の貴重な記録である。
 今もそうだが、当時は警察に何を言っても無駄であり、検察も同様で著者は結果として「デッチアゲ」の自白調書をを認め仮釈放の道を選んだ。その間、留年扱いだった彼の学籍は既に退学処分にされていた。学校も権力の言いなりで生徒たちを守る考えより保身を優先したのである。当時の学校生活や取調・拘留中の生活などが記されており、著者によれば目的は生徒たちの弾圧より「治安維持法」の恐怖を社会に広めたかったのではないかと推測している。
 その後、遅れていた徴兵検査を弟と一緒に受け、著者は体格が小さく第一乙種海軍補充兵として内地勤務だったが、弟は甲種合格し沖縄で21歳で戦死し、一緒に徴兵検査を受け甲種合格した仲間は「全員戦死」したという。
 戦後、著者は中標津の開拓農民として父を手伝い結婚、学校の無い開拓村の仮設学校で教員だった妻と代用教員をしていたが、治安維持法が廃止され彼は改めて教員免許を受け、その後、正規の教師として北海度各地の小中学校の校長を歴任し、定年後も現地の高校で美術講師を務めた。
 安倍政権により治安維持法にも等しい「特定秘密保護法」が強行採決され、更に「集団的自衛権、武器輸出、憲法改悪・・・」と目論み、「日本を取り戻す。積極的平和主義」と生活補助を削減してまで軍事費を12%も増やし、強い国を目指し「靖国神社参拝」の強行など、世界の平和への道に逆行し中国、韓国処か「米やEU、ロシア」等からも批判され世界からの孤立化が進んでいる。
 著者はこの政治、社会への危機を感じ改めて自費出版されたものと思う。書写の学生時代の写真や当時描いたた絵なども載っている。

 現在の政治、社会は当時の状況と非常によく似ており「治安維持法」や「国家総動員法」の時代が如何なる時代だったか、特に若い人たちにこの実体験者の本を手にして欲しいと思う。

  これが「非国民」とレッテルを貼られた「治安維持法」の時代であった。(1/10)

 下記は「治安維持法」違反に問われ著者の絵(生活図画)である。これが何故!?