知っていますか?【冤罪・神戸少年事件】の真相!

 

 1997年5月24日、神戸市内の土師淳君が祖父の家に出かけたまま行方不明になり、その後、殺害が確認された『神戸少年事件』は冤罪である。

神戸市内を「ビラ」をまきながらデモ行進(2002年)
神戸市内を「ビラ」をまきながらデモ行進(2002年)

 

 「松川、八海、青梅、日石・土田邸爆破事件・・・・」等など、数々の権力犯罪を暴き「人権弁護士、冤罪弁護士、野人弁護士」等と呼ばれた今は亡き後藤昌次郎弁護士、土屋公献・元日弁連会長、弓削達・元フェリス女学院学長、そして、渡辺千古弁護士、永見寿実弁護士、矢澤昇治弁護士(専修大教授)、生田暉雄弁護士(元大阪高裁判事)、また、返還前の沖縄で「陪審員」を体験している作家の伊佐千尋氏・・・、良心的弁護士などが再審(処分取消し)や告発、付審判請求で最高裁まで闘ったことを知っていますか。

 

神戸の集会で「冤罪」を訴える亡き後藤昌次郎弁護士(中央)、生田弁護士(右)、心理学者の浜田寿美教授(左)など
神戸の集会で「冤罪」を訴える亡き後藤昌次郎弁護士(中央)、生田弁護士(右)、心理学者の浜田寿美教授(左)など
『読売新聞』大阪本社版(02.5.24)
『読売新聞』大阪本社版(02.5.24)

 

 文書で受理された再審請求に対し、家裁からは何と電話で「立件しない」との通告が入り、弁護士がその理由を問うと「理由は言わない」との対応だった。たった2週間で審議もせず門前払いしたのである。


 後藤弁護士は告発に関与した地裁から最高裁まで11人すべての裁判官に、虚偽の告発と言うなら、『裁判官よ、私を告発せよ』という「要請書」を書留内容証明郵便で最高裁に送達してる。

 

 事件は当初、多くの住民に目撃された45ミリの「南京錠」を物色していた中年男性、そして、黒のビニール袋をもった不審な男や、黒塗りの乗用車などの目撃証言は、少年逮捕と同時に何処かへ消えてしまったのである。

現地の『ゴミ袋』は青色である!([神戸事件の真相を究明する会」パンフから)
現地の『ゴミ袋』は青色である!([神戸事件の真相を究明する会」パンフから)

 

 

       【当時、私が「冤罪」を確信した理由】

 
  「ノコギリと南京錠を『向畑ノ池』に捨てた」と自白しながら、発見されたのが何故ノコギリだけで、45ミリもの大きな「南京錠」が流れもない小さな池から発見されないのか!?ノコギリは警察が池に投げ込むことが出来ても、「南京錠」は管理者の持つ合鍵と合致しなくてはならず、「デッチアゲ」が出来なかったからである。つまり、この自白には「秘密の暴露」(真犯人しか知り得ない情報)がなく真実の自白ではない。私はこの池の捜索のTV画面を見ていて即「デッチアゲ」を確信したのである。

   

 しかも、それまで凶器を「糸ノコ」としてきたが、引き上げたノコギリは「金ノコ」であった!この矛盾に警察は少年に「金ノコを糸ノコと勘違いしていた」と言わせている。しかし金ノコと糸ノコは形状がまったく違い、下記の通り「売り場」も違っている。これはデッチアゲの大失敗である。

 

  案の定、警察が「自白通り発見した」と言うノコギリは、少年宅の物ではく「盗んだ物」とされたが、盗まれた証明ができていない。「盗んだ凶器」とはよくデッチアゲに使われる手段である。更に、ノコギリの入手先の自白も下記の通り二転三転している。
 また、首を切断した場所とされる「アンテナ施設」に血痕が無いことに、「ビニールシートを敷いた」としながら、そのビニールシートの行方も分からないなど説得できる証拠が何もなく、「犯行声明文」の警察による投函局の変更などは言語道断である。

  神戸の記者会見で記者たちへ「自分たちで書いた記事が、矛盾していると思わないか!?」との私の指摘に誰も応えなかった。

 

← (「向畑ノ池」にボートを浮かべ記者を貼り付け「これ見よがし」にノコギリを引き上げる警察、しかし「南京錠」は発見されず)

 

 

【井垣判事自身が「判決文」の中で、警察の「誘導・偽計」を認め証拠から排除】

   

 この処分(判決)は自白しかなく「決定要旨(判決文)」(下記でダウンロード可)の中で警察の自白調書に「誘導・偽計」があった事を井垣判事自身がを認め、職権で証拠から「排除」している。しかし、同じ場所で録取した検察の自白調書は『黙秘権を伝えたから有効』と証拠採用して処分(有罪)を決定したのである。

 

 更に後記の通り、後藤弁護士が作家の伊佐千尋氏と共に井垣判事に面談した時に、「自白を裏付ける証拠は在るのか?」との質問に、井垣氏は他に証拠が無いことを認めている(『神戸 酒薔薇事件にこだわる理由~A少年は犯人か』55頁・現代人文社)。憲法38条3項には「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」と明記されている。 

 

 以下、主に「物的証拠」について述べる。

 

  【ノコギリ】

◆ 「逮捕当日、家宅捜索で『自白通りナイフと、ノコギリを押収』」(6/29読売)
◆『ノコギリや南京錠は池に捨てたと自供』(7/1 読売、6/30毎日)
◆『7月7日13時50分頃、自白通り池からノコギリを発見、肉眼で血痕なし』(7/7 読売)
【疑問】
 家宅捜索の時に押収され警察の手元にある「ノコギリ」が、どうして池から出てくるのか?。ノコギリは2本なのか?検察が証拠提出したノコリギは1本(7/21読売)であり、しかも、そのノコギリが犯罪に使われた事を検察は立証していない。当初、このノコギリは「糸ノコ」と自供していたが、前記の通り池から引き上げたのは「金ノコ」のため少年の「勘違い」とされた。

 アンテナ施設の「南京錠」をノコギリで切断とされているが、現場に金属粉は無く、そのノコギリで首も切断とされるが、首の切断面にも金属粉の付着はない。つまり自白以外に物証が何も無く、その自白にも「秘密の暴露」がないまま、井垣判事は自白を信じ有罪(保護処分)判断をしたのである。

 

【ノコギリ入手先】
「ノコギリ」の入手経路にも重大な疑問がある。
 それは入手方法や場所が下記の様に二転三転しているが、このような「自白の変遷」は虚偽自白の典型である。何故なら嘘だから次々と辻褄合わなくなり、その度に自白が変更されるからである。

 しかも、凶器のノコギリは当初「糸ノコ」とされたが、「糸ノコで首が切れるかと」の指摘され「金ノコ」に変更されたのである。重大な「凶器の変更」は何を意味ているのか。

(「神戸事件の真相を究明する会」パンフから)
(「神戸事件の真相を究明する会」パンフから)

 

【自白は】
 1.「生協から購入」( 6月29日・読売)とされ
 2.次に「日用雑貨店から調達」( 7月 1日・読売)になり
 3.更に「ショッピングセンターから万引」( 7月11日・読売)と変化している。
 場所が「生協、日用雑貨店、ショッピングセンター」と変化し、方法も「購入、調達、万引」とそれぞれ三転しているが、子供が凶器を「調達」などと表現することは常識的ではない。

 

【淳君の運動靴】 
◆A少年は淳君をタンク山のアンテナ施設まで一緒に連れ出した。(自白・判決文)
◆淳君の運動靴には「タンク山付近の土砂類の付着はなく合致せず」と警察発表(6/2 毎日)
【疑問】
 タンク山に一緒に連れ出したのなら淳君の運動靴に現場の土砂類の付着がある筈であり、警察自身が「付着が無い」と言っている矛盾。これは殺した直後に何かの方法で「アンテナ施設」に遺体を運んだ可能性もあり、現に淳君は胃の内容物から家を出た直後に殺され、遺体の在った現場には血痕もない。

 

【凶器と切断方法】 
◆ノコギリで切断と供述(6/29読売・毎日)
◆鋭利な刃物、電動のこぎりの切断面に酷似/神戸大医学部・解剖所見(5/28毎日)
【疑問】
 当時、鋭利な刃物や回転ノコギリ、また冷凍後に切断では?などの情報があり、切断面は可成きれいな情況であったことが「解剖所見」にもある。素人が生首をノコギリで切れば神経や筋などもありズタズタになる。また首は第二頸椎から切断され、顎などがじゃまし平らな場所で素人の切断は不可能(長崎大・戸田清助教授)と言う。

 

(「神戸事件の真相を究明する会」パンフから)
(「神戸事件の真相を究明する会」パンフから)
(「神戸事件の真相を究明する会」パンフより)
(「神戸事件の真相を究明する会」パンフより)

 

【切断日時 
◆切断日時は24日夜と25日夜と記憶が交錯している。(7/4 読売)
【疑問】
 時間ではなく「犯行日」が分からないと言うのは説得力がない。


【首の位置の変化】 
◆5時半頃近所の女性(83) が校名プレート下の白壁の下に目撃(5/31毎日)
◆6時半頃新聞販売店員が(正門鉄扉の中央地面)に目撃(5/31毎日)
◆少年は正門のコンクリ-ト塀の上は不安定なので、地面に置いたと供述(6/30毎日)
【疑問】
 少年は自白の中で首を「塀の上では不安定なので『下に置いた』」と他に移動させていないのに、首の位置が変化してるのは何故か!?「目撃証言」との食違いの矛盾はどう説明するのか? 「首」はひとりで動くのか?真犯人は近くに居た筈ずである。そもそも、下記の通り身長160センチの少年に2メートルの塀の上に首が置けるのか?

(「神戸事件の真相を究明する会」パンフから)
(「神戸事件の真相を究明する会」パンフから)

 私は官憲が池にボートを浮かべ周りに記者を貼り付け、これ見よがしに「ノコギリ」を引き揚げ、次は「南京錠」と思ってTV画面を見ていたら「南京錠」は発見されず、その時にこれは「デッチアゲ」と確信した。普通、捜査現場は規制線を張り立ち入り禁止である。この捜索は報道させるための「デモンストレーション」で、ノコギリの引き揚げは「ヤラセ」だったのである。

 

【記者会見】

 6月28日(少年逮捕の日)21時過ぎから兵庫県警の山下捜査一課長は記者会見で

 警察:「犯行の供述を得たので、犯人宅の自宅を捜索し凶器

     が発見されたの で、逮捕状を請求して逮捕した」
 記者:「凶器は何ですか?」
 警察:「凶器はナイフなど」
 記者:「凶器以外は?」
 警察:「ありません」
 記者:「ナイフは刃渡り何センチですか?」
 警察:「分かりません」

              (6月29日付『産経新聞』)

 

と答え、記者会見を早々に一方的に打切った様子は当時テレビ報道された。警察が「重要証拠」である凶器のナイフを手元に持ちながら「刃渡りが分からない」と言う事はあり得ない。(「写真」は(「神戸事件の真相を究明する会」のパンフより)

 

 

 後藤弁護士は自らの著書「神戸 酒鬼薔薇事件にこだわる理由『A少年』は犯人か」(現代人文社)の中(55P)で、伊佐千尋氏と共に、井垣判事に直接会った機会に「客観的証拠はあるのか?」との質問に、井垣元判事は「無い」ことを認めたことを明らかにしている。

 

(『神戸酒薔薇事件にこだわる理由』55頁、著者:後藤昌次郎著、発行:現代文社)

【投函局の変更】

 まが投函したとする「第二犯行声明」が6月3日に神戸新聞社に届いた。しかし、その投函局を当初は「神戸西局」管内としていたが、その後、「須磨北郵便局」と変更されたのである。何故なら、「神戸西局」では警察のストーリーに時間的に合わなくなったからである。しかし、この封筒の宛先が「赤字」で書かれたため機械が押印せず、神戸西局員が手押しで押印した証言(記憶)があり、投函局まで偽装していたのである。

      機械が判読できなかった『赤字』の封筒と、消印例。(「クリック」で拡大します)

 

【犯行声明文】

 更に犯行声明文の筆跡鑑定も「少年のものと同一とすることは困難である」との科警研の鑑定があり、家裁も証拠から排除している。しかし、警察に「筆跡が一致したかのようにと偽計を以て自白を誘導」(判決文)され少年はここで諦めて自白に至っている。

 私たちは当時、首の代わりペットボトル3本を持ち、現場を少年の自白通り歩き検証、また神戸でも集会を開き、ビラをまきながらデモ行進をしたが、普通ならあり得ない「ビラを下さい」と手を差し出す人が多かった。当時、神戸でも可成りの人が「疑問」を持っていた証拠である。また、現地で開いた記者会見で、私の『皆さん自身が書いている記事が、矛盾していると思いませんか?』との質問にも記者の反論は無かった。

神戸市内での『記者会見』
神戸市内での『記者会見』

 再審で死刑台から生還した『免田、松山、財田川、松山事件』の4事件に限らず、デッチアゲの「三鷹、下山、松川」の国鉄3事件、事件から25年、一度も有罪判決を受けず3度目の無罪で無実を得た「甲山事件」、否、冤罪は昔の事ではなく「志布志、富山氷見、足利、布川事件・・・・」と今も続いており、志布志事件や厚生省の村木厚子さん等は事件そのものが「デッチアゲ」であった。

 冤罪は限りなく続いており他人事ではなく、「全面可視化、証拠の全面開示」の導入が必須急務である。 

 

 ジャーナリストの最大の使命は『権力の監視』だが現状はほど遠く、殆ど、記者会見で権力から「戴いた記事」を右から左に流しているだけである。権力情報やマスコミ情報を決して「鵜呑み」にしてはならない!

 

【A少年は何故、冤罪を主張しない?】 

 最後に「では、何故A君は冤罪を主張しないのか?」と疑問を抱く人もいるかと思うが、彼はいま自由の身であり冤罪を主張しても認められる「確証」(真犯人が現れない限り)がなく、今のまま黙っていれは今の普通の生活を維持しでき、再度あの大嵐に巻き込まれることもない。冤罪が確定しても「真犯人」が判明しないと信じない人も少なくない。

 冤罪の殆どが「自白」しているが「何故、自白するのか?」の答えも同じで、先のことなど考えず今の窮地から逃れる事しか考えられない状況に追い込まれるからである。

 

参考 :【神戸事件の疑惑】後藤昌次郎弁護士

 

        :【神戸事件のページ】      

「神戸家裁決定要旨」の全文.pdf
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会報『告発』特別号.pdf
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(後藤昌次郎弁護士の関連「著書」)クリックで拡大します。

 

(当時、私が読んだ本)クリックすると拡大し「著者と出版社」が出ます。 

 

(「神戸事件の真相を究明する会」と「集会」のブックレット)クリックで拡大します。

このHPの「写真、図」の一部は、この「ブックレット」から了解を得て転載させて戴きました。

『この人を見よ 後藤昌次郎の生涯』三部作(日本評論社)

 この「三部作」は後藤先生の生前にギリギリ間に合い、先生はこの「三部作」を天国に持参された。後藤弁護士に関心のある方には是非お薦めの本である。

 

①『野人の誕生』

 後藤先生は貧しい家庭の長男に生まれ、厳しい父親に育てられる。

 東大に1番で入りビリで卒業、一高で文科・哲学を学ぶが「西田哲学」などまった解らず、理科に入り直す。しかし、ここでも天才に見えた不破哲三に出会い諦め、東大法学部に逃げ込んだという。その間、カリエスのため休学などで苦学している。短い教師生活時代の教え子の感想や同級生の話、そして宮澤賢治なども載っている後藤先生の人生である。

 

②『原点松川事件』

 後藤先生はよく「私の原点は松川事件」とおっしゃっていた。

 カリエスで足が悪く本を読めばと何とかなると弁護士になった先生が、東京合同法律事務所に入ったのは司法修習同期の松本善明氏が「一緒に行かないか」との誘いだった。そして、最初の仕事が「松川事件」の上告審であった。 アリバイである「諏訪メモ」を検察が最後まで隠していた事は余りにも有名であり、足利、布川事件でも官憲が無罪証拠を隠し今もその状況は変わらない。

 

③『冤罪の諸相』

 此処では3つの具体的な「冤罪事件」が載っているが、この中にこの『神戸 酒鬼薔薇事件』に100頁を割いて書いている。他にも清水局事件、八海事件についても書いている。 また、後藤先生が拘った最後の冤罪事件は、強要容疑事件で344日も未決勾留され、1、2審で有罪判決(執行猶予)を受け上告中の労組へ荷弾圧デッチアゲ事件『JR浦和電車区事件』でもあった。

 

 

 一時「生活保護の弁護士」などと報じられたこともあったが、事実は「医療保護」は受けたが生活保護ではなかったという。正に『井戸塀政治家』ならぬ『井戸塀弁護士』であった。

 後藤先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 そして、有難うございました!